★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.140

暑い、暑い、暑い毎日でしたが一転、台風襲来。
台風11号の被害が心配されます。
白州では現在強い風雨で、先ほどはしばし停電。

暑さはまたぶり返すと思われます。
どうぞご自愛下さい。

「今月の山中事情」が百回目を迎えました。執筆の榎本氏に感謝申し上げます。
これからも楽しみにしたいと思います。

「今月の風」では、忘れてはならぬはずの“原発”が忘れられがちで、原発回帰が
既定のような状況に。そんな中、延々と続く問題への喚起です。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.140》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は佐貫 惠吉さんです。

−35万対1,000−

私は鎌倉で内科・胃腸科の開業医をしています。また、鎌倉市医師会の役員をしていますので、2月22日に本駒込日本医師会大講堂で開催され た、日本医師会政策総合研究機構と日本学術会議との共催シンポジウム「福島原発災害後の国民の健康支援のあり方について」に参加しました。このたび、その記録集が完成し日本医師会のサイトで公開されましたので、その内容を簡単に紹介し、皆さんに災害対策の現状を認識し、理解を深めていただきたい、と考えました。
冒頭の数字は、甲状腺ヨウ素の直接測定がチェルノブイリでは35万人に行われたのに対し、福島原発では約1000人にしか行われなかった、という厳粛な事実を表しています。原子力事故による初期被曝線量はヨウ素等短半減期による内部被曝線量を測定することによって評価されます。チェルノブイリでは、これを35万人分、しかも多くは放射線の強さだけではなく、核種までわかるスペクトロメーターで測定されているのに対し、福島では約1000人分、しかも殆ど科学的な価値をもたない簡易型のサーベイメーターによる測定記録しか残されていません。こういうあやふやなデータを基礎にして初期被爆、とりわけ甲状腺の内部被爆について推定しなければならないという状態が続いてきているわけです。

「35万対1000」という違いがなぜ出てきてしまったのか?被災者が非協力的だった、とか測定技術がなかった、ということではありません。事故発生2週間後から測定を始め、一部測定高値が認められたため、原子力安全委員会がより精密な線量測定を求めたのに対し、国の原子力災害対策本部は「本人や家族、地域社会に多大な不安といわれなき差別を与える恐れがあるとして追加検査をしないことを決定」。また、一ヶ月後に入った弘前大学の調査班に対し福島県地域医療課は「環境の数値を測るのはいいが、人を測るのは不安をかき立てるからやめてほしい」と要請。
拾い出せばきりがありませんが、このように被曝線量という大事なデータを不安を与えるからとらない、ということが各所で行われ、真実が隠されて来て、逆に科学的に蓄積されたデータがないために、放射能による身体的な影響を科学的に伝えることが不可能になっている、つまり実際には有効な健康支援が行われず、本当の意味で「不安」を解消することができない危機的構造に陥っているのです。小児の健康に対する影響は甲状腺だけではありません。そのほかのがんや白血病の発生頻度の増大が懸念されます。チェルノブイリでは、このために周到に組み立てられた複数のデータ測定と解析が続いています。福島では動き出していません。
シンポジウムでは、今後の具体的施策が提案されています。福島県医師会からは、福島県民に限らず原発災害の影響を受けていると思われる全ての住民に対する健康支援を行う上で、危惧される健康被害を予防するための検査は、国の種々の健康診査・健康診断事業の一元管理の下で行われる必要があること、また、医学的な経験や知見を集約しナショナルセンターとして機能する機関として、いわき市に「放医研を誘致」する提案が出されました。つまり、対象制限から支給制限、情報の分散・個別処理という、国の医療福祉・災害補償政策の宿痾ともいうべき限界を克服し、福島県という小さな「地方自治体」に丸投げするのではなく、国の責任の下におこなわれるべき、ということになります。

話を戻します。さきほど「不安にさせない」という大義が真実を隠すことを正当化している、という事実を紹介しましたが、原子力被害に対処するには、身体的な健康被害よりも心理的・精神的影響つまり放射能に対する不安を重視しなければならない、というのが一種の「理論」にまで高められていて、その理論形成に放射線災害医療の専門家が一役買っているという事実があり、これが事態を複雑にしています。
このような事態は、これまでのような、いわゆる「専門家」の話を聞き、そのわかりやすい説明を聞いてリスクを理解する、という一方的なリスクコミュニケーションのとらえ方ではなく、専門家はもちろん、当事者が考えているリスクとの間でコミュニケーションを取りながら、適切な理解に辿り着く、というようにしなければならない、と提起されています。

第三講演の宗教学の島薗上智大学教授が、その「まとめ」で、「 ☆十分に調べずに安全安心と権威者(専門家)が唱えて人々を従わせるというやりかたではなく  ☆よく調べ広く討議し、わからないこと、わかったことを明確にし  ☆被災者や市民とやりとりしながら十分な対策をとるというやり方をどのように進めていけばよいのか?」と提言されています。すでにおわかりになられた方もいるかもしれませんが、このような方法はこれまで日本社会で一度も実行されたことがありません。当たり前のように聞こえますが、一度も実行したことのない方法に手を付けることは、これまでは一方的なコミュニケーションで済ませて来られた我が国では簡単ではありません。未曾有の原子力被害は我々にかくも重大な決意を迫っているのです。

読む人によっていろいろなとらえ方ができる記録集ですが、私は医師としてこのように理解しています。宗教学者である島薗教授は、当然「近代科学と宗教」という視点を確保しておられると思います。「地球が動く」ということが誰にとっても当たり前ではなかった時代、教会と大多数の庶民に対して自分の得た知識を隠すことなく提示し、飽くことなく説明し、説得し続ける姿勢、これこそガリレオ・ガリレイが後世「近代科学の父」と讃えられることになったものだと思います。技術の対費用という人間の設定した限界を越えるものを「想定外」とし、未知の自然に対する謙虚な姿勢を保持しえない「技術者」ではなく、視座の揺るがない「科学者」が地位を確立しなければなりません。
上に☆三つで書かれた島薗教授の「まとめ」は、近代科学の原点に立脚した貴重な提言と言わねばなりません。

スライド部分が読みにくいようですが、以下のサイトから「記録集」をダウンロードしてください。
日本医師会 シンポジウム「福島原発災害後の国民の健康支援のあり方について」映像配信・記録集
http://www.med.or.jp/jma/nichii/jmari_sympo/001406.html




◆今月の隆眼−古磯隆生
http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant
http://www.architect-w.com/data/15365/
   Ryuの目ライブラリー:http://d.hatena.ne.jp/vivant/

−2月のドカ雪

少々時季はずれとなってしまいましたが2月の記録的大雪の話をしたいと思います。というもの、今だにその影響と思しき現象が見られるからです。この暑さの中では雪の話も多少の“涼”になるかも知れません…(写真貼付)。

さて、2月14日からの大雪は、その後の生活する環境に様々に影響したと感じています。あの当時、天気予報で14,15日は大雪になりそうだとの情報を出していましたので、東京に用事のあった私は、妻と車で14日の早朝に東京に向けて白州を出発しました。既に雪は降り始めており、随分と細かい雪でしたので、これは積もりそうだねと話していました。東京に着くと、日中にはそれ程の雪は見られず、これで終わりかなと高を括っていましたが、夜からかなり降り出し、明くる日朝起きてびっくり。動きが取れず、15日の予定をキャンセル。
一日閉じこめ状態。明くる日、何とか上野に絵の搬入を終え、出来れば山梨に帰ろうかと考えていましたが、とんでもない事態となっており、それどころではありませんでした。
甲府で1mを越えたとの情報は、白州ではそれ以上であるわけで、隣に住んでる(二世帯住宅)姉からの情報では、背丈程積もっているとか…こんな状況でした。

まずは建築の設計者として、実際に我が住まいに生じたことを反芻してみますと、実に様々なことを教えられましたが、その一端をご紹介します。
これまでも話しましたが、暖を取るストーブの煙突が、1mを越える積雪のため、その滑り落ちようとする圧力に耐えきれず折れてしまいました。これには複数の要因が重なりました。まずは、この地域での積雪はせいぜい50cm程度との情報の元に、ストーブの煙突を屋根に設ける仕様を豪雪地域のそれにしていませんでした。従って、煙突の上手側の雪対策の設えが不十分でした。加えて、「雪止め」は設けず、雪を留めるのではなく、出来るだけ早く滑り落ちる様にし、積雪によりかかるる屋根荷重を長期間にしないよう設計しました。50cm程度の場合は問題はなく、南面向きの片流れ屋根の雪は他の家よりも早く除かれます(当然、雨樋は設けません。従って、他の家のように雨樋が壊れる事態は今回避けられました)。だが、今回のような1mをはるかに越えるドカ雪ではそうは行きませんでした。確かに屋根の雪は他の家より早く滑落し始めましたが、煙突の上手側は、煙突が障害となって滑落しません。煙突から上手にある棟までは6m程はあるでしょうか、つまり煙突には数トンもの重さがかかり、次第に煙突を押しつぶしたと思われます。そして折れちぎれて雪と共に滑落してきました。修復は保険対象なので現状復帰が原則です。しかし、煙突の上手側部分だけに雪止めを設けました。今回のような雪の場合、その雪止めがどの程度耐えられるのかは未知です。雪下ろしは危険なのであまりやりたくはない。悩ましいところでもあります。
ストーブが使えなくなってからは、補助用に設けていた灯油熱源の床暖房が大いに役立ちました。建物自体の断熱性能は十分に確保していましたし、南側からの日射が部屋の奥の方まで届くように軒の出と高さを計算していましたので、日中の太陽熱は夕方まで部屋を暖めてくれ、日中の暖房は不要でした。複層ガラスは大いに有用でした。ストーブが使用不能状態でも何とか寒さを凌ぐことが出来た要因です。

この2月の大雪の影響は現在尚様々に現象しています。
記録的なこの大雪は溶けきるまでに相当の時間を要しました。その間、自然界の芽吹きは例年に比べ随分遅くなりました。雪が溶け、ようやく春の気配が漂う時期になってもいつもの芽吹きは見られません。我が家の楓はすっかり枯れてしまいました。そんな経過を経てようやく咲き出した花々は例年に比べ一際美しく咲いたようです。とても色鮮やかでした。また、越冬した雑草は雪の下で永らく耐えに耐え、梅雨の時期と共に満を持して凄まじい成長を始めました。例年ですと夏の終わりまでに2〜3回程度庭の草刈りをしますが、今年は梅雨が明ける前に3回も草刈りを必要としました。この分だと夏が終わるまでに少なくとももう1回は必要でしょう。
畑の雑草もスゴイ!草取りが追いつきません。しかも成長速度が凄まじい。畝の部分は野菜を植えるので早め早めに取り除きますが、畝と畝との間の部分の雑草はスゴイ勢いで伸びます。例年ですと、畝に見られる根切り虫が今年は畝と畝の間の雑草の根の部分に多く棲息しています。しかも丸々している。雑草の種類も例年とは違っています。いつも繁茂するスギナが少ない。茗荷もまだ花穂が見られません。多分、他のところにも様々な影響が現れてると思います。
いやはや、移住して5年、自然界の異変は、様々な所で生物にそれへの対応機能を喚起したようで、日々の生活の中でその凄さを見せつけらる日々です。



◆今月の山中事情100回−榎本久・宇ぜん亭主

−百回記念−

当コラムがまさかの百回目を迎えた。当初は料理に関わることを依頼されていたのだが、世情の喧しいことを取り上げて書くのも面白そうだと言うことと、スタンスが東京から埼玉に代わったことにより見知らぬ土地のことも織りまぜて、どこかの特派員のごとく振る舞ってみようと思った。機を一にして古磯氏も山梨に居を移し、私の意図することをご理解していただいた。以来ずい分時が過ぎた。

イムリーなことがあった。NHKBS放送、火野正平の「こころ旅」を古磯氏によって知ることになった。古磯氏が投稿され、それが「こころ旅」にて紹介されたのだ。そこは、古磯氏を訪ねる際は必ず通る場所であり、私も米どころ庄内地方(山形)の出身ゆえ田圃を見てしまうとむせび泣き度くなる衝動にかられてしまうのです。庄内地方のそれとはスケールが違いますが、それでも充分に堪能できる所です。
「こころ旅」を観るに、37万k?の我が国がなぜかそれ以上に広く感じてなりません。各々の駅の趣はその土地のことを感じさせ、そこを中心にたくさんの人が生きていることを知る。そこには世上の穢れ(けがれ)や犯罪や事件があることを少しも感じることなく、カメラは平和そのものを映し(震災地は別として)、登場する人々は純粋に普通に生きている暮らしが見てとれます。
飯能時代、五段変速の自転車を買った。山の中の生活だったので、休日は川べりに出てサイクリングロードを走ろうと思ったからだ。自転車を買って数日後、病にやられた。結局一度も走ることなく、その自転車は今ほこりだらけになって、家の裏に悪魔のように立っている。

自己責任という言葉をやたら耳にする。あらゆることを成す課程に於いて、それをする、しないの判断は全て自分で決めなければならない。それが大きな問題の時はどうだろう。震災はこれにあてはまるのだろうか。食品や薬品の事故もしかり。それが安全であることが前提で口にしたり塗ったりするのだが。事故が起きる。医師や店側を当然のごとく信じ、与えられたものが実はそうでなかったとしたら、自己責任は当たらないだろう。すごく生きにくいのは、そのように責任が曖昧で当事者が相手になすりつけられることが多いからだ。
車の運転を辞めた私は電車を利用する。場所によっては駅のホームが電車とかなり開いている。構造上どうしようもないようだが、私はいつも躊躇してしまう。
落ちるのではないかと怖いのだ。注意のアナウンスはあるのだが、マニュアルだ。それ以上のことは言わない。歩行困難な方が事故に遭ったら、おそらく自己責任を要求するような気がする。注意書きはあまりに小さすぎて読みにくい。そこには、事故の責任を限りなく押しつけてあり、それゆえ何度も同じように起きている。こうして全国至る所で危険がひそみ、自己責任を押しつけられている。便利の裏側には、便利のみ追求し、そこまでしなくとも良いものまで作ったあげくリスクのあるものにしてしまっている。

一方、政治はというとそれこそ喧しい。右側の方々の政策や考えが露骨になっている。そして、そういうことに批判している右側の方々も他方には居る。左側の方々は前回の選挙でコッパミジンにされ、生き残りが無為に日々を送っているようでその存在が見えないでいる。前政権はまだしも、前々政権、前々々政権は政権という柱にしがみついただけで、大臣を大量に生産しただけが功績だ。その反動が今日の状態になった。現政権は少し不安ではなく大いに不安だが、だからといって民主党政権では壊されそうだ。かくして平和ボケにされた国民は右往左往させられ、我関せず組は、四角なおもちゃを操って浮かれ、その姿を見て悩ましく思っている人がいる。
労働のされ方が歪だ。正規労働者、非正規労働者派遣労働者の文字があちこちに躍る。小泉政権の「業種規制緩和」がきっかけらしいが、立場の違う者同士が同一の仕事をし、対価が違うことは果たして正常な雇用なのだろうか。個々人の問題でそういう雇用契約になっているのは分かるが、企業の製品に不都合が生じないかと余計なことを思っている。技術立国の我が国がそれを継続できる体制が今後も続けることが出来るのか、この雇用体制が気にかかる。新聞に非正規賃上げ、正社員の半分と書いてあった。

山中事情百回は百ヶ月だ。約十年書きつらねた。書きつらねたのです。パソコンを持っていながら、古磯氏に原稿を送り、それを古磯氏が一字一字自分のパソコンに取り込み、山中事情は成立しております。マシン音痴で、覚える気力のない私ゆえ、現代で生ききれていません。しかしこういう生き方が一番スムーズであるので、この形は変わらないと思います。その意味では今後も古磯氏にゴメンドウをおかけいたします。物書きでもない私にその場をお与え下さった古磯氏に厚く感謝を申し上げ、又、つたない文をお読みいただいている多くの方々にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございます。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/