★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.82

行動展には多くの方々に足をお運び頂きました。有難うございました。
ご覧になれなかった方々に写真でご紹介(写真添付)したいと思います。
また、選外となった作品も合わせてご紹介したいと思います。
タイトルは
入選作:大地の目覚め/虚・実
選外作:大地の目覚め/祝祭
です。
尚、入選作の絵葉書が出来ています。ご希望の方がいらっしゃいましたら
お送りさせて頂きますので、住所をご連絡下さい。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.82》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供はお馴染みの岸本雄二さんです。

−夏−

ここクレムソンは夏の気候を「南部の暑い夏」で十分に言い表せる土地柄です。
私は10日間の旅行から帰ってきたところですが、この「南」「暑」「夏」の漢字が相互に関係しながら使われているのが北半球だけだ、ということを身をもって感じた次第でした。
日本の蒸し暑い夏を4日間、真冬のシドニーに4日間滞在した旅でした。シドニーは東京の11月頃の気候でしたが、3週間の冬休みの最中でした。「South」「Winter」「Cold 」という感覚に慣れ親しむ前にクレムソンに帰ってきてしまったので、実感としては、残っていません。
南部の涼しい土地柄に住みやすい北向きの家を建てたいのです、と言えれば、日本の不動産屋は面食らってしまうでしょう。言葉は文化を表すと常々言っている私ですが、これほどの差があるとは、考えてもみませんでした。和歌や俳句の季語、文学や音楽、特にヴィヴァルディの四季など、微妙な表現とその裏にある意味が逆になってしまうのが南半球です。でも南米、アフリカ、オーストラリア、などすべて同様なので、私の世間知らずのなせる業かもしれません。恐らくは私の知っている日本語と英語が北半球で発達した言語だからでしょう。クラシック音楽の大部分も北半球出身です。
では、土地にしがみつくようにして作られた郷土色豊かな音楽はどうでしょうか。アメリカ南部出身のジャズ、特に、ジャズとクラシックを結びつけたジョージ・ガーシュインの音楽、アパラチア山脈の自然などを描写したアーロン・コープランドの詩のようは曲想を南半球で演奏するときの難しさは想像も出来ないほどだと思います。ここでは勿論、夏(暑)と冬(寒)だけでなく、春(芽生え)と秋(紅葉)も逆転します。要するに、季節や植物や動物など、自然に属するものは、殆ど逆になっています。フロトー作曲のオペラ「マルタ」のなかのアリアは堀口敬三の名訳で「庭の千草」として日本人に親しまれてきましたが、もう一つの原語に忠実な訳は「夏の名残のバラ」です。これなどは、堀口敬三氏の訳にしとけば、多少季節感が薄れても、南北両半球で使えます。日本の芸術、特に文学は自然と深く結びついていますので、この感覚の逆転は重大です。風鈴、扇子、すだれ、朝顔、などは、どうしても12月では気分が出ませんし、コタツも7月ではどうも。
私は、生まれつき「色」に関連付けて記憶する脳の構造を持っているらしく、夏に関しては、季節としての夏の色(淡いトウモロコシ色)と、夏という言葉の響き(なつ)からくる色(濃い松の緑)で記憶しています。こちらの「夏」7月が南半球の雪や白く吐く息(白)となると、その感覚転換は殆ど不可能に近くなります。翻訳が必要になります。でも、「うだるような北の冬の暑さ」などは、日本人の感覚では言葉を完全に換えるか、新しく発明するかしないと、理解は不可能ではないでしょう。
これらの違いを外国語として扱えば翻訳と同じように、意訳すればよいのかもしれません。しかし私にはまだどうしてよいか分かりません。とにかく同じ北半球の日本語と英語の間の英和・和英辞書が、間違えだらけなのですから。
これは、今回一冊の翻訳(英−和)を仕上げてみて、思い知らされました。私には、今のところ、夏の色は「淡い黄色と濃い緑」でよいし、他の人が違う色や記憶を連想するなら、それもよし、としておきます。
2009年7月26日、アメリカのうだるように暑い南部の夏、クレムソンにて
岸本雄二



◆今月の隆眼−古磯隆生

−住処探し・その2−

仕事の関係上なかなか東京を離れるのは難しいだろうと思いつつも、この都会の中に呑み込まれたままでは…こんな思いでいましたが、一方で〈主体的に生き抜く〉環境を求めてもいました(…所詮地価の高い東京では自分の居を構えるのは無理だなと思ってもいました)。後に実感することになるのですが、東京を離れることを可能にしてくれるようになったのは急速に進歩拡張したインターネット環境です。当初嫌悪していたパソコンとインターネットが、場所に縛られることから解放される力になってくれたことは何とも皮肉な感じもしますが、仕事世界の中で生き抜くためにやむを得ず覚えたことに始まります。
「自然がもっといっぱい周りにあって、心身を受け容れてくれるそんな環境を探してみよう」と、わがパートナーの提案もあって、「住処探し」を始めることになりました。
希望する地域が具体的にあったわけではありません。ただ漠然と関東エリアを意識していただけです(何故か生まれ故郷に帰ろうと言った意識にはなりませんでした)。自分の目で見、肌で感じ、住んでみたいと直感する場所を探してみよう!10年先くらいのつもりで、全くの無手勝流探索が始まりました。
「自然に囲まれた適度の広さを持つ敷地に中古の建物が建ってるモノを探そう。時間をかけて増改築を進め、我らが住処(栖)を創り出して行けばいい」と。
このRyuの目の宇ぜん亭主榎本氏が2005年に渋谷から今の飯能市の正丸に移住されました。土地勘があったわけでもなく、知り合いがいたわけでもなく、雑誌を見て気に入ったということでした。こういう探し方は大変ヒントになりました。つづく


◆今月の山中事情−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

榎本氏が体調を崩されましたので今月は「山中事情」をお休みさせて頂きます。
一日も早く復帰されることを祈りたいと思います。