★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.80

今年の夏は何か異常ですね。
豪雨による災害も多発し不安が広がります。
夏らしくならない分、農作物への影響も心配されます。
選挙も近づきましたが、異変の起こる年になるのでしょうか。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.80》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は麻生京子さんです。

−ピアノと職人の手仕事−

最近 私の所へピアノがやってきました。

長年こういうピアノがないものか・・といろいろとピアノ店巡りをしていましたがなかなか良い出会いがなく、半ば諦めつつBerlinへ行ってみることにしました。(ああ5月のBerlin! Schumannの歌曲”5月に”!雪のように舞うポプラの綿毛!)
今までHamburgとNew YorkでシュタインウェイをAustriaとSwissでベーゼンドルファーをParisでプレイエルをと探し回りましたがこれ!というものはなく散々な思いをしてきました。

長年のお付き合いの調律師が「Berlinなら麻生さんお気に入りの昔のベヒシュタインがあるかも・・Leipzigにはブリュットナーがありますし・・予習の意味でこちらで少しみて行きませんか?」と一緒に東京のあちこちに行きました。最後にみた店にも輸入ピアノがたくさんありベヒも何台か置いてありましたがどれも新品。弾いてみてもただ「ああ ベヒね」と思うだけでした。べヒシュタイン社は長い歴史のあるピアノメーカーでしたが第二次世界大戦の爆撃で工場が破壊され生産を打ち切り。製造再開は1980年からです。戦前と戦後のものは全く違うものとも言えますし、その上に戦前のものでも出来が良くないもの、保存状態が悪いものが海外に出て行くと国家の威信にかかわるというので国の政策としてつぶしていますから戦前のものを見つけるのは運次第という感じです。

さんざん試し弾きをして諦めた挙句の帰り際にふと見ると片隅のそのまた片隅に置いてあるとても優雅な黒い立型ピアノが目に飛び込んで来ました。
「なにこれ?」
「100年前のベヒですが、今商談中で別のお客様がお考え中なのでそれは・・」
「弾いていい?」
「かまいませんが今はお売りする事は出来ません」
それは音色といいタッチといい私を待ってくれていたようなものでした。  
100年前のベヒシュタイン。白鍵は象牙。黒鍵は黒壇。優美な曲線を描く脚。
さりげない飾り彫り。そして最も大切なその音色。当時のピアノ職人が時間と手間をゆっくりかけて良い木を選びそれを充分乾燥させプライドを持って作り上げたことが偲ばれるまさに芸術作品だと感じられました。

調律師として好奇心旺盛な彼女もピアノの中を何度もいろいろ覗きメカニックを確かめて「これいいですねー!」と囁きました。 
私の方は思考能力停止状態。
「何度も申し上げますがこれは先約が・・・」と、店の人。
 
紆余曲折を経てそのピアノは私のものになりました。
そのピアノを弾いている時、なぜか心がゆったりとして優しい気持ちになることができます。慰められもします。100年前のどういう職人の手によるものでしょうか?さぞかし仕事に愛情をもって丁寧にゆったりととりくんで作られたことでしょう。このピアノは今までどういう人によって弾かれてきたのでしょうか?これだけ保存状態が良いということはコンクール等、競争とは無縁で、幸せに弾かれていたこと。調律などの手入れがきちんとなされていたことがうかがえることなどこのピアノの100年の歴史を感じます。

競争、効率、コストカット等という言葉を忘れさせ、ともすれば陥りがちな楽器との格闘もなく弾かせてくれる、これは一体なんなのでしょう?100年前はこういう事にそれだけの時間をかける余裕があったということでしょうか。それは現代では許されない”贅沢”なのでしょうか。

結局 Berlinへはこれがとても優れたものであることを確認するための旅になりましたが、楽器博物館の監視員のオジサンとも仲良くなり・・というか「又、来た!」という顔をされるくらい何度も足を運びいろいろ教えて貰ったのは楽しい思い出の一つです。そこにあったべヒのグランドピアノも素晴らしいものでやはり100年前のもの。博物館なので一切触れることは出来ないのですが、このオジサン「何かBeethovenを弾けるかい?」という、そういう形でそのピアノを弾かせてくれた親切な人でした。売る気はないかと聞くと呆れて「This is our national treasure!」と相手にもされませんでした。



◆今月の隆眼−古磯隆生

−ワイナリー巡り−

山梨県に住まいの拠点を移して以来初めて“地元”巡りをしました。訪れたのは勝沼、ワインの郷です。勝沼に関する何の事前情報も持たず、ただ以前飲んだワインの香りと知り合いの紹介をもとにワイナリーを覗いてみることでした。7月末の雨上がりの午後、予定してた海水浴を中止しての束の間の夏休み気分です。

最初に訪れたワイナリーで手に入れたワイナリーマップを片手に気の向くままの探索でした。30を越えるワイナリーが点在するといわれる街巡りは、ワイン好きの向きにはなかなか楽しみな街巡りです。6つのワイナリーを回り、いささかほろ酔い気分の探索になりました。その中で3つのワイナリー(どれも100年を越えるそれ相応の歴史があります)が印象に残りましたのでご紹介します。

まず一押しは、築200年を越える蔵をかかえた原茂園(はらもえん)。築100年以上の民家を利用した“原茂ワイン”の建物が迎えてくれます。古民家の落ち着いた佇まいとワインの取り合わせは訪れる人に不思議な安堵感と期待感を持たせます。ここでは樽熟成の赤ブレンドワインと新品種甲斐ノワールの赤ワインを求めました。この日は残念ながらここのカフェは休みでしたが覗いてみたいところでした。甲州葡萄の白ワインが“売り”のようですが、赤ワインもなかなかです。
つづいて、勝沼醸造。ここの樽熟成のワインの香りの記憶が私を勝沼に導きました。初めて目にしたアルガ(ARUGA)の素敵なデザインのラベルが目を惹きつけます。ここではお奨めの甲州葡萄の白ワイン:アルガーノ ボシケをゲット。
そして三つ目は、丸藤葡萄酒のルバイヤート(RUBAIYAT:四行詩…ペルシャ語)ワイナリー。素敵なデザインのロゴマーク“R”(写真貼付)が遠い記憶を蘇らせるような錯覚に陥ります。ここのびん貯蔵庫は素晴らしかった!嘗てはコンクリートの貯蔵タンクだったそうですが、そこが9万本のワインを眠りにつかせる貯蔵庫に変わりました。暗い貯蔵庫の壁はわずかな明かりを得て、そこに付着した酒石(カリウム粒)が夜空の星のごとくキラキラ煌めいていました。幻想的世界の出現です。ここでは赤、白のワインと、テーブルワイン用に一升2000円の赤をゲット。水を得た白葡萄の葉にとても清涼感を感じました(写真貼付)。
日本のワインは輸入物に比べて割高感は残りますが、独特の味わいはなかなかのものと思いました。
それぞれ趣向を凝らせた店づくり、独特の雰囲気を醸し出す街。その面白さは、折角の日本のワインの街が日本人に十分楽しまれていないとの歯がゆい思いを残しました。この探索は病みつきになりそうです。
諸外国のワイナリーを訪れたことのある方、話題提供お願いします。



◆今月の山中事情47回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−たそがれ刻(どき)−

いつからかは知らねど「一日で一番好きな時間は」と問われると、私は即座に「たそがれ刻」と答えていた。おそらくそれは、その日の終了=終業を意味する時刻だからか、そうではなく、情緒的な刻(とき)を感じるからなのかは定かではないが、心の騒ぐ時刻であったことは確かであった。

東京湾の渚にいた。
夕やけはもう一筋の細いオレンヂ色のみだ
海の彼方では、太陽がもう隠れなければと
ストンと消えた。
ぐるり闇が降りて来た。
「たそがれ刻」である。
その刹那 命の終焉を見たようでもあり、
再生を意識させられたようでもあった。
ふと うしろを振りむいた。
闇はビルの窓辺に灯(あかり)をつけるように強要した。
色とりどりのネオンやイルミネーションが躍り出した。
大都会に今日の別の一日が始まる合図だ。

山に住みついて、数日後「たそがれ刻」がないことに気づいた。どんなに天気が良い日でも、夕陽を見ることが出来ずにいきなり帳(とばり)が落ちて、夜になる。地平線の見えない山中では、その感動的なプロローグはその都度奪われる。厳密に言えば、「たそがれ刻」は存在しているが夕陽の沈みゆくシーンとのセットになって、はじめて「たそがれ刻」を感じとるのであるがゆえ悲しい。このことについては完全に迂闊だった。
ある日町に出た。「たそがれ刻」になった。この町は空気がきれいな町である。「たそがれ」が見事にクリアだった。山々はその時建物と一体になって、全てがシルエットとなった。しばらくぼんやりと車の中で眺めた。自分の立つ位置が変るということは、何かを失い、何かを得るものだと今は思っている。
今月で開店丸四年となった。