★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.111


東日本大震災から一年が経過しました。
被災地の苛立ちが聞こえてきます。

想像を絶した光景から何が学び取られたか?
便利さに盲進する現代社会は不変か?

朝日新聞のコラム「プロメテウスの罠」は原発事故に対するこの国の危機管理能力(体制)のお粗末さを伝えていました。

制御しきれないことが露呈した原発
なのに原発に頼らない社会の方向性は不明。

宇ぜんの榎本氏よりいただいた福寿草が顔を出しました(写真添付)。
寒かった白州にも春の訪れです。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.111》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は佐貫惠吉さんです。
        前回の「胃ろうについて」の話題に意見を寄せていただきました。

鎌倉で内科・胃腸科を標榜して23年間開業医をしています。開業す る前は消化器外科の勤務医でしたから、その当時胃瘻を 造ったこと はあり ますが、それが最近寝たきり老人の重要な延命手段としてかな り普及しているらしいことを知って驚いています。
記憶に新しい事例を出しましょう。年末押し詰まって亡くなった患者さんの例ですが、私が肺癌と嚥下障害で病院に紹介した方です。肺癌が拡がり食道を外から圧迫し、口から食べられなくなっていました。このための低栄養だけでなく、すでに肺癌が全身に転移し、急速に衰弱していました。病院の主治医は、麻薬による除痛と栄養経路の確保、この二つに絞って対策を立てたようです。妥当なところです。後者については、食道拡張術か胃瘻造設か、と提案したそう ですが、患者さんは 朦朧とした意識の中で、やはり(死ぬ前に)少しでも良いから口から食べたい、 と言われ、それではと困難な食道拡張術を行い、それ自体は幸いうまくいきましたがその数日後に亡くなった、との知らせがありました。

私が言いたいことは、胃瘻は、原因疾患があってそのために口から食べられなくなった患者に、一時的(あるいは姑息的)に採りうる外科手術の一つだと言うことです。「一時的」と言うのは、原因疾患の治療がうまくいけば、ふたたび口から食べるために造った胃瘻を塞ぎ元に戻すことができ、 あるいは原因疾患が治癒せず不幸な転帰をとった場合には、それが結果的に「一時的」だった、とみなすことになるから です。
「原因疾患があって、そのために余儀なくさせられた一時的手段」ということからさらに 踏み込んで言えば、人が生 まれついて持っている本来の生理的経路を人工的に変更するのは、この「余儀なくさせられた」原因があって初めて合理的医療手段として許される、というこ となのです。外科医は何をしても許される、と言うことではありませんし、人か ら要求されれば外科医としての倫理基準もなく手術して良いのか、と問われればそうではありません。
生理的な老化との境界が曖昧な老人性痴呆をこの「原因疾患」とすることは、少なくとも私の外科医時代には考えられないことでした。私は今でも 合理的医療手段としては許されないことだと考えていますし、また、医学医療が科学である以上、科学として世界的に共通な価値基準がありますから、 日本だけで通用する地域的特殊性として許されるのかどうか、社会の特殊性に踏み込んで問うてみることも大事だと思います。   
必要があれば、いつ、どのようにこれが通用するようになったのか遡って調査 し、その時期の医師、行政、とりわけ国の意見や動きを明らかにすべきだろうと思います。ご承知のように、保険診療として承認される医療行為は中医協中央社会保険医療協議会)で決め厚生労働省から告示される「診療報酬点数表」に収載されています。詳しくはともかく、「胃瘻造設術」は何点、と言う記載です。
記載はそれだけで、実際の運用の適否は「点数表の解釈」ということになります。

例えば、先ほどの原因疾患として上部消化管の悪性疾患や脳卒中後遺症 などの病名記載があれば、それは査定されずに済 んだでしょうが、原因病名記載なしあるいは不明確な「嚥下障害」だけでも査定されなくなった転換点がきっとあるはずです。現在、このような胃瘻造設は保険適用される診療 行為としては認められない、よって自費 で行うべし、という医師も一定数います。当時もいたはずですし、レセプトの審査員の医師にもいて請求が却下されたケースもあるはずです。そして、そのよ うな却下に対する医療機関側の疑義が出されやりとりがあったはずです。もちろんレセプト審査を巡っては、これは純粋に医療費に関わることですから「医学」というより「経済」 の要素が強く、医学的判断が正しく議論されることはあまりないようです。しか し、社会のこの問題のとらえ方を推測するのには一つの指標だと考えます。
時期としては、老人医療の質的転換を画した介護保険制度の導入前後だと思われます。それまで俗に言う老人病院には寝たきり老人が多く収容さ れ、経口摂取できない患者に対して行われた医療処置としては、中心静脈栄養、経鼻栄養があり、一部に胃瘻が行われていたと推測できます。老人病院 から医療費削減を目的に多くの老人患者が出されていく時期がありました。収容先は殆ど介護施設になるわけですが、介護施設医療機関ではありません。中心静脈栄養はもちろん医療処置であり、鼻腔を経由した経管栄養はチューブを患者が抜いてしまうことが多 く、再挿入は医療行為ですから、それを介護施設で認めるわけにはいかなかったのでしょう。残ったのが胃瘻、ということになります。
胃瘻チューブからの濃厚流動食の注入を医療行為と見 なさない明確な判断がなされた時期があるはずです。入所前に胃瘻が造られていれば、後は経口の生理的食餌摂取に「準ずる」という内容 で、詭弁と言うほかありませんが、非医療機関でも承認することにしたのだと推測できます。  

私は、医師として「賛同できないこと」が一般的になってしまった今になって”終末期医療にたいして「治療の差し控えや撤退 も選択肢」とする”と出すことが学会の任務だとは思えません。なぜそういうことを許してしまったのか、医療機関や行政、とりわけ医師は自らを省みるべきだと思います。そもそも医師の承諾や同意なくして外科手術としての胃瘻造設はできないのです。

さて、コメントが紹介された医師はこれまで1000例もの胃瘻を造ったと語っています。こういう医師はそう多くはいないでしょう。「その道のプロ」ということになります。だからこの医師の考えや発言は重要で、深く掘り下げなければなりません。(この医師は外科医かどうか知っておきたいところです)
この医師は「.............その当該患者さんの遺族年金等で生計を立てている家族が、年金を今後も出来る限り長く受け取るために胃瘻造設を希望している場合がある..............」と語っています。年金は本来、受給者本人(と配偶者)の生活を支えるためのものです。世代の異なる家族があてにするのは本来の姿ではありません。もし仕方なく現実を追認し、許されるとすれば、施設に入れず自宅で介護し家族全員がそれに当たらざるを得ないケースに限られると思います。(もちろん胃瘻造設 の当否は別です)この医師は「家族の思いは様々です」の一言に価値判断を 回避しているようですが、二つのグループの間に彼にとっての評価の違いがあることははっき りしています。後者の方を好ましくないものと見た時点で、この医師はやむなしと 考えたのでしょうが、それでは彼は具体的に(上に書いたのが一例ですが)何が問題で何をやむなしと考えたのでしょうか?それは不明です。むしろ踏み込まない、知って知ら ぬふり、という姿勢だけがはっきりしています。

読んで気づかれた方も多いと思いますが、この中には「家族の思い」は書かれていても「本人の意志」は一言も書かれていません。「意思表示できない状態だから当然」と切り捨ててはいけません。終末期の延命手段は、本人の意志、それが確認できない場合は、本人のそれまでの言動から考えて推察すべきもの、とされています。当然のことのように本人の意思確認がおろそかにされている現実こそ、胃瘻が何のためのものか、逆に語っていると考えられます。
終末期医療に限らず、本人が自分の意志を(たとえ出来ても)明確に表明しないケースはざらにあります。私自身、家族の意志があたかも本人の意志かのように伝えられ困惑した経験は山ほどあります。個人が自分の意見を自由に、そして 確固として明らかにして生きていくこと、このことが日本の教育でいまだ最重要のものと考えられてはいません。だから社会で尊重されているようには見えません。人間は一人で生まれて一人で死んでいきます。 終末期の考え方すら個人の中に確立していない社会は問題のある社会だと考えています。   
個人と他人(家族)の関係、年金とは?など避けて通れない問題を逃げることなく取り組んでいかねばなりません。

最後に、この医師の発言の締めくくりに「家族が希望されればこれからも胃瘻造設していきます。私が患者の立場だったら絶対に胃瘻なんて造設希望しません。」とありますね。皆さん、これについてどう思われますか?「黄金律」というのをご存じでしょうか?古今東西貫いて、宗教や道徳で表明される倫理的規範のことで、「己の欲せざるところ、他に施すことな かれ」(「論語」)、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(「マタイによる福音書」)という言葉は聞いたことがあると思います。
日本人のことを「倫理なき民族」と評されていることは知っていますが、これほどまでの明確な非倫理的発言は始めて聞きます。冷静に考えれば、倫理観の希薄な社会だからこそ、社会的には信頼されている医師の中にこういう人が出てきてしまう、とい うことなのでしょうね。結局、今回取り上げられている深刻なテーマの全てを本当に扱えるようになるに は、社会各層での何世代も続く真剣な格闘が必要、ということになります。


◆今月の隆眼−古磯隆生

−移住生活・その2−

白州に移住してから、東京−白州を毎週行ったり来たりの生活が始まりました。3年近く経過した現在もこの状況に基本的に変わりはありません。東京半分、白州半分といったところです。
東京への移動手段は電車、バス、車の3つです。移住当初は中央本線の特急電車(あずさ:松本−新宿)を主に利用していました。自宅から小淵沢駅まで車で20分程。小淵沢から立川までおよそ一時間半。6枚綴りの回数券を使用します。朝夕の通勤時間帯はほぼ満席になりますから、長距離通勤族がそれなりにいることを意味します。バスの場合は新宿行きの高速バス(2010年運行開始)があります。自宅から車で数分のところに始発のバス停があり、新宿までおよそ3時間。但し一日一往復。出発時間が朝早い(6時台)のでバスの中ではどうしても居眠りが多くなり、外の景色はあまり目に入りません。白州に向かう便は夕方なのですぐに日が暮れてしまいます。乗客はまだ少なく、いつまで運行が続くのかいささか不安です。車の場合は、中央高速道を利用します。インターチェンジは、一番近いのは「須玉」です。「須玉」から自宅まで20分弱。他に「韮崎」か「勝沼」を利用しますが、時間と料金の兼ね合いで都度決めています。

ところがこの“特急電車・高速バス・高速道”は、何事にもスピーディーさを価値基準に置くいわば都市生活感覚の延長線上にあるのではと感じるようになりました。移住から1年半が経過した頃だったでしょうか、ちょっとしたきっかけでローカル線(各駅停車)を利用する機会がありました。これが実に良かった。
“時間がゆっくり流れる”…そんな感覚にとらわれました。
ゆっくりした速度は、移り変わる風景をゆっくり楽しむことが出来ます。そしてその風景を眺めながら、この地の人々はどんな暮らしをしてるのだろうか…と、目に見えるその風景の背後(向こうにあるもの)に様々に想いを及ぼしていました。以来、移動に時間の制約が余りない場合は各駅停車のローカル線を利用することにしています。アイデアを練る、思索する、想像する、あるいは講義の準備をしたり、と実にいい時間帯です。ローカル線の電車での時間・スピードが思考にぴったり…これは大きな発見でした。
これに味を覚え、車で移動する場合も高速道路を止めて一般道で移動してみました。甲州街道(国道20号線)を利用しますが、これがまた楽しい。道路は様々にうねり、景色が移り変わります。かつての宿場町の面影を残した街並みや新しい街並み(日本のまちづくりが考えさせられます)、川の流れや山々、季節の流れは様々な色彩を目に運んでくれます。街道沿いのラーメン屋の“食べ歩き”も楽しみのひとつ。

それなりに年齢を重ねたことによるからなのでしょうか、移住によって東京というオバケの様な都市空間の中での“スピーディー”な活動から一歩距離を置いてみると、“スピーディー”ゆえに見落としてきたものが多々感じられ、また、それまで意識しなかった“身の丈に合った”時間の流れの重要さが感じられます。


◆今月の山中事情71回−榎本久・宇ぜん亭主

−又春が来た−

秩父にて開店して二ヶ月。春、夏、秋、冬を無為に過ごして、再び春を迎え、あげくにのんびりした気分(喜々と行動的に出来ない為)で仕事のようでそうでないような日々を送っている。
目前(約十メートル)を秩父鉄道の車輌が行き交っている。JRのお下がりで、中央線を走っていたオレンジ色の電車が横切ったり、京浜東北を走っていたブルーの車輌が通る。少なくとも五〇年前から走っているという自前のあずき色の車輌や、西武線の乗り入れで池袋直通の車輌も通る。赤・青・あずき色の電気機関車が引っぱる貨物列車、土・日・祭に一往復だけ走る蒸気機関車(SL)等地方都市の路線とは思えないダイヤが組まれている。
ここの土地を買い、この光景を見たとたん、私は店のレイアウトがすかさずひらめいた。鉄道マニアではないが、隠れ“鉄ちゃん”のごとく窓の外のその景色を毎日見ている。居ながらにしてSLを見ることが出来るからである。
ところで、世の乗りものは流線型が主流のようだ。スピードを速くすることが命題だからだ。だが、四角なSLは新幹線の1/3しかスピードが出ない。様々な条件でSLは時代にそぐわない乗りものとして葬られた。ここを走るSLは変わらず黒く四角な風貌である。何か近づきがたい畏れのようなものを感じる。
白く吐く蒸気や煙突からでる黒い太い煙。それはあの黒の物体の中に巨大な得体の知れない生き物によって成されているのではないかとさえ思う。私達の子供の頃はあちこちでSLに出逢った。SLは暮らしの中に当然のようにあった。
乗りものと言えばSLに勝るものは無かった。ノスタルジーはSLが通るたびに頭のてっぺんまで感じてしまう。何度見ても思いは同じだ。それが体現出来ることを喜んでいる。SLの停車駅でない「和銅黒谷駅」だが、前述のごとくスピードが売りものではないSLだけに、当店前の通過はいたって緩やかで乗車客との一体感を共有出来る。停車駅はそれなりの人混みとなるが「和銅黒谷駅」がそうでないのが私にはかえって良いような気がする。通過の際当店を発見し、いつかその方が訪ねて来て下さることをひそかに願っている。今度の店は駅裏に位置し、飯能の店とは趣を異にする。ローカルとは言え、駅より三分は得がたいロケーションである。
目をもう少し奥に移せば、里山がせまり、こんもりした、おだやかな山がまるで「日本むかしばなし」にでも出てきそうな風情だ。家の裏側を数分ほど歩けば荒川である。東京に流れつく川だ。川原にそそぐ太陽はやさしく、流れる水も清く、磨かれた色とりどりの小石を拾ったりしていると時間を忘れる。水切りショットで運動まがいのこともしている。大自然をモデルに絵を描いたり写真を撮ったりする人には一日中いても飽きないだろう。
農協の出店にもいよいよ採れたての野菜が山になって来た。野のもの、山のものが午前中にはあらかた無くなる。地元の方々が作ったものは新鮮で顔が分かるので安心なのであろう。遠くの街からそれを目当てに来るのである。もっともこの現象は全国津々浦々同じようであるが…。もう少し経ったら村中花だらけのところを訪ねる予定だ。今年も変わらず静かでおだやかな時間がながれるだろう。丹精を込められて造られた花々が出迎えてくれるからだ。

  宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆様々情報

前回の「胃ろうについて」の話に感想をいただきましたので紹介します。

◇この問題は、医学全体の問題でもあり、保険制度など、医療全般に渉る問題だと思います。医者と患者は相互が必要とするコラボレーションの関係にあると考えます。双方が相手の状況や技能を必要としているときに成り立ちます。
片方がその能力を失った場合には、周りの人が本人(患者)の意思かどうかを見極める必要があり、それがない場合には(例えば遺書がない場合)、医者がコラボレーションの意思決定をしなければならないと考えます。政府や保険などから支給される資金を当てにしている周り(家族)がいるために医療が続けられるのは、人道的にも、政治上も、金銭的にも、道徳的にも明らかに違反行為であり、私は、人類の文明の程度をそのように低くは見たくない、と言うのが正直な考え方であり、私の感想です。職業には、誇りと責任感があってはじめて人間的(プロの人間)になれると思います。医者、弁護士、建築家を自由業の代表のようによくいいますが、誇りと責任感なしには、自由業にはなりえません。少しきつい感想になりましたが、正直に言わせていただきました。

◇今回の『胃瘻』『尊厳死』の話、倫理観、宗教観もあり難しい問題を抱えてますね 最近、業者の後期高齢の親が『胃瘻』で体力がもどり、その後『胃瘻』も外れて 元気だと聞きました数年前、友人の医者が私語として私に話しましたが「現状は 終末期高齢者の『生命維持装置』や『胃瘻』は医療としてするが、医者の意志は反映されない。今後ただ無意味(言葉が適切でないかも)に付けることが後期高齢者人口が大きな比率をしめた時に国家の課題になるだろう医者は、出来るだけ長 く延命できることが技術の証とはなる、これから先は無駄と判断したときも外 すことは出来ないこれからは、いかに人間らしく生き人間らしく死ぬかということをどうどうと口に出す医者が増えないとまずい」と言ってました遺族年金の為ただ生かす話は聞きますが、やはり人間は豊かな優しい気持ちやそこそこのお金がないと心寂しく賤しくなるものですね