★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.164

暑い、暑い、暑い日々です。
如何お過ごしでしょうか?
暑さを忘れて、オリンピックに一喜一憂でしょうか?
猛暑はまだ続きそうです。
どうぞご自愛下さい。

安倍政権の、異なる意見には耳を貸さない姿勢がますます強くなりそうです。


○福島の友人より
東京電力福島第一原子力発電所爆発事故のその後−

●「石棺」の可能性に言及
原子力損害賠償・廃炉等支援機構」は東京電力福島第一原発廃炉に向けた技術計画の新たな「戦略プラン」を公表しました。事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しを前提とするも、燃料を取り出さずに原子炉建屋をコンクリートで覆ってしまう「石棺」の可能性を示唆したのです。当初からの作業工程ではデブリを取り出すこととなっていたにも関わらず、このような言葉が出てきたことはありえません。「石棺」があることになれば、住民が帰還し定住すれば「石棺」の破損等により長期にわたって放射能の不安から逃れられず、安全管理が困難になってしまいます。
後日、県・原発周辺12市町村から反対があり、同機構は「石棺」記述を削除し、この方式を「採用せず」と明記しました。このように密かに作戦を計画し公表し、県民の動向を見ながら「採用を探る計画」があることから厳重に監視していかなければなりません。
 
●福島避難解除が進む
避難困難地域を除いて、各避難地域の避難解除の日程が決まってきています。確かに避難が長期になると暮らしの再建が難しくなることは分かります。予算もあるでしょう。しかし、住民から帰還の意向を聞くと、帰還する人が少なく地域社会が成り立つか、自宅の新・改築ができるのか、インフラ整備されていない、すでに避難地域に家を新築した、山の除染がされていない、等々でこれらの問題の納得いく解決策が示されない限り解除されても戻れないのではないかと思います。年配者は毎月の慰謝料が頼りという人も多いはずです。これらの人が解除され、すぐに生活再建が出来るのか疑問です。もっともっと議論してほしいものです。

●先の参議院選挙では与党が勝利しましたが、福島県沖縄県は現職大臣を破り野党候補が勝ちました。また、東北6県のうち5県で野党が勝ちました。この背景を見ますと納得できます。福島県原発事故問題がまだまだ納得いく進展がないと言うことでしょう。
沖縄県は米軍基地問題が国の有無を言わせない強制的なやり方に県民が怒っていることでしょう。
東北は食料供給基地としてあるのに、国はTPPを推進することに対する怒りでしょう。
このような民意の表れを政府は無視しているようです。もっともっと民意を理解した対策を講じていかなければなりません


では《Ryuの目・Ⅱ−no.164》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

−ひかり−

「ひかり」という言葉は、肯定的な響きがする。「希望の光」、「新幹線ひかり」、「光明」 等々。しかし「ひかりタバコ」、「おひかりもの(金)」などになると、次第に商売がかってきて、「利益」が顔を出してくる。より個性的な表現に使われると、例えば、燻し銀のように「底光り」がする、などとなり、次の文章が期待されたりする。
「ひかり」は人類文明の曙より常に歴史を動かしてきた。発明、発見、指導力、宗教、文化一般、そして戦さにも使われた。英語のLight には「ひかり」と「あかり」と両方の意味がある。多分日本語よりも肯定的であろう。例えば、Look at the sunny side of the street を日本語に訳すと、「希望的にとらえましょう」となろう。ここでSunny side とは「光の射す側」の意であり、希望を示唆している。
「光」は「太陽」と重ねて考えるとより理解し易くなり、応用も利くようになる。太陽は地球全体のエネルギーの源であり、地球の存在理由そのものである。当然、科学の謎を解いたり、宗教的に人々を導いたり、芸術的に創造性の源になったりしてきた。現在、必要性をうたわれている自然エネルギー、リサイクル・エネルギーなどは、殆ど太陽エネルギーと同義語である。こう観てくると、東照宮のある「日光」は、「日」と「光」とは一一緒になって結構ずくめの地名といえる。徳川将軍が祭られている東照宮は、日光山と久遠山の両方にある。ここで興味があるのは、果たして日光山という名前は、当時既に存在していたのか、後から名付けられたのか、興味がある。恐らく既に存在していた二荒山の読みを「ふたらさん」から「にこうさん」に変え、日光の漢字を当てたのではないだろうか。これ以上根源的でエネルギーに満ちた名前はそうやたらにないだろう。
光と影を追い求めた執念の画家レンブラント谷崎潤一郎の「陰影礼賛」などは、光の妙にエネルギーを注ぎ込んで創造性を喚起した画家であり作家であった。ドビッシーの海の描写は、最新のLEDのような眩しさを感じさせ、チャイコフスキーのイタリア奇想曲が醸し出す眩しいような光への憧れは、音による共感を生み万国共通である。最近では、光だけを対象にした芸術家が現れているが、主に人間の網膜へのチャレンジと錯覚を利用した大変面白い発想ではある。
しかし、それ以上の内容が無い。芸術とは、作家との会話であり、激しい議論であり、又あるときは禅問答である。芸術における光が担う役割は計り知れない。

一般に明るい光は「良心」を代表し、暗い影は「悪霊又は罪悪」を想わせる。光一杯の悲劇はなく、真っ暗な平和もない。光は生を呼び、暗がりは死を感じさせる。
「光射す窓辺」と言うイタリア民謡がある。以前は明かりが常に窓辺を照らしていたが、愛する人はもういない。一緒になるためには、私も死んで彼女の隣に横たわらなければならない。何とも悲しい歌で、青空に太陽一杯で、陽気な南欧の明るさが感じられないイタリア民謡である。メロディも悲しみと哀調をたたえたやるせないものである。しかし窓辺に光が射していたが今はない、と言う「ひかり」に感情を託した歌であり、そこにイタリアらしさを保っている。

ピカドンとくれば原爆であるが、今では平和の象徴になっている。激しい雷雨も似たようにピカドンとくるが、平和とは無関係だ。この違いは人為的か自然現象かの違いであろうか。さらには規模の違いも大いに関係していよう。「ピカ」という「ひかり」は随分と刹那的で危険信号のように使われている。両方とも人為的とは言え、広島への原爆投下より焼夷弾による東京大空襲の方が一般市民への被害が大きかったと聞く。しかし東京は平和の象徴にはならなかった。
どうしてか。爆弾や焼夷弾なら、被害を受けた日本も恐らくは大規模殺傷の原因の一部として宣伝広報されただろうが、当時の科学の粋を尽くした最新発明の原子爆弾なら、アメリカだけが非難されて日本はあたかも責任を負わされていない立場に置かれた様な印象を与える、という不思議な現象が起きたのだ。
私の考えでは、少なくとも東京大空襲は避けれた殺戮である。日本は既に、明らかに敗戦を直視しつつ、只戦争を長引かせていた、と言う証拠としての記録は十分にある。決断力が、軍隊の意地を通すか一般市民の生命を救うか、の選択にかかっていたようだ。もうじき毎年の原爆記念式典が挙行されるが、その際に、話題になるのは、アメリカの政治家が加害国を代表して式典に参加するかどうかである。毎年参加する日本の政治家は明らかに被爆国日本を代表しているが、その態度やメディアの報道は、被災国日本としてのみ印象付けるように編纂されている。戦争は複数の国が行ったものである。当然その裏には、日本政府による報道指導や規制があるのだろう。

ひかり」は一般には建設的で平和的な現象である。ピカドンと言う破滅的な現象に「ひかり」が使われた。そこで、「ひかり」自身の性質を呼び覚まして、再び平和的で建設的な社会を導く希望の「ひかり」としての特質を全開させたいものである。

2016年8月2日
オリンピックと言う平和な催しにも、多くの暗い影が射している。広島原爆記念日終戦記念日なども近付いてくる。真実を見つめる光と平和を導く光など、創造性を駆使して、本来の「ひかり」を呼び戻したい、と祈りつつ。
岸本雄二 クレムソン大学名誉教授


◆今月の隆眼−古磯隆生
http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant
http://www.architect-w.com/data/15365/
   Ryuの目ライブラリー:http://d.hatena.ne.jp/vivant/

−旧交−

今から35,6年ほど前、初めて私に住宅の設計が依頼されました。住宅兼教室(学習塾)を木造で建てる計画です。大学卒業後、設計事務所での海外プロジェクトの経験を経た後、大学に移りそのキャンパス計画に参加していた時のことでしたが、一方で一人で事務所を立ちあげ、細々と念願の私自身の設計活動を開始した時で、その事務所に依頼された初めての仕事でした。
その時分、事務所は立ち上げたものの、なかなか設計の依頼が無く、このままだとそろそろヤバイなと思い始めていた頃でしたので、そのうれしさが一入だったことは忘れられません。そんな思いの仕事でした。半年程をかけて設計を終え、さて見積もりの段階になりましたが、工務店につい
て全くの情報や付き合いが無く、以前勤めていた設計事務所時代の先輩からS建設と言う会社を紹介してもらいました。連絡を取るとすぐにその会社のK部長が見え、見積もりを依頼したのが付き合いの始まりでした。ひと月半ほどはかかったでしょうか、見積もり工事費も調整を経て合意に至り、着工の運びになりました。その時の現場監督として紹介されたのがOさんで、以降、このお二人を含め何度か私の事務所が設計した建物でお世話になることになりました。

元より、建築物は依頼主、設計者、工事者の三者による共同作業です。設計段階は依頼主と設計者の二者の共同作業で、着工になると依頼主、設計者、工事者の三者の共同作業になります。依頼主も、現場で行われる定例の打合わせ(一週間か二週間置き)に参加し、工事の進捗状況や問題点は無いかなどを確認します。工事者はただ設計図に基づいて工事をすればいいと言う訳には行きません。工事に取り掛かるに当たっては設計図に沿った施工図というものを予め作成し、使用材料、工事の仕方、設計意図の確認、等々、様々な問題をその施工図を通して予め設計者と共に解決してから工事に取り掛かります。現場はこの施工図に基づいて職人さん達が工事を進めます。
ただ共同作業ではあってもそれぞれ立場の違いがあり、普通は、設計者は設計意図に沿って施工されるよう監理します。一方、工事者は設計図に基づいて施工はするものの、時に設計図通りの施工が難しい問題の発生或いは別の簡易な方法の提案など設計者と施工者で協議の必要が生じることがあります。そんな時、設計者と施工者の意見が異なることもたまにあり、従って、妙な妥協は許されませんので“なあなあ”の付き合いは避けなければなりません。
そう言うわけで、工事者との付き合いは仕事上での付き合いが主ですので、建物が竣工すれば終わることが多いのですが、Kさんの誠実な人柄に仕事を越えた人同士の付き合いが始まりました。Kさんはその後その会社の社長を歴任された後引退されましたがその後も付き合いは続いていました。昨年暮れに久し振りに二人で飲んだ折、初めての仕事の時の話になり、その時の現場監督だったOさんが現在は長野県の建設会社に勤めているから機会を見つけて三人で山梨の我が家で飲もうということになり、先日それが実現しました。

何十年かぶりの三人の飲み会です。Kさんは自分で作った餃子を沢山持参してくれました。Oさんは長野県の建設会社で常務をされいるということで、“現役らしく”何はともあれ酒、ビールをたっぷり持参してくれました。私は、自分で作った野菜でもてなしました(料理は家内)。時の経過は三者三様に酒量の明らかな減退を物語ってはいましたが、飲み出すやいなやタイムスリップしたように昔の現場の話に花が咲き、やがて現在の状況、家族の話・・・時間はゆったり流れ、深夜まで、語り、味わい、飲む・・・そんな時が経過していきました。
みんな元気で何より。

建築の世界に入って様々な人との出会いがありました。その中で、未だにお付き合いの続く工事関係の方は何人かいらっしゃいますが、駆け出しでまだ経験の乏しい不安な頃の現場の思い出は一入です。


◆今月の山中事情124回−榎本久・宇ぜん亭主

私は無力だった。たった四羽の子つばめさえ救えなかった。
ある夕方、子つばめが四羽落下して地面を這っている。巣は屋根の真下で、我々には戻してあげることは不可能だ。親鳥は餌をくちばしにはさみ、狂うがごとく旋回するも自力では救出することは出来ない。夕闇がせまってくる。こちらにも用がある。逡巡しながら、結局皆んなまとめて陶器の浅い入れものに入れ、植込に置いて出かけた。帰宅していち早く、彼等を見たら、おとなしく肩を寄せあっている。と言うより、衰弱して力を失ったからか。
インターネットで、こういう時の対応を調べた。出来るだけ巣の近くに巣のようなザルに入れて置くとよいと書いてある。二階の小窓近くにそのようにして置いておいた。朝になった。親鳥の声は、激しく聞こえるが、子つばめの餌を与えてもらう声は全く聞えない。親鳥は様子が違うことを察知したのか、人間の陰謀とどうやら勘違いしたようだ。太陽の日射しが強くなったので彼等をまた植込のところに移した。
二羽は動かなくなった。ほどなくして又一羽、動かなくなった。最後の一羽だけが、羽根をばたつかせたが、元気とは言えない。しかし黄色の口は開けるので竹串の先に水を含ませて口にしたたらせた。口を何度かパクパクさせて飲み込んだ。丸一日餌を食べて居ず、数滴の水など何んの足しになろうか。もう一度水を与えたら、その水を飲み干したあと目を閉じた。そして動かなくなった。
彼にとってその水はどんなものであったろう。

あの時(落下)以来こうなる運命だったかも知れないが、自然界の掟の厳しさをみせつけられたのである。
それからその検証をしてみた。巣を見たのだが、作ったところが空気孔の器物の上だったことによりサイズが小さかったゆえ、四羽と親鳥が居住するには小さすぎたようにも思えることと、巣作りが遅かったので、小育てをきちんとやれなかったのではと考えた。よって虚弱な子つばめが孵り、自然界では生きて行けないと感じた親鳥がわざと落下させたのではないかという説である。
思い返すと後者の説に当る。小つばめの餌をねだる声が聞こえないというか、静かすぎたのだ。私に出来たことは、懇ろに葬ってあげたことだけだった。

生きること 
自然界の潔さを知ります
それにひきかえ人間は・・・

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/



◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は“大地の目覚め”シリーズです。
  サイズは51.5cm×36.4cmです。
  (パステル+アクリル絵の具)
  お楽しみ下さい(写真貼付)。