★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.107

八ヶ岳は10月の終わり頃から11月にかけて紅葉の時期を迎えました。
女山の真っ黄色になるカラ松の黄葉は残念ながら今年は見ることが出来ませんでしたが、紅葉を満喫することは出来ました。
各地の紅葉は如何でしょうか?
清春芸術村(北杜市長坂町)の桜の紅葉をお届けします。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.107》をお楽しみ下さい。

◆今月の風 : 話題の提供は岸本 雄二さんです。
今年、クレムソン大学の教授職を退かれました。先日、その労をねぎらう会が
新宿で持たれました。

−トリプル・コンチェルト−

私は機会あるごとに「3C」の話をしてきた。言い換えるなら、協力(自力の3倍)・常識(共通の知恵)・想像力(創造力)の共演(饗宴)のことである。異なる能力を結集して部分の総和より大きな結果を創り出すことである。そのためには重複は避けなければならない。建築家(デザイナー)・技術者(構造設計など)・施主 (投資家)という関係の場合、原則的には最小限の各部署が最大限の能力発揮して、その敷地の過去から未来を考慮した最良の建築を建設すれば、施主を満足させ、結果としてその地域の将来の発展に貢献することになる。「3C」目出度しである。私は、これをトリプル・コンチェルトと呼び、ベートーベンのバイオリン・チェロ・ピアノの三つのソロ楽器による3重奏協奏曲になぞらえた。
化学(電池)・電気工学(モーター)・自動車工学がトリプル・コンチェルトを上手に奏でると電気自動車が出来る筈だ。桐朋女子(佐藤晃一・熊野孝)・矢島功/岸本雄二(信頼関係)・クレムソン大学(岸本)がトリプル・コンチェルトを奏でるとどうなっているかは、周知の知るところだ。ここで大切なのは、未来へのビジョンとそれへの道程をしっかりと踏まえた上で、飽くき追求の姿勢をしっかりと支えるスタミナとタフさだ。
ベートーベンのトリプル・コンチェルトは、三人のソリストに競わせながら、バックのオーケストラにザックリと包ませている。すでに出来上がった作品をより高度なものにしようとしているのであり、まさに「3C]そのものだ。飽くなき追求の余地が常に残されているところが素晴らしい。
地球の大半を覆いつくす大洋は、地球上全ての塵芥を呑み込み、それでもなお、というよりそれだからこそ生物が生息するのに素晴らしい環境を提供している。トリプル・コンチェルトのオーケストラのようだ。農場へ行けば牛や馬の糞がそこらじゅうに落ちていてそこから木の芽がでていたりする。クジラやイルカやその他あらゆる魚の糞もよく溶けておいしいスープになって生命維持・育成に貢献している。正にトリプル・コンチェルトのお祭りだ。祭りには山車が必要だ。山車としての水族館と取り込まれた海水の世界、そして来館する人々とで織り成すコンチェルトは、正に現代版水陸のお祭りだ。
ブラームスのダブル・コンチェルトを聴いていると分かってくることは、実はヴァイオリン、チェロ、オーケストラによるトリプル・コンチェルト、即ちバックグランドとしての大洋のない三者の饗宴であり、3Cであると思えてくる。
私の夢では、日本とアメリカを共演させ、さらに世界というオーケストラにも参加させてトリプル・コンチェルトを奏でたいのだ。そのための演奏会場設計・建設に参加し、これからの残された生命を注ぎ込みたいと夢見ている。桐朋はすでに共演者として、また聴衆としてすでに参加していただいていることをお忘れなく。
先日は引退歓迎会をしていただき、誠にありがとうございました。
2011年10月26日 無事クレムソンへ帰国して、クレムソン・
フットボールの快進撃に興奮している 岸本雄二


◆今月の隆眼−古磯隆生

−住処探し・その22−

心配していた冬の積雪も大したことはなく、工事は順調に進みました。ほぼ週に一回のペースで武蔵野から白州に通ったこのプロジェクトは、4月20日に建て主側の竣工検査を実施し、手直し工事もあまり無く、26日に建物の引き渡しを無事受けました。2008年10月に着工した、黒を基調色(外観)としたシンプルな形態の二世帯住宅の工事は、然したるトラブルも無く、当初の予定よりは少し遅れましたが2009年4月末に完了(写真貼付)。
2005年7月から月に一回のペースで始めた、神奈川・静岡・山梨の各県をあてもなく、気の向くままに巡る「東京脱出・住処探し」の移住計画の旅は、4年ほどの歳月を経て、住まいの完成までこぎつけました。刺激的だった都会生活に負荷と違和感を覚えるようになって以来、都会の喧噪の中よりも“自然”により刺激を感じるように自分自身が変化してきたのでしょう。何の拠り所もなく、ただただひたすら自分達のイメージに合った環境を探し求めて海や山を彷徨し、山梨県の白州に辿り着きました。縁もゆかりも無い地ですが、やはり、人との縁が重なって見つけ出すことが出来た場所でもあります。
人生後半の居住空間です。

さあ、5月の連休を利用しての引っ越しです。引っ越しの準備もなかなかの作業です。これまで何度も引っ越しは経験していますが、知らず知らずのうちにモノは増えています。スリムにする作業も一苦労。
5月2日、朝からヤマト運輸がそれぞれの家に来て荷物の梱包と運び出しを開始、夕方には完了、翌朝の配送になります。3日の早朝、姉共々東京を出発し、白州での荷物の受け入れ態勢に入りました。既に仮眠用の布団は前もって運び入れていましたので、3日は朝6時頃には白州に入り、仮眠を取りました。10時頃に予定通り荷物到着。8m以上はあろうと思われるトラックがデッキにどんと横付けされました。大きい!!
運転手以外の作業員は地元山梨の人4名。荷台側面全体が上に押し上げられ、荷下ろしの開始です。ぎっしり詰まった荷台、二世帯の荷物ですからなかなかの量です。手際よく運び出され、あらかじめ決めて置いた荷物は所定の位置に置かれました。荷物の損傷も無く、作業は程なく無事終了。楽しみにしていたダイニングテーブルも運び込まれました。組み立てが楽しみです。
つづく

◆今月の山中事情67回−榎本久・宇ぜん亭主

−秋にて−

大震災以来七ヶ月が過ぎた。カンジンカナメの政治の停滞がプラスアルファの災害を付加して、復興はままならないでいる。率先して、国が何をしているのか一目瞭然でないことがイラ立つ。地方と国のなすり合いをしている場合ではないのに、つくづくその対処にあきれる。報道もある一面しか知らせず、本質論より行動ではないかと異論を唱えたくなる。期待した菅内閣も何となくこの大震災もろとも瓦解した。今となっては何も言えないが、我々にとってはその期待が大きかった故、あっけない幕切れはこれまでの数代の内閣と何ら変わりのないことに意気消沈した。で、これからは野田内閣のそれをウオッチする。
市井のことを書こう。
朝霧が里山を這う中、医大に行く為車中の人となる。朝七時、太陽が昇りかけてくれ寒さは無かった。車窓は、キンモクセイと柿の実のオレンジ色をやたらと切り取り、一服の絵を提供してくれる。季節が秋であることをイヤでも教えている。こうして時は確実に過ぎ、二ヶ月に一度の病院通いも一年半になった。健康状態の確認でもあるので面倒でも行かなければならない。車内を見渡せば、このローカル線の乗客は干柿や干物のような老人ばかりだ。私もその一人であることを忘れたふりをしているが…。バスに乗り換える。針金みたいな女性が乗り込んできた。あの細さで、肉体のすべてが機能しているのかと思うと、人はどんな形でも生きられることを知る。
バスは病院前に着いた。病院内にはスターバックスが入っている。超近代的な埼玉医科大学国際医療センターは一瞬そこが病院であることを疑う。いきなりコーヒーの香りが漂うラウンジは、整備された屋外を見ながら、付き添いの人、お見舞いの人、患者らがそこへ三々五々見えるのである。周囲は畑地で、少しばかりの集落が点在しているところにこの病院はある。日高、飯能、狭山、秩父、寄居等の市町村の中核病院として君臨している。私はこの病院のお陰で今がある。
診察を待つ。ここにも大勢の老人が長い時間無言で待っている。その静寂の中を若い女性の靴の音が異常に響く。待合室は患者の集合している所であり、我が身を守る為、平らな靴をはいている方々がほとんどだ。その若い女性はおそらく患者の付き添いのようだ。しかし気遣いもなく闊歩されるのはかなわない。ワキマエロ!と言いたくなった。目の前にはこれでもかと言うほどのしわくちになった老婆が待っている。これ又、先の針金のような女性と同じく人間の「生」というものを考えさせられた。
病院は人間観察出来る特異な場所だ。“病気”という絶対的不安を指摘されれば尋常な精神ではいられない。その時々の心の機微をうつし出すもようが観てとれる。私の行っている心臓内科の待合室でのことである。
すべて解放後再びバス、電車の乗客になった。秋の青空に向かって、地上のあらゆるものが手を伸ばしているような中、時刻は三時になっていた。山の各駅の広場には、赤い帽子をかぶった小学生達が行楽の帰りらしく一団となっている。黄色の声が電車が停まるたびに聞こえ、何も変わらない日常がそこにあった。病院行きはこのように一日を費やすのであった。そして市井の人々もそこここで生きている。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/