★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.152

暑い、暑い、8月です。くれぐれもご自愛ください。

さて、新国立競技場の計画が振り出しに戻りました。
当然の成り行きです。
建設費の事ばかりがクローズアップされましたが、それ以前にデザインそのものが神宮の森には不適合であったということが根底にあります。

安保法案。
安倍政権は民意を無視して突っ走る所存のようです。
それにしても、政府の答弁にしろ、あちこちから洩れる自民議員の本音にしろ、立憲主義が“意識”の中で軽んじられてる様が露見。
沖縄辺野古の問題も、一時休止はしたものの、本音は強行路線でしょうか?
支持率次第かな?

福島の友人より
東京電力福島第一原子力発電所の問題について
佐藤栄佐久福島県知事の時代ですが、東電の従業員・作業員から県庁の知事あて大小の事故についての投書が沢山来ていたと報道されていました。
しかし、東電はそれを公表してこなかったことが多くあったと報道されました。東電の隠ぺい体質はかなりの件数であったと思われます。当時は使用済み核燃料の再利用であるブルサーマル計画申請が県に出されておりましたが、知事は投書による隠ぺいがある限り計画は認めないと厳しく対処していたように思います。事故後の東電の会見でもその隠ぺい体質は変わらず現在に至っているように思います。事故の大小にかかわらず、早急に原因、対処内容を公表することが基本のはずですが企業はそれがいつの時代も変わりませんね。
先日、静岡県で電気柵の事故がありました。感電事故は以前にもあったのですが大きな問題としては公表されませんでしたので、今回は起こるべきして起こった事故と言わざるを得ません。なぜ電気柵を使わなければいけなかったのか、なぜ獣害があるのか、なぜ耕作放棄地が多くなるのか、なぜ農業の担い手がいなくなるのか? 「多くの農家が農業収入では生活できないからです。」国はこの問題を電気柵だけの問題として処理するかもしれませんが、根はもっともっと先にあるので農業施策として考えてほしいものです。

★本の紹介2点
Ryuの目に話題提供して頂いたてる方が本を出されましたのでご紹介します。
 ○岩倉博さん 
   『戦時下の抵抗』 花伝社(チラシ添付)
   ご希望の方は私に連絡ください。
これまでの岩倉さんの著作は
   ・「異評 司馬遼太郎」  草の根出版会 (2000円+税)
   ・「ある哲学者の軌跡 古在由重と仲間たち」 花伝社 (4600円+税)

 ○滝本加代さん
   『待合室  滝本香世句集』 ふらんす堂 (2700円+税)
耳鼻科の医師である滝本さんの第一句集です。
   その中から四句
   ・春昼や起こさぬように赤子診る
   ・母の日や闇深き子のインターネット
   ・眠る子の握るどんぐりそっと取り
   ・添え書きは快癒の知らせ賀状書く
   ご希望の方は私に連絡ください。

※読者の方から注意がありました。“安部”政権ではなく“安倍”政権でした。
  気付きませんでした。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.152》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は空閑重則さんです。
         何度かこの覧に登場して頂きましたが、現在は北京の大学で
         教えておられます(中国科学院理化技術研究所 招聘教授)。

―素養とは―

中国人の爆買いが話題になるこの頃、訪日中国人が日本を賛嘆する声がYahooニュース等にあふれています。中身は?街がきれい ?商店はじめ人々が正直で親切 ?規則をよく守る… など。中国の実情を知る日本人にとっては「さもありなん」というところですが、悪い気はしません。

そのような記事の中で中国人がよく使う言葉が「日本人は素養が高い」という表現です。日本語での「素養」は「彼は音楽の素養がある」のように「学んで身につけた能力・知識」という意味なので、この使い方には違和感があります。中国語の辞書を引いてみると「素養=個人が達成した成果・能力」とあり、日本語での意味と同じです。したがってこの場合の「素養」は「しつけ(躾)、行儀」というニュアンスです。では日本語でこの概念をどう表現するか考えてみると、それは「公徳心」です。すなわち見知らぬ人に対する責任感・善意、ということになります。

中国で暮らして思うのは、日本と中国の最大の違いは<公徳心>の水準です。例えば公共施設を自分が汚した場合、多くの日本人は人が見ていなくても可能な範囲で掃除すると思いますが、多くの中国人はしません(*注1)。ちなみに「公徳心」という言葉は中国語にはありません(*注2)。したがって「素養」と表現するしかないのです。しかし「しつけ・行儀)」と「公徳心」は別物です。前者は「社会の規範・習慣として推奨・強制される行動様式」であり、後者は「内発的な倫理観に基づく公共のための行動規範」です。どういうわけか日本人には<公徳心>というものが幼少時から刷り込まれているようです。
中国共産党が国際社会における公徳心を素養してくれると良いのですが。

注1:家から一歩出ればゴミ捨て場、という感覚です。北京の場末に行くと、
  商店の中で出たごみを自分の店の前に(!)ぶちまけるのを見かけます。
注2:英語ではどういうでしょうか? Public mind かと思ったらcivic mind
  でした。Civic/civilから中国語を引くと「公益」という言葉が出てきます
  が、その使い方は「公益事業」や「公益金」で、公徳心のニュアンスは感
  じられません。


◆今月の隆眼−古磯隆生
http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant
http://www.architect-w.com/data/15365/
   Ryuの目ライブラリー:http://d.hatena.ne.jp/vivant/

−浮世絵版画の協働性−

これまで浮世絵版画を観る場合、その成果品である浮世絵ばかりに目を奪われていて、その制作過程については勝手に想像していて疑問も持たなかったのですが、先日、天童(山形県)にある広重美術館で浮世絵版画の制作過程を説明する映像を見て、制作過程にふとした疑問とその“協働性”に大変興味を持つようになりました。

浮世絵版画が絵師、彫師、摺師の共同作業によって制作されるのは識っていましたが、私はてっきり、始めに絵師が手彩色で絵全体を描き(元絵を作り)、それに基づいてそれぞれの職人が彫り、摺るものとばかりに。つまり、彫師、摺師はただ彫り、ただ摺る技術を提供するのみで、その創作そのものには関与しないのだとばかり考えていて、プロセスについてはそれ以上の関心を持たなかったのです。しかし映像でそれぞれの作業を見るにつけ、元絵が一枚だけでは出来ない作業なのではないか・・・と。と言うことは、分業が成り立つ為には絵師は同じものを何枚も描き(コピー機の無い時代だから大変だなー)、それを彫師、摺師にそれぞれ渡し、元絵に倣って彫り、摺ってもらわないと出来ない…版画家が一人で作業をするようなイメージで。それなのに、元絵なるものは全く残っていない・・・ 不思議だなー・・・これが素朴な疑問でした。
そこで先日、制作過程の映像を制作した「アダチ伝統木版画技術保存財団」に電話をかけて話を聞いたところ、その疑問(謎)が解消されただけでなく、その“協働性”の凄さに改めて驚きました。

私が勝手に考えていた‘絵師が手彩色で全体像(元絵)を描き、それを版元に売り込み、それから版画の制作に取り掛かる’と言うことではないのだということがわかりました。
単純な作業の流れとしては、‘絵師が線だけの版下を描き、それを彫り師が彫り、その後で色づけを検討して摺り師が摺る’。
プロセスを少し詳しく説明します。まず、版元(いわば企画者である)の依頼にもとづいて絵師が墨一色の線(墨線という)で和紙に描いた版下絵を作り、それを彫師が版木(ヤマザクラ)に貼り、墨線が透き出るまで和紙を擦り落とし、そしてその墨線に沿って彫る。この墨線だけで彫られた版を「主版(おもはん)」という。主版ができると、それを摺って複数枚の複写したもの(これを「校合摺(きょうごうずり)」という)をつくり、絵師がこれらのそれぞれ指定したところにイメージする色を入れる。色ごとに色分けした校合摺を版下絵と同様に版木に貼って「色版」を彫る。必要な色版が全部揃うと版木は摺師に渡される。そして、版元と絵師の立ち会いで色指定をし、摺師がその効果をイメージしながら一色ずつ摺り重ねていく。こうしてあの浮世絵版画は出来てくるようです。
ということはそれぞれのパートを担う職人の力量は非常に重要で、尚かつ、協働して作り上げる“協働力”が試されることでもある。絵師がコンダクターとして全体を仕切って、各職人を使いこなすというパターンではどうもないようで、企画に各職人が参加し、その力量を発揮して応じる。そんな作業のイメージです。
「版元」は、時代の要求に応じた企画を考えて絵師を選び、成果品を売り出す。「絵師」は墨線だけでの元アイデアを出し、「彫師」はその鋭い感覚と的確な技術によって、その線の魅力を版木に引き出す。「摺師」は、色調の具合は絵そのものの印象を大きく作用する故、絵師の色イメージをしっかり掴み、色重ねの具合なりグラデュエーションの具合なりを的確に判断して色を摺り出す。

絵師を頂点とするヒエラルキーの構造による成果品ではなく、四者の主体がひとつの作品創出に向けた“協働”による成果品。それが浮世絵版画なのだと。ただ、版元と絵師の名前は出ますが、彫師、摺師の名前が出てきませんねー・・


◆今月の山中事情112回−榎本久・宇ぜん亭主

− A=B=C −

人の関わりと言うものは、なぜ、そうなるのかと、ただ、頭をひねってしまう。
日本の新聞の発祥の地は横浜であるとのこと。そこに日本新聞博物館があり、著名な漫画家の一コマ反戦漫画展が開かれていたので見に行った。プロが一コマで何を表現するかをこの目で確かめたかった訳だが、その洞察力、
観察力、着眼点を苦笑まじりにうなずいて来た。その中の一人にウノ・カマキリ氏の作品もあった。ご存知の方もいらっしゃると思うがイラストレーターでもあられた。

話はそれるが、私は某新聞の川柳に投句している。ウノ氏は川柳に添える一コマ漫画を担当している。私のある日の入選作に先生の一コマ漫画が添えられた。そのウノ氏とその会場で会う事態となった。双方当然知らぬ間柄だが、ネームプレートで私は知ってしまった。まさかその先生が目の前に居る。この関わりは一体何だと驚きながら、そのことを話してみた。先生は覚えていて「あの句が一番漫画にしやすかった」と言って下さった。
一般投句者が、その担当者と出会うなどと言うものは絶対起こりうるものではない筈が起こりえた。双方時間のズレがあったり、当日そこに行かなかったら、このことは無かった。

再度話はそれる。
落語家の古今亭菊之丞師匠とお付き合いをさせていただいている。師匠とは言うが、我が息子と同い年だからなんとなく子供のように思うのだが、職業が職業なので、話し振りは私よりはるか年上と思ってしまう。飯能時代に知り合い、当店でも落語会を行った。年に最低でも二回はやりたいと意気込んでいたのだが、病気で頓挫してしまった。しかし、それでも案内が来ればなるべく聴きに行くようにして、今日まで続いている。幸い、当店の跡を継ぐかのように秩父でも菊之丞を呼んで下さる人が現れた。
五月のある日「東京の小川ですが、六月二十二日に予約をお願いします」と電話が入った。その六月二十二日の当日になり、料理を整えて待った。玄関が開いた。「予約した小川ですが」その声はまさしく古今亭菊之丞師匠ではないか。秩父での落語会が前日の六月二十一日に開かれていた。私は開演前、終了後の二度楽屋を訪ねていたのだが、「明日はよろしく」とは一言もなかった。おそらく、私を驚かせたい一心だったようで、玄関で迎えた折「小川亮太郎」の本名をその時鮮やかに思い出した。
これまで師匠とは楽屋でばかりの会話だったが、ごはんを食べながらいろいろの話が出来た。その中で、ウノ・カマキリ先生の話をした。ウノ先生は落語界にも知己があり、そういえば菊之丞師匠のことも言われていたので、聞いてみたら「この間会いました」と言う。そして池袋演芸場に似顔絵が飾ってあることを聞いた。
この人間の関わりが、偶然ではすまされない必然であった。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は「大地の目覚め」シリーズです。
 秋の行動展にむけて習作したものです。
  サイズは51.5cm × 72.8cmです。
  (パステル+アクリル絵の具)
  お楽しみ下さい(写真貼付)。