★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.193

新年明けましておめでとうございます。
本年も「Ryuの目」をよろしくお願いします。
白州は穏やかに新年を迎え、元旦から良い天気が続いています。(写真貼付)

さて、どんな一年になるのでしょうか。
世界の不安定要素は増し、妙なナショナリズムが。
躍動感の無い日本政治。
知性と民主主義を改めて見つめ直す年になるのでしょうか?

では《Ryuの目・Ⅱ−no.193》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は空閑重則さんです。

−嬉しく思う−

芸能人などがインタビューで「嬉しく思います」と言うのを聞いて違和感を覚えるのは私だけだろうか? この言い方は皇室専用だと思うのだが。
「嬉しい」の丁寧な言い方は「嬉しいです」「嬉しく存じます」「嬉しゅうございます」である。しかし後二者は謙譲のニュアンスが強く、天皇陛下は誰に対してもへりくだることができないのでこれらを使えない。それなら「嬉しいです」で良いのだが、何かさびしいので「思います」を付けることになったのだろう。
とにかく、一般人がこれを使うと「お前は天皇か!」とツッコミたくなる。

次に槍玉に上げるのは「あげる」だ。昔の人(つまり我々及び上の世代)は、目下の者には「やる」のが当然だった。現在は子供はおろか、ペットに対しても「餌をやる」が「ご飯をあげる」になり、最後は「亡くなって」悲しむのだ。そのうち「先日うちの猫が逝去しました」 という人が出てくるかもしれない。
もう10年以上前のこと。何かの競技で優勝したスポーツ選手の父親のインタビューがテレビであり、彼は「よくやった。褒めてやりたい」と語ったのだが、字幕ではそれが「褒めてあげたい」となっていたのに驚いた。どうも「やる」は差別語の一つに数えられ、脚本などの原稿に書くと直させられるようだ。物書きの一部の人はこれを嫌って「やる」「あげる」を使わないで済む言い回しを工夫しているように感じる。私は孫にご飯を「食べさせる」ことにしている。
悲しいことに、現在ではかなり年配の人にも「あげる」派が増えている。果ては物品に対しても「このネジを締めてあげて…」などというのが聞こえてくる始末。

日本語の敬語はたしかに面倒だが、うまく(正しく)使えば話者が自分をどう思っているのか、相手との関係をどう思っているのかが問わず語りに伝わり、便利なものでもある。なにしろ1人称、2人称の言葉の多さは日本語が世界一だと言われる。それから多いのが「死ぬ」を意味する言葉だ:

死去 死亡 逝去 崩御 物故 往生 没する 亡くなる 世を去る 逝く みまかる くたばる 昇天 主に召される 成仏

など。

これらも亡くなった人の素性や話者との関係を示すために使い分けられる。
何かと面倒な日本語ではあるが、実は大変論理的で、柔軟で、便利な言語である。その件についての考察はまた後日。



◆今月の隆眼−古磯隆生
http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant
http://www.architect-w.com/data/15365/
   Ryuの目ライブラリー:http://d.hatena.ne.jp/vivant/

− 生活感覚とは −

40年以上も前の話になりますが、私の建築の恩師からある時次のような話をされたことがあります。
「フランスの建築家のル・コルビュジェに師事した日本の建築家が、その体験談の中で、“コルビュジェが夕食の食材を自転車に乗って自分で買い出しに出かけていた”との話が紹介されている。この“ 生活感覚 ”は建築家にはとても大切なんだ」
   註:ル・コルビュジェはフランスの建築家で、近代建築三大巨匠の一人。
     上野にある国立西洋美術館設計の建築家。

当時はこの“ 生活感覚 ”の意味するところがあまりピンと来ていなくて、まあ多少炊事洗濯くらいは知らないと住宅の設計は難しいのだろう程度の認識でしたが、この言葉は何故かずーと頭から離れることはありませんでした。東京で生活してる頃は毎晩遅くに帰宅し、家事等々は妻に任せっきりの生活でしたが、10年程前に山梨に移住し、日常生活に必要で、自分で出来る身の回りのことは基本的に自分でするシンプルな生活に次第になって行きました。
野菜作りもその中の一つなのですが、土いじりをしていると次第に土の状態が気になるようになり、ミミズや虫の具合を観察するようになり、更に微生物の働きの重要性をも認識するようになりました。雑草の生え方が毎年違うことも知りました。
数年前、この地域では殆ど見ることのない大雪が降り、背丈までも積もりました。その雪解けには数ヶ月を要しましたが、その間いつもの雑草は雪の下でじっと待ち、雪解けと共に一斉に芽を出してきました。そして、驚いたことに、雑草はその間、例年の倍もの根を張り拡げて耐えていました。この生物の力強さには感動すら覚えました。
そんな生活の中で、人は大きな自然に育まれて生かされているんだとつくづく感じるようになりました。
そして、“生活感覚”とは、単に日常生活の諸事をこなすと言うことだけではなく、日常生活を通して人が生きて行くに必要な森羅万象に思いを遣ると言うことではないかと思うようになりました。
金子みすずの“大漁”という詩にあるように、見えてる世界だけが世界ではない。見えていない、或いは、見えない世界へも思いを遣る想像力。
人間の為に自然があるのではない、壮大な自然があるからこそその中で人間は生きていけるんだ、と。
その思いは私の絵の制作にも影響するようになりました。創作していく上での重要なスタンスとなってきたと感じています。
恩師との出会いがもたらしてくれたこのような認識の拡がりは、建築の域を超えて私の生き方へも影響を及ぼしていました。

この建築の恩師は、大学2年時に初めてお会いして以来、50年以上に亘って公私共にお世話になった私にとって掛け替えのない先生ですが、昨年秋に逝去されました。
一昨年秋にお見舞いに行った時にこんな話をしたところ大層喜んでおられたのが印象的でした。
歳月を感じます。



◆今月の山中事情153回−榎本久・宇ぜん亭主

−初夢−

無人島に漂着したのは、私とその人の二人だけであった。すべてまさかという偶然が重なってそうなった。であるからその人は友人でも上司でも同僚でもなく、わが国の○○である。
ハワイ沖で船が難破した結果こうなった。○○である彼ゆえ、危機管理に対しては万全であったにもかかわらず、まさかの事態となった。二人共何も持っていない。私は一介の料理人。まずは生きなければならない。サバイバルが始まった。
とりあえず食料を見つけなければならない。そのためにはまずは火を熾さなければと思った。幸い乾いた木々がそこいらにたくさんあった。固そうなものを見つけ、擦り合わせていたら火がついた。南に位置しているため棕櫚(しゅろ)などの糸状のものが難なく手に入り、引火も早かった。海岸を物色していたらアルミ缶を三本ほど見つけ、貴重な道具として拾った。枝で口を広げ細長い小さな鍋の替わりとして作った。なるべく生で食べず、火を通すことによって消毒の意味もあったからだ。
○○は率先して何かをしようとする性ではなく、私のすることを見ているだけである。小さな川が流れていたのはラッキーだった。水はそこで充分すぎるほどまかなえたが、野営の所まで三百メートル位ある。水を運ぶといっても入れるものがないので大きな草の葉を利用して運ぶのだが、途中洩れてしまい、アルミ缶にたっぷり入れるには、めんどうだが何度か往復しなければならない。
ポリタンクがあればと嘆いた・・。そういう単純な作業には○○はマイペースでやった。浜の石を起こし、貝や小魚を探す。それを茹でて食べた。空腹が満たされるわけはなかった。
単純作業のもう一つは、乾いた木を探すことだった。○○にこのことをやって貰った。火を絶やしたら困るのでとにかくストックをしておかなければと思った。
無人島の第一日目が終わった。波の音がうるさかったが、一日中動き回っていたのでいつの間にか眠ってしまった。翌朝島の中に入ってみた。奥深くはいるのは危険なので、ほんの数十メートル位入ったらシダが生い茂っていたので、若芽を採った。川伝いに来たのでこういう植物が育っていたということはもっと様々の植物があるかも知れない。島の大きさも皆目わからないが、猛獣はいないようだ。川の近くに野営を移し、とりあえず小屋を作った。
南の人達がそうしているのをテレビで見ていたので、上手とはいかないものの雨はしのげるだろう。まずは拠点が出来た。○○はうつろな表情をするばかりで、覚悟というものが感じない。冗舌だったあの時の頃がみじんも感じられないのである。シダの若芽は枝に刺して焙って食べた。ぬるっとした食感がしてみどりの味が喉を落ちて行った。
漂着五日目になっても何の気配もない。○○はすっかり焦燥している。いくらなんでも誰かが助けに来るだろうとふんでいただけに完全に打ちひしがれているのだ。それまですべからくお膳立てのされた暮らしをしていたゆえ、この事態を把握することが出来ないので。とは言え、私の行動にも限界がある。二人分の食料はそれなりに採り尽くし、再度、海岸の石を起こして貝を採ったり、全く味のしない海草を茹で腹の足しにしている。島はみどりだらけだが、一体どれが食べられるものなのか分からないゆえ、島が啄んだ果実なら安心だろうと採ってはみたものの決しておいしくはなかった。あの日以来天候に恵まれたのは幸いだ。
高度に発達した現在の地球にあって、この島は地図には無いのかすべてが遮断されているとしか言いようがない。航空路もはずれているようで、飛行機の音も聞こえない。遠浅の海は、舟影は地平線に見えるだけで声など届かない。日射しの強い時間帯は体力を消耗することになるので小屋に横たわるようにしている。
○○と言えばすっかり諦めてしまったのか、無言の時間が続く。こういう状況に身を置いてしまったばかりにその処置をどうすればよいのかという能力が涌かないのだ。この間まで勇ましく戦争のことを語っていた姿は今はなく、戦争をせずともこの有様だ。ただただ我が意を通すことに奔走していたのが嘘のようである。私なりに考えて用意した粗末な食べ物でさえ、むさぶるように食べるその姿に、人は究極の状況になると、それまでの立場をかなぐり捨て、一介の飢えたる動物と化することなのかと私は悲しい気持ちで見ていた。
あれほど多用した「権力」というものが、今はどこにも見受けられず、万能であった筈の○○は生きる方便の中でやらねばならないことをひとつも知らなかった。
幸か不幸かここで目が覚めてしまった。


宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は「遊 in green」シリーズです。
  サイズはA4(29.7cm×21cm)です。
  (パステル+アクリル絵の具)
  お楽しみ下さい(写真貼付)。