★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.117


オリンピック、パラリンピックが終わりました。
ナショナリズムを喚起させる時間帯でもありました。

領有権問題、ナショナリズムを煽る時間帯にならねばよいが…。

白州では稲の穂が黄色くなり垂れてきました。
その一方で、例年に無くこの地域に雨が降らず、農家の方々は危機感を
募らせています。
昨年以来、“日常”であることの有り難さを意識する日々です。

ほっと?する写真貼付。
では《Ryuの目・Ⅱ−no.117》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

−役に立つ− 野田首相に一言

私は自分が他人の「役に立った」と感じたそのときに充実感を味わい自分の価値を意識できる。自分が「役に立つ」ための環境を整えることは、より一層役に立つための必要条件となるので、当然のこと、最良の状況作成に力を注ぎたいし、そういう自分を鼓舞激励したいと思う。このような見方は建築設計の方法論と極似している。施主 (他人)のためになる建築の条件は、(1)施主が示した目的のために如何にその建築が「役立つか」、(2)施主と建築の使用者がその建築を使って、如何に「自信と誇り」を持って創造的な仕事を効率的にこなせるか。そして究極的には(3)如何にこの建築とその中で行なわれる仕事が社会のために「役立つ」か、である。このような見方は恐らく、私の長い建築人生で育んだものであろう。しかし、一般の仕事に関しても同じようなことが言える筈である。科学者、哲学者、芸術家、政治家、主婦、実業家、プロ・スポーツ、等、人間の様々の活動は、この観点から述べると可能性が見えてくる。
先ず現実の問題から始めてみよう。尖閣諸島問題(日本と中国)、竹島問題(日本と韓国)、北方領土問題(日本とロシア)、拉致問題テポドン(日本と北朝鮮)、沖縄基地問題(日本とアメリカ)等々は日本にとっての大問題であり、全て外国と接触する問題だ。国際的にも日本がこれらの問題をどのように対処していくか、大いに興味のあるところであろう。日本は、当然、毅然とした態度で「自信と誇り」を持って自国の思うところを明確に主張して譲らずの態度を示し、二国間の交渉などという言葉を初めから仄めかすなどもっての外だ。
これら全てに関する共通項は「問題」という言葉だ。多分難しい問題と見なしているからだろう。難しくて当たり前である。しかし、一転してこれを問題解決の「機会」と見なせば、問題が解決策を創り出す「絶好のチャンス」に転換するはずだ。即ち、日本の政府はこんなに多くの機会に恵まれているといえてくる。アイディアが豊富で責任感が強く誇り高い人であれば、日本の政府を羨ましく思うかもしれない。数あるアイディアの中から最適なものを解決策として選び、それを実行に移し、首尾よく成功して一件落着となる場合もあるだろう。また逆に思いも寄らない事態が発生して大失態を引き起こしてしまう場合だってある。
問題解決にチャレンジすることは、常に責任問題と隣り合わせとなる。実は、多くの成功例をよく観察すると、失敗と背中合背の状態から、成功の鍵を探し出し、危機一髪のような際どい状況を乗り越えて成功へと辿り着くわけだ。力強い気構えと度胸とで問題解決に臨み、ハッピーエンドへと導けば「成功した」といえうだろう。心が高揚する瞬間だ。
怠け者でアイディアにも乏しく何もしないような人にとっては、失敗して責任を取る必要もない代わりに成功の機会にも恵まれない。要するに「役に立たない」人である。残念ながら「役に立たない」人がマジョリティを占めているのがこの世の中だ。しかし、成功を欲しているのもマジョリティである。成功に辿り着くためには当然多くの参加者の協力が必要だ。これは個人的な仕事と考えられがちな学究的研究でさえも、その殆どの場合が複数のひとたちの協力があって初めて成功へと導かれるのが普通である。私はこれを「コラボレーション」と呼んでいる。
当然「コラボレーション」が有効に作用するためには相互のコミュニケーションがスムーズに行なわれなければならない。ここに相互理解のための共通言語が必要とされるが、それは次の機会に譲る。
「コラボレーション」では同じ職種の重複は出来る限り避けたい。そして協力者一人一人の能力が最大限に発揮され、その結果には責任を持つことが期待されるような仕組みにしたほうがよい。要するに参加者全員が「役に立つ」協力者となり、仕事を楽しめる環境にする必要がある。当然失敗することもあろうが、その場合も失敗の原因追及が効率よく徹底的に行なわれ、再び挑戦したくなるように仕向けたらよい。
日本では、堀江もんがのたまって以来「想定外」と言う表現が普及して、これを盾にして言い訳をしたり隠れ蓑にしている人をみかけるが、生命の安全を目的として計画を立てている場合に「想定外」があってもらいたくない。地震津波、火事や交通事故などにたいする安全性を考える時には、最悪の状態を想定するのは当然である。そうすると直ぐに100%の安全などはありえない、と言う人が出てくる。太陽系の回転に異変をきたしたり、地球が爆発を起こしたり、突然5回目の氷河時代が訪れたり、というような人知の及ばないスケールの「想定外」の異変に関して言っているのではない。では、どのようなスケール内の想定をいっているのであろうか。私の直感で言わせてもらえるなら、一万年という時間的スケール内で、今まで起きた事故(地球上の自然的、人工的)の中で最悪の場合の2倍を想定すればよい、と考えている。自然災害、火災、交通事故(水中、地上、空中)、汚染、資源と人口の割合、その他考えれるすべての問題について、それらの価値を十分に検討して現代技術と知性が想定し得る最悪の状態の2倍を安全度100%(実際はそれ以下)と決めればよい。そうすれば、絶対に墜落しない飛行機は飛べない、などど意味のない反発を繰り返す必要がなくなる。
それでは、ここで、対外的な国際「問題」において、何を想定して国民の利益と安全を考えて「想定内」と呼べるような基準を決めればよいのだろうか。日本の文化、伝統になかで「切腹(自殺)をすればことが解決される」とする価値観が国際的には通用しないことから始めよう。自分の命と引き換えに相当数の人の命が救われるなら、それは人命尊重の人道的行為になるので、犠牲的精神の現われとして尊敬されるが、自分の身の潔白を証明したり、悪事を悔い改めるために自殺をすることは、国際的には、特にキリスト教の道徳が強い文化圏では、意志の弱い人がする行為、と受け取られる。この意志の弱さは憐憫を呼びお越しはするが決して尊敬はされない、むしろ蔑まされると考えて間違えない。自殺でなくとも、息詰まった状況に終止符を打つ打開策として辞任を選べば、弱者の代名詞になってしまう。外国では、安部・福田・麻生・鳩山各首相はそういう目でみられているのである。恐らく日本国内でも同じであろう。ドジョウの野田首相は果たしてどうであろうか。誠心誠意のドジョウは、やはりドジョウ以上ではなかったようである。国際感覚がなく、アイディアがなく哲学のない人はやはり指導者になってはいけないのである。これらの「駄目」 指導者たちを選んだのは誰であろうか。
責任問題である。野党が何と言おうと絶対に辞めず、それを間接的にでも選んだ国民は、それこそ最後までドジョウ首相をサポートしていく、そのような心構えがなければ選挙民としての資格が疑われても仕方がない。疑われないためには国民は全力投球で対外的領土問題に対処する首相をサポートしていかなければならない。日本の土地であると信じるなら、戦争もやむなしの覚悟でことに挑むしかない。昔なら、領土問題は戦争の一大原因であった。我が家に隣人が来て表札を勝手に変えて 「お宅は出て行ってもらいたい」 といわれたら、「交渉して、平和裏に解決したい」、などと悠長なことを言ってはいられない。むしろ「ふざけるな」である。この「ふざけるな」を国際的にどのように表現して、国際的な同情を得たらよいか、などといっているのではない。国際的には「大人の方法」で、愛国の心を深く秘めて、正々堂々と主張し、最終的には命(国命)を賭して結果を得る、ということだ。その気概がないのなら、恥をかかないためにもあまり騒がないでもらいたい。
では、「大人の方法」とは何であろうか。先ずは、最高の「コラボレーション」を得て、歴史的に、国際的に、哲学的に、文明論的に、しっかりとした思想体系を組んでもらいたい。政治家ができないというなら、日本の英知を集合し、最高の頭脳と国際感覚を領土問題に集中して理論体系を創り上げ、誰が観ても理解でき、誇りを持って相手国に提出できるような主張内容を先ず国民に示すところから始めてもらいたい。全国民の合意を得る必要はない。内容が立派で正しければ、たとえマイノリティー(少数派)の意見でもよいのである。これが「大人の方法」であると考える。この文明論的理論体系を創り上げるには大変な指導力が必要となる。日本の政府はこの機会を逃してはならない。立派な内容の主張ができれば、当然国際的な注目を得て、日本の主張にたいする尊敬の念を込めた各種の意見が各国から、また各知的指導者たちから表明されるだろう。賛成とか、反対が問題なのではない。日本の主張たいする真剣な意見の数々が国際的に表明されることが重要なのである。
この主張を立案した日本の知性は、日本に誇りと自信とをよび戻すのに役に立つだけではなしに、国際的な相互理解のためにも大いに役立つのである。これは、日本の価値を国際的に高めるだけではなしに、これから日本が国際的に指導的立場に立つために役立つであろう。このようなWin−Winの機会が目の前にあるのである。しかも幾つもあるのであるから、これを活用しない話しはない。
東京都が所有するとかしないとかいう問題ではない。日本が国際的に羽ばたける機会に繋がるかもしれないのだ。ドジョウの野田首相殿、ご理解いただけるでしょうか。日本のために、国際社会のために、そして何よりもご自分のために「役にたってみては如何ですか」。
2012年9月3日 岸本雄二


◆今月の隆眼−古磯隆生(http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant

−移住生活・その6…畑−

地元の方から30坪程の畑を借り、妻による畑作りが動き出しました。30坪の広さを実際に見てみるとなかなかの広さで、この畝作りはそれなりの力仕事になりそうで結構大変そうです。“いわゆる田舎暮らし”を求めての移住ではなかったにせよ、妻の畝作りの作業くらいは手伝はないと夫婦関係にうまくないだろうな…、見かねて私はやむなく手伝うハメになりました。でもこれは“呼び水”でした。
馴れない作業で体のあちこちが痛くなりはしましたが、畝作りはそれなりに進みました。当初の予定だった畝作りが一通り終わると、さて何を植えるのだろうか…まあ当然の成り行きで、妻が何を栽培するのか気になります。近所の方や種屋さんから集めた時期の種や苗の情報をもとに、日常的に食すであろうものを栽培することになりました。ジャガイモ、ナス、トマト、キュウリ、ツルナシインゲン、サトイモ、ショウガ、ネギ、ピーマン、オクラ、エダマメ…まずは夏野菜。近所の方や知り合いから、ジャガイモ・サトイモの種芋、トマト・エダマメの苗をもらい、その他は種屋さんで購入し、時期を見ながらそれぞれの植え込み開始。植え込みには子供達も参加。
なにしろ生まれて初めての経験ですから、何をどうして良いのやら…聞きかじり、読みかじりしながらの手探り作業です。水遣り、虫取り、草取り、肥料遣り(勿論、化学肥料は使いません)、トマトの雨除け、キュウリの棚、等々、やってみるとなかなか手間の掛かることばかり……が、不思議なことに、畑作業することに“違和感”が感じられません!!黙々と作業を進めることが苦になりません!!。

こうして、畝作りだけの手伝いのつもりが…段々と“はまって”行き…日常生活の中に畑仕事が加わりました。朝8時くらいから1〜2時間畑の作業をし、10時ころから自分の仕事に取り掛かる。そんな生活のリズムが出来てきました。
なかなか良いペースです。
しばらく経ってから徐々に収穫が始まりました。ナス、キュウリ、ジャガイモ、インゲン、トマト、オクラ…やはり自分達で作った野菜は格別に旨い!!子供や親戚にもお裾分け。毎日少しずつ採取したものが食卓にのぼる、自ずと夕食のおかずは野菜が主流になり、食生活にも変化が現れました。そして、来客には自家製野菜でのもてなしです。
これは思いもしなかった“移住効果”です。



◆今月の山中事情77回−榎本久・宇ぜん亭主

−行灯まつり−

八月十六日はお盆の最後の日だ。亡くなった方々を送る行事「送り盆」のまつりが各地で行われる。ここ秩父では「行灯まつり」として市、商店会、観光協会の主催で市営聖地公園で、しめやかにそして華やかな花火の打上で終了した。私は初めてこの「行灯まつり」に出かけた。三万数千人が眠る公園墓地は全面芝生が敷きつめられ、各墓石の前には「行灯」が置かれている。大小無数の「行灯」は各通路の両側にもかけられ、思い思いの絵や書が描かれていて、見る者を別の世界に引き込む。午後七時三十分、ようやくにして陽が落ち、周囲が暗くなった。
「お焚き上げ」が始まった。卒塔婆やお盆中の飾りものを燃やす儀式だ。直径約五メートル。高さ約四メートルのその塊に火が放たれ、大きなオレンジ色の火柱が暗い天空に垂直に立ったり、ゆらめいたりした。それは亡き者の喜び、悲しみ、苦しみ、はたまた怨念さえ見たように思えた。その間「秩父屋台囃子」の太鼓の音が鳴り響き、それぞれを鼓舞し続けた。(場内アナウンスで知ったのだが、この囃子太鼓は世界的にもつとに有名で、国の文化財に指定されているとのこと。太鼓奏者には多大な影響を与えているらしい)周囲は完全に闇となり「各行灯」のローソクに火がつけられた。アルバイトの学生がその任にあるのだが、夥しい数に点火する中腰の作業は大変だ。だがそのおかげで、無数の「行灯」のほのかなあかりは誠に幻想的であった。各自の墓の前では、三時、四時の早い夕刻から死者と共に過ごしたことを思い出しているのであろうか、まるで茶の間のように談笑したり、寝ころんだり、酒を飲み料理を食べ、まるで死者もそこにいるかのようなのである。そのようにして八時の花火の打上を待っていた。ふと私は沖縄で行われるその種の行事を思い出した。黄縄ではお盆のみならず、仏事は何ごとも亀甲墓の前庭で死者と共に盛大にその行事をする。最初はそのようなやり方に多生の違和感を抱いたが、改めてここでのそのシーンを見て、共通することに心が動き、死者との一体感を思わずには居られなくなった。これまで私の行ってきた仏事は極めて形式的だったようで、死者にどれほどの思いを込めていたかを問えば、ここで感じたこととはずい分隔たりがあったように思う。(そうしたくとも物理的に出来ない事情もあるのだが)
一つの行事は、参加した者に大きな余韻を残して無事終了したが、このような体験をこの年令ですることによって戸惑ってもいる。だが宗教とか信仰とかを超越した人間の根元的なことを私に与えてくれた夜でもあった。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/