★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.155

秋、盛りなり。豊饒なる錦の現出。
先日、北杜市にある瑞垣山の紅葉を見に行ってきました。
盛りは過ぎていましたが、カラマツ林は惹きつけます。(写真貼付)

マンション、杭データーの改ざん問題。氷山の一角ではと危惧されます。
姉葉構造事件を思い出させます。気が重い。

民意を忖度しない強権政権。
アメリカにばかり向けた目。
今度は沖縄。露骨な現ナマ作戦。

「今月の風」の話題提供でお馴染みの、アメリカ在住の岸本雄二さんの
グループ展を紹介します(案内状添付)。
『稲美会展』
  ・場所 : 銀座アートスペース
        中央区銀座6-3-2 ギャラリーセンタービル4F
  ・日時 : 11月11日(水)〜16日(月)
        11時〜18時(最終日13時まで)
  ・アクセス : JR線…有楽町駅、
          地下鉄日比谷線、銀座線、丸の内線…銀座駅


では《Ryuの目・Ⅱ−no.155》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

−信長と秀吉−

鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす
鳴かぬなら 鳴かせて見せよう ほととぎす
(鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす)

日本人なら上の三つの句を読んで直ぐに 信長 秀吉 (家康) と分かる筈である。
地方豪族の出身で、幼少より異(奇)才を発揮し、ずば抜けた行動力と発明発見の創造性に富んだ指導者。日本と世界との関係を意識し、日本統一に全力で取り組んだ信長。
貧農出身で頭脳明晰、決断力と行動力があるが独自性に欠けた秀吉。
信長は独自の理論で即決即断を実践した理想追求型。
秀吉は丸く収めることに長けていたが、自分の哲学に乏しく、主人の信長亡き後理想や目的を見失った追従型。
現時点で考えて、もう一つ言えることは、信長が西洋的思考の指導者であったのに対して、秀吉は常に日本的であった。
信長は幼少の頃より実の母からいじめられ続けたが、いじける代わりに独立独歩の自己中心的性格と生きる態度を身に付けた。一方秀吉は、日吉丸、木下藤吉郎羽柴秀吉豊臣秀吉、太閤秀吉、と多くの名前の変遷を重ね、庶民に愛される指導者となった。
信長はあくまでも突然異変的な特殊日本人として扱われたが、秀吉はシンデレラ・ボーイとして理解され、庶民の理想的到達点と考えられてきた。
もし信長と秀吉が日本の首相選挙に立候補したら、どちらが当選するであろうか。私の考えでは文句なしに秀吉が当選する。アメリカの大統領選に立候補したら、間違いなく信長だ。秀吉は庶民的であり日本人の良しとする「和」の精神を満載している。信長はアメリカ人が大切にする自己の確立、独創的思考、責任感の強さ、それに指導力を身につけている。秀吉は一代で終わったが、秀吉と信長をくっつけたような家康は270年に渉る安定政権を確立した。
西洋の歴史にも似たような例はある。ギリシャはアイディアが豊富で妥協を嫌う理想追求型の国であった。そのため妥協を許さないギリシャでは都市国家同士の争いが絶えず、平和が100年以上続いたことが無かった。常にギリシャ文明を模範としていたローマ帝国は、ギリシャ文化を基本として、自国ローマの国体と法律とで応用の利く社会につくり、1000年も続いた人類史上最長の安定国家を形成した。必ずしも正確には信長がギリシャで家康がローマでなはないが、似た例ではある。徳川政権の江戸時代とローマ帝国との最も大きな違いは、徳川幕府が島国日本を海の中に閉じ込めて醸造し、最高級の日本酒のような国にしたのに対して、ローマは国境をハッキリさせてはいたが常に開いた国であった。日本の鎖国による弊害の幾つかは今でも続いている。自国防衛に関する姿勢と「世界における日本」に関する見識の無さがそれである。この二つは鎖国による後遺症としか考えようが無い。
ほととぎすが鳴くまで待てないのが現在の日本である。よく考えてみると、信長と秀吉が二人で一緒に首相をして共同経営をしてもらえば、日本は世界の平和にも貢献できる大人の国になるれと考える。これは名案である。日本国中に広めたい考えだ。
2015年 10月 30日 ハロウィーンの週末である。 岸本雄二



◆今月の隆眼−古磯隆生
http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant
http://www.architect-w.com/data/15365/
   Ryuの目ライブラリー:http://d.hatena.ne.jp/vivant/

−秋のいち日−

陽が眩しい秋のいち日、以前にも触れましたが、日本で初めての春画展(12月23日迄)を観に目白の永青文庫美術館に行ってきました。
狭い美術館で、中に入ると係員からいきなり4階まで上がるよう指示され、蹴上(段高)の高い昔の木造階段を4階まで上がりました。最初の展示室に入ると入館者はすでに列を成しており、その列はなかなか進みません。これはかなわんと思い、列に並ぶことなく空いてそうなところを見つけてはあっちを観たりこっちを観たり。ざっと全体(2〜4階)を回って、どこにどん作品が展示してあるかを把握してから、再度、列を横目に見ながらこれはと思う春画に見入りました。いささか私の目には照明が暗いかなと思いましたが、その中でも、やはり喜多
歌麿春画は品格があり秀逸でした。その出来映えは他の作家を圧倒します。北斎のそれをも凌駕します。以前に紹介した歌麿の「歌満くら(うたまくら)」の第十図が展示されていましたが、構図といい、色彩といい素晴らしい。

肉筆春画も展示されていますが、やはり版画になってから作品としてより趣を醸し出してるように思いました。嘗ては密かな楽しみの画に過ぎなかったのかも知れませんが、浮世絵作品にまで昇華されて行くいくつかの春画を観ると、江戸と言う時代の文化の厚み、拡がりが感じられます。鎖国であったとは言うものの、時代はなかなか大らかで開いていたんだなーと思われます。
しかし、老若男女を問わない人の多さの中ではなかなか思うようにゆっくり、じっくり観ることの出来ないもどかしさもあり、1時間足らずで美術館を出ました。
途中、友達同士と思われる若い二人の女性の会話・・「なんだ、今と同じじゃーん!」・・・・・。
別棟で歌麿の絵葉書を2枚購入して、気分直しに隣設の江戸川公園に行き、陽射しを受けたベンチに座っておにぎりを頬張り、少し気分を落ち着かせることが出来ました。

その後、折角ここまで来たのだからと思い、丹下健三設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂を10年ぶりで訪れました。この前訪れたのは丹下健三の葬儀の時でした。これまで何度かこの建物に足を運びましたが、一人でのんびりと訪れたのは初めてでした。
青空に外観のシルエットが美しく映えます(写真貼付)。

HPシェル構造(Hyperbolic Paraboloid…双曲放物面)の屋根に陽が当たり、その曲面の微妙な光の変化に思わず見入ってしまいます。こんなに美しかったんだー。
聖堂内に入ると(自由に入れる)、パイプオルガンの音が大空間を包んでいました。数人の若者達が静かに座っています。本を読んでる者もいれば、小声でおしゃべりをしてる者も居ます。静かに想いに耽ってる若者もいます。その中に入り、椅子に腰を掛けてオルガンの音に聴き入り、HPシェル構造が生み出す大宗教空間に見入りました(写真貼付)。何とも言えない時間が過ぎて行きます。

春画展でのもどかしかった気持ちもすっかり癒え、丹下健三事務所時代の仲間達に想いを馳せました。
代々木のオリンピックプールとほぼ同時期のこの作品は、やはり素晴らしい日本建築の代表作の一つです。背後に“国威発揚”の音(ね)を感じながら、時代はこのような建築造形美を求め、競った時期が彷彿させられ、“時は移りにけりな”と感じさせられました。それ故、今回の中止となった、造形性を全面に出した新国立競技場のザ・ハ・ハディド案の、神宮の森での不適合性を改めて認識させられました。
久し振りに、ゆっくりとした時間を過ごした秋のいち日でした。




◆今月の山中事情115回−榎本久・宇ぜん亭主

−あれから十年−

十年ひと昔と言われるが、東京を離れてその十年がいとも簡単にすぎた。
しかし、一体この身は何をしていたのかと問われれば、霧の中にたたずんでいたと答えてしまいたくなる。
その間、とりあえず生きては来たのだが、かなり空回りしていたようだ。
場所が変わるということは、過去の一挙手一投足が通じないということである。
それは織り込み済みだったが、現実にぶつかると良い気持ちではない。
そこへ決定的なことが起きた。病気である。七〇才迄の人生の行程を描いていたことがもろくも崩れた。そのことは、こちらに来たから起きたことではなく、東京に居たとしても病気になる可能性はある。それこそもっとひどいことになっていたかも知れない。
私なりの計画はこれをもってすべてご破算になった。病気をするということは、その予後が大変だ。すべてが最優先でなければならない。おまけに余計なものも発症し、眼科と泌尿器科が追加になった。初期症状とのことだが、月に三ヶ所も四ヶ所もの医者通いがおもしろいわけはない。本体の方は完治するアテはなく絶望しなければならないが、機能的な回復を実感しているので、ゴルフをやりたいなどと思ったりするのだが、そのハードルの高さに試合中継でがまんしている。再発のことを考えると、すべてのことを阻止してしまう。
まさに忸怩(じくじ)たる思いだ。
猛進している頃がなつかしくて仕方ないが、それは誰にでもある欲求であるゆえ、鉾を納めなければならない。車を運転しなくなって六年にもなった。くやしいから免許の更新はしたのだが、これも悲しく、おもしろくない。点から点の行動は範囲が狭まり、様々な欲求も即座に叶わず、ずい分あきらめている。
大学病院でのことだが、脳の検査が今年から二年に一回になった。
毎年「異常なし」と言われ続けてきたが「治った」とは言われない。それでも、わずかでも何かが減るのは喜ばしいことだ。心臓の方の医師には、年二回診て貰っている。やはり脳の医師と同じく「異常なし」だが「治った」とは言わない。
こうして安心を得る為に大学病院に生涯ゆだねる羽目になっている。
“病気になる”と言うことは、こういうことである。大変めんどうなことだが、それを履行しなければならない。いろいろ不如意となってしまったが、仕事をする喜びは感じている。生きる気力も失っていない。
皆様もどうかご自愛を。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は「大地の目覚め/淵(えん)」です。
  サイズは194cm×162cmです。
  (パステル+アクリル絵の具)
  お楽しみ下さい(写真貼付)。