★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.100

3月11日、東日本大地震が発生しました。
未曾有の被害が報じられています。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。そして被災された方々の一日も早い復興を祈らずにはいられません。
一方、原子力発電所は今もって恐怖を与えています。いつ終息するのでしょうか。
こういう時だからこそ、満開の桜が気持ちを明るくさせてくれることをつくづく感じます。
樹齢2000年と言われる神代桜エドヒガン)が今年も見事な花を咲かせてくれました。
写真を貼付します。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.100》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は佐藤晃一さんです。3月21日に自ら発信されたものを転載させていただきました。


3.11から今日で11日目。原発崩壊事件は依然として予断を許さぬ状況にあり、未曾有の天災(地震津波)に関わる一切の被害を超える重さで、世界の話題をさらっています。
本来なら、1万人に迫る死者を出した大事件を超える大事件などある筈はないのですが、今回の原発事故(事件!)は、軽々とそれを超えて行きました。
原発事故。これはまさに人災です。人災の酷さを、怒りを伴いながらしみじみ感じる事件です。原発を作る、作ることを認める、事故の多くを「軽微」なものと勝手に見做して報告の義務を怠る(つまり隠蔽行為を繰り返す)、いわゆる電力族の横行、それを阻止できない為政者、これらすべての者が連鎖的に関わった人災であることを考えれば、この人災、やはり超巨大天災に匹敵するのかもしれません。
今は、東電、消防隊、自衛隊の方々の、身の危険を押しての活動に敬意を表し、その成功を祈る(ことと募金)以外、私達にできることはありません。しかし、どのような形であれ、この事故に決着がつき次第、少なくもこの地震国日本での原子力発電所設置の是非については、既成事実という堅固な鎧兜で身を包む族議員を指弾することを皮切りに、徹底的な戦いを挑むことになるでしょう。否、そうしなければいけません。
日本の政界には、醜い「族」議員が大勢います。「文教族」などはその最たるもの。他にも建設族・道路族、農水族郵政族、厚生族、防衛族等々、挙げればキリがありません。これらの周囲には常に大事件(つまり今回のように後遺症の酷い事件)に繋がる導火線が何本もあります。
今、その内の1本に火が着きました。いずれ連鎖反応も起きるでしょう。今回の事件はそれほどに重大な事件であることは、私のちっぽけな理性ではなく、肌で感じています。安穏とはしていられません。


◆今月の隆眼−古磯隆生

−3・11−

テレビで観る、巨大津波が人家を、逃げ惑う車を、そして大地を襲う光景は、想像する力を体から奪い取り、ただただ茫然と見入ることを強いていた。いまテレビに映し出されてる現実は虚構の世界の出来事のようで、初めて経験した強い揺れにおののく自分が在るにもかかわらず、今ある日常と結ばない。しかし、向こうでは未曽有の悲惨な現実が繰り広げられていた。
3月11日。たまたま点けていたテレビの緊急地震‘予報’にただならぬものを感じ、身構えてはみたものの、予想を超える長く強い揺れにすくんでしまった。揺れよ早く止まってくれ、まだかまだかと祈っていた。長く感じる時間だった。その後に映し出される巨大地震の速報は終日見入ることを強制するかのようで釘付けにされていた。見たこともない津波が全てを飲み込んでいく映像は、実感できるスケール感覚を奪い取る。現実感の伴わない恐怖感が襲ってくる。画面では為すすべのない惨状が繰り広げられていく。人間の感覚を越えた巨大な力。あれよあれよと言う間に…。

津波にばかり目を奪われていたが、地震の揺れによる被害もあるに違いない。実は、宮城県蔵王には親戚があり、その斜隣には6年前に設計した知り合いの山荘もある。安否とこの建物のことが気がかりになった。現地の状況が全くわからない。数日後、連絡が入った。近くのホテルに避難し、無事とのことだった。しかし、やはり建物は傷んだらしい。窓は外れ、内壁に亀裂が入り、収納されたものは全て飛び出し、飛散してるらしい。ただ奇跡的にガラスだけは内部も含め一カ所も割れてなかったとか。蔵王町は震度が7前後の大地震だったようだ。折を見て、現地に赴こう。何が起きたのかこの目で確認しなければならない。

地震から一月が経ち、被災地では徐々に復興に向けた動きが始まったようである。これまで経験したことのない、大津波による町や村の瞬時の消滅という事態。営々と築かれてきたものの喪失感は想像を絶する。どの様に再興させるか、人々の繋がりであるコミュニティーをどお再構築していくか、難問山積である。安全性、地域の特徴、人々の失われたものへの想い、人々の繋がり、仕事。
ただ住まいを高台に移せばいいと言う問題ではない。生活しやすい職住近接の環境も必要だろう、特に日本の原風景を形作ってきた漁村集落は海から離れられないのではないだろうか。自然との整合に配慮した人工の高台も考えねばならないだろう。押しつけではないまちづくりを、時間をかけて営んで欲しい。

何も出来ないもどかしさを感じながらも、被災された方々のことを想うとやりきれない気持ちである。一方の原発は為す術が無いかのような有様で、不安と怒りをかき立てている。
3.11以降、様々なことを考えさせられる時間帯にある。


◆今月の山中事情60回−榎本久・宇ぜん亭主

−巨大地震

二〇十一年三月十一日金曜日。三陸から茨城県にかけ、文献史上最大の地震が発生した。それに伴い想定外の津波も発生し、永々と築いて来た人間の営みのすべてを、たった数十分で壊滅させた。
阿鼻叫喚の光景を全国民が見聞することになった。そこは将に自然が人間に挑んだ最大の「戦場」になっていた。私達は二度と戦争はしない筈だったが、こういう形で襲撃されてしまった。
加えて原子力発電所の崩壊だ。本来平和目的の発電施設が、広島・長崎に投下された原爆とと等しく、周辺の多くの人々に恐怖感、不安感を与えている。自然現象がもたらしたこととは言え、あまりに残酷だ。
我が国において、恐らく、戦争や大天災は生涯体験や見聞はないだろうと高をくくっていたが、いとも簡単にその一つは具現化されてしまった。茫然自失は被害者はもとより、この私も、全国民こぞって同じだ。そしてこの国の行く末まで案じてしまった。
手をこまねいている。我が友人や知人の消息がわからない。そして、その術もない。連日新聞の死亡欄を見て、その名が無いことにとりあえず安堵している。
起きたことは現実である。一つ一つあらゆることを片付けていくしか方途は無い。生きている現実を直視し、あきらめないで日々を過ごして欲しい。
古代ギリシャの一文を新聞で読んだ。
「人はなんと美しいものなのだろう、人が人であるときは…」
私の解釈は、その状況が極限に近ければ近いほど、人は様々な行動し、相手を思いやる心になるのではないか、それが美しさまで昇華させることにつながって行き、人間の持つ本来の姿をそこに見ることが出来るのである、と。
多数の犠牲者の方々のご冥福を祈り、被災者の一日も早い復帰を願わずにはいられないでいる。

宇ぜんホームページ
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