★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.98

あっという間に一月が過ぎてしまいました。
サッカーのアジアカップは、久しぶりに日本を沸かせてくれました。
さて、寒い二月に入りました。ニュースでは、日本海側は大雪でまだまだ大変のようです。
私の居る白州は思ってたほどは寒くなく、今のところ降雪も大したことありません。
が、まだまだ安心はできないといったところです。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.98》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。


−日本揚げ足論−

日本人は他人の揚げ足を取るのがまことに上手だ。上手すぎてそればかりをやっているのが日本の政治家であるといっても過言ではない。菅首相もあまり理論に得意ではないらしく、演説では、何を提案しているのだかはっきりしない場合が多い。問題点を理路整然と整理分析して、そのための解決策を堂々と述べればよいのに、とよく思う。これに対して谷垣野党党首は、得意になって菅首相の揚げ足を取ることばかりに専念して、何一つ反対の論拠を述べず、ただ興奮しているだけだ。

考えてみると、漫才は面白おかしく相手の揚げ足を取って金を取っている。落語のほうはまだ気のきいた落ちがあって、得心が行く場合が多い。国会で漫才をやって揚げ足を取り、金も取るというのでは国民は侮辱されているようなもので大変迷惑だ。だからといって、落語でもいいというものではない。
政治家はしきりに国会で議論をすべきである、といっているが、その議論を是非聞きたいものだ。揚げ足取りの喧嘩ではない、議論をである。首相の提案の内容を分析して、良いところと悪い点を理論的に洗い出し、良い箇所は率直に良しと認め、悪い部分を徹底的について、自らの意見を述べればよいである。できれば、自分の提案をして、どうしてその提案のほうがよいかを述べてもらえれば、聴いている方にも分かりやすい。何でもかんでも反対では、デモ隊のシュプレヒコールとおなじではないか。ヘタをするとエジプトで行われているデモ隊の叫びの方が内容があるのではないか、とさえ思えてくる。

私は、幼稚園から大学院まで日本の教育を受けたが、人の前で意見を述べたり、議論をしたりする、特別な訓練を受けた記憶ががない。無論、学級委員などをして、激しい意見の交換を何度も経験しているが、あまり感情を激さないで他人の意見に耳を傾けてその理解に勤め、自らの反対意見を述べる、という訓練を全く受けていない。日本の政治家が議論できないのも肯ける。しかし、このような態度で国際会議に出席してもらったのでは、日本のために大変迷惑だ。
日本特殊論は世界で通用しないことを悟ってもらいたい。国際舞台で意見の交換や議論、特に他国の代表と交渉をして日本のためになる結論を引きだしてこれる政治家が必要だ。国際舞台では揚げ足取りだけはしないでもらいたい。揚げ足取りは、個人攻撃であり、議論の内容と関係ないので、国際舞台では、大変卑怯な方法であると解釈される。意見がないから個人攻撃という卑怯な方法で相手を引っ張り下ろすと解釈されるのだ。日本を卑怯な国にしないように最大限の努力をしてもらいたい。

親子や友達同士の会話で揚げ足をとると、悔しくても笑って済ますことができそうで、実はなかなか忘れないで後まで尾を引くことがよくある。要するに揚げ足取りはどのような場合でも良いことはない。個人攻撃はできる限りしないように気をつけよう。当然私自身も大いに注意をしなければならない。他人事ではない。
2011年2月1日    クレムソンにて、岸本雄二



◆今月の隆眼−古磯隆生

−住処探し・その17−

2009年1月。白州の建築現場の方は、新年早々のフラット35の中間検査もクリアし、工事は順調に進んでいます。敷地は都市計画区域外なので、木造2階建ての住宅は建築確認申請の必要がありません。検査らしいものはこのフラット35の検査くらいです。およそ2週間ごとに現場に向かいましたが、打ち合わせ、進捗状況の確認等を行い、近くの温泉に入って東京に帰るというパターンです。2月に入って内装工事も始まり、現場通いも頻繁になっていきました。これまでは主に大工さんとの打ち合わせでしたが、以降様々な職種との打ち合わせが行われるようになりました。水道の引き込み工事に取りかかるに当たって、水道加入金の問題が生じました。東京ではこのような加入金はありませんが、地方ではところにより加入金が生じます。場所によっては水道の権利が確保出来なかったり、水道が近くまで来ていないところでは井戸を掘って水を確保するところもあります。幸い水道は比較的近いところまで来ていますので、申請上の扱いが問題になりました。東京に住んでいるので、別荘としての扱いで申請すれば手続き上は問題がないのですが加入金が高額になります。別荘ではなく移住を前提としている我々にとっては納得出来ません。建物が出来上がれば北杜市民になり、市民税も納めることになるのですから。移住を前に不要な出費は出来るだけ押さえたいところでもあります。事情をよく知った地元の方から、住民並の加入金に押さえる為には事前に住民票を北杜市に移動させる必要があるとのことでした。厳密には移住前の住民票の移動は認められないことになっているようですが、縦割り行政の盲点でしょうか、現実にチェックが及ばないようです。何かのリスクがあるとすれば、我々自身が負うことになります。これも方便でしょうか。それにしても移住を前提にしている者にとってこの加入金問題の扱いは合点が行くものではありませんでした。結局、住民票を先に移すことで当面の影響が少ないと思われる妻の住民票を移動することにしました。諸手続きは大して面倒なこともなく済みました。これで水道の加入金問題も一件落着。あとは竣工に向けて進むのみです。
つづく



◆今月の山中事情58回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

人の関わりの不思議を、この正月つくづく考えていた。賀状を一枚一枚見ていたからその意が強くあったようだ。それは遠い与那国島でのことでした。
六年前東京を離れるにあたり、その決意をするが為、私は我が国の西の端与那国島に出かけて行った。今でこそ尖閣諸島問題で話題になっているあの与那国島である。バイクで三十分もあれば一周出来る小さな島だ。六年前の人工は千七〇〇人だったが、現在は一〇〇人減って千六〇〇人となったそうだ。その島に私は一週間、何するでもなくうろついていた。一週間過ぎて、石垣空港那覇空港を乗り継いで帰郷した。東京を離れる決意を、そこで何を感じたかは明確に無かったが、結局飯能に来て今がある。島にはたてつづけに三年行った。見るもの、聞くものは珍しくなくなっていたが、汚い牛舎、壊れかけた看板、見なれない草木に“なつかしさ”を感じていた。
二回目の与那国訪問は友人と出かけ、陶芸家の山口さんと出会い、その日の内に親しくさせていただき、夕食をご家族共々いただき、この島に特別の愛着を感じさせられた。折しも、フジテレビのドラマ「ドクターコトー診療所」のロケ地であり、山口家は「診療所」が直下にある位置にある。
一時期私は急須をコレクションしていた。とある週刊誌で(三十年前)茨城県笠間市で急須を得意としている陶芸家小川甚八氏を知り、女房の実家も近かったこともあり、毎年盆、正月には作品を買わせていただいていた。彼ともずい分長いつきあいをさせて貰っている。私は以来小川甚八氏は急須造りでは日本一の陶芸家だとずっと思っている(デパートの美術部の方もそう言っていた)。

以前、私のお客様が結婚式の引出物の相談をして来た。即座に彼の急須をすすめたら、その品を我が家に来て確かめ承諾した。私は小川氏に軽い気持ちで頼んでみた。その数百個だったが、桐箱入りの立派な作品を造ってくれた。急須を造ることは他の陶器とは違い、フタ、取っ手、注ぎ口、湯を出す穴、と行程がたくさんある。違うものならいざ知らず、同型百個は大変だった筈だ。後日彼は私に、破損等を予見して二百個造ったと言われ、ほとんど儲からなかったのではないかと胸が痛んだ。祝い品だから引き受けたとのことらしい。そのことは依頼人には言えなかった。
さて本題ですが、最西端で作陶している山口ご夫妻は、小川氏と修業時代、とあるところで一緒に働いていたとのことだった。小川氏は山口氏より年少だが、この道では先輩とのこと。そのことを、私達が初めて訪ねた時聞いた。なぜそういう発言をされたかと言えば、私がその辺りにある作品を見て「小川甚八の作品に似ている」とつぶやいたからだ。友人も小川氏に会っており、この孤島で小川甚八氏を四人全員が知っているということであった。奇遇とはまさにこのことであった。

その後、山口氏は与那国の土で急須を造る意欲が出て、飯能の私の家に小川甚八氏の作品をわざわざ与那国から見に来た。それが参考になったかは知らねど、那覇で作品展を行い完売したと聞いた。人のとりもつ縁の不思議、人がどういう風に生きて来たかを人が関わることで知る。なんとも言えない、ある種の「切なさ」を感じてどうしようもないで居る。
年が重なり、どんな関わりが成立するか、山中にて楽しみにしている。そして再び与那国島に行くことを考える気力が出て来た。

 宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/