★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.160

4月。
新たな始まりの時期でもあります。
芽吹く時期は辛いと言う方もいます。
樹齢二千年といわれる山高神代桜エドヒガン)は今年も見事に花を咲かせました。その写真と、神代桜のある実相寺境内の写真を貼付します。
毎年この桜を見ていますが、勇気づけられます。


現代という社会は余裕と大らかさを喪失し(神経症的)、“おもい遣る”、“受けとめる”ことが難しくなって来ています。
昨今の様々な事件を聞くに、そう感じます。

アメリカのトランプ現象、一体どうしたことか。信じがたい現象です。

○福島の友人より
東京電力福島第一原子力発電所爆発事故のその後

①先日、ある弁護士との話題で「この裁判は長期化するなー!」と言っていたのを思い出しました。溶けた核燃料の取り出しに何十年もかかります。水俣病は公式確認から今年5月で60年ですが、最終決着された今でも病気認定を求めている人が大勢いるのです。こういった大事故は半世紀も一世紀にもまたがることが想定されることが現実視されますから、政府は真剣に考えて行かなければなりません。

②28.3.6NHKスペシャル「被ばくの森はいま」原発事故から5年目の記録無人の町で動物の大繁殖。新放射能汚染マップ生物への影響調査は?が放送されました。イノシシの繁殖は異常で、日中堂々と親子ずれで現われ夜は雨風をしのぐため誰もいなくなった家屋に生息しているようです。
いままで生息していなかった地域にもおり、その生息数は何万頭にもなると思われます。
人間にも慣れており威嚇されることもありますし、事実噛みつかれたりの事故も出ている状況です。

③3月上旬にある農家に行き世間話をした時のことです。「県外にいる息子さんや生まれたばかりのお孫さんはお彼岸に帰省するんでしょう!」と聞きましたところ、「お嫁さんが来たがらないようだし赤ちゃんも母乳で育てているので…」と言われた。まだ孫の顔も見ていないんですよ。とのことでした。県外にいる人は空間の放射線量や農産物の放射能モニタリング結果の情報が無いために「福島は危ない!」という先入観しかないようです。政府、県、関係機関はもっともつと正確な情報を県外に発信して関心を持ってもらい、風評を払拭する努力をしなければなりません。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.160》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は佐貫惠吉さんです。

−豆農家の大革命(アメリ有機農業の奇跡)−
            リズ・カーライル著・築地書館

自分が信じ、しかも可能な限り多くの人たちに触れ回っていたことが、どうも嘘らしいことに気付いたとき、人はどう行動するのだろうか? 
この本(2016.1月刊行)は、探究心と決断力を併せ持った元カントリー歌手の発見の記録である。アメリカ中を走り回って、詩情豊かな農村暮らしを綺麗なメロディで唄っていた彼女(日本でもCDが入手可能、ただしライナーノーツは英語)は、ライブの後に声をかけてくる人たち話を聞くうち、彼女の想像とは大きく違う、厳しい現実を知ってしまった。
彼女の出身地モンタナは、アメリカの北西部にありカナダと国境を接している穀倉地帯だが、そこの農家は、種子から始まり高価な肥料や農薬まで売りつける多国籍企業と、大規模食品加工会社の間で身動きが取れなくなっており、農業がロマンチックなどころか、すでにすっかり産業化された過酷な仕事になってしまっていたことを知らされた。しかも、彼女のライブのスポンサーがそれらの企業だったのだ。 
そろそろ本当のことを言うべき時だ、と決断した彼女は、カントリー歌手から足を洗い探求の旅を始めた。まずワシントンDCで州選出上院議員の立法連絡官を一年つとめた後、2年間カリフォルニア大学地理学部大学院でフィールドワークの基本を学び、そしていよいよモンタナ州有機栽培農家を訪れ、実地調査に手を付けた。

合衆国中西部の農業は、干魃と砂嵐による土壌の浸食との戦いの歴史だった。乾燥地農業の宿命である。(30年代の大砂嵐はスタインベックが「怒りの葡萄」に描いている) 雑草を除去するために耕せば、土壌を露出させ攪乱し、土中の水分や有機物を犠牲にしてしまう。だから耕さないことが推奨され、50年代には除草剤が発明され有力な武器になった。加えて80年代の干魃以降はトウモロコシや大豆が遺伝子操作されて除草剤に耐性を持つようになるとこの肥料と農薬を注ぎ込む農法がますます力を得るようになったのだった。
技術信仰の本国アメリカにふさわしく、やることが徹底している。信仰は理屈ではない。宗教による救いへの入り口になる。除草剤を仕込んだ黄金色に波打つ小麦農場から見れば、雑草だらけの有機栽培農家は人格的破綻者にされる。隣の農場から通報され除草剤を使うことまで強制されるのだ。 しかし、たとえ最新の除草剤を使っても雑草がすっかり消えることはない。有機栽培農家の多くが自分たちの親の世代が除草剤を使うようになってから雑草の被害はむしろ数倍になったことに気づいていたのだった。

モンタナの有機栽培の創業農家とも言うべき彼デイブは、両親たちの苦悩を目の当たりにしてきた。60年代末期に大学に入り、新しい世界、知識、社会と政治に触れ、確信を持って帰郷した。まず、ソーラーシステムである。農場が依存するエネルギーを石油から太陽光に転換するのだ。80年代になり、またしてもやってきた大干魃のただ中で、遺伝子組み換え作物が出始めるちょうどその時に、肥料や農薬で土中の生物多様性を破壊し、土から奪えるだけ奪う、のではなく、モンタナの雨の少ない厳しい気候にも耐えて有機肥料にもなる植物があるはずだ、と探し始めた。マメ科植物だ。根に共生細菌が棲んでいてそれが空気中の窒素を植物が使える形に変換する。実は、このマメ科の植物の一種を密かに研究していた農学者が州立大学にいた。大学の研究費で表向きは化学肥料の研究をしながら、実に22年間密かにこのマメ科植物を研究し、1988年モンタナの有機栽培農家の集まりで発表したのだった。
デイブは、最初は緑肥としてのマメ科植物を広める会社を作り、次に食べられるマメ(レンズ豆)を栽培し、既成のフードシステムに挑戦し着実に流通させていった。

2012年、アメリカの農地の80%が干魃に見舞われた。しかし、モンタナの有機栽培農家たちは、驚くべきことに例年の収穫高の八割を達成していた。しかも作物の質の高さが量の少なさを補った結果、なんと損失はゼロだったのだ。
30年間の蓄積、水分や窒素や細菌や有機物、土中の生物多様性を保持してきた歴史、30年かけてこの夏に備えてきた、というべきで一回の干魃などたいしたことではなかったのだった。
この快挙には歴史的な意味がある。先住民からの土地収奪から始まり、肥料と農薬を注ぎ込み、自然から奪い尽くしてきたアメリカ農業が、デイブたちの異議申し立てと苦闘の積み上げによって変わろうとしているのだ。著者リズとデイブの二人が先住民の呪術医の教えが書かれた書『ブラック・エルクは語る』に導かれるように知り合ったことも偶然ではない。
自然から身を引き離すことで生きながらえてきた人類が、「人間もまた自然の一部である」ことを理解し実践することは難しい。だからと言って諦めて良いのか? 改革者は社会的にはなくてはならないものでありながら経済的には成立不可能である。つまり「食べていけない」のだ。こうした現実の厳しさを一つ一つ解決していく粘り強さは驚嘆に値する。さらに、リベラリストからリバタリアンまで、無骨で頑固な個人主義者たちが、自分たちが持ち寄ったものは共同体によってしか維持できない、と言うことを知ることになった。「人は一人では生きられない」ことの実証、というわけだ。
十年弱ささやかな家庭菜園を維持した経験しかない私にとってはまさに「啓蒙」の書である。TPPを巡って喧しいが、賛成の人も反対の人も、政治に関心がある人もない人にも必読である。
最後に、青春時代に多少とも「彷徨」した人が読めば、自分の体験に写して感慨深いに違いない。(終わり


◆今月の隆眼−古磯隆生
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−或る区切り・20年−

3月のある日、それまで月1回のペースで20年間続いてきたある集まりがひとつの“区切り”を迎えました。
以前にもちょっと触れたことがありますが(−或る喜寿の祝い− 2015年3月発信)、T女子中・高等学校の父親だけの集いです。名付けて「薄暮講座」。
“娘が同じ学校”この一点だけで集まった、様々な年齢の、様々な職業の父親達の集いで、それに興味を抱いた男子先生方も参加。女子の学校であるにもかかわらず、いつしか“女人禁制”をモットー(?)にしたこの“不思議”な集いは今から20年前に始まりました。
この学校の創始者が、日頃、学校での母親の活動やサークルは様々あるが、父親のそれは皆無で、学校に近づくことが無い父親をターゲットにした会が出来ないものかと話されていたと言うことで、その意志を実現してみようと考えた先生がPTA会長に相談されたことが、事の始まりです。

毎月予定された日の薄暮の時間帯になると、手に手に酒を持った仕事帰りの父親達が学内の施設に集います。そしておよそ3時間、メンバーの提供する話題を肴に盃片手に団らんする。提供者は毎回一人で、交代で各回を担当し、仕事関係の話や趣味の話等々。時にメンバーの知り合いがゲストスピーカーとして呼ばれ、話題を豊富にします。酒を飲みながらのこの集いが永永20年間、月一回のペースで続けられてきました。
やがて番外編と称する「屋形船の集い」、「花見の集い」、延長でのカラオケ大会と登場し、暮れにはこの学園の音大卒業生によるにわか編成カルテットで「クリスマスコンサート」が開かれ、盃を運びながら聴き入るという贅沢なことも。次第にメニューも豊かになり、学内で「蕎麦打ち道場」、「民謡を聴く会」、「落語の“芝浜”を聴く会」、等々、“遊び”もなかなか豊かになって行きました。
先日の“区切り”となった202回目には会員メンバー200人程の内の50名ほどが集まり、加えて蕎麦打ち職人、全国を回る民謡歌手、落語の師匠も顔を見せ、大いに盛り上がりました。

娘には卒業はありますが、薄暮講座の会員には卒業はありません。従って、飲めるうちはいつまでも会員資格有りとなります。この集まりが‘永永’と続いてきたその魅力の要は“酒と遊び心”と私は思っています。酒は単なる「添え物」としての酒ではなく、この会にとってはなくてはならない、人の心を解き放ち結びつける“魔法の水”としての酒、様々に遊び(心)を引き出す玉手箱(仕掛け)としての酒です。遊びは幅広く展開されました。
世間でよくある異業種交流会の様な利害関係を伴う仕掛けられたものではなく、たまたま娘が同じ学校に“居る”或いは“居た”というだけの繋がりで集まった様々な職業の様々な年齢の親爺達が、盃を片手に、娘の話をするわけではなく、興味ある話であろうが無かろうが、初めて知る未知の世界の話であろうが、時宜を得た話であろうが昔話であろうが、話に聴き入り、飲む程に酔う程に盛り上がり、世間のうさから解放され、現を抜かすわけです。この何とも得難い不思議な“時空”が親爺達を虜にし、いつの間にか“20年”という歳月が流れました。

第1回目から参加してきた私にとってはまさに“別の世界”を覗く貴重な機会だったわけで、ここで知り合えた方々は私の人生を豊かなものにしてくれました。このRyuの目でお馴染みのアメリカ在住の岸本雄二さんも、この薄暮講座が縁で知り合うことが出来ました。私の友人達もゲストスピーカとして参加し、特異な会を面白がっていました。
この会を初回から毎回お世話をされ、主導されてきた元校長先生が年齢を重ねられ、そろそろ潮時とのことで、この薄暮講座は“区切り”を迎えました。が、メンバーの強い要望により、形を変えて継がれていくことになりました。比較的若い親爺メンバーの方々が世話人となり、集う場所も同じ場所で、同じ精神・・・つまり“酒”・・・で運営されていくようです。
いささか感傷的な気分で言いますと、私にとってのこの20年という歳月は、野球で言えば4,5,6回あたりに相当する人生の中盤あたりで、丁度脂ののる時期に相当する年齢であったなーと。
そう言う意味で、この「薄暮講座20年」は、人生の7,8,9回を生き抜くための“養分”のストックの時期であったと述懐されます。
なにはともあれ“人生これ又愉し”を“地”で行く会でした。


◆今月の山中事情120回−榎本久・宇ぜん亭主

団塊世代

もし、我ら団塊の世代がいなかったら、昔も今もこの国は立ち行かないことになっていただろう。池田内閣の所得倍増論時、田中角栄内閣の日本列島改造論時の政策は、我ら団塊(金の卵)の世代の労働力と消費を見込んでの政策であったからだ。我らはその政策に見事に応え、先進国とか経済大国とかと称される立場を造った。従って戦後の礎は我らが造ったと言っても過言ではない。
しかし我らとて歳をとる。その我らをお荷物ととらえる風潮が散見される。予算の組立に於いて、医療、介護、年金等の福祉予算が増大するとしてその予算を削りにかかっている。福祉目的税だった消費税であったにもかかわらず、それさえ廻さずだ。
今わらをぬきにして、この国の経済は果たして廻るのであろうか。あらゆる企業はその分野に於いて、我らを想定せねば企業として立ち行かなくなる。それは多岐にわたる。まさに団塊ビジネスとなっている。元気な方々は旅行やスポーツ分野の企業に、そうでない方々は医療や文化の分野の企業に期待をかける。
又、それらに付随する研究や開発もあり、細分化すると膨大な企業群だ。我らの存在はその雇用も支える。
我らは、我らが死のうが生きようが、この国に於いては最大のビジネスターゲットとして君臨していると自負していい。それゆえ、決して卑屈になる必要もなく、堂々としていてもよいのだ。そして国家が死にものぐるいで、我ら及びすべての国民にその能力を発揮すれば、その予算など『戦費』を考えれば大したことではない。
強い国、美しい国を標榜するなら我らをないがしろにしてはいけない。我らは老いてもこの国を支えている。微少の労働力となっても、とっくに一億総活躍の芯になっている。
団塊の諸君、主役は我らだ。


宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は「大地の目覚め/淵」です。
  サイズは194cm×162cm(130号)です。
  (パステル+アクリル絵の具)
  昨年の夏に描いたものに手を加え、2月の行動美術TOKYO展に出品した
  ものです。
  お楽しみ下さい(写真貼付)。