★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.97

新年明けましておめでとうございます。
今年も「Ryuの目」をよろしくお願いします。
白州は天気にも恵まれ、穏やかに正月を迎えました。
日本海側は大変な雪のようですが、如何でしょうか。
さて、今年はどんな一年になるのでしょうか?
期待を裏切りつつある民主党政権も今年が正念場でしょう。
政治への失望感を少しでも払拭するためにも、何とか立て直して頑張って
ほしいものです。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.97》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は前回に続き有田泰裕さんです。

有田さんの「新米日本語教師の日記」より

−どうして日本語教師になったのか−

2008年3月(昨年)思い切って中国へ語学留学してみました。留学先は蘇州大学の蘇州海外学院で、3月〜7月の4ヶ月留学しました。中国語を趣味とし始めてから一度語学留学をしてみたいと思っていたのを実現させたわけです。
まじめに取り組みましたが、すごくしんどかった思いです。自分に余裕がなかった。半年後に感じたこと「これは時間がかかるな!」と感じました。で、それでこう考えました。面白くするには?テイクだけでなくギブもしなければ、そうだ!「give and take」だと。しかし、俺に「ギブ」はあるのか?「よし、日本語を教える技術を身につけて、再度チャレンジしよう!」そして、中国にどっぷり浸かって中国語をものにしてやろう!

独学も考えられるのですが、やはりきちんとしたところで学んだ方がよい。と思い昨年の10月から北九州のヒューマンアカデミー日本語教師養成講座の一年コースに通いはじめました。山口県にはそのような学校がありませんでした。一年間平均的に週三回宇部から小倉マデ通いました。学費とあわせると年間約100万円ぐらい使ったでしょう。まあ、自分への投資と考えました。
通い始めて「言語学、言葉学」の面白さを感じました。学校に通いながら、その関連の本をいろいろ読みました。また、日々の講座、学友との交流、教育実習など楽しかったです。終了の時私の中国行きは決まっていましたので、学友全員が励ましの言葉をくれました「60のこの歳になって、こんな気持ちになれるとは!」俺は幸せものだな!とつくずく感じました。またこの時の期待と不安は言い表せません。

この分野の就職については、今のところ追い風が吹いているように思います。私は講座スタート当初から「終了したら、中国で!」と宣言していました。たまさか同じクラスに中国人の女性の方が1名いました。彼女のご主人は某大学の教授でして、学校で留学担当もされてる方でした。
ご存知のように、最近の日本の大学は外国人、特に中国人を受け入れて学生数を確保している状況があります。某大学も中国の色々な学校と提携していますが、そのうちの一つが私が赴任した興洪中学なのです。その教授は中国の学校から日本人教師を世話して欲しいと頼まれるのです。・・・・そんな訳で興洪中学を紹介された次第です。私もいろいろ考えましたが、「これも何かの縁」だと考え受けることにしました。
そして、バスを降りてスーホンの地に足を下ろした時、顔面に高潮感をおぼえました。
《本音》
「俺の人生、もっと面白くしたい!」



◆今月の隆眼−古磯隆生

−住処探し・その16−

年が明けて2009年1月、三鷹に在る姉の家の接道に関する塀の一部移設工事が行われました。役所との折衝で道路の位置指定を取り直す方向性は既に決まっており、関係する近隣の方々全員の了解(実印押印)も既に取ってありましたので、残るはその工事でした。10センチ程度の移動ですがそれを行わないことには接道問題は終了しません。工事そのものは、塀を壊して新しく設けるものです。大した工事ではないだけに引き受けてくれるところがすんなり決まりません。それなりの工事費にでもなれば話は違うのでしょうが。結局インターネットで三鷹市内の工事業者を捜し、工事は二、三日で終わりました。工事後、所定の道路幅員が確保出来たかの役所の検査もクリアし、これにて一件落着。
近所の方々の協力を得て全ての接道問題が終了しました。これで売却の支障は除かれました。接道問題が発生してから解決までに半年以上の時間を要したことになります。
丁度このころ姉の家の買い取り希望者が現れました。小さいお子さんのいるまだ若いご夫婦でしたが、奥さんが建築の設計をされてるという方でした。家を気に入って下さったようで、話は順調に進みました。この奥さんの希望で専門家による耐震診断も行われました。「耐震基準適合証明書」を取れば中古住宅でも住宅ローン減税の対象になるとのことでした。多少の工事費がかかっても住宅ローン減税のメリットが大きいとのこと。耐震診断は床下、天井裏、小屋裏に潜っての目視によるチェックを受け、耐震壁の量とバランスがチェックされます。
調査の結果、基礎や土台の状態も悪くないと言うことで、一部耐震壁(筋交いの入った壁)の補強を行えば、基準値をクリアすることが出来、適合証明書が取れるとの結論でした。このことに私は疎かったのですが、売り主側においてこの耐震基準適合証明書を取るということが求められていると言うことでした。
買い手側からすればこの耐震基準適合証明書の有無は決めての一つになる
条件のようです。ともあれいい方向に話が向かってくれて一安心。家の引き渡しも山梨に移転した後と言うことになりラッキー!様々な問題がいい方向に向かって動きだした感じです。
つづく



◆今月の山中事情57回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

二〇十一年(平成二十三年)が明けました。心よりこの年を迎え、慶んでいます。どうかうさぎのように何かやさしさが漂う日々であってほしいと願ってやみません。本年はこのコラムが「欠」にならぬ様、拙い文を書き続けます。何卒お付き合い下さい。

−「待つ」ということ−

私の仕事の要諦は、ひたすら「待つ」ことにある。今日までの大半は、ただ「待つ」ことに費やして来たと言っても過言ではない。小体な店では「営業」に出て行くわけもいかず、さりとてテレビコマーシャルなど出来る資金もない。かっての店とて三〇人も入ったら一杯の店だったゆえ、大人数様のご要望も無理であった。依って順次席が埋まったところで一日の仕事としては終了していた。ところがそんなにうまく行く日はそういつでもあるわけはなく、前述のごとく時を費やして「待つ」ことがしばしばだった。此処に来てからはそれが当然のように顕著になっている。年令と体力のことを考えれば丁度良いとも思うのだが、身に染みついたようでも「待つ」ことはやはり途方もなく忍耐がいる。
まして、こんな身体になった。
天候に左右される山中では、人の出入りがゼロの時が多々ある。落語の「女郎屋」の噺ではないが、荒天の時なのに意外や意外な時もあり、マーフィーの法則はこんな処でも起こりうるのである。とは言っても「待つ」ことに、すっかりあきらめも早くなり、日没終了が当たり前になった。
自分自身は気が短かった。結果をすぐに知り度い人間だった。ものごとはすぐにやるべしと思うし、人を待たせてはいけないと肝に銘じていた。コトを急いでやるとロクなことにならないと思いながらも、そういう姿勢でやって来た。
その人間が一日中お客様を「待ち」つづけている。すごくこっけいな風景がそこにある。物売りの商売は概ねこのようにこっけいなのかも知れない。だが今は瞬間的動作が出来ないので少し考えが変わって来た。
閑話休題。これも時間的法則か解りませんが、人間のやることは本当にこっけいと思ってしまいます。
四、五十年かけて木を育て、将来の安泰を図った筈だが、現段階では安い外国材に負けて、その木は出荷出来ず、累々と屍のごとく日本のいたるところに杉や檜が立ちすくんでいる。「待って」いた揚げ句がこんな状態になり、林業行政とそれに携わる人々の現状を見せられている。漁業も農業も五〇歩百歩だ。
次はエコだエコだと号令がかけられている。自然の中で生きられた大昔と違い、余りにもかけ離れた現代の生活様式とその数はもはや自然に帰って暮らすことなどは絵空事になってしまっている。

 宇ぜんホームページ
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