★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.137

五月です。
連休も明け、静かな日常が戻ってきました。
同時に、白州では農家の忙しくなる時期でもあります。
新緑がいい季節にもなりました。今月は“新緑浴”と行きたいところです。
3.11が忘れられがちな今、「自然エネルギー推進会議」は一石を投じることになるか…。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.137》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は麻生京子さんです。提供された話題を私(古磯)がまとめてみました。

−ピアノの旅立ち−                   
麻生さんには、2009年8月発信のRyuの目に「ピアノと職人の手仕事」のタイトルで話題提供してもらっていましたが、今回はその延長上にある素敵な話題です。
「ピアノと職人の手仕事」では、東京で輸入ピアノを扱ってる店を廻り、その内のひとつの店の片隅のそのまた片隅に置いてあったとても優雅な黒い立型ピアノが目に留まり、それが歴史あるべヒシュタイン社の100年前のピアノだったこと。その白鍵は象牙、黒鍵は黒壇、優美な曲線を描く脚、さりげない飾り彫り、そして最も大切なその音色、当時のピアノ職人が時間と手間をゆっくりかけて良い木を選びそれを充分乾燥させプライドを持って作り上げたことが偲ばれるまさに芸術作品だと感じられ、それは音色といいタッチといい自分を待ってくれていたように思われたことが書かれていました。そのべヒシュタインのピアノはやがて「紆余曲折を経てそのピアノは私のものになりました」。

さて今回はそれ以前に愛用していたピアノの話です。
音楽大学を目指して16歳から愛用してきたヤマハのグランドピアは、やはり音楽の世界に進んだ娘さんにも引き継がれ、半世紀もの時間を共に過ごしてきましたが、べヒシュタインとの出会いによってそれまでの役割を終えたようです。このヤマハピアノは、ヤマハが低コスト化を図り出す以前のもので、質の良い木が使われ、音質も良いものだったそうです。 昔の日本の良さが忍ばれます。
そこで本題に入ります。このグランドピアノは、2年前にご本人の転居に伴い置くスペースが無くなりました。しばらくは空調の利いた倉庫で休むことになります。一時は売却処分も考えたそうですが、長年愛用してきたピアノで、思い入れの深いものですからやはり売却は忍びない、誰か使ってくれないものだろうかと…。勿論、無料で寄贈。そこで音大の同窓生達に相談した結果、寄贈先を広く呼びかけようと言うことになりました。希望としては、教育機関福祉施設で役に立って欲しい、という思いを込めて。許されれば、時折り訪ねてボランティアでピアノの演奏やコーラスの伴奏が出来ればとの願いもありました。

多摩地域のタウン誌「アサココ・2月号」やインターネットでその情報は発信されました。以来、10数件の申し込みや問い合わせの電話があり、入間市重要文化財施設、越後湯沢のリゾートマンション、日野市の障害者施設、などから申し込みが寄せられたようです。そんな中、「教育機関福祉施設で、許されれば、時折り訪ねてボランティアでピアノの演奏やコーラスの伴奏が出来れば…」との希望のあった麻生さんに、川崎市にある「リアンレーヴはるひ野」という住宅型有料老人ホームの施設長から電話がありました。「いつでも施設を見に来て下さい」と施設長のオープンな感じの明るい声は麻生さんの心を動かしたようで、後日、相談相手の音大同窓生Sさんと「リアンレーヴはるひ野」を訪ねることになります。Sさんからは「即答はしないでいいのよ。気が進まなかったら考えさせて下さい、と引き揚げてきましょう」との事前のアドバイスもありました。住まいの在る登戸からこのホームの在るはるひ野まで小田急多摩線一本で30分足らずで行けることも麻生さんの気持ちを軽くさせたのかも知れません。

昨年の4月にオープンしたこの施設は2000?の敷地に60室。ピアノの居場所に予定される多目的ホールは南側一面のガラス窓から太陽が燦々と降り注ぐ、開放的でスタッフの目も行き届くように配慮されたスペース。直感的に“OK!”と麻生さんは感じ取ったようで、それを察したSさんも“GO!”の相槌を打ってくれた。
3月19日、グランドピアノは無事「リアンレーヴはるひ野」に搬入されました。その日、このピアノに親しんだ長女と相談相手のSさん、そして、タウン誌・アサココの記者の四人で施設を訪れ、ピアノと久し振りに対面。以前と変わりなく良い響きをしていました。愛用したピアノとのお別れに、Sさんと『ふるさと』を連弾し、“娘の嫁ぎ先が決まったような感激”を覚え、しばし胸が詰まる想いでした。
「平日の午後3時以降なら、いつでも弾きにいらして下さい。コンサートも是非開いて下さい」との施設長の言葉を背に、安堵と寂しさの入り交じった気持ちで施設を後にしました。
その後、麻生さんの手配で調律師が訪れ、29日にはテナーサックスとピアノ演奏会が開かれたそうで、麻生さんの分身だったグランドピアノは半世紀を経て新天地で新たな活躍を始めました。(写真貼付)



◆今月の隆眼−古磯隆生
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−移住生活・その19−

五月に入り、例年のごとく田圃に水が張られ、辺り一帯にまた“透明感”に満ち満ちた世界が現出しました(写真貼付)。そしていつものように蛙が一斉に鳴き始めました。この繰り返される“日常”に安堵を覚えずにはいられません。

さて、いよいよ三度目の“畑シーズン”の始まりです。2月の記録的な“ドカ雪”からやっと解放され、待ち遠しかった春を迎え、様々に桜を堪能し、そして“畑シーズン”の到来です。
私にとってこの「畑作業」は、五感を限りなく刺激し、心身共に活性化させてくれる大切な“作業”です。土の様子、幼虫の様子、虫の様子、雑草の様子などなど、この作業をするようになってからこれらが目に留まるようになりました。それは自然の営みとのちょっとだけの触れ合いの場面でもあります。移住生活の何とも言えない時間帯です。
今年はいつもより少し早めに準備に取り掛かりました。連休に入る前にまずは土の手入れからです。4月半ばに、ためておいた冬場のストーブの灰を畑に撒き、しばらくしてから耕やしにかかりました。全部で19畝あります(その内6畝は越冬野菜)。この耕しは私には結構な重労働で、汗を掻くばかりでなく、体のあちこちが痛くなり、夜は湿布剤を貼って寝るという始末。しかし、何とも気持ちいい時間なのでついつい…。耕し終わると、“移住生活・その14”で紹介した「えひめAI(あい)」を薄めて、散布します。今年もこの微生物に土の改良を担って貰います。「ふかふかとした土になってくれ…」と。植え付けの1週間前あたりに米ぬかと鶏糞を入れます。

この時期を迎え、様々な幼虫、太く長いミミズ、生物の活動が始まります。安眠を妨害されたアオガエルが迷惑そうに飛び出します。“ことしもよろしく”と挨拶したくなるそんな気分になります。この無言の応答が何ともいい…。
2月の大雪(ドカ雪)は越冬野菜に影響を与えました。私達の場合は、玉ねぎが三分の二はダメになりました。苗は現在50〜60本何とか生き延びましたが成長が良くありません。難しい。ニンニクは春の到来と共にのびのびとしてきました。昨年よりもいい感じです。連休に入り、ネギとジャガイモ(インカのめざめ)を植えました。生姜と里芋の種芋は芽が出るのを待って畑に植え付けます。これから何だかんだと15〜20種類ほどの苗や種を植え付けることになります。
“始まり、始まり”



◆今月の山中事情97回−榎本久・宇ぜん亭主

−衰退−

日本の総人口は2008年をピークに減少し続けている。2040年には一億人に満たず、2100年には5、000万人を切る予想だ。日本の人口減は「東京」というブラックホールを加速させ、周囲を吸い尽くして自滅するという。又、2050年には国土の61%が無居住地域になるのだとか。このことによって企業は労働力不足、人材不足に陥り、永々と築いて来た各々の産業を脅かし、百年かけて今日を築きあげた企業の存在は果たしてあるのか深刻な状況を呈することになる。人口減少により、激しい競争より共存共栄の道を選ぶ企業間の再編や統合が今以上に誘発するであろうとも言う。この国のビジネスモデルは現在のままでは立ち行かないことになり悲観的だ。団塊世代は、人口構成で戦後常に最大を占め、今やすべて年金受給者になった。
今後、認知症・要介護状態の大量予備軍となる可能性の高い七十五歳以上になり、医療の高度化と治療費の増加が見込まれ、経済成長率を上回る見通しだ。(一部読売新聞による)

ずい分先のことを心配しているようだが、決してそうではなく、加速度的にその日を迎えることになる。国も各自治体も対策のポーズは取っているようだが、決定的なものは講じられていない。いつかの内閣が「百年安心プラン」なるものを掲げ、厚生大臣が得意げに会見してことを思い出したのですが…。あれは何だったのであろう。
戦後人口増加は成し得たが、この団塊世代の高齢化に伴う医療、年金等のシミュレーションは果たして国はいかに講じていたのだろう。戦後の混乱期にあって、それどころではなかったであろうが、今になって、あわてふためいているように見える。人口減少については、豊かさの中に埋没していた感もあるが、政治が応えていないことにもその要因があって、団塊ジュニアに不安を与え、少子化につながったというのは短絡的だろうか。この世代はある意味非常に不憫に思う。我々を支え、その先は不明の中に居る。
一億二千万人から五千万人に激減するというのは突然やってくるのではない故、数字のマジックに惑わされる必要はないだろう。世界には五千万人クラスの国家は当然存在しているし、それ以下でも国家として充分確立している。
少し頭をやわらかくして考えれば、むしろ今より豊かな日本に成り得ることだって考えられる。先進国からの脱落やその存在感の低下を嘆くことなど無意味なことであり、それよりもっと世界に賞賛されている国家を形成しているかも知れない。
現今の我が国は、表面上の現象が何やら付和雷同的に動いていて、私など追いて行けないことだらけだが、ことの本質は実はあまり変わっていないのである。
どんな時代にあっても、人間の叡智はものごとを解決する力があると信じる以外方途はないだろう。だが、人間が人間としての心を失ったら話は別だが。

宇ぜんホームページ
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