★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.187

例年よりはるかに早い梅雨明けを迎えたかと思いきや、
降り続いた豪雨は甚大な被害をもたらしました。
多くの方が亡くなられた。ご冥福を祈ります。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.187》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は佐貫 惠吉さんです。

先日東京京橋に新しく開設された「国立映画アーカイブ」の開館記念展示、「没後20年 旅する黒澤明」と題したポスターコレクションを観てきた。世界30カ国にわたる黒澤映画のポスター84点を中心にその他の資料も含め
て展示されている。(開催期間は9月23日まで) 館内の常設展示場には映写機などの機材、写真資料多数が並べられ近代日本の映画史が綴られていてこれも面白い。

私は黒澤の没後1周年を記念して1999年12月にNHK-BSが主要作品14本を連続上映した際、それを全部ビデオ録画して残しておいた。たまに観直すが、黒澤作品は1943年の「姿三四郎」に始まり1993年の「まあだだよ」で終わる。
羅生門」で1951年のベネチア映画祭グランプリ、アカデミー賞最優秀外国映画賞、1952年の「生きる」でベルリン映画祭銀熊賞、1954年「七人の侍」でベネチア映画祭銀獅子賞、58年「隠し砦の三悪人」ベルリン映画祭銀熊賞、と続いて、私が「映画の旅」を始める前にすでに「世界のクロサワ」の評価は確立していた。
この後も日本と各国の映画祭での受賞が続くが、全30作品のうち受賞作は16本に上っている。数え上げればきりがない。 しかし、興味深いのは円熟期の作品としては珍しく無冠の「用心棒」(1961年)が、実は数多ある世界の映画の中で特別の作品だったことだ。1964年、これを「無断拝借」したセルジオ・レオーネ(監督)が、クリント・イーストウッドを主役に抜擢し、エンニオ・モリコーネの音楽(映画音楽のスタンダードとなった「さすらいの口笛」)を背景に造り上げたのが「荒野の用心棒」だった。 そう、新たなジャンル、一世を風靡した「マカロニ・ウエスタン」の第1作にして最高傑作と言われたあの映画なのだ。

隠し砦の三悪人」(1958年)以来娯楽路線をばく進中の黒澤プロ=東宝コンビにとって、決して台所は豊かではなかったので、黙って見過ごすわけにも行かなかった。レオーネを告訴し勝訴、かなりの金が転がり込んで、息を継いだと言われている。東宝としてはしてやったりだったかもしれないが、黒澤は複雑な気持ちだったようだ。と言うのは、そもそも「用心棒」自体がダシール・ハメットハンフリー・ボガートを世に送り出した1941年作品「マルタの鷹」の原作者)の「血の報酬」の翻案で、しかも限りなく無断借用に近く、これは黒澤も認めていた、と言うから面白い。 
二つの勢力を対立させて手玉に取る、痛快この上ない筋立て、「”勧善懲悪”時代劇」や「”フロンティアスピリット”正統派ウエスタン」にはお引き取り願って、派手な殺陣(残酷描写とアクション)で魅了する。結局大衆娯楽作品は面白いかどうか、楽しめるかどうかであって、観客は著作権など気にしない。

黒澤映画の撮影技法として、「七人の侍」で確立した複数のカメラと望遠の多用、有名な(モノクロフィルムに映りやすいように墨を混ぜた)「黒い雨」、そして背景に自然や天候を効果的に使って観衆を飽きさせない工夫(雨や砂嵐)などなど............があると言われる。 処女作「姿三四郎」は戦後の映画撮影技術からみれば稚拙でつまらない、と言う人も多い。烈風吹きすさぶ荒野、なびく草、雲の動きがあればこそ二人の柔道家の(ゴソゴソした)動きを「決闘」らしく見せてくれる。彼が確立し世界の映画人に一般化した技法は他にも多数ある。(「黒澤明の映画術」1999年樋口尚文著)

ポスターの話に戻そう。決して演技力に秀でていると言えない三船敏郎を「世界のミフネ」に押し上げたのが「誇張」「派手な動き」である。「羅生門」では画面の中を猿のように飛び跳ね、目をひんむいて見せる。これが今度の映画ポスター展で楽しめる黒澤の技法なのだ。イギリス版「SEVEN SAMURAI」、アメリカ版「Yojimbo」、西ドイツ版「Rashomon」、などなど。展示を観れば、「現代における映像のシェークスピア」とまで言われた黒澤が、世界中の人たちにどのように娯楽を提供し、何億という人たちに愛されたかがよくわかる。



◆今月の隆眼−古磯隆生
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− 非日常三題 −

東京に居る時は自然と接触する時間は非日常的な出来事でしたが、移住生活も10年目に入ると自然との接触は日常的で、逆に東京生活ではそれ程特別ではなかったイベントが非日常的な出来事と感じる事があります。
目下の日常は、絵の制作、畑仕事、にわか大工ですが、前回の“Ryuの目”発信からひと月の間に非日常的な出来事が三度ありました。

・その一
渋谷の東急シアターオーブで“ビートルズもどき”を楽しんできました。これは、ビートルズのデビュー50周年を記念して作成されたトリビュートライブショーで「レット・イット・ビーPART?」と名付けられたライブツアーです。“父の日”にとティケットをもらいました。
会場は2、000人近くを収容する劇場で、開演時にはほぼ満席。見渡すと白髪やテカリ頭が圧倒的に目立ちます。ビートルズ世代を対象にしてるようですからやむを得ません。
メンバー4人が舞台に登場。 ジョン・レノンもどき、ポール・マッカートニーもどき、ジョージ・ハリスンもどき、リンゴ・スターもどきの4人です。デビュー時から時間を追って曲を歌いこなしていきます。当然、衣装や髪のスタイル(カツラ)も当時に合わせています。デビュー当時は黒のスーツ、「サージャントペッパーズ」ではカラフルな海賊衣装に、「アビイロード」ではポール・マッカートニーもどきは裸足、ジョン・レノンもどき白のスーツです。
舞台の両袖からは、昔のテレビを模した巨大な画面から映像が同時並行で流されます。サイケデリックでカラフルな画像や時代時代のエポック画像が紹介されます。その中にベトナム戦争に反対する映像も流され、当時が彷彿されます。
何だかんだ言っても、現代の神経症的社会状況に比べてまだまだ大らかさがあった。人間味があった。

・その二
5月19日から7月16日まで山梨県立考古博物館で「古代アンデス文明展」が開かれています。つい先日このことを知り、急遽出向きました。東京からも小、中学生の団体がバスで来ていました。
ナスカの地上絵、インカ帝国のマチュ・ピチュ遺跡、などなど断片的にしか知らなかったアンデス文明。15,000年にも及び多種多様な文化が繰り広げられていました。
文字を持たないこの特異な文明で私が特に目を惹かれたのが、土器などに見られる豊かな造形力、細かい細工の施された装飾品やマスクに見られる象形の素晴らしさ、そして刺繍などの豊かな色彩でした。土器の意匠が意志疎通のツールとなっていたそうですが、その表現力は、隣の部屋で展示されていた縄文、弥生土器などとの違いは歴然としてました。
その中で、いささか衝撃的に印象づけられたのは前1,200〜前800年の頃の土器に「自身の首を切る人物の象形鐙型土器」というのがあり、宗教観の問題とは言えこれには次元を越えた驚きがありました。(写真貼付)

・その三
北杜市姉妹都市になっているアメリカ・ケンタッキー州マディソン郡のベリア市からアメリカ人家族5人が4泊5日で我が家に逗留しました。これは我が三女が5月に姉妹都市交流でベリア市に行った際にお宅に招かれて知り合ったようで、たまたま休暇で日本旅行を計画していて北杜市にも寄るとのことで、ならば我が家に来ればとのことで来訪。外国人が我が家を訪れることは何度かありましたが、家族での逗留は初めてのこと。
我が家は移住に際して基本的に夫婦用に住まいを計画しました。1階の寝室や浴室・トイレを除けば部屋の間仕切り壁は無く、居間・食堂・厨房スペースは吹き抜けで、2階の16畳のスペース(半分は私の仕事スペース)と一体となっていています。2階も間仕切りは無く、吹き抜け部に面してる部分は透かし状の手すり(階段も手すり壁無し)あるのみ。こんな空間ですので、それぞれの家族の仕草は全くのオープン状態。
夫婦は40歳台、13歳(男)、11歳(女)、9歳(女)の5人です。当初、多少緊張したもののやがて打ち解け、5日間の内3日間は雨で家に居ることが殆どでしたが、違和感なく共同生活的な時間を過ごすことになりました。極端な表現をすれば、今のトランプ的人間とは対極にあるような人達で、優しく静かで、思い遣りのある穏やかな素敵な家族でした。
リラックスして楽しんでくれたようで、お互いにいいメモリーになりました。



◆今月の山中事情147回−榎本久・宇ぜん亭主

ネイティヴ・アメリカン

アメリカの先住民に言い伝えられていることを知った。かつて動物、植物、鉱物にいたるまで、そのすべては人間であったという。その後創造主が現れ、現在の動植鉱の姿に分けられたのだそうだ。元来が人間であったゆえ、人間の言葉を解するのは当然であった。それが自然に対して畏敬の念を持ついわれだったのである。自然に対し、何かを始める時、呪い(まじない)や赦しを唱えるのはその為である。
この国で育った私は自然に対してそういう考えを知ることもなく生きて来た。しかし、自然の洗礼は途方もなく絶対的である。そのおそろしさに対し、捉え方は違っても畏敬の念のようなものは持っていた。自然の持つオアワーには人智では抗えない事を私はとっくに見せつけられていた。にもかかわらず、長じなければ畏敬というものを理解出来ずにいたのだった。
アメリカの先住民の暮らしは高度に発達した世界最大、最強の国の中にあって、かつて人間であった石や木、動物や魚などすべての命に敬意をはらいながら、生活の基盤を形成していることに興味をもって聞いた。
見返りを求めぬ分け与える精神は気の遠くなるはるか以前から行われていて、彼等の精神的支柱である海、山、川、森にはあらゆる可能性が秘められていて、心の拠り所として今日まである。
アメリカの近代映画に見る彼等は賊徒としてのインディアンで登場し、迫害を受けるシーンばかり強調されているが、自然の摂理の中で暮らす彼等に人類の本質を見せられた。二〇世紀から二十一世紀にかけて人類は急速に進歩した。
あらゆる分野に於いて一新したかもしれないが、それが果たしてこれからの人類の暮らしに担保出来るのであろうかは胸を張って「イエス」とは言い切れない側面もあって気になる。
先住民の暮らし方を学ぶことはたとえばアマゾンに住む人々の暮らしだ。たしかに近代文明の波は押しよせているようだが、大樹林の中で環境を保ちながら緑の富を得て羨ましい暮らしをしている。

人類は富める者と富まざる者に二極化し、国も又同様になってしまった。文明の壮大な夢は決して素晴らしいことばかりではなく、悪用されれば全世界的なことになる。人間は日々進化しなければならないと言う定義はない。先住民の生き方も確かに変わって来たことは否定できないが、精神的構造は貫かれている。百年前に彼等の言葉は取り上げられ、イングリッシュになった。だが今も歌の中には彼等の言葉が秘められ、今にうたい継がれている。それは争いのない平和の為の祈りの歌であった。アメリカの都市での暮らしを考えれば、何もかも足らないと思われるようだが、生きる為に足らないものは何もないと言い切る。文化の継承も若い人が率先して受けていることに感銘をした。
我が国に於いては明治政府がアイヌ民族に対し同化政策を施したことにより、アイヌ語はじめあらゆる文化が衰退した。
これを由と判定を下すことはさて・・・・

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 目下、秋の行動展に向けて制作中ですので、
 今月の一枚は二十歳の頃描いた素描画です。
 人体のクロッキーですが、何処で描いたかが思い出せません。
 お楽しみ下さい(写真貼付)。