★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.161

5月になりました。
連休明けには田圃に次々と水が張られ、蛙が一斉に鳴き始めました。
水を張った田圃は山々を映し出しています。
今年もまた透明感溢れる風景が現出しました。
この日常的な光景は毎年繰り返して欲しい。(写真貼付)

熊本、大分の方々の“日常”への思いが察せられます。
3.11は今尚続いています。我々は何を学んだのか?
新たに4.14が発生しました。
原発は無表情に再開されていきます。

○福島の友人より

私は、原発事故直後から除染と家庭菜園の放射能検査を行って来ました。始めは、自宅の側にある100?の竹林の除染でした。4月下旬から出始めるタケノコは近所の皆さんが楽しみにまっていることから、3月20日から1週間かけ竹林の表土をごみ袋に52袋を剥ぎ取り保管しました。その結果、放射能は検出されず、その検査通知表をタケノコと一緒に配り皆さんに喜ばれたことを覚えています。
次は、10アールある家庭菜園の吸収抑制剤「ゼオライト」を全面散布し、その年以降作付した農産物は全て検査をしており、すべて放射能は検出されていません。今年はタラノメを始めて検査しましたが、検出されませんでした。安心して食べています。

県全体を見ますと、避難地域や作付制限地域を除いて、事故後からすべての農産物を検査し、基準値以上の物は販売停止、摂取停止となりました。しかし、流通している県産農産物の現在は、ほとんど検出されていませんし、ごくわずかに検出されてもごく微量の数値のようです。
御心配の方は、福島県のホームペイジを検索して確認してください。私どもは、これだけ検査しているのだから世界一安全な農産物を食べていると自負しております。しかし、こういった活動・検査の状況が詳細に県外の皆さんに伝わっていないことが風評被害として出てきていると思っています。どうか、皆さん関心を持ち、福島県のホームページで状況を確認してください。

チェルノブイリ事故から30年になりましたが、人類はこの事故から何を学んだのでしょうか?
原発事故は必ずまた起こります。そのために何をすべきか、その議論の経緯を伝えてほしいものです。
特に日本は地震列島です。地震を起こす断層があらゆるところにあり、その先20キロメートル圏内に原発が設置されているところもあります。
ぜひ原発村出身以外の人を入れた議論をして、内容を公表すべきです。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.161》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

−問題の楽しみ−

どのような環境にいても、人にはやるべきことがあり、必ずやれることがある。その際に、より上手な方法でやりたいと言う気持があればその気持(力)を是非活用したいものだ。その力を活用してこの機会をものにするか、諦めるかが明日へ大きく影響することがある。
私は最近、一週間の東京滞在を果たし、帰途に着くため成田空港の第二ターミナルでチェックインをした。二度ほど手荷物や上着や履物を調べられ、パスポートや切符やグリンカードを何度も出し入れさせられて、やっと目的のゲートへたどり着き、椅子に座って2時間ほど待った。すると、スピーカーから「今日は強風のため、全ての離着陸は中止になりました」というアナウンスがあり、更に「速やかにチェックアウトしていただきます」と付け加えてきた。チェックインとは正に逆のプロセスで預けたスーツケースをもピックアップしてロビーへ戻ってきた。そこで、搭乗券も席の予約も全てキャンセルになったことを知った。しばらくは呆然とした。

実は、私は反省していたのだ。普段、人にも自分にも言い聞かせていることを実行しなかったのだ。それは、「どんな問題でもチャレンジとして受け止めれば、解決しようという意欲が出てくるし、問題が苦痛ではなくなる。」ということである。私は空港で、突然にしかも経験したことのない問題を突きつけられ、しばらくの間、自力ではどうすることも出来ない、と初めから諦めて成り行きに任せてしまった。他力本願の受身になってしまった。積極的に問題と取り組めなかったのではない。単に忘れていたのだった。
気を澄ませて観察すると、このような機会は毎日のように周囲で起きている。人生には、まだまだやれることがある。しかもそのやれることが人のためになるなら、それは、幸運と考え、義務とも思って、チャレンジ精神を発揮するように心がけたい。
空港の場面に話しを戻そう。欠航の原因が強風という自然現象であり、殆どの航空機が名古屋または他の空港へ着陸したまま乗務員も時間切れで休憩を取ってしまい、予約はキャンセルになり、ホテル代も出ない、という厳しいものであった。

そのとき、更に大変困ったことに気が付いた。家内が教鞭を取っているクレムソン大学の学生が企画し実行に移しかけているサプライズ・パーティーがあった。家内がこの5月に長い大学教師生活から引退することになっていたのである。私は日本から帰った翌日にパーティー会場まで家内を連れて行く役目を任されていた。私の携帯は国際的には使えないことは知っていた。チェックイン・カウンターで電話を使わせてもらえるか聞いてみようかとも考えたが、全ての旅客が再予約をするために長蛇の列を作っているので、まさかその列の先頭に割り込むわけにもいかなかった。私は、チェックイン・カウンターのある、ごった返したロビーで右往左往していたのである。
と、丁度その時私の直ぐ後ろで「Are you from Clemson?(クレムソンから来られたのですか)」という女性の声がした。振り向いてみると、アメリカ人らしい中年の女性と男性とが私の帽子を見ていた。「Yes, I am.(はいそうですが)」と返事をしたら、「I am a Clemson graduate.(私はクレムソンの卒業生です)」と返って来た。私の帽子に貼り付けてある小さなオレンジ色の虎の足跡は、アメリカではかなり知られているクレムソンのマスコットである。お互いに自己紹介をして、しばらく話しているうちにに親しくなった。彼女はステファニーで看護婦、彼はチャックといって獣医をしている。二人共フロリダ州のタンパ市に住んでいる。ステファニーが迎えに来てくれる人に、到着日時は未だ未定だが変更になった由、携帯で電話するといった。途中で国際通話交換手を通したり、普段は経験しない煩雑さがあったらしいが用件は達成できたようであった。
そこで、私は家内のサプライズ引退パーティーの話しをして、緊急の際なので電話を借してもえないか訊いてみた。「喜んで」の一つ返事で使わしてくれた。アトランタにいる娘の電話番号を打ち込んだら、少しアクセントのある女性の声がして、今繋ぐから少し待ってもらいたいとのことであった。その交換手の英語に少し訛りがあったので交換台の場所が何処か聞いてみた。「フィージーです」、と言った。「フィージー島にいらしたことがありますか」「いいえ」。その内にやっと娘に繋がった。パーティーの企画責任者へ連絡してもらえるように頼んだ。結果的に、パーティーは完全なサプライズで大成功であったことを後で聞いた。その成功は、小さな虎のマーク、クレムソンの卒業生の親切、フィージーの交換手、私の娘など多くのことが旨く連鎖反応してくれたお陰であった。

二日目には強風があってから三日目の飛行機座席の再予約が取れた。同じ予約係りの人に頼んで、二日目に泊まるホテルの予約も取り付けた。三日目に、空港についてから出発まで6時間もあった。私はデルタ航空のゴールドメダル・メンバーだが、アメリカン航空のメンバーシップを持っていなかった。事情が事情なのでアメリカン航空のアドミラル・ラウンジを使えないか、と昨日と同じ人に尋ねてみた。「メンバー以外は使えません」とあっさり断られた。原因が自然現象とはいえ、航空会社も旅客も共に被害を受けているのであるから、両方から歩み寄ったらどうか、と言ってラウンジの人に相談してもらいたい、と頼んでみた。見事に成功!其の場でOKが出て、快適な午後をラウンジで過ごせた。この功労者である航空券の係りの人に「貴方なら出来ると思った」といったら、嬉しそうに大きく微笑んだ。ラウンジの人も、勿論私も、皆それぞれ幸せな気分になれた。「両方から歩み寄る」が解決策であった。

2016年5月2日 初夏の南部にて、クレムソン大学名誉教授  岸本雄二


◆今月の隆眼−古磯隆生
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−デザインの大衆化−

東京オリンピックの五輪エンブレムが決まりました。ここに至った経過は皆さんご存知の通りですが、何か今ひとつ私には釈然としません。今回の採用された案の様に、単位となる形のデザインを設定して、その組み合わせでオートマティックに様々な展開をするという方法は今様ではありますが、創造的には思えず、そこに“世界を切り拓く”示唆は感じられません。
私個人の考えでは撤回された以前のデザイン案の方が余程クリエイティヴに思われますし、想像を掻き立てます。デザインに思想性が感じられます(私個人はあのデザインが盗用だとは思えません)。

そして、今回の一連の動きに或る“不安”が頭をもたげました。
盗用問題が生じ、審査の密室性問題もあり、今回は国民参加の名目の元、デザインの質そのものを判断出来るとは思えない面々を加えての審査でした。果たしてこんなやり方で良いのか?釈然としません。問題を打破するのは、分野の違うメンバー(門外漢)を入れれば済むということではないのではないか。必要なのは専門家の透徹した眼によって“切り拓く(選考)”ことで、その過程をオープンにし、理由を一般の人が理解出来るように明確に、論理的に示すことであって、そのことによって一般の人々と“共有”してゆくことが必要なのではないのだろうか。それが求められてるのではないのだろうか、と。

一見、国民参加という名目の大衆化路線は、“デザインの質を問う”と言う点に関しても問題を孕むだけでなく、結局、責任が霧散するだけで、“みんなで渡れば怖くない”方式とでも言うのでしょうか、実質的責任の所在がますます不明になったと思われます。
アート或いはデザインの大衆化路線(潜む落とし穴…迎合性)は結局のところ質の退化を招くと思われます。
本来は、その専門性故に“日常”の中に、今までとは違った世界を見つけ現出させてみせる、或いは、新たな世界を切り拓いてみせる、そこに意味があるのではないか。
尤もこのような状況に至らしめたのは、専門性にあぐらをかいて社会との関係性を置き去りにしてきた専門家集団の側に問題があった背景を見逃すことは出来ないでしょう。
国民参加という名目の大衆化路線は、生活の中に文化がまだまだ浸透していない、根づいていってないことの顕れの様に思います。

ほぼ時期を一にした新国立競技場問題は、工事費の問題のみがクローズアップされてやり直しになりましたが、やはり、コトの本質はそもそものデザイン選考(工事費を含め)に問題があったことです。やり直しとなった、これだけの規模(と費用)の施設を短時間で、しかも施工者との一体提案方式では、選択性が極めて限られ、独創的な案を期待するのはそもそも無理な話で、結果はご覧の通りです。背景にある日本の“創造文化”の厚みの無さ、底の浅さを露呈させる出来事であったと思われます。

規範が喪失(共通の了解事項の喪失)し多様化した現代社会にあっては、一方で独善性、一方で社会迎合性(思想性は不要)が顕わになってきている。専門性と大衆性の両極化現象。停滞する現代世相の反映と言っても良いかも知れません。
しかも、規範のない多様化した社会では経済と工学系先端技術が人々の関心の的(政治家は巧みにそれを利用しようとする)となり、無思想化に拍車がかかる。そんな“不安”がよぎりました。



◆今月の山中事情121回−榎本久・宇ぜん亭主

−名物?−

秩父も山の中にある。県下唯一と言っても過言ではない、手つかずの自然の宝庫が残されている。一年中、どこかの地区で祭りがあり、集大成は十二月の夜祭りだ。秩父夜祭りは季語にもなっている。小さな単位ながらいろいろの文化活動も盛んで、各地区で開かれる。それでいて、かつては自由民権運動の発端になった地域でもある。それまで絹織物で栄えていたが、「人絹」の発明により生糸が暴落し、養蚕業やはた織り業を圧迫した。自由民権運動はそれらの人とも連動したがかなわなかった。そういう遺産をもとに今日の秩父がある。そしてあまりにも知られていないのが和同開珎発祥に地であることだ。
当店の前方に位置する山から純度90%の銅(これを和銅…にぎあかがね…という)が産出され、その銅を使って和同開珎が鋳造された。時の光明天皇がその時「和銅元年」としたとある。七百八年のことであった。
今から約千三百年前、この地がこの国の経済に関わる礎となる場所になっていることに、うまくは言えないが感銘を受けている。そして今、この地区は和銅区と言われているのです。今は県下一の地域面積に周辺の町村合わせて約十万人の住民がいるが、いずこも同じで激しい人口減少が続いている。はるか昔を思えばたいした悩みではないように思うのだが・・・。
どこにでも名物はある。この町でも栄枯盛衰を伴いながら、伝統となる様々なものがある。私の故郷のそれも、もの心がついた頃より目にし、大人になって類似品を比べると、まさにえこひいきのごとく、我が方の物が唯一無二であり、その由来やそれにまつわる一部始終を語り、その優位性を断言する。名物とはその製造者の努力はもとよりそういうユーザーのひいきによってある意味祭り上げられているのかも知れない。そして製造者は尚努力して名物たるものにするようだ。

そんな中に、よそ者の私が店を出した。それもほとんど人の目に留まらぬ場所で、あえて言えば電車の客がひょっとしたら見届けてくれたかなあと思うぐらいのなんのアピールもない形でポツンとある。したがって、「知っている人しか知らない店」なのである。そう言いながらすでに四年が経過した。「名物」を狙っている訳ではないが、今カレーを出し始めた。そば屋さんのカレーうどんにならって和食屋のカレーを造ったのだ。唐揚げにした鯖を副材(ほとんど主役)にして、鯖唐揚げカレーを提供している。カリカリと揚げた鯖は意外にもカレーとの相性を引き立て、満足感がたっぷり。カツカレーの魚版と思ってもらえばいい。ヘルシーさもある。確信はないが、なんとなく自信が湧いているのだ。なぜなら根底にはみんなカレーが好きだからである。ところがである。
飯能時代、「鯖のみそ煮」がテレビで紹介され大挙お客さんが見え、それが引き金になって体を壊してしまったのだった。四年間のリハビリ後、なんとか仕事のできる身体になったが、わずかの有り金は使いはたいてしまった。
やすやすと稼げるわけではないので、それなりの宣伝をしているが、仲々簡単にはゆかない。もっとたくさん宣伝をすれば、又大挙され、病気の再発も懸念される。「一体どうしろと言うのだ。この馬鹿野郎」状態の中に今私は居ます。
果たして「鯖唐揚げカレー」は名物になれるか?すべてこの際お客様次第にさせていただく。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は「大地の目覚め/香具夜」です。
  サイズは194cm×162cm(130号)です。
  (パステル+アクリル絵の具)
  お楽しみ下さい(写真貼付)。
  昨年の夏に描いたものに手を加え、2月の行動美術TOKYO展に出品した
  ものです。