★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.104

夏真っ盛りです。が、今ひとつ夏らしさに欠けます。
震災から5ヶ月経ちました。復旧は進んでいるのでしょうか?
政治の停滞ばかりが目に付きます。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.104》をお楽しみ下さい。

◆今月の風 : 話題の提供は前回に続いて岸本雄二さんです。

−とり−

焼き鳥や酉年や鶯など、鳥は、昔から我々日本人の生活と多くの面で関わってきた。オーストラリアなどには翔べない鳥もいるが、一般に、鳥は空を飛び交うことで人間を魅了し続けてきた。鷹は空の狩人として名を馳せており、それを利用している鷹匠などの職業もある。水鳥が魚の狩人であれば、鵜飼が商売になり、卵をよく産む鶏はそれ専業の農家に飼育される。鳥を専門に料理している料亭は、鳥供養といって毎年鳥に感謝するためと称して多くの贔屓の客筋を招いてはさらに多くの鳥を絞めて食べさせている。しかし幸いなことに鳥の数は一応安定しているようだ。需要と供給の均衡が保たれている、といえそうである。
殆どの生物は自然の摂理であるかのように、複数の生き物同士がうまく関係しあって、それぞれの生存環境や範囲を概ね限定し合い、数の面でも上手に均衡状態を保っている。雄雌の比率も不思議なぐらいに安定している。そのような自然の法則も無く、というよりも、あたかも無いかのように振舞っているのが人間である。人口は増え続け、資源は使い放題だし、公害を撒き散らし、地球を我が物顔に住み荒らしているのが人類である。人間の体内で細胞の増殖の均衡に変調を起こしているのが癌であり、地球規模で観察すると、爆発的人口増加を起こしている人類が癌の役目をしていることになる。人口と資源と環境との均衡が崩れて、地球自身のサステイナビリティが危機に瀕している現在、癌の治療が必要と考える。相当重度の患者と考えてよい。
嵐や地震など自然界に異変が起きる前兆を察知する動物がいると聴く。人類の築いた文明はまだそこまで発達していないようだ。地震の予報はどう考えてみてもまだ科学といえる段階には達していない。予報を基に予防を十分にするためには、最悪の状況を考慮しなければならないが、地震(建物の耐震設計も含めて)、嵐、火事など、どれをとっても最悪の状況を想定していないのが現状だ。出来ないのではなく、していないと考えられる節がある。これは精神的なものであり、人類の創り出した文明は、まだそのような段階で足踏みをしているようだ。果たしてどの国の建築基準法マグニチュード10の地震を想定して、基準法に盛り込んでいるだろうか。私の知っているかぎりでは、まだない。
人類文明の価値観は、可能性の追求を良しとしているので、宇宙開発の次の目標である火星への有人飛行には大いに期待がよせられるであろう。夢と可能性が追求されるからである。「何故」という質問は、この場合は否定されてしまうであろう。何故否定されるのかは、大きな質問であるので、講を改めて述べてみたい。
いま我が家の庭には、ハミングバード(ハチドリ)が飛んできて、ハミングバード用の餌(赤く甘い液体)を飲みにきて、近くにある赤い花(ゼラニューム)にも寄ってくれている。誠に可愛いらしい。しかしハミングバードはきつい性格で他の鳥に意地悪だという噂だ。そんなことはどうでもよい、なぜなら可愛いのだから。ブルージェイという尾長鳥も綺麗で意地悪な鳥だ。美人が得をする人間界と同じだ。蛾より蝶が尊ばれる人間界と同じである。
政治界はどうであろうか。いまの日本の政治界には凛々しい紳士政治家も美人政治家もいない。その上思想家にも不足している。真に才能の持ち主が政治家になれない又はなりにくい環境なのだろうか。第二次大戦後、何度目かの危機を迎えているいまの日本に、真の政治的指導者が渇望されている。国として破産寸前で、長すぎる経済的な低迷、大震災、とこれでは日本沈没になりかねないが、救世主はいないのだろうか。決断のときだと思うが、何を決断してよいのやら。どうしてこのように混迷してしまったのだろうか。日本で花を咲かせたW.E.デミング氏のデミング・システムはトヨタ自動車で開花し、戦後の日本に奇跡をもたらした。理論と実践が一人の頭に中で結実し、日本で効力を発揮したわけだが、この実行力、理論(思想)と実践(実行)の力をいまの政治に是非応用してもらいたいものだ。なれない横文字のマニフェストなどと意味のよく分からない言葉を使っていないで、素晴らしい意見と現実的な実現方法を打ち出せば、与党、野党共に賛成してくだるだろう。アイディアと実行力共に不足しているなら全取替えでもよいからタイミングを逸しないようにしてもらいた。惨めな目を見るのは日本国民なのだから。 
飛ぶ鳥は跡を濁さず、というが、いまの日本では少しぐらいなら汚してもよいから、早く飛んでもらいたい。なでしこジャパン優勝の吉報の威力が消えないうちに、政治的ヒットを出してもらいたい。東北大災害、原発問題、経済的低迷、沖縄基地問題、どれをとっても難題であり、解決策の決定打がそう簡単には出そうにない。だからこそ絶好の機会なのだ。これは民主党自民党というような党派の問題ではない。いまこそピンチの日本に無くてはならない一打を叩き出すチャンスなのだ。飛びたい鳥には飛んでもらおう。後の始末は気にしなくてよい。思い切ってリスク・テイキングの精神でスクイズ・プレイを試みたらよい。正しくて良いプレイなら、少しぐらいの危険を賭しても全エネルギーを集中してことに当たれば、悔いの無い結果が得られるはずだ。なでしこジャパンを見習ってもらいたい。そうすれば、結果の成否に関わらず国民のサポートを得られるだろう。日本の政治家に、奮い立ってもらいたいのだ。それがいま日本の政治家に要求されている精神力と実行力である。

2011年7月25日 熱暑のクレムソンを毎日走り続けている若い老人:
 岸本雄二



◆今月の隆眼−古磯隆生

−住処探し・その20−

LDK一体の吹き抜け空間を演出する、黄色い正方形のキッチンと並んで楽しみだったのは食卓テーブルです。キッチンの方は冒険をして正方形を試してみましたが、食卓テーブルの方は、大分以前にいただいた“ヤナギ”と称する厚さ5センチ・巾72センチ・長さ180センチのなかなかいい一枚板があり、長年、いずれこのサイズを活かして何かに使いたいなとの想いでいましたので、この移住計画でうまく食卓に使えることはとても楽しみにしていたひとつでした。
吉祥寺にある材木屋さん(勝又木材)に家具工房があり、以前からその工房の前を通る度にどんな仕事をするのか気になっていましたので、丁度いい機会だと思い工房に入って話を聞きました。こちらの条件は、テーブルの天板の支給とデザインをこちらですることでした。気さくに受けてもらえそうな話でしたので早速設計図を作成し、制作の見積もりを依頼。制作費は予定の範囲で出来ることがわかり前に進めることが出来ます。
かなりの重量の天板を取りに来てもらい、制作に取り掛かってもらうことになりました。“ヤナギ”と思ってた天板は“トチ”とのことでした。テーブルに向いています。食卓にするには巾が少し足りません。手触りが良く、きめの細かいこの“トチ”に合わせるにはどんな樹種がいいか…。材木屋さんですから家具用の様々な木はありますが、同じような質の“トチ”はありませんでした。
制作者と相談した結果、“ヤマザクラ”を合わせようと言うことになりました。色は少し濃い目ですが、逆にそれはこの食卓のアクセントにもなりそうです。肌触りは似た感じです。“トチ”の両側にそれぞれ巾10センチ程度足すことで、91センチの巾を確保することにしました。この“トチ”と“ヤマザクラ”の合わせ目には、樹種が異なる場合の合わせ方のひとつの手法である目地を、巾6ミリ・深さ3ミリで設けました。9センチ角の脚には制作者の提案でこれまた特徴のある“セン”を使うことにしました。虫食いのところが数箇所ありましたが、自然がくれたデザインだと思い、隠すことなく表に出すことを提案しました。それぞれ面白い木目で、出来上がりが楽しみです。
およそ3週間程で食卓は出来上がりました。制作者の話では、支給されたこの“トチ”はなかなかいい板で、職人としてこの仕事はやり甲斐があったそうで、逆に感謝されました。制作者に楽しんで作ってもらえるのはとても嬉しい気分です。
食卓は梱包されて運ばれてきました。早く見たいのですが、引っ越すまで梱包を解く訳にはいきません。以前から使っていたハンスヴェグナーのYチェアーとの調和も気になるところです。
つづく


◆今月の山中事情64回−榎本久・宇ぜん亭主

−山中で「ゴマメ」の歯ぎしり−

政治家を崇め奉り、彼等の遣ること、成すことを由としている者と、その真逆で、彼等ほどいい加減な者は無いと思う者がこの世にはいる。紙面に“ペテン”だの“嘘つき”だの“無能”だのの言葉が躍り、その言葉の出所が元総理や閣僚や議員なのである。そんなことが電波に乗って聞こえて来ることになり、多くの者に伝わることによって、国民を統治する立場の方々が発する言葉としてはいささか適当ではなく、誠に不用意であることに気づくのである。少なくとも幼児の時より、戒めの言葉として、親や師や先輩から聞いて来た。この言葉が国会という場所で、他愛もなく使用され、飛び交っている。それを聞き流している態は何としても看過出来ない。そして、それ故に政治の程度が、幼児化していることの証明と見えるからだ。
大体、“ウソ”と“ペテン”だらけで政策を遂行したら、その策を練るだけで計り知れない時間が必要である筈だ。なるほど、国家予算を算出するにあたっては、そういう策を弄していたのかと勘ぐってしまう。軽々に、そういう言葉を同じ党の者が吐くことの奇妙さと空しさを知り、その任にいる者の資質を知って、ただ、憤るだけだ。国会議員全員をそういう目線で見ることは危険だが、結果あのような総理を選んだのも皆さんであれば、済まないが、罰は同一である。
質の違いはあったとしても、菅さんも鳩山さんも国を導く人としてはいかにもふさわしく無く、言葉は悪いが、個人商店の跡取り息子と番頭より駄目だった。
そういう方々にこの国の舵取りを委せ、あらぬ方向に船出させた我々にも責任の一端はあり、ホゾを噛むのも仕方ない。
政治が崇高なものであるこをと忘れ、権力を弄び、ぬるま湯に浸っていたのでは必ずその反動が起き、事実そうなった。
台湾の李登輝氏は言う。
「権力というのは、権力者のものではなく、何か決定する時に、国民の力を借りて、そのあとは返すものです。そのことがわかっているかどうかなのです。」
あの程度の国家運営なら私でも出来そうと思う御仁はおそらくたくさんいるだろう。国家運営は出来たが党運営が出来ず、総理の座を辞したのが、これ迄の短命内閣のメンメンが陥った本当の理由ではなかったのではなかろうか。そのことには素人の私達であるが、頭脳明晰な人であればシステムさえ識れば出来るのではないかと思う。面倒なのは、“議員”にならねば立ち入ることが出来ない仕組みになっているからだ。この国を救える方がゴマンといる筈なのだが、旧態の制度が足かせになっている。自分達で声高に言っている“無能”な領域に“有能”な人が入っても何も出来なくなってしまうことは明瞭だ。なぜなら、“無能”な人達に指示され、それを遂行することは“有能”な人にとってはまさに“無能”な人にされてしまうからである。そして“無能”な人達は、インケンで、シット深く、イジメやネタミを公然と遣ります。このように、国家や国民を妻楊枝の先ほども考えていません。考えているのは選挙の時の一、二週だけです。あとは素知らぬ態に戻ります。
大相撲も相撲経験者のみで運営し、自分達だけで分け合っていた結果、今となってはご存知の通りとなってしまいました。無能とまでは言わないが、世事に疎いとあのようになる見本を示しました。
プピュリズムは良くないとの見解で政治の改革をせずに来たツケが廻って来た。依って、大衆に支持されなければ何の仕事も成り立つことは出来ない事を知らしめた。
政治とて同様で、その停滞ををさせてはならない。きっちりそのことを解る、それこそ“指導者”たるにふさわしい方が、私の目の前に現れて欲しいと山中にて願っている。


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