★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.109

明けましておめでとうございます。
年が替わりました。震災を経て、何かが変わりつつあるのでしょうか?
被災地の復旧・復興にはまだまだ、膨大な時間が必要です。
気分を引き締めて、明るく!!
本年も宜しくお願いします。

「山中事情」でお馴染みの榎本さんの<宇ぜん>の復活・再開です!!
正丸峠から秩父の方へ移転。
店は6席のみで、完全予約制(木曜日、金曜日定休)とのことです。
開店は1月17日。
新店舗:埼玉県秩父市黒谷370-6
tel. & fax. 0494-26-6370
     秩父鉄道 黒谷駅

では《Ryuの目・Ⅱ−no.109》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

−霧子−

本当に静かだ。耳の中で血の流れる音が聞こえてくる。忘れられたように枯葉が舞い降りてきて耳のそばでひゅーっと啼いた。朝霧がゆっくりと動いている。見え隠れするこずえの黒い影がまた消えた。薄暗い乳白色がゆっくりと移動して少しむらがでてきたようだ。右ほおに風が触っている。私は林の中でじーっと佇んでいた。林の向こう側から少しずつ赤みがさして来た。イチゴとブルーベリーを混ぜた美味しそうなヨーグルトでイチゴが勢いを増してきて、朝焼けが次第に東と西の両側の雲に映え始めた。そうだ、走らなければ。

枯葉を踏みしめて一歩をガサっとだすと、静けさが「やめて」と泣いたのが聞こえた。と、右手の木の茂みかカサカサっと音を立てた。鹿の親子が走り去っていくのが見えた。三つの白いお尻が印象的であった。繁みを掻き分けて山道へ出て下り坂を少しスピードを上げながら走り始めた。初冬の早朝は空気がまことに美味しい。今まで鹿の親子も吸っていたヨーグルト色の大気を私も吸っているし、しかも同じように走っていることで鹿の仲間になったような気がしてくる。鹿の親子もそう感じているに違いない。突然霧が濃くなり、同時に小川のせせらぎの音が聞こえてきた。たぶん鹿の親子もここで水を飲んでいったのだろう。益々鹿みたいな気持ちになってきた。鹿はあまり音を立てないで走
るが、私もそのように走れないものだろうか。そうすれば膝にもよく、音なしの忍者のように動き回れるかもしれないし、いつかは鹿みたいになれるかもしれないのだ。もしその時がきたら鹿と話す話題を用意しておくべきだろう。教えてあげれるものがあったらもっと素晴らしいだろう。小川に沿って左へ降りていくと、遠くにきらっと光る湖の水が見えてきた。小さな橋を右に渡って小川の向こう側に着くと、道は少し登りになってきた。

舞台の幕が上がるように霧がサーっと引きだした。昇りつつある朝日が湖に眩しく輝いた。私の周りからはいつの間にかヨーグルトは消えていたが、向こう岸に見える林は逆光のためか影絵のようになっていて、その周りを暗い雲のような霧が漂っていた。水の上に這い出している霧に赤みを帯びた朝日が当たり日章旗のように輝いている。おっ!小さな生き物が水を飲んでいる。犬のようなシルエットだが多分コヨーテだろう。この辺には増えすぎた鹿の数を調整するために野生のコヨーテが放されていると聞いた。先ほどの鹿の親子がコヨーテに遭遇しないように、と祈りながら少し昇ったところで、急坂を湖へ走り降りていくのは爽快である。

先ほどの小川が流れ込んでいる湖べりへたどり着いた。ここにはまだ少しヨーグルトが漂っている。どうもこのせせらぎがヨーグルトを運んでくるらしい。まことに幻想的である。なぜか数人のニンフが半透明の白っぽい衣を肩からかけて水上5メートルのあたりで踊っている様子が目に浮かぶ。いや確かに舞っている。顔には微笑みさへ浮かべて舞っている。まるでモンシロチョウが群がっているようだ。霧の子供たちが孫悟空のように霧雲の中を上へ下へと自由に舞っているのだ。霧子の乱舞である。しかし静かだ。まったく音無しなのだ。
おっ、水を飲み終えたコヨーテが霧子の踊りの中に入り、じゃれているのかと思うと、いや一緒に踊っているようだ。テンポが合っているのだ。あっ、霧子がニコっとした。コヨーテが鹿と仲良く一緒におどりだした。私は走るのをやめて唯ジーっと見つめていた。たまらなく嬉しくなってきた。霧子、ありがとう。
2012年1月1日
幻想的な極楽、引退して間もないクレムソンにて、岸本雄二



◆今月の隆眼−古磯隆生

−住処探し・その24−

引っ越しの片付けも一通り終えた頃、千葉県の松戸から薪ストーブが運び込まれました。当初、薪ストーブはアメリカのバーモントキャスティングス社製の小型ストーブが建築工事の見積り内に含まれていたのですが、親しい友人から、性能的には断然北欧のストーブに限るとの助言があり、ストーブに全く素人の私としては自信に満ちたその助言を聞き入れることにし、変更することにしました。限られた予算の中で友人が紹介してくれたのはデンマークのスキャン社(アンデルセンストーブ)の輻射熱式シガータイプで、「みにくいアヒルの子」という愛称を持つ小型の可愛い鋳物ストーブです。ストーブ本体の後ろ側と底に、本体とは2センチほど離して鉄板が設けられており、それによって本体からの直接の熱を緩和する役目を果たしています。ですから、壁からの距離を適当(45センチ位)に設ければ、壁や床に耐火煉瓦等の耐熱材を設ける必要もな
く、インテリアデザインをスッキリとさせることが出来ます。

冬の暖房対策としては灯油を燃料とする床暖房設備を1階床全体に施しています。吹き抜けの空間を快適に楽しむには床暖房がベターです。しかし、北杜の冬の寒さを凌ぐにはこの床暖房以外の補助暖房も必要と考え、ストーブの設置となったわけです。

これまで薪ストーブ生活の経験はあまりありませんが、生活の中で火を見る設えには憧れていました。キャンプファイヤーの火、二月堂お水取りの松明の火…燃えてる火を息を凝らしてただじっと見入る。
以前このRyuの目で書きましたが、人が「火」に抱く憧憬の念が生命の根元のところに通底する何かがあることを感じさせてくれる。暖炉やストーブの火はわれわれの日常生活の中でこのような想いに耽る時空を提供してくれる装置のひとつでもあります。<用>としての「火」だけではなく、生命の根元に共鳴するものとしての「火」もまた生活のリズムの中では楽しめる要素のように思えます。

薪ストーブの設置は難なく終わりました。建築工事の段階で屋根を突き抜ける部分の煙突はセッティングされていましたから、後は本体と煙突を設置するだけでした。試し焚きはしませんでした。5月の陽気ではさすがに試し焚きは敬遠です。気分としては冬が待ち遠しい限りで…、結局、ストーブへの火入れはこの年の11月のカレーパーティー(私が三種類のカレーをスパイスから作ります。好評!!)の時に行われました。工事を担当してくれたKさんが枝木と薪を用意して下さり、着火。楽しみが加わりました。冬が待たれる思いです。
こうして移住・引っ越しに関しての諸々に一応の一区切りがつきました。移住生活の始まりです。

「住処探し」はここまでで一区切りとします。次回以降はその後の「移住生活」の話をしていきたいと思います。



◆今月の山中事情69回−榎本久・宇ぜん亭主

あけましておめでとうございます。
本年も拙文をお読み下さいますことよろしくお願い申し上げます。

旧臘一日、かねてより親交のあります駒沢大学芝崎先生のゼミに、二年続けて招かれました。一昨年は主に四年生の諸君、昨年は三年生の諸君に、市井に生きる者として(いわゆる彼等の先輩として)私ごとき者がその対象とされ、数時間質疑応答をいたしました。人様に語れるほどの人生ではない故、彼等に何ほどの教訓や示唆を与えたかを思い返すと誠にこそばゆく、羞恥甚だしきことでありましたが、大学というところに籍を置いたことのない私にとっては、その異空間が新鮮で、時間を経るごとに楽しい気持ちにさせられました。
私が持ち得るのは、六十四年間生きてきた(彼等の三倍)その時々のことと、この仕事の経験だけですが、今に生きる若者と同年代の頃の私とはどうしても平行的に話がつながらず、互いに理解することが難しい面もありましたが、そこは人間同士何かを感じ合うことは出来たようです。ゼミは五班に分かれ、各班平均五名。私への質問は多岐に渡り、答えに窮する場面もあったが、あらゆる局面にはストレートに対処して来たと答えた。
芝崎先生の専門は「国際関係」である。この途方もなく間口の広い分野は世の中で(世界中で)起き得るあらゆる事象を、分析、検証、追跡を通して学生諸君に知らしめることと伺った。その途方もないテーマを与えられる学生諸君は、全て英語による応答だと聞き、大学というところはやはり恐ろしいところだった。
駒沢大学には都合三度伺った。東大キャンパスには何度も行ったが、それはすべて仕事上のことであった。それゆえ駒沢キャンパスは、まるで大学関係者のそれであるかのような気分で、いい心地がした。
見ず知らずの私の半生を学生諸君は果たして何を感じたかは解りませんが、私の人生に於いても誠に貴重で有意義な経験をさせていただき、感謝をいたしているところです。
又新しい年になりました。ひたすら恙無く暮らせることが出来ることを祈念いたします。