★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.186

梅雨入りしました。緑が映えます。
山梨には海がありません。瀬戸内海で育った私にはいささかもの足りません。
そこで広くなった畑に波を想わせる畝を作ってみました(写真貼付)。
これも移住生活の楽しみ方。

停滞感漂う日本の政治。選挙制度に問題ありか?

では《Ryuの目・Ⅱ−no.186》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

働き方改革

「リーダーが後ろから全員の背中を押していく(落ちこぼれを防ぐ)型」が日本の指導者のスタイルであるのに対して、アメリカでは「リーダー自ら先頭を切って全員をぐいぐい引っ張っていく」というのが私のこれまでの経験であり理解しているところです。私はアメリカ在住53年になりますので、以上の相違を十分に理解出来ます。
今朝、2月25日日曜日、NHKの「働き方改革」と題する日曜討論を聴いていて、聴くに耐えられなくなり、途中からこの文章を書き始めた次第です。討論会の出席者が「才能を認める働き型」を余りにも理解していないのに驚いただけではなく、ある怒りさえ覚えた自分に驚いた次第です。
勿論、アメリカでは、「才能(宝)を認める(発見)型」即ち「才能開発型」が一般的です。日本の企業では、毎年4月に新卒新入社員を一堂に集めて、社長が訓示を与えます。このような光景はアメリカの会社ではあまりお目に掛かれません。アメリカでの社員募集は、その時点で会社が必要とする部署に必要な人材を配属する目的で採用します。採用された新社員は、当然その部署に必要な才能を発揮することが期待されます。

以上の考察が「企業の成績向上」とどう関係するかを考えて見ますと、社員の才能と企業の生産性向上との関係が見えてきます。先ず、「才能を認めたがらない」会社で才能豊かな人を採用した場合は「宝の持ち腐れ」になるだけではなしに、能力ある新入社員は自分の才能を持て余し、職場に対して失望感を募らせるに違いありません。会社にとっては、社員への給料は会社の生産性向上のための投資です。その職場に合った能力を発揮して生産性が上昇すれば当然給料も上がる筈です。才能に見合った給料を支払わないと、アメリカでは自分の才能を評価してくれる企業に移りたいと考えます。一方、どの国にもいる「才能に恵まれていない人」はどうすればよいのでしょうか。どの会社にも、特別な才能を必要としない内容の仕事はあります。給料は据え置きのまま、誰でも出来る仕事を担当させます。間接的に「我が社において貴方の将来は明るくありません」と言っているのと同じです。このような職種は、人口頭脳の発達によって次第に置き換えられていきます。従って才能のある人がより一層必要とされる時代になっていきます。即ち生産性の向上は、人間に特異な才能を要求ししているのです。
現在、世界における日本の生産性は、一時期の世界一位から滑り落ちて、先進7カ国の最下位の7位に甘んじています。GDPでは3位、日本人一人当たりでは14位、OECD加盟25ヶ国中で日本の生産性は20位で、日本人一人当たりの生産性は21位です。首位はどの部門でもアメリカです。日本はニュージーランドより多少上です。因みに、生産性とは、
  労働生産性GDP / 総労働量 が政府が採用する方式であり、
  労働生産性=生産量(Output)/ 投入量(Input)が企業の方式です。
以上は経済界だけの問題ではなく、それを支える教育と文化、そして日本人の国際性とに直接関係している重要な課題です

一般に日本文化、と言われるものは、江戸時代の鎖国270年間に育まれたと言われます。江戸時代は世界史でも珍しく、徳川幕府の強権による鎖国政策の実施により、国内外の戦争皆無社会になりました。即ち、天皇家を頂点に徳川幕府が代行政治を行い、大名は今で言う県知事であり、一般市民は、原則的に一律の規則下で同等の価値を担わされました。機会均等ではなく、皆等しい存在価値の国民として位置付けられました。封建政治の下で一般市民のエネルギーは、市民生活の向上、特に教育と芸術(趣味)に向けられました。鎖国により外国とは無関係となり、国民の国民による生活習慣が培われた時代だった、と私は理解しています。
華道、茶道、剣道、弓道俳諧、歌舞音曲、浮世絵、等々が百花繚乱し、所謂日本的文化が成熟した時代でした。「みち(道)を極める」方法論が発達して、師匠と弟子の関係は、全ての分野に浸透し、親子関係にまで及んだようです。浄瑠璃や歌舞伎などにみるように人情の細やかさが特に注目を浴びました。江戸末期には、西郷隆盛勝海舟坂本竜馬、高杉新作、などの少数の偉人の指導によるしん無血革命があり、開国の新時代を迎えましたが、一般の日本人は、江戸時代をそのまま明治に持ち込みました。これが明治、大正、昭和を経て、平成の現代に至るまで、江戸を引きずっていると、私は解釈しています。

人を信頼して約束(商取引も含めて)をする日本の習慣が、アメリカの弁護士を介する商取引に啓発されて、日本政府の一声により、日本の大学に法学部が多設されました。アメリカ方式を契約社会と呼んで、文化的には非人間的であるかのように糾弾する人も出ました。しかし、契約無しに交わされた約束が、一旦反故になりますと、日本での商取引が混乱から相互不信に陥ることを経験し、契約の重要性を学びました。しかし時が経つに従って弁護士過剰に陥り、現在では法学部廃設の方向に向かっています。
今、国会では、政府の発案で、裁量労働方式を法律化しようと議論が交わされています。才能ある人に対して、どのような報酬を払うか、を議論しているようですが、不思議なことに、未だに能力の違いを認めようとしていません。
特殊な仕事をする際、成果(結果)に重きを置き、短時間で成果を出す人に、長時間働いている人と同じ報酬を与えるかどうかを法律化するということのようですが、才能を認めてその能力に見合った報酬(時間給で差)を与える、という考え方がありません。人がより多くの報酬を貰うのは、その人の価値がより高いからであって何も不思議ではない筈です。時間の問題ではなく能力の問題なのです。高級品には高い値段がつくのと同じです。しかし、新入社員を一律に採用して、社員を区別したがらないのが日本の企業であり日本の文化です。
50年以上前ですが、日本のある会社の社長が大学に来て、「どうか特殊な才能教育をしないで貰いたい。会社用の仕事のための教育は我が社で行いますので、大学では一般教育に力を入れて信頼できる人を育成し、学生に変な癖をつけないで頂きたい」。信じ難い本当の話です。しかも今の国会答弁と同じなので、50年間変化していないのが分かります。

資本主義社会では、高級品、特殊技能、野球の名選手(イチロー)、名マラソン選手(設楽悠太選手)、ノーベル賞受賞者、等々、に高給を払うのに、疑問を挟む人はいないと思います。人、商品、芸術、技術、頭脳 などの価値の差を認めることは、我々の日常生活で行なっているのに、いざ一列に並んだ新入社員を相手に訓示を垂れると、全員同じに見えてしまうようです。入社後も同じように成長していくと信じる人はいない筈です。努力を惜しまず才能を磨き続ける社員には、その能力を認めて給料を増やし、個人のためにも会社のためにもなるようにしむければ、ウィンウィンとなります。日本の小学校の運動会で、徒競走をした生徒全員が一斉に手を繋いでゴールインさせたと言う話を聞きました。
残念ながら、この話と日本の企業の姿勢は同じように私の目には映ります。

恐らくは、江戸時代の封建制度の名残なのでしょう。アメリカにも才能の一律化を追求する姿勢が全く無い分けではありません。しかし、それを批判して議論をする場が必ずあります。アメリカの民主主義では、個人の才能に価値を置きますので、個人が他人と異なることには、危機感を抱きません。しかし、この危機感こそが日本での問題のようです。諍いがなく丸く収まっている「和」を尊ぶ日本文化と、自分が他人と異なり、可能なら他人より秀でていることを喜ぶアメリカ文化と、どちらがより優れた仕事の効率とその結果を生むでしょうか。
答えは歴然としています。仕事内容が繰り返しの多い場合は日本であり、仕事内容の根底から創造性を必要とする場合にはアメリカです。アメリカ追従で倣った通りを繰り返していればよかったJapan as No. 1 の1980年代には日本が有利であり、創造性と指導力発揮を必要とする仕事の場合には、当然アメリカに軍配があがります。よって、現在は、アメリカに軍配が上がっています。先に示した労働生産性の国際比較がそれを証明しています。
トヨタ生産方式で、Just in Time やカイゼン方式は、多分その中間に位置すると考えます。カイゼン(改善)は言葉通り、発想の新しさで勝負するのではなく、今ある方式を改善して効率をよりよくすることなので、創造的新しいアイディアの発想とは姿勢が異なります。

以上から考えますと、労働生産性の国際競争の場での先進国中最下位を抜け出すためになすべき日本の課題は、発想方や姿勢や文化に変革を起して、個人の特殊価値を認め、個人の主義主張を表明することに誇りを感じれる環
境をつくることです。これは言語を変えるのと同じぐらいの大変化です。同じ日本語でも、自己主張が可能な語彙、表現法、発想法を用いる必要があります。
これは、教育の大改革でもあります。超過勤務をしても仕事が片付けば、例え上司がいても、当然の権利として平然と「仕事が終りましたので、お先に失礼します」と言って帰れる環境をつくることです。これが出来ない体質がその企業にあるなら、それは労働生産性の低い、国際競争力の無い企業として、落ちこぼれるか、下請けのその又下請けに甘んじて、創造性とは無縁の組織に低迷していくでしょう。即ち企業が指導力を発揮し続けていきたいなら、その企業の体質改善は至上命令なのです。

他人と異なることに危機感を憶えて、日本は自国の労働生産性が先進7ヶ国中最下位であることに恐怖を覚えて心配になり、その後「発奮」して、国の創造力を結集して能力開発型へ向かって突き進むことは、日本人なら必ず出来ます。
日本政府も経財界も教育機関も、更には、芸能界をも巻き込んで、現実を確りと「認識」し、日本国の才能発見に最大限の努力をする企画を立てれば、日本の将来は明るいと言えます。デザイナーや建築家、作曲家や彫刻家、等、既に世界の舞台で羽ばたき、創造力を発揮している日本人が数多くいます。生産性や教育の分野で羽ばたけない訳がありません。
先ず、現実を直視して、認識を新たにすることです。国際間の生存競争に勝ち抜くための至上命令なのだ、ということを確と「認識」することがその第一歩です。

2018年3月10日 日本の伝統的な才能開発の手法を呼び起こしましょう!
岸本雄二、クレムソン大学名誉教授



◆今月の隆眼−古磯隆生
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− 移住生活・その34/にわか大工 −

移住生活(2009年5月移転)が10年目に入りました。早いものです。
10年近く経つと建物も多少手入れが必要になります。我が家のウッドデッキもあちこちに木腐れが生じてきました。デッキの使用材は2×6材です。厚さは4cm程ありますが、この樹種はもともと水に強いものではありません。予算の関係で水に強くて硬い材料を使うことが出来ませんでした(東京のお台場あたりで使用されてるウッドデッキは雨にも強く硬い輸入材で価格もそれなりの高いものです)。でも“木の感触”は捨てがたく、防腐塗装で何とか持たせてきましたがそろそろ限界です。ウッドデッキの広さは3m×15m程で、使用されてる2×6(ツー・バイ・シックス)材は3m程の長さの物が100本。これをそっくり工務店に新しくしてもらうとなかなかの金額になります。そこで、想定外だった野菜作りにも挑戦した私が今度はにわか大工に挑戦です。これまで図面は引くものの、自分で作るのは初めてです。いささか不安なので、緊急に取り替える必要のある8本だけを試みることにしました。Jマート(ホームセンター)で防腐処理された長さ3.65mの2×6材(1本3,000円程)を2.9mにカットしてもらい。家まで運んでもらいました。
まずはカットしてもらった本材と残りの端材に再度黒の着色防腐塗料(キシラデコール:元々はドイツで開発された浸透塗料)を塗ります。建物の色調は黒で、ウッドデッキも黒塗装されています。周りの自然の中に溶け込み、あまり自己主張しない佇まいをと思って黒にしました。
さて、いよいよ工事に取りかかります。傷みの激しい部分の板を剥がしてみると、予想されたこととは言え、デッキ材を受ける中央部の横材(梁:2×10)が傷んでいます。
我が家は南側のウッドデッキに向かって下がる片流れの屋根を採用しています。軒先には雨樋は設けていません。冬の積雪量をそれなりに予測して、雪で樋が破損するのを避ける為に設けませんでした。その為屋根からの雨水は直接デッキに落ちてきます。落下水の当たるその部分の傷みは他よりもひどくなっていました。これは設計時より予想しており、その予防策として、雨の時には幅90cm程の人工芝を軒に沿って15m程敷くことにしました。当初は雨が止んだ後は乾燥を促すためにすぐにこの人工芝を巻き戻していましたが、段々とズボラになり、巻き戻ししないでそのまま放置することも・・・やはりこれは木の寿命を短くしてしまう。雨上がりに人工芝を15mに渡って巻き戻すのもなかなかの作業。他に方法はないものか目下思案中。
と言う訳で傷んだ横材にはカットで生じた端材で補強することにし、元々使用されていたステンレスのスクリュー釘を回収して2×6材を打ち込みました。当初思っていた以上に作業は進み、塗装を含め2日間で処理することが出来ました。残り98本。いささか気の遠くなる作業ですが梅雨明けあたりから再開かな?
忙しい夏になりそうです。



◆今月の山中事情146回−榎本久・宇ぜん亭主

−究極のAI−

近い将来、車社会はAI搭載の自動車運転になるとされている。それによって自動車産業界はその方向を転換せざるを得ない状況にある。自動車産業という重厚長大な産業が今後は家電の範疇に入る産業となるようだが、この時代に生きる者としてはまだまだ不安要素が多く、もの珍しさが涌いて来ない。
ハンドルが勝手に動くことは、いくら安全と言われても、今の段階ではおいそれと受け入れることは無理だ。車が電気や水素などのエネルギーで動くものにシフトする地代になろうとはボンクラな私の頭では思ったことがなかったが、それがなろうとしている。
現代に生きる者の判断は、そうなることを希望している者と、旧態でよいと思う者に分かれるが、それも当然と思う。世には必ず先駆者がいる。電話を例にとれば、ケイタイの普及はたいした時間もかからぬうちに世界中に普及してしまった。この現象をみれば、車もその運命にあるようだ。
おもしろい話を思い出した。時代ははるか数十年前のことである。ということはまだ車など見ることも出来ない田舎の話です。
冬にでもなると鈴の音を鳴らして一頭の馬が橇(そり)を曳いて現れた。とある食堂の前で庄助爺さんは手綱を引いて馬を止めた。馬は店の前で、雪降る夜を、庄助さんが出てくるのを静かに待つ。ほどなく庄助さんが出て来て手綱を振ると、馬は再び橇を曳き始めた。次の馴染みの店の前で又、馬を止めた。
庄助さんは馬の頭をなで店にはいる。馬の頭にかなり雪が積もった頃、ごきげんになってよろけながら橇に乗りこんだ。町はずれに来た時、最後の店の前に止まった。馬は町に出た時の庄助さんの行動を熟知していた。夜も更けた頃、庄助さんはすっかり出来上がり橇の毛布にくるまった。無意識に手綱を引けば馬は我が意を得たりと雪道の家路を鈴を鳴らしてたどった。
そして馬は無事主人を家に連れ帰ったのです。
あの頃の日本ではどこでもみられた光景だった。
“究極のAI”搭載の乗り物はこうしてずい分前から存在していたのでありますが。


宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は「大地の目覚め/位相」シリーズの最新作です。
  サイズはP30号(65.2cm×91cm)です。
  (パステル+アクリル絵の具)
  お楽しみ下さい(写真貼付)。