★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.159

弥生です。
日一日と春めいてきました。
蕗の薹があちらこちらに顔を覗かせています。今夜は天ぷらだー。

今日は3月10日。あの3.11から丸5年が経ちました。
震災からなかなか“日常”に戻れない方々、一方的に基地を押しつけられる沖縄の方々。
様々に潰されそうな方々への想いが遣られます。

2月の「行動美術TOKYO展」、グループ展の「第5回 WORK TEN」に多くの方が足を運んでくださいました。有難うございました。
これからは秋に向けて制作にとりかかります。
10月には、生まれ故郷の宇部で2回目の個展を考えています。
いずれまた連絡を差し上げます。よろしくお願いします。

○福島の友人より
東京電力福島第一原子力発電所爆発事故のその後
まもなく東日本大震災原発事故から5年目の3月11日がきます。
復旧復興はまだまだと言う人、かなり進んできていると言う人、さまざまですが復興の実感について被災者に聞くと85%の方が実感ないとアンケートで回答しています。元の場所に帰られないのは復旧復興とは言えないのではないでしょうか?
福島県ではまだ約10万人もの避難者が帰れないでいます。全国に散らばっている避難者は孤立しており、まばらになった仮設住宅での一人暮らしの孤独死も多くなっています。
5年経って各種の問題があり解決されていませんが、絞りこめている気がしています。?定住 ?地域の機能 が最優先ではないでしょうか!町の避難解除をしても元の住民の5〜7%しか返っていないのは、政府は解除ありきしか考えていないからで、解除の計画段階で解除後にどのような街
づくりをして、そこに誰が住むのかと言う視点が無いように思っています。これから解除する市町村が参考になる視点を全員参加で考えることが大切です。
また、避難者の賠償金に対する問題も深刻化しています。復興は、今活動をしていることを継続することによってできるのではないかと思います。
先日、東京電力福島第一原発事故で旧経営陣三人を検察官役の指定弁護士が大津波対策を怠ったとして、業務上過失致死傷罪で2月29日に強制起
訴しました。この強制起訴によって、いままで出てこなかった東電の内部資料が法廷に出ると思いますが、また東電の隠ぺい体質も明らかになってほしいものです。
企業は法人で人格を有しており、企業としての倫理観を持たなくてはいけません。安全を重視しコストがいくらかかるともリスクを回避する義務があります。
原子力災害対策マニュアル」にあったメルトダウンを判定する基準があったにも関わらず5年間も気づかずいたとは、言い訳になりません。組織ぐるみの隠ぺい体質そのものです。
これだけの大事故を起こしながら誰も責任を取らないことは許せません。
しかし、この法廷での決着は長期戦を余儀なくされることでしょう。
私の活動は、この大災害を「風化」させないために、その後を多くの人達に伝えることしかできませんが継続していきます。


では《Ryuの目・Ⅱ−no.159》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

−希望−

あたかも目を薄めてみているような世界を描く印象派を代表する画家がモネであるなら、耳を半分覆ったかのようにして作曲したのが印象派作曲家ドビッシーではないだろうか。気持の高揚をクールに抑制するかのような印象派の芸術は、人と対象物との融合の本質に迫り、必要な部分を探り当てて我々に語りかけてくる。喜びも悲しみも本質との対話になっている。喜びには根を大きく張ったものもあれば、表面だけの不安定なものもある。一方悲しみとはいっても一筋の希望の光を表現したかったのかと想われる作者の意図が伝わって来るものもある。これら芸術家は、希望を我々に期待させようと種々の手法を駆使して心の奥底に迫ろうとしているようだ。

ベートーベンを印象派の作曲家と言う人はいないだろうが、耳を半分以上塞いだ状態で必死に描いた音が、交響曲第9番の合唱であったと感じている。あの魂を揺さぶる人間の声とオーケストラの競演はベートーベンによる「音のある世界」への壮絶なる希求の姿に見えてくる。この音があるから希望が湧いてくるのだ、と叫んでいるかのようだ。第九ぐらい太鼓を効果的に使った音楽を他に知らない。日本の大太鼓を使ったら一層効果的であったと思う。からだを揺さぶられて涙がほとばしり出てきた。第一楽章では闇の中に一縷の光明を求め、第二楽章では見えない目的に向かって邁進し、第三楽章で落ち着きを取り戻す。穏やかで悟りの境地に近いようでいて、実は苛立ちと焦りが裏に見え隠れするが、理性の力が抑制を効かせている。そして、希望に向かって爆発的に昇華していくのが最終楽章であろう。ベートーベンは希望の合唱 に何を聴き何を見たのだろうか。多分生きている喜びを感じたのだろう。

ヴァン・ゴッホが大空に大渦をこね回しながら、盛んに叫んでいた。何を求めていたのか。恐らく自分からの解放ではなかったか。マーク・シャガールは自分から空中に舞い上がり、大空で踊って歌って自由を楽しんだのだろう。自分からの解放に成功したのだろうか。
私は30年間、粛々と走り続けている。フルマラソンでは、42キロの内30キロ辺りで必ず「もういやだ」を経験する。この30キロでの壁を私は解放の壁で呼んでいる。何故か。走ること意外に何も考えられないからだ。一つのことへの集中力を高め、他の全てのことを念頭から排除するためには30キロかかるようだ。当然だが、走り始めるときには、そんなことは考えていない。この苦しさを楽しむ人などいないだろう。禅の修業とはこんなものか、と走り終わってからよく考える。「もういやだ」を乗り越える方法などは無く、ただ走り続けるのみである。この状態が解放だと想う。結果として、希望が湧いてくる。希望の光が見えるから走り続けるのでは決して無い。ただひたすら走るのだ。ヤン・シベリウスのヴァイオリン協奏曲で ヴァイオリニストは、殆ど出ずっぱりで弾き続ける。まるでマラソン協奏曲だ。ニューヨークの真夏の炎天下で4時間に渉ってテニスの真剣勝負をするアスリート達の魂はどのような経験をしているのだろうか。

こうのように思考を巡らして行くと、希望があるから生きるのではなく、生きるから希望が湧いてくる、と言えそうだ。であるから、ベートーベンもほとんど聴こえない音を聴いて作曲活動をし続けることで、希望が湧いてきたのだ、と言えそうだ。そうすると、ヴァン・ゴッホは、キャンバスに渦のような糸杉や星を描いても描いても、求めた希望が湧いてこなかったので耳を切ったのだろうか。そうか。「愛すりゃ希望も湧いてくる」であって「希望を湧かすわめに愛する」のではない。なんと平凡な結論になったことか。いや、一番大切なことなのだ。乾杯。
2015年10月18日日曜日 引退した私には、毎日が日曜日のはずだ。
  岸本雄二



◆今月の隆眼−古磯隆生
http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant
http://www.architect-w.com/data/15365/
   Ryuの目ライブラリー:http://d.hatena.ne.jp/vivant/


−移住生活・その25/暖房−

啓蟄も過ぎ、ようやく春めいてきました。久し振りに移住生活についてお話します。
今日は暖房にまつわる話です。
我が家では冬の暖房は主に薪ストーブと補助用の床暖房で暖を取っています。床暖房を使うのは早朝4時半から7時半までの3時間のみです。スイッチが入ってから暖房効果が現れるまでに1時間半位かかりますので6時位から冷気が和らいで来、その効果は10時位まで続きます。天気の日ですと朝から太陽光が充分に差し込みますので、室内の暖かさは太陽光熱でそのまま継続され、夕方4時頃まで暖房無しで過ごせます。床暖房の熱源は灯油で、床板の下に5cm程のモルタル層(蓄熱層)があり、そこに温水パイプが配されており、モルタルが暖まってから床板が暖まりますので、暖房効果が出るのに時間が掛かるわけです。天気の良くない日は、その日の温度にもよりますが、寒い時は朝からストーブに火を入れることになります。天気の日でも夕方4時位になると外気温も下がり急に冷え込んできますので、この時間にストーブに火を入れると一日中暖かさが途切れることなく過ごすことが出来ます。
我が家のストーブは北欧製の小型ストーブ(愛称「みにくいアヒルの子」)ですが、室内の作りが2階を含め吹き抜けのワンルームの様になっていますから、この小型のストーブ一つで室内全体に充分な暖が確保されます。室内の暖かさは東京にいた頃よりもずっと快適で、むしろ東京にいた頃の方が寒かったと感じています。

さてここからが今日の「まつわる話」です。
“暖”を喜ぶのは我々人間だけではありません。我が家の2匹の猫(前は3匹)もストーブの大ファンで、ストーブに火が入るのを待っており、入るとストーブべったり状態になります。どの場所に陣取るかは大体は決まってはいるのですが、それでも時折場所の取り合いで二匹がもめることも。ストーブの廻りには猫用段ボールハウスが幾つも用意してあります。段ボールハウスと言っても特別に仕立てた物ではなく、単なる段ボール箱ですが平置きや三段積みもあり、その日の気分で落ち着くハウスが決められるように配慮(?)してあるわけです。
前は3匹いましたから取り合いも賑やかでした。まっ、日々我々を癒してくれますからこの位のサービスは当然でしょうか!?!

今年は更に予想外の“喜び主”が沢山現れました。ストーブ用の薪(主にクヌギ)は外にひと冬分を積んで乾燥させていますが、室内にも常時二、三日分位はストーブの脇に置いています。このクヌギには幼虫がけっこう潜んでいて、室内の暖かさでやがて成虫(写真貼付)となり部屋を徘徊し始めます。今までもいたのですが今年は例年より多いという印象です。一件ハチのようにも見えたのですが、どうもそうではないらしく何だかよく解りません。触っても問題ないし、生命あるものの可愛さもあり、発見すると外に出してやることにしています。
自然を感じるひとコマでもあります。虫がダメな人は薪ストーブは無理かも知れませんね。毎日数匹が徘徊しています。窓、壁、床、テーブルの上、等々。
この虫を猫がじーっと見つめたり、手でちょっかいを出したりして遊んだりしますが、この光景もまた愉しというところです。そしてテントウムシもたまに。
冬の生活の思わずほほえんでしまうひとコマ。


◆今月の山中事情119回−榎本久・宇ぜん亭主

−金がない症候群−

どうも私の廻りには「金がない」と言ってる人ばかりだ。そんなわけないだろうと思うのだが、一様に口を揃えて「金がない」と言いきる。しかし、外の駐車場には高級外車を乗りつけ、ゴルフだの海外旅行をしただのと言っている。それでも「金がない」と言う。そうなると「金がない」という言い方は挨拶のようなもので、「ある」と言い出せず、遠慮のごとくそのようになっているのも確かだ。

我が国は世界に冠たる先進国で、金持ちの国だ。大国とも称され鼻高々だ。そう思っている人がどうやらいるらしい。ところがそこの国民が「金がない」「ピーピーだ」「生活が苦しい」と多くの人が言っているのも事実だ。私が三十代後半から四十代前半頃は日本は一億総中流時代なんて言われていたっけ。そのころの世界標準を軽く越える所得をこの国の人々は得ていたことになり、私もその中に入っていると錯覚のように思いながら、その意識の中に居た。しかし、それからというものはずるずると右肩が下がっていった。よもやと思った。いわゆるバブルである。こんな微少な商いをやっている私にさえというか、こんな者がゆえに、「金がない症候群」のウイルスがまとわりつき、以来今日まで国中が完全にこのウイルスに冒されたまま、少しも回復せず、若い世代にまで羅漢している。
金持ちで、大国の日本だが、実は大国と言っても借金も大国で、首の回らぬどうしようもない身体になっているのだが、世界にその姿を見られたくなくて、一発逆転の発想のごとくあえいでいる。国民もそれと連動しているのが実情だ。株式を筆頭に金融市場に群がっている人のみ「金を持ってる」人達だと見えなくもない。

この構図は古代よりその方便は変わらず、人類はその発祥と共にもしかしたら「カネ」と帯同して来たのかと思う程、古い、古い関わりを持っているようだ。我が廻りの人はと言ったが、全ての人に聞いたわけでもないので、「金がある」人も居よう。しかし想像以上に「金のない人」が増え、あらゆる経済行為がとどこおり、連鎖をしている。ちょっと異なことを感じている。まさかこの不景気と関係したくないが、お札がやたら使い古した、しなびた札で払って行くお客が多いことだ。財務省はあまり新札を刷っていないのだろうかと訝っているが、まさか地方は古い札のままで都会は新札でなんてことはないだろうが、ほんとうにしなびた札が横行している。不景気のバロメーターが古い札の横行であるなんていうことはパロディーだけにしてほしいが、それが事実であるなら悲しい。

週刊誌の見出しに躍る老後の準備金の数字。実感のない、途方もない額が羅列されている。大方のつぶやきは“そんな金があるわけないじゃないか”だ。あとは決まり文句の自己責任で終わる。この国は、安心で豊かな国なのかそうでないのか一体どっちなのだろう。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は若かりし頃の鉛筆デッサンです。
 高校生の時、美術の時間に描いたものです。
  お楽しみ下さい(写真貼付)。


◆様々情報
★「はてなダイアリー」というブログでRyuの目の掲載をしています。  
  これまで発信したものは全て掲載しています。
  私のホームページにリンクしておりますのでご覧下さい。
    http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant/