★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.122

二月になりました。
まだまだ寒さが続きます。外は風が唸っています。
それでも樹々の枝先には芽吹きが見られ、少し赤み帯びた色彩が感じられるようになりました。
春は近づいています。
では《Ryuの目・Ⅱ−no.122》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

−蜘蛛の巣−

空を見上げると視界の中央に蜘蛛の巣が映った。蜘蛛の巣の中心では、蜘蛛君が凄い形相で自分よりも大きな虫、多分トンボだったのだろう、をむしゃむしゃとやっていた。その遥かうしろにはピントのボケたような雲がゆっくりと流れていた。
その又うしろにはちらちらと青い空がのぞいていた。と、私の足元に老犬セサミがチョコンと座ってクッキーのおねだりをしている。静かな秋の午後である。

蜘蛛の巣はそれぞれ5メートル以上は離れていると思われる5本の木に引っ掛けられて、その張力一杯に張り巡らされている。どの蜘蛛糸一本に触れても他の糸は、平気だとばかりに引っ張り返してくる。全ての糸が殆ど等分に力を出し合って作っているのが蜘蛛の巣だ。

今日本では、選挙戦の最中だろう。東北の震災や原発事故、沖縄の基地やオスプレイ尖閣諸島や軍隊の問題、また経済や教育やその他覚え切れないほどの課題を、これまた覚えきれないほどの旧党や新党がお互いを罵り合っている。
普通の神経の持ち主なら誰が何を主張しているのか分からなくなるだろう。私に言わせれば、自党の主張や力点を説明するだけですでに十分であり、他党の悪口はよほ事実と違っていたり時間が余っている場合以外は、話さない方がよい。意見や主張が間違っているかどうかは、実は選挙民が考えることであり、他党による解説入りの悪口は迷惑旋盤だ。選挙民を馬鹿にしている、としか言いようが無い。要するに大きなお世話なのだ。

よく考えてみると、選挙演説の公約の多くはそれぞれ相互に関係し合っているようだ。予算、重要度、政治に対する姿勢、国際政治力、軍備や対外的交渉力、地球環境などをもう一方の横軸(横糸)とすると、選挙公約は縦軸(縦糸)で、両方を結んだ多数の点はできる限り中央に集まってもらいたい。そこにこそ日本の政府が見えてくる筈なのだ。私は見たいのである。蜘蛛の巣の中央にいる蜘蛛君のように。しかし、横糸・縦糸そしてその張力の中心には、蜘蛛である日本が見えてこないのだ。しかもこの蜘蛛の巣はまだ一匹の虫(選挙民)も捕まえていないようだ。蜘蛛も虫もいないのでは、蜘蛛の巣とはいえない。日本は本当にあるのだろうか。私の期待している日本のことをいっているのだ。日本があれば、そのうしろに青い空(将来)も見えてくるだろう。

しかし悲しい、私は悲しいのだ。その見えない日本を支えている国民がいるという事実があることが悲しいのだ。各言う私も海外にいて、総領事舘の用紙に記入して投票している一人なのだ。なんとも救いがたい状況だ。
自分で住宅、都市交通網、食料、ハンティング、建設と維持産業を一人で責任のを持って遂行している蜘蛛君、偉いものだ。自分の主張を平気で忘れて、無責任行政に励む日本の政府よりは、何処から見ても蜘蛛君のほうが偉い、と思うのは私だけでなないだろう。私だけではないことを望んでいるのだ。嗚呼、蜘蛛の巣と蜘蛛君が羨ましい。

2012年12月1日 無いものねだりの引退男、岸本雄二



◆今月の隆眼−古磯隆生(http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant

−移住生活・その9−

今年の冬は例年になく寒い寒い冬です。太陽の恵みがひとしお有り難く思われる日々が続きます。そんな中にも樹木に芽吹きが見られ、自然の営み、生あるものの力強さを感じさせられます。やがて春が来る…。
以前にも少し触れましたが、“自然を求める”生活と“自然の中に居る”生活との違いはふとした日常の中にも実感されます。先日、ウッドデッキに積んでおいたストーブ用の薪を手に取ったところ、寒さから身を守るためでしょう、9匹のテントウムシが菱形状に身を寄せ合って佇んでいるのを見つけました(写真貼付)。
この合理的、幾何学的配列には驚かされました。ちょっとした感動すら覚えました。

都会に居るときは、“自然を求めること”に敏感でした。“眺める自然”を求め、街の中に少しでも緑をと歩き回りました。“眺める自然”は都市空間を快適に過ごすための必要な設えです。その限りに於いては自然はいわば制御可能な“共存”の対象です。“設えられた自然”の中では“制御出来る自然”との発想、感覚が芽生えます。心地よい自然です。しかし、“3.11”は自然が共存の対象のみではなく、脅威の対象であることも見せつけました。古来よりの自然に対する畏怖の念を思い起こさせました。
白州に移住して以来、様々に自然に接するにつけ、自然の奥深さが感じとられるようになりました。雄大な山々に囲まれた自然の中では人間は小さいとも感じます。自然に対する祈りのような感情もわかるような気もします。自然に対する意識の変化です。
“自然の中に居る生活”では人間が自然に抱かれて生きていることが実感させられます。特に冬の時期は寒さに耐え、じっと春を待つ(芽吹く時期は人によってはきつい時間帯でもあります)…そんな生活を受け容れることになります。その寒さの中でも小鳥達の姿、猿の群、雪の上に見る鹿の足跡…生き物達の逞しさ、生命力を感じます。
自然に抱かれているという感覚を忘れてはならない、思い上がってはならない。



◆今月の山中事情82回−榎本久・宇ぜん亭主

−雪国−

新潟に住む弟がいる。「本庄早稲田駅」から新幹線で二時間もかからずに行った。途中「越後湯沢駅」の構内は粉雪が吹きすさび、川端康成の「雪国」の描写そのものだったのだが、なにしろ新幹線なので、その余韻を持ち続ける間もなく、新潟平野に出て、空は青空になっていた。前日まではその平野あたりも大雪だったと後で聞いた。冬型の日本列島の関東平野は昔から嘘のようにいつも「ピーカン」で、雪国から出てきた私にとってはひたすら有り難いことです。
と言うのは、我々にとって雪は遊ぶ相手ではなく闘う相手だったからだ。

新潟の北方、山形から上京した昭和四十年代初頭の私達にとって、それはまるで海外にでも行くようなことだった。今のように旅行目的で来ることより、修学旅行、就職ぐらいのことだったからだ。その交通手段とてSL以外なかった。その道程を二十年ぶりに通ったのである。

春の三月はまだ冬である。連日の雪空は暗く、就職の列車も暗かった。SLの黒煙も空に同化し、希望というものが蹴ちらされたように一緒に黒煙の中に入っていった。私は車窓を流れる景色を無感動で見ていたようだ。そしてその感情は越後湯沢あたりで最高潮に達し、学生服の詰めえりがにわかにきつく感じた。
ところが、川端描くところのその反対をSLが抜けると陽光が燦々と降りそそぐ関東平野に出て、荒んだその気持ちが一転、今度は雪が溶け出すように明るくなった。誰一人として知る者の居ない大東京に向かう少年の三月だった。

しばらく振りの新潟行きはまたしても遠い記憶を呼び起こし、現下は諸々の現象が進化した中にあって、その恩恵を有り難く、余すことなく享受しているにもかかわらず、遠い過去の苦労や喜びがこの鉄路によってとてつもなく大きな懐かしさをもたらされ、それをたぐって行くとその時代にたどり着く錯覚を覚えた。周囲はそんなことには無関係な人ばかりなのだが、その時代の証言者だとばかりに大声を上げたい衝動にかられた。とは言えど、その時代を否定することなどは出来ず、徒に懐かしさに溺れていた。
ふる里にはほとんどこうして新潟経由で往還していた。従って新潟も又ふる里である。「雪国」の駒子に会えなかったのは、矢のごとく突っ走る新幹線に乗ったからだと思ったりしている。

宇ぜんホームページ
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