★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.190

先日の第73回行動展には多くの知り合いの方々(60人を越える)が観に来て下さいました。
ありがとうございました。

さて今月の26日から故郷、山口県宇部市で3回目の個展を開きます。(写真貼付)

宇部故郷個展…「古磯隆生・パステル画展 3rd」
  ・会場  ギャルリー小川
        山口県宇部市西宇部北7-7-38
tel. 0836-41-0005
  ・会期  2018年10月26日(金)〜11月1日(木) 11:00 - 17:00
        会期中は無休、最終日は16:00迄

*会期中は私(古磯)は会場に居ます。


では《Ryuの目・Ⅱ−no.190》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は佐貫惠吉さんです。

大人は判ってくれない

今回は50年代末から60年代にフランスから始まり世界を席巻した映画史の一大事象=「ヌーベル・バーグ」について書くことにする。その作品群(狭い意味での「ヌーベル・バーグ」=フランス人監督作品)に実際に接したのは
70-80年代で、しかも感銘を受けた作品は多くはなかったと思う。
約半世紀にわたって数多く映画を観てきたが、名作と同じ数以上の駄作あり、で最近DVDの時代になって観直してみても「やっぱり」としか思えなかった作品がかなりある。 
とは言え、「一大事象」だから見方や視点を変えるとそれなりに興味深く、振り返る意味はあると思う。

ところで、極東の島国の映画少年が最初に「ヌーベル・バーグ」の臭いを嗅いだのは実はソ連映画だった。
これも何かの偶然なのだろう。「誓いの休暇」(1959)という映画だ。これはカンヌ映画祭でグランプリを取ったこともあって早くに日本で上映され私は中学時代に観ている。人類初の人工衛星スプートニク(1957)を夜空に探した記憶と並んで、私にとってのソ連の二つの鮮明な記憶になっている。ソ連にとっての第二次大戦は「大祖国戦争」で、それまでは、ひたすら正義の戦争を鼓舞し戦勝を祝し戦士は英雄として賛美されるものだった。この映画ではそれらがテーマにはならず戦争で引き裂かれる男女の愛がもの悲しく描かれていた。
フルシチョフスターリン批判が1956年だから政治的な「雪解けの時代」と歩調を合わせていたのだろう。ソ連映画にとっての「ヌーベル・バーグ」の象徴的な作品だったのだ。日本映画では、大島渚の「青春残酷物語」(1960)、「日本の夜と霧」(1960)、「日本春歌考」(1967)、などがある。「日本春歌考」は公開と同時に観たが、それ以外は70年代だった。

「大人は判ってくれない」(1959)はヌーベル・バーグの旗手と言われるフランソワ・トリュフォーの初監督作品になる。もう一人の旗手ジャン・リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」(1960)と並んで二大作品とされている。トリュフォー自身の経験を綴ったと言われるこの映画が興味深いのは、フランスにおける親子関係、大人と子供の関係を活写していることだ。この12歳の少年には嘘言癖があるらしく、彼に言わせれば「本当のことを言っても信じてくれないから」で、親子間の断絶は相当深刻なものになっていた。学校をサボって家出を繰り返す彼は、遊ぶ金欲しさにとうとう父親の職場からタイプライターを盗もうとして失敗する。
警察に捕まり親が呼ばれる、のではなく、親が警察に突き出し「性根をたたき直して欲しい」と、署長が取りなそうとするのを断り、親の方から少年鑑別所送りを希望するのだった。鑑別所から脱走し、砂浜を海に向かって歩くシーンで終わるが、死を覚悟している表情ではなく、広大な海が何かの希望を示しているように見えるのが救いになる。

フランス、特にパリ盆地を中心にした地域は、政治的には自由と平等を信じ、宗教的には脱キリスト教化し、家族はほぼ完全に核家族化している。映画の場面は第二次大戦後10数年のパリの労働者街だが「パリは燃えなかった」こともあり戦争の傷跡は見られない。大家族制度ではないので小児労働は殆どなく、また家族=両親の扶養能力も限られているので義務教育を終えれば自立傾向が強まる。(近年は「日本並み」にパラサイト・シングルが増えているそうだが)こうした環境での「個人主義」は大人の人格が基準になり、子供に大人と同質の人格が認められてはいない。フランスの大人が子供に対して抑圧的だと言われる理由だろう。

勝手にしやがれ」という題名の由来は何か? 何となくこの退嬰的な映画の内容を表していそうだが、実は最後まで謎だった。マルセイユで車を盗みパリに行く途中、主役のジャン・ポール・ベルモンドが「海も嫌い、山も嫌い、そして街も嫌いなら........勝手にしやがれ」と独白する。この時は意味がわからない。向かったパリで女と金を追うが、そこは嫌いでイタリアに逃れようとし、しかしジーン・セバーグ扮する惚れた女に密告され憤死する、と言う結末で謎が解ける。「ジャンプカット」と言われる大胆な編集、唐突なクローズアップ、という制作手法はこの作品が最初で、この点で映画史に残ると言われている。

「大人は判ってくれない」はパリの下町の物語で教会は風景としても出てこず、もちろん神父も顔を出さない。「勝手にしやがれ」はパリではシャンゼリゼが舞台で、エッフェル塔凱旋門も、そしてノートルダム寺院も出てくる。ゴダールの造った「観光映画」ではないか、と揶揄されたらしいが、宗教の臭いはカケラも無い。
キリスト教化というのは、住民が聖職者の言うことに従わなくなり、神も地獄も存在しないかのような生活態度を取っていることだが、これは大人も子供も含む(200年以上前に始まった)フランス特にパリ地域の傾向になる。 フランスのヌーベル・バーグを調べていて奇異に感じたことが一つある。 トリュフォーゴダール石原慎太郎の同名小説の映画化作品「狂った果実」(1956年=私は観てはいない)に影響を受けたと公言しているらしいのだ。映画史における「ヌーベル・バーグ」とは単なる時代区分のようなもので、今や過去の言葉だからどうでも良いことだが、映画技法の影響と言うことではなさそうだ。若者が大人の社会に楯突く、という風俗的な近似で言っているようだが、作者(監督)の頭の中は似ても似つかない。人生では重大な勘違いをすることがたまにある。トリュフォーゴダールも存命なので、宗教団体霊友会の顔役だった石原慎太郎と会ったらなんと言うだろうか、とても興味がある。(続く)



◆今月の隆眼−古磯隆生
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− 木喰 −

丸く張り出した頬骨。更に突き出た丸い鼻。顎髭をたくわえたその顔は満面笑み。
これは木喰(明満)自身が彫った自身像です。1718年、現在の山梨県身延町で生まれ育った木喰はその93年の生涯の間に1、000体を越える一木造の仏像(木喰仏)を日本の各地に奉納して廻ったと言われています。
我が故郷、山口県宇部市極楽寺にも木喰仏が遺されているとか。

先日、身延町なかとみ現代工芸美術館で開かれている「生誕三百年・木喰展」(10/21まで)に行きました。我が家から車で1時間余り、木喰を求めて雨の身延へ。開館時間(9時30分)から45分ほど過ぎて到着。会場には、大型台風前の雨にもかかわらず既に多くの人が見られました。
展示場に入るやいなや小さな立像の顔に思わず見入ってしまいました。何とも言えない優しい笑顔。気持ちがほっこりとさせられます。張り出した頬に出っ張った鼻。きっと制作者はこんな感じの顔をしていて、人をほっこりとさせる上人なんだろうなと想像させられました(絵の場合もそうですが、人物の顔を描くとどこか制作者本人の顔に似ている)。
少し大きな像に向かいます。その像の顔に数センチのところまで顔を近づけ、彫りを細かく観察。何と!これが84歳時の人間の作とは!!歳を取ると往々にして人はものごとをはしょって表現し勝ちですが、そんな事は微塵も感じさせません。正確な鑿のさばきと勢い。素晴らしい限り。表情は大らかで優しく、穏やかな笑顔に溢れ、本人の人柄を表すようで、観る人を引き込みます。
やがて本人の自身像が現れました。その印象が冒頭の「丸く張り出した頬骨。
更に突き出た丸い鼻。顎髭をたくわえたその顔は満面笑み」です。
まさに想像した通り。(写真貼付)

普通によく見かける仏像は、シンメトリックで何となく崇高な感じで近寄り難い雰囲気を醸し出していますが、この木喰の造像は敢えてシンメトリーを壊すように彫られていて、像全体が動きを感じさせ、それがとても親しみを覚えさせる造像になっている。
この木喰明満の造像はとても造形的に作られており、現代人の私でも思わず引き込まれてしまいます。90歳を越えた人間の作とは思えないほどの刻み、本人の息づかいさえ感じられるような思いです。
木喰の木彫といえばすぐに円空が思い出されますが、円空の禁欲的で鋭い彫り跡(鑿の)を残す彫像とは違った、大らかながらも動きのある造形性を感じさせる彫像になっています。その感じは三百年前とは思えない造形力です。
“笑み”が会場を浮遊しているかのようで、とても気持ちの良い、優しさ溢れる空間でした。



◆今月の山中事情150回−榎本久・宇ぜん亭主

−お茶−

子供の頃「お茶」を出された時は誇らしかった。両親だけではなく、他の大人も一緒の席であったことから、多分お祭りの席だったと思う。料理屋の二階から山車を見たことを記憶している。祭りだったとはいえ、子供が大人に交じって何かを話し、「お茶」など出されたのがうれしかったのだ。「お茶」の味など全くわからないくせに妙に大人の味のように感じたことを覚えている。
はるか昔「お茶」は薬として日本に伝来した。その後茶の湯などの高尚なものとなり、一般の者が容易に口にすることなど出来ぬ代物だった。と聞いたことがある。
時を経て現代となると、その「お茶」はすべての人の手軽な飲みものになった。
一歩外に出ればあらゆる所に「お茶」がある。人の通らぬ村はずれの自動販売機でも買え、夏は冷たく、冬はあたたかくされている。
一服と言えば「お茶」を飲むことを指す。(薬の名ごりか)その声をかけられたら自動的に「お茶」が出される。その習慣は長い時間をかけて培われて来たことだが、その一服の「お茶」によって安寧を得るのであった。お茶にはそのような力があることにより喫茶店の登場になった。「お茶」のことをもっと深く知りたい人々がその商売を成り立たせている。
かなり大雑把に「お茶」に就いて書いた。歴史をひもとけば「お茶」にまつわる話しは秀吉と利休の関わりのごとく数多くあり、興味をそそるが、その辺りのことは各自で調べていただくことにする。
今「お茶」に携わる各位の努力は目を見張る。敬意をもって喫茶させてもらわなければと思う。
私はぬるめの緑茶が好きだ。のどの奥を馥郁たる味が通って行く時、人間の創造の力を改めて知る。子供の頃知った不思議な味とはこの馥郁というものであり、こうして大人になってそのことを表現することが出来た。
利休と秀吉のことをもう一度読み返してみようかと思う。


宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は先日の第73回行動展に展示された作品です。
  サイズはP150号(162cm×227.3cm) です。
  (パステル+アクリル絵の具)
  お楽しみ下さい(写真貼付)。