★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.149

五月です。
連休に入り、近くの田圃水張りが始まり、透明感に満ちた風景が例年のごとく現出し(写真貼付)、例年のごとく蛙が一斉に鳴き始めました。
繰り返される日常・・・3.11以降、この大切さが身に染みます。

・安部政権はアメリカにのみ向いてしまったか。
・戦争を放棄したはずなのに、なし崩し的に。
・原ナマ(経済)による目眩まし作戦。
・野党のテイタラク、わずかな希望を寄せたい自民リベラルの音無・・・。

福島の友人から:
「福島の桜は平年より10日ほど開花が早く、いま花吹雪となっています。屋敷の裏木門の方角にある竹林のタケノコは、例年4月29日が初収穫ですが今年はもう少し早くなりそうで、一番早い年となりそうな状況です。
桜といえば「桜切るバカ」と言いますが、原発事故後に1.8mを残して伐採したのですが昨年から側枝が伸びて花が咲くようになり、あまり高くしないように管理しています。また、屋敷の辰巳の方角にある樹齢約100年のモミの木2本を3月28日に根元から伐採しました。これは針葉樹でセシュウムの数値が高いため原発事故直後に3mを残して伐採したのですが、その年の夏は猛暑が続いたため枯れてしまったのです。除染の時に根元から伐採してもらおうと枯れたままにしておいたのですが、除染では太い木は切ってくれないとのこと。仕方なく経費をかけて伐採したのです。
これらはすべて原発事故の影響です。
★ 四年目に 枯れしもみの木 伐採し 塩をまきつつ 涙をながす

除染で思い出しましたが、除染員5人が沖縄から来ており、作業中に私しから「辺野古は大変なことになっていますねー」と話しましたら「あの辺野古は大変きれいなところで、サンゴも素晴らしいところで残念です」と言っていました。知事は会見で「日本の国の政治の堕落ではないかと思う」と発言されましたが、すべて国の方針ありきで対話ができないことはまさに堕落ですね。また、その内閣に与党議員誰一人として物申す議員がいないことは嘆かわしいことです。」

では《Ryuの目・Ⅱ−no.149》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は佐貫惠吉さんです。

−確からしいこと(2)−                      

さて、「これは科学か?」と、読む人に不安を与えながら(これは「自問自答」の問いかけで著者の答えは用意されていることは後で述べる)、多くの未解決の問題を提示するだけのように見える「宇宙論」の分野では、「過去と現在」の視点の整理がしっかりできているかが重要だと思う。

「宇宙を織りなすもの−時間と空間の正体」はこの「整理」の助けになると言う点でまれな良書だと思う。この本は、まず、二十世紀の前半までに作られた物理学によって明らかにされた空間と時間の性質を見ていき、次に、実験と観測によって強力な裏付けを得ているビッグバン理論と、それを改良したインフレーション理論に依拠しながら、これらの理論が描き出す「空間と時間のはじまり」へと歩を進め、最後に、空間と時間を探求する道のりの今後が展望されている。これが主な構成になっている。

二十世紀前半までに作られた物理理論というのは古典物理学相対性理論量子力学だが、これらがいずれも幅広い現象を高い精度で説明し、今日の科学技術社会を支えている理論であることは言うまでもない。
古典物理学は現象を精度の高い近似値で説明し、理解を助けてくれる成熟した理論だが、この古典物理学的な「常識」の視点から当たり前に思われる「時が流れる」という時間のイメージは、特殊相対性理論に依れば幻想とされる。つまり、時間は過去から未来へと流れるのではなく過去も未来も現在と同様に実在するとされるのだ。驚くべき事実であると同時になかなか馴染めないことでもある。これは量子力学的な時間と空間においても同様であるらしい。
宇宙の歴史にかんする考察は、近年めざましく進展しているが、同時に大きな壁にぶつかっている。ビッグバン理論に’依って宇宙が小さかった時代、エネルギーの高い、しかしスケールの小さい世界を見ようとすると、質量が大きくて重力を無視できず、なおかつスケールが小さくて量子効果も無視できない領域に入り込むことになり、二大理論である相対性理論量子力学が激突してしまう。同じ方程式では説明できないのだ。
この二つを合体させて「統一理論」を作る事が今日の物理学の最重要課題の一つになっているわけだが、出口のない隘路に迷い込んだ感がある。10のマイナス33乗というスケールの距離や、10のマイナス43乗という時間スケールになれば、観測するなど絶望的な試みに見える。加速器を大型化するにも限度がある。

こうして、観測や実験が不可能に思える世界の中で、益川博士が批判する(著者が唱える)「十次元の時空」論を初めとする「統一理論」の候補者が覇を争っている。本書の「今後の展望」では、主にこのことが書かれているが、「探求する道のり」の先に問題解決がある保証がない以上、参考程度に目を通しておく程度にした方が賢明だと私は思う。
理論は、実験や観測によるデータに結びついてはじめて自然界を記述する正確な理論であると判断される。これが物理学の基底にあるはずだと思うが、実験や観測が不可能なレベルになると、物理学と数学の立場を逆転させて理論を「立証」する傾向が出てきてしまうようだ。「物理的実在を記述する定量的言語が数学」というのが(物理学者から見たこれまでの普通の)関係なのだが、数学は実在の記述にとどまらないのかもしれない、ひょっとすると数学は実在そのものかもしれない、というわけだ。「これは科学か?」と自問し、「数学は実在そのものかもしれない」と自答し、これまでのようには保証されないかもしれないが「科学の一つ」であり、それにとどまらずより積極的に、「数学を利用しているだけでなく、数学に対して貢献もしている」という主張になる。(「隠れていた宇宙」より) これが、参考程度にした方が賢明、とする理由だ。

それはさておき、物理学というのは時として意外な展開をすることがある。例えば19世紀の初めにファラデーが電気と磁気の性質を明らかにし、磁場、電場という概念を提唱した。さらにマックスウエルは電場と磁場の相互関係に数学的基礎を与え、それまで別々のものと見られていた電気と磁気が、実は一つの物理的実体の二つの側面にすぎないことことを示したのだった。興味深いのはこれからだ。マックスウエルより先に他の実験で知られていた光の速度が、この方程式から出てくる電磁的な信号の速度と全く同じだった。つまり光も電磁波の一種だということがわかったのだ。データが先にあり理論に合致した、と言うのが事実であり、逆ではないのだ。これから先もこれと同じようなことが起こらないという保証はない。意外性はどこから飛び込んでくるかわからないのだ。

もう一つ。ガリレオ以前はともかくとして、少なくとも近代科学の領域では、勝者と敗者は固定していない。 理論が背景に固定されているとすれば、古い理論は新しい理論に道を譲ることになる。しかし、本書の最後では、背景の異なる理論の各々に含まれる構成要素が相互に何らかの関係で結ばれているとすれば、それが「統一」の形になるだろう、との楽観的な予想が書かれている。
物理学と数学の関係逆転はともかく、この一節は示唆に富んでいる。(もちろん、科学者というのは実にしたたかに論理を組み立てるものだ、と感嘆することも忘れないでいよう)

長くなったが、物理学の「過去と現在」、統一理論の「期待」の手前までにとどめて本書を吟味するのが読み方として最適だと思う。
さて、話を戻せば、月末に行く予定の野辺山にあるミリ波電波望遠鏡は波長数ミリの電磁波を観測して、恒星の間に漂う分子を探知し超新星爆発などの研究に活用されている。 有名なハッブル宇宙望遠鏡はさらに波長の短い可視光線、紫外線、赤外線を対象とするが、地上の大気の影響を受けないより精度の高い観測が行え、数千個の銀河を調べそれらが途方もないスピードで遠ざかっていること、つまり「宇宙の膨張」という驚くべき事実を証明している。
地中に構築された加速器と、地上の宇宙電波観測、宇宙に打ち上げられた望遠鏡と各種観測衛星、これらが一体となって、宇宙の実体を探っている。この半世紀は、宇宙物理学の躍進の歴史でもある。卒業五十年の記念に八ヶ岳山麓に遊び天空の彼方を見つめるのも良いものだ。 (終)



◆今月の隆眼−古磯隆生
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−ある偶然−

別々に起こった事象が、“ある偶然”を媒介として連なった時、そこになにがしかの因果関係を想像してみたくなるのは私だけではないかも知れない。人の性なのでしょうか?因縁めいた話は苦手なタチなのですが、先日経験した話。
現在、秋の行動展に向けてのエスキースに取り掛かっているのですが、その作業の中で、ある部分を鉛筆の平行線でびっしりと埋めてみてはどうかと考え、それには、昔使用していたT定規があるといいなと考えていました。学生時代はT定規を使って設計製図をしていた訳ですが、ドラフターや平行定規なるものが出回るようになってからはT定規を使うことは皆無と言えるほどになり、処分してしまいました。昨今では、図面の作成は全てパソコンで行われますから、今となっては化石のような存在でしょうか。そんなわけで、この数十年、T定規を使うどころか見かけることさえも無かったのですから、さて、どうしたもんか…と思案していました。そうだ、インターネットなら中古品のT定規を見つけることが出来るかも知れないと思い至り、いろいろ検索してみました。
新品のT定規を扱ってるところは幾つかみつかったのですが、最近のものは金属製の様で、しかもあまり長くはありません。昔のようなしなり具合のいい長い合板製の中古品はなかなか出ていません。さすがにこれは無理かなと思い、むしろ、誰か押入の奥の方にでもしまい忘れてる友人はいないか、そちらの方が可能性あるのではと思い方向転換。
最初に浮かんだのは、建築事務所をやってる友人の一人で、日頃から物持ちのいい人だと感心していましたので、彼だったらひょっとしてまだ押入のどこかに持ってるかも知れない…。
先日、その友人に会う機会があり、「もしかして使わなくなったT定規をまだ持ってるということはないだろうか…」と尋ねたところ思いがけない返答が帰ってきました。
「丁度あります。しかも・・・」
その友人は大学の後輩なのですが、私も知ってる彼の親しかった同級生が今年初めに突然死してしまったことを告げられました。大学卒業以降、その亡くなった彼がどの様な人生を辿ってきたか、どの様な生活をし、健康管理に問題があったのかも知れない、等々の話を聞き、幾度か会った卒業当時のことにしばし想いを馳せ、偲びました。そして、形見として先日二つの遺品を持ち帰ったばかりで、その一つが偶然にもT定規なのだと言う。
友人の彼だって、今更T定規などを使うことはまず無いと思われますが、数々の遺品野中から、誰も使うとも思えないT定規を彼が偶然にも選び取り、今更使いたいとは思いもしなかったT定規を私が求めていた。
この偶然、この因縁。
使わなくなったT定規を持っていないかと私が彼に聞いた時に、彼は鳥肌が立ったと言いました。この巡り合わせ…。いやはや驚きました。
何の縁かはわかりませんが、このような形で探していたしなり具合のいい合板製のT定規が目の前に現れるました。
彼から「大事にしてやってください」とそのT定規は私に手渡されました。
設計にではないが、使われなくなっていたT定規は生き返ることになりました。


◆今月の山中事情109回−榎本久・宇ぜん亭主

−再度ゴマメの歯ぎしり−

出来るならば、いらざる心配をすることなく、つつがなく暮らしたいものだが、私の及ばぬところで、その画策をしている集団がありて、穏やかに暮らすなどとは言って居られないでいる。
又ぞろこの国が戦争をする空気が漂い始めているからである。自衛隊員の中にも戦争をいとわない隊員が少なからずいて、その任務に一点の疑問も抱かないようだ。これだけ声高に戦争の悲劇をあらゆる人によって論じられているにもかかわらず、考え方がその方向に行くのはなぜなのであろうか。
もう一つ驚いたのは、ある集計でのことだ。八十人程度の小学生の集団に戦争について問うたのだが、戦争をしたいと答えた子供が10%あったことだ。
戦争の意味を理解はしていないと言っても、総じて多くの若者を含めて、この世代はこのような考えを持っていることが解った。
わが国は戦後七〇年間アメリカの統治下にある。独立は形式的である。あらゆることがアメリカの制約の中にあるが、それでも国民は邁進してきた。敗戦で骨抜きにされた政府は徐々に力を得た大企業と結託して、アメリカの庇護のもと「国家」としては先進国の位置まで復活したのだが、果たして世界に胸を張れるのかは疑わしい。
すべての国民が反戦争の意を持つのなら軍事をもくろむ政権など誕生させるわけではないが、それに加担する勢力が一方にあるがゆえ、悲しくなるのだ。時の政権はそれが民意だと言い放つ。
戦後一時をのぞいて自民党政権は続いた。そのことによって澱みのようなものが貯まりに貯まっていたにもかかわらず、時々の政権は無視の政策をとりつづけ、とうとう自民党支持者が蜂起し民主党政権を樹立させたのは記憶に新しい。
野党転落はそうとう悲哀をなめたようだ。これまでとって来た政権の非を認め、反省をしている自民党首脳の顔が浮かぶ。そして、新しい自民党を模索したのだった。
ところが思いもしない民主党のていたらくは自民党支持者だった彼等や、にわか民主党支持者をおこらせた。そして、その後の選挙に於いては、民主党支持者の票は雲散霧消してしまい、今日の安部内閣をならしめた。
新しい自民党内閣は野党時の言を翻し、一転強権政治に切りかえた。彼等はターゲットをつくった。大企業経営者とタッグを組み、労働者に賃金の割り増しを促した。郵貯や年金、国債に手を出し、株価の高騰をもくろみ、日本経済の回復を印象づけることに成功した。大企業に勤める社員、株の恩恵を受ける投資家は、安部政権の政策を両手をあげて支持し、中、小、零細の企業や株に縁のない者は相変わらず不況にさらされている。

露骨な議会運営のようだ。
圧倒的議席数で政府原案はところ天式に採択されている。現に第一八六通常国会の議案成立率はなんと97.5%だった。こうなると国会は審議機関でなく諮問機関の態となっている。

閣議決定だが、
集団的自衛権行使容認の決定の理由は「そうすればアメリカの国益が増大する」以外にありません、安部首相と彼の盟友たちは「アメリカの国益を増大させることが、ただちに日本の国益を増大させることにつながる」という等式を骨の髄から信じている。「いま、ここでアメリカの国益を最大化する政策」を選択すれば「いつか、どこかで日本にとっていいことがある」、「アメリカの国益を最大化することが日本の国家戦略である」と。でもそれを口にすることはしません。
仮にも日本は主権国家だという話になっている以上、「他国の国益を最大化することがわが国の国家戦略である。アメリカのために働くことが、日本が生き延びるための唯一の道である」とは言えない。でもそうだと言うことは、みんな知っている。国会議員も、官僚も、メディアももんなこれが「アメリカのため」の政策だということを知っている。でも言われない。言えない。だから集団的自衛権に関して日本の公式ステートメントは全部嘘なんです 』…内田樹×鈴木邦男対談集より

結局戦争を仕掛けアメリカに負けた。そしてこういう型になったのがこの国の現実だ。
戦争の愚かさを知る。
安部政権は軍事関連事項と経済関連事項を優先課題にし、原発問題、地震後の問題、拉致問題、教育問題など内政に関わることがどれひとつ進展していないでいる。蛇足だが、なるほどと思う言葉を知った「ネクタイは政治家が嘘を吐き出さないためにするものさ」…ウルグアイ・ムヒカ元大統領

宇ぜんホームページ
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◆Ryu ギャラリー

 今月の一枚は「大地の目覚め」シリーズです。
  サイズは36.4cm × 51.5cmです。
  お楽しみ下さい(写真貼付)。

◆様々情報



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