★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.162

梅雨入りしました。
どんよりした日々ですが、この時期の濡れた樹木の緑は殊のほか眼に染み入ります。

サミットを伊勢神宮から始めるあたり、戦前回帰を願う(?)安倍好みの演出でしょう。
それにしても沖縄の人々のやるせない思い。
東京都はぐちゃぐちゃ!
アメリカはどうなってるんだろう?

○福島の友人より

東京電力福島第一原子力発電所爆発事故のその後−

NHK「廃炉への道」が放送されました(5/29)。
それによりますと、核燃料デブリの取り出し方法の決定を2017年までに決定する。そして2021年から取り出しを開始し、40年(2061年)かけて取り出す計画が示されました。
日本の原発廃炉はいまだ行われたことはありません。
このような中で40年は気の遠くなる計画で、それよりも長くなる可能性もあるわけです。想像が出来ません。これだけの大きな想像を絶する事故を起こし、東電は事故直後「想定外」と話していました。
あの事故は天災でしょうか?ではありません人災です!
やるべきことをやらず、発電所内で起こった数々の大小の事故を隠ぺいし、その対策も行わず利益優先の結果が大事故につながったのです。
外部の事故調査が報告した通りです。この大きなリスクが明確になったにも関わらず再稼働が進められています。県内被災12市町村では避難解除が進んでいますが、原発が設置されている双葉町大熊町は解除の見通しが立っていません。そして福島県の農家は、農産物の「風評被害」に苦しんでいます。そして国内では事故の「風化」が進んでいます。


では《Ryuの目・Ⅱ−no.162》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 今月はお休みです。


◆今月の隆眼−古磯隆生
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−移住生活・その26−

5月に入り、今年も畑での野菜作りが始まりました。この繰り返される“日常”に感謝。
およそ30坪ほどの広さの畑。事前の作業として全体の畝の構成を決めます。細いロープを張って、畝、通路を割り付け、それに沿って耕して行きます。4月末の連休に入る前に畝を耕し、石灰を撒き、しばしそのままにしておきます。
全部で18畝あり、当面はその内の15畝ほどを、一日3畝ずつ耕していきました。結構な運動になります。日頃使わない筋肉を使うものですから夜になると体のあちこちを痛みが襲います。歳のせいでしょうが、心地よい疲労でもあります。

今年耕していて気付いたことは、例年見かける〈 根切り虫 〉の少ないことです。理由はよく分かりませんが、一昨年の大雪が影響してるのかも知れません。ミミズは相変わらずで、かなり太いのもいます。毎年、畝を耕していると、その年々に自然界の微妙な変化を気付かされます。目に見えないところで様々に蠢いているようです。
この辺りでは、5月の連休あたりから田植えの準備に取り掛かりますが、それに合わせて用水路に水が流されます。この水は南アルプス甲斐駒ヶ岳に源を発する尾白川(名水百選)からの水を引いています。畑に接している水路に水が流されると(冬の間は止めてある)畑栽培も始まりと言ったところです。付近は一斉に動き始めます。

植える苗や種はほぼ例年通りですが、今年はトマトの苗を自分で作ってみました。ノエルというミニトマトで、あまり市場では手に入りませんが、昨年地元の方からいただいて出来た実から種を取っておき、3月から室内で育てたものです。20cm程に育ち、20株ほど植えました。面長の形をしており、ミニトマトにしてはなかなかしっかりした味で、甘みもあり、食べ応えがあります。
昨年の野菜作りは失敗続きで、手を掛けた割には収穫があまり無く、悔しい思いをした一年でした。その理由のひとつは、気候不順による植え込み時期の遅れや、連作障害と思われ、今年その点には配慮してみました。
年越し野菜で期待してたにもかかわらず残念な思いをしたのはラッキョです。採り立てを水洗いし、味噌を付けて酒のアテにして一ぱい飲るのが楽しみで、昨秋からなかなかいい成長を見せていたので期待していたのですが、冬の間に地上に出ている葉先の部分がハクビシンに(多分)食べられてしまいました。これにはガッカリです。もてなしの素材のひとつと思っていたものですから。

5月の連休明けから種や苗の植え付けに入りました。その生育は楽しみで、どんないおいしい野菜が出来るのだろうかと、勝手に想像しながら気分もいささか高揚。これからは、水遣り、雑草抜き、害虫取りなど忙しくなります。様々な生き物との出会いの時間帯に入ります。
ところで、畑用の腐葉土にと我が家の栗の木の落ち葉を貯めていますが、先日、畑に使おうと掘り返した所、中にカブト虫の幼虫が沢山居ることが分かりました。初めて見ましたがビックリしました、とても大きい!(写真貼付)
これからカブト虫に成るのがいささか楽しみ・・・新たな楽しみ!。

畑作りを初めて今年が4年目。土をいじることで自然を感じさせられ、大きな自然の中で生かされているのだとつくずく教えられます。


◆今月の山中事情122回−榎本久・宇ぜん亭主

−F先生受賞記念パーティーにて−

ずい分前のことを思い出し苦笑している。東大のF教授の研究論文が、ある賞をいただいたときのことでした。ある日F教授が当店に見えた時、その受賞記念パーティーに出席をとお誘いをうけた。「めし屋のオヤジは門外漢なので」と固辞したが是非とのことだった。先生には常々お世話になっている身である。
門外漢だという理由だけではお断りの理由にはならず、会場の新宿のホテルに出向いた。F先生に連なる多くの見知った先生方が会場の出入口に集っていた。東大を退職された方も沢山にて、久方ぶりに拝見する先生方と会うことが出来、こういう機会を与えていただいたことをありがたく思った。
F先生が登壇した。研究の一切をスクリーンを駆使して、出席の先生方に発表をしているのだが、それを見ている私にはわかるわけはない。二〇〇名位の招待者の中に私のような存在はいるのだろうかと前後左右何気なく見渡してみたが、まぬけな顔はどうやら私一人だった。
学問の世界など一番関わりのない者が、それも東大の先生の研究をまるで一人の大学関係者のようにそこに居て聞いてる己が誠に滑稽で「渥美清」演ずるところの“寅さん”映画の一シーンではないかと思ってもいた。私にとってはちんぷんかんぷんのF先生の発表は二時間近くかかり終わった。各先生は皆わが意を得たりの表情のような気もしたり、腹が減ったような表情でもあった。十分もかからなかったと思う。料理が運ばれ、乾杯となった。重鎮のK先生が、馴れたスピーチでお祝いの音頭を取り、パーティーと相成った。最後部にいた私は気のおけない先生を見つけ挨拶をしたが、他の先生もその先生に話しかけて来たことにより、他の先生のところに場を変えた。最後部から中程に移り、いつの間にか最前列にいた。
最前列は数名の重鎮の席である。F先生同様お世話をいただいている先生方ばかりだ。この時ばかりは、日頃のお礼と言うことで飲みものを聞き、料理を運んでホテルボーイのごとくなっていた。
重鎮のその席に居すわり、まるで重鎮の一員のように振る舞っている私を見た若い先生方は私を怪訝に思っていたようだ。
会も終盤となった。A先生が私に話しかけて来た。
「あのー、羽前さんです・よ・ね?」
「実はさっきからずーっとあの先生誰なのと若い先生方と話をしていたのですが、誰もわからないと言っていまして、それで私がまさかと思って声をかけさせて貰いました」。
それは仕方ないことで、彼らは私のスーツ姿を見たことなく、いつもは白衣姿しか知らないので無理はなかったのです。まして重鎮の先生方の席にいたのですから勘違いをして当然なことでした。
かくして我が人生、最初で最後のアカデミックな気分に浸った数時間は終わった。
その後突然頭が良くなったのではと思いながら、家路を急いだことを思い出した。
二十年余年前のことである。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は、若かりし頃の鉛筆デッサンです。
  お楽しみ下さい(写真貼付)。