★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.110

2月になりました。芽吹きはまだまだ?
日本海側の雪はまだまだ続きそうで、被害が心配されます。
白州での寒さは例年より厳しいようですが、今のところ大した雪は降っていません。
まだまだ寒い日が続きますが、ご自愛下さい。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.110》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は滝本加代さんです。

−胃ろうについて−

話題提供に指名されました、滝本加代です。耳鼻科の医者をしています。医者の間で賛否のあった話題を提供してみます。終末期の医寮のなかで、今回は「胃ろう」についてです。「終末期高齢者に胃ろう(瘻)造設は必要か。」です。
親や親の親族の方が、胃瘻造設での介護を経験されたかたもあるでしょう。近年、口から食べられない高齢者に胃に管をつないで栄養を送る胃瘻が普及し、病後の体力回復などに効果を上げる反面、欧米では一般的でない、認知症末期の寝たきり患者などにも広く装着され、その是非が議論になりました。必要で無いと解答した医師が多数でした。快復の見込みのない認知症末期の患者、終末期高齢者に嚥下性の肺炎を繰り返すからという理由で胃瘻を造設されると、エンドレスに生存が続くことがあるそうです。年老いて介護をしても口から食べられなくなれば、生の終わりであるという認識が必要だと言う医師に賛同者が多数でした。死の尊厳の問題、膨大な医療費、介護費も安易な胃瘻造設に反対者が多かった理由です。
胃瘻を造設を現時点では、やむを得ないという医師は、「今まで1000例ほどの胃瘻を造設してきました。高齢の親御さんを、どういう形でも良いから生かして欲しいというご家族には2種類います。コミュニケーションも取れないけど愛情が持続出来ていて、本当にどういう形であれ生きていて欲しいと願うご家族が胃瘻を希望する場合と、その当該患者さんの遺族年金等で生計を立てている家族が、年金を今後も出来る限り長く受け取るために胃瘻造設を希望している場合が有ると言う事です。単なるウンコ製造器と化しても生かして欲しい。その家族の思いは様々です。でも私はご家族が希望されればこれからも胃瘻造設していきます。私が患者の立場だったら絶対に胃瘻なんて造設希望しません。人間自分で食べれなくなったら寿命ですよ。」と、意見を書いています。
ただ、もうひとつの現実として、胃瘻造設が介護施設の入所条件になっていることも問題です。
終末期医寮は、更に、医者にとって問題があります。つまり生存を短縮してしまう行為に対して(胃瘻を外すこと)刑事罰が現行法ではありえるということです。昨年12月、日本老年医学会が終末期胃瘻にたいして「治療の差し控えや撤退も選択肢」と見解を示したことは、多くの医者の間では、終末期医寮に対して、ようやくこのような動きが出てきたと、歓迎しています。
皆さまは、胃瘻について、終末期医寮について、どう考えられますか。
滝本加代
http://park3.wakwak.com/~takimoto-jibika/


◆今月の隆眼−古磯隆生

−移住生活・その1−

あてのない東京脱出・住処探しを始めてから4年ほどの歳月を経て、2009年5月、山梨県・白州での移住生活が始まりました。東京からも適度な距離で、自然豊かな環境を求めての住処探しでしたが、とてもいい環境に巡り会うことができたと思っています。
瀬戸内海に面する町に生まれ育ち、大の海好きの私は、当初は海沿いの環境を求めて幾度となく歩きましたが、イメージに合う処に巡り会うことが出来ず、結果は、妻も受け入れやすかった山側の環境に落ち着きました。この地は、南から西にかけて南アルプス甲斐駒ヶ岳、北に八ヶ岳、東に秩父連山を望むロケーションにあります。西・北側に樹林をひかえ、東・南に向かって開ける緩やかな傾斜の地です。この地を最初に見た時「ここだ!」と直感しました。
常に視界の先に山々を認める環境は、無限の拡がりを想わせる平野とは質の異なった拡がりを感じさせます。私には、“東京”という空間は、境界領域が認識できないエンドレスな拡がりを持つ空間と感じられます。そこでは記号が張り巡らされ、その中で自己の場所を認識することが求められます。学生の頃よく一人で旅行をしましたが、地方都市に行って感じたことは、視界の先に山々が在り、その都市空間の拡がる領域がどこまでかをたやすく了解できることに安堵感を覚えたことでした。山と自分との相対的な位置関係によって、今自分のある位置を確認できる、そんな拡がりの空間でした。
私にとって山々に囲まれた空間は、無限を想わせる拡がりと違って、自分が育まれてるような感覚の安らぎさえ覚える拡がりです。水平線とは違った山々の稜線は、その時々の天候の具合で様々な表情を見せますが、見慣れるにつけ、この“地に棲む”感を強くします。
人は自分の住む場所をどの様に選んで行くのでしょうか。終の住処とは言わないまでも、そこそこの年齢に達した時に、自分の居住場所を考える時があると思います。その時どうするか。多くの場合の決める要因は、仕事・職場との関係であったり、生まれ育ったところであったり、あるいは親戚縁者の近くであったり、と何らかの縁や関係の“タガ”によってると思われます。その“タガ”をはずした場合、さて何を基準に選ぶのだろうか。不思議ではあります。私の場合、インターネットの拡大が東京への“しばり”を解いてくれました。そして“自然環境”を基準に選びました。そう言う意味では実験であり、冒険でもあります。ここ白州に移住してみて、そう言う人が結構いることに気付きました。年齢によってその(価値)基準は変わっていくと思われます。いずれ又このことについては話したいと思います。


◆今月の山中事情70回−榎本久・宇ぜん亭主

秩父にて−

東京時代はたまにデパ地下に行き、惣菜を買ったものだ。私の先々代の師匠によく「デパートに行って色の配列や、物の置き方を見て来い」と言われた。どの店も華美に陳列して、お客の目を楽しませてくれている。有名な店の商品がデパ地下では惣菜として扱われ、もしその店で食べたなら目玉が飛び出していただろう代物が、一〇〇グラム単位で売っている。それを買い、今晩は銀座の○○○の食事だと悦に入っていたものだ。ところがそれ以前もひっかかっていたのだが、老舗のそれは絶対に旨い前提があるのだからそうだろうと思って口に運ぶのだがウマクナイ時もある。そんなことはないと何度かハシを運んでも、しっくり来ない。全部が全部ではないが、洗練された味は我々には合わないのかと、とりあえず我が舌を疑う結論を出し、了とした。
実はデパートとスーパーの惣菜部門の違いを何となく感じていた。食の世界のそれは論を待たないのだが、デパートとスーパーのお客の色合いは多少違う。スーパーによく行くお客がデパートに行って惣菜を購入する時、全体の雰囲気が違うので、吟味の仕方がある意味気圧されて買ってしまうのではなかろうか。お客は当然皆賢いのだが、そこが違って見える。一方スーパーはそれこそ下駄履きで出かけて行ける間柄で、売手との直接的関わりが毎日のようにあり、すっかりものごとがインプットされていて、商品の好き嫌いは一目瞭然になっている。デパートの惣菜コーナーに対して、スーパーの惣菜コーナーは密着度の差のようなものを感じる。
東西42km南北31km、英語のCを半転させたような地形の中に、人口六万八千人が暮らしているのが秩父市である。そこに大小のスーパーが十指では足らないほど存在している。これは特異である。それゆえ凄じいシノギの削りあいが展開されている。その中にはデパートのそれを兼務しているのではないかと思われるスーパーがあり、健闘している。聞けば商品開発は上意下達ではなく、直接携わっている者同士が創意工夫しているという。県内でも上位の企業としてこのスーパーはランクされているのも肯ける。
東京を去る時、私はもしかしたら秩父で暮らすようになるのではないかと思った。そしてそれが現実になった。鄙びたこの古い町に漠然たる思いがあったようだ。私のこの二、三年の人生は、考えても見ない激動となり、多々あった夢は無惨にも蹴散らされたが、再び起き上がることが出来、三度目の開店をすることが出来た。「思い」はしてみるものである。それのお陰ですべてが実現することが出来た。少し元気になったので、要らざるムシが又疼き出しましたが、これまでのようには何事も出来ないので、ゆっくりとした中で仕事をさせていただくことのみにします。東京時代がどんどん遠のいて行くことは、やはり寂しいことですが、秩父の町にも心を躍らせる所がたくさんありますので、春夏秋冬飽くことがありません。
「食」という土俵で、私なりに何かお客様にアピール出来ればうれしいことだとひそかに思っている。加えて秩父は文化度が高く、私にとっては興味深いことが誠に多い。出身の山形・鶴岡市もきわめて文化度が高い所なので、すんなりとこの街にとけ込めたのかも知れません。画家、陶芸家、写真家、ガラス作家、園芸家、俳句仲間と交わりながら楽しく過ごして参ります。
 宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/