★ Ryu の目 ・Ⅱ☆ no.79

さて、梅雨明けはいつ頃でしょうか?
そして、選挙はいつ頃でしょうか?
私事ですが、5月に住まいの拠点を山梨に移しましたが、今度は事務所をこれまでの住まいだったところに移し、東京での事務所兼住まいにしました。
一連の大移動がこれで一段落しました。
事務所の住所以外は何も変わりません。
これからも宜しくお願いします。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.79》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。
 「今回の随想はむしろ夢想に近いものですが、読者からの感想を是非伺いたいと思います。」とのコメントがありました。
  皆さんご感想をお寄せ下さい。


−鷹−

クレムソンはサウス・カロライナ州の西の外れに位置して、アパラチア山脈のふもとにある大自然豊かな地域です。この辺の空に輪を描く大きな鳥が2,3種類います。「鷹」と「鷲」と「からす」です。特に大鷹は勇壮で風に乗りながら大きな輪を何度も描きます。ハングライダーのように自由を楽しんでいるようにもみえますが、恐らく餌を探しているのだとは想像がつきます。時々、この鷹の近くに小さな輪を描くカラスが4,5羽旋回することがあります。と、思う間に、一羽のカラスが、鷹に接近して話しかけているように見せながら、攻撃準備をしているようです。鷹がそのカラスに先手攻撃をしかけようとしますと、すぐさまもう一羽のカラスが鷹の後ろから突っ込みます。さらにもう一羽が下から鷹に襲い掛かり、さすがの鷹も羽を少し引きちぎってバタつかせながら上へ上へと逃げ始め、頃を見計らって一気に横に飛び去ります。数羽のカラスが100メートルほど追いかけて諦める、というのが、これまでのパターンです。

カラスは自分たちの雛を鷹から守っているわけですが、このような空中戦を、「自然界の姿」と受け止めますと、人間界の「自然の姿」はどのように描けばよいのか、考えさせられてしまいます。文化文明は、人類を人工的な規則で縛りまくって危害から守り、「国連」は「空中戦」を止める役目をして「平和」で洗練された社会を築く手助けをしているのだとは考えれますが、それにしては、「国連」はこの「鷹」と同じか、それ以下ではないかとさえ思えます。

文化文明の尺度を、最小限の規則が、最大限の効果を上げて、洗練されたスムーズな人間関係を作り上げることに如何に寄与しているか、で計るなら、この世を空の上から眺めて、常に正しい判断を下し、必要に応じてお灸をすえる力は鷹や今の「国連」にはなさそうです。「大鷲」または「コンドル」ならその役を担えるかもしれません。地上の「百獣の王」ライオンは、あの勇壮な鬣からイメージしたものでしょうが、実力は見かけほどでもなさそうです。数頭のハイエナに追い払われてしまいます。

二千年前には、千年に渉ってコンドルの役をローマ帝国が果たしていたようです。ローマの下では一応各国平等であり、各国から税を徴収して、各国間のいざこざはローマが解決し、各国は相当の自由を謳歌していたようです。さしずめ日本では徳川幕府が治めた二百数十年に渉る江戸時代といえるでしょう。それは「神」の仕事だよ、という人がいるかもしれませんが、宗教は余りにも個人の生活の隅々にまで入ってくるので、賛同できない人にとっては、逆に苦痛の種となり、歴史的に見ても、直接的に、間接的に戦争の原因になってきました。そこで一つ破天荒な提案(といっても、もうすでに発表されているかもしれませんが)をさせていただきます。少し短路的かもしれませんが、それが故にこのような可能性も見えるということです。

今、ロンドンの次のオリンピック開催都市(国)を選ぶプロセスが進行中です。これと同じようなことを、オリンピック委員会ではなく、「国連」を使って「世界」を治める国を選ぶとします。希望国がそれぞれ立候補して、国力(経済力、軍事力、政治力)のあることを主張して、選挙運動に務め、「国連」参加国の投票による選挙を行ないます。厳格な規則を設けて選挙違反を極力少なくします。当選した国(首相国、またはコンドル)は各国から税(金、兵役、発明特許、土地、その他、その国に適した形の税)を徴収して、決められた期間内(5年から10年)に責任を果たします。無論、「国連」内に強力なコンドル・ヲッチドッグ(首相国監視委員会)を設置し、常に全世界的な視野からコンドルのパーフォーマンスを監視します。

以上が私の考えです。アメリカ南部の空に大きな輪を描く鷹を見ながら、公害や、二酸化炭素地球温暖化など余り縁のない大自然のなかで、現在はまだ国力において他国より勝るアメリカが直面している諸問題を、オバマ大統領がどのように対処しようとしているか、刻一刻興味を持って見守っているうちに、このようなことを思い浮かべてみました。

たとえば、コンドル以外はある程度以上の戦力、特に「原子力兵器」を持つべからず、という取り締まるのに都合のよい理由となりえます。戦力を持つ必要がなくなるからです。宗教や芸術など、心の問題や創造的文化の世界については、コンドルの力が及ばないように厳格な規則でそれぞれの文化的独自性を守ります。教育は、特に、大学院での研究は、産業の発展に直結し、経済に影響しますので、世界的な公正の場で、競争原理の下、発明発見に世界の頭脳を競わせます。

才能、意欲、健康など、個人差があり、それを磨く場は公平に開かれていても、競争の場では抜きん出た人を認めて評価し、奨励する、そういう社会が、平和な社会なのではないか、とも考えてみました。戦争はコンドルが火消し役を務めてくれます。夢想、幻想、は想像性の領域ですし、随想もそれほどかけ離れていないと思います。まだくすぶっている夢想がありますが、次の機会に譲ります。今日はとりあえずこの辺で筆を置きます。

レムソンの自然のなかにて、
2009年6月8日
岸本雄二


◆今月の隆眼−古磯隆生

−百年の記憶−

数日前、新潟上越市にある古民家を訪れました。このRyuの目の読者の友人が手に入れられた古民家で、築百年とのこと。これまで一般公開される類の古民家を見に行ったことは何度かありましたが、今回のようなケースでの古民家に滞在するのは初めてでした。
時間はゆっくり流れていくようです。周囲では小鳥の囀り(聴)が飽きることなく一日中響き渡ります。そばを流れる小川のせせらぎ(聴)も心地よく響きます。この時期、緑は次第に濃くなって(視)いき、放たれる草木のにおい(嗅)が一帯をおおいます。風を受けた樹木は様々に踊り、“風を観る(視)”がごとしです。古民家の床に張られた杉板が足裏(触)に柔らかい優しさを感じさせます。そして、地元でとれた魚菜に舌鼓を打ちます(味)。ここには五感との応答の世界が拡がっていました。

何よりも私を惹きつけたのは、そこに日本の原風景を想起させる“里”が感じられることでした。古民家はその中に溶解し、起伏のある地形が作り出す変化に富む樹木のシルエットに包み込まれて、佇んでいました。人を受けとめ、包み込んでくれるそんな空間が拡がっていました。

古民家には様々な“記憶”が刻まれていました。梁を架け替えた痕跡、長い時間をかけて放つようになった柱や梁の艶、重量感のある黒くくすんだ丸太の梁や不動の大黒柱、傷んだところの補修跡、等々。百年間の時間の変化、時代の変貌を受けとめた姿がそこにはあります。これらの記憶は、更に時代の求めに応じて新たな“記憶”をこれからも刻んでいくのでしょう。
その中で変わらない“もの”があることに気づきました。それはこの民家が本来持っていた空間の構造とでも言いましょうか秩序とでも言いましょうか、嘗ての日本の社会の構造秩序が反映された居住空間の構成です。この本来の居住空間の構造は、この「里」と“阿吽”のような関係で存在していたんではないかと言うことです。ある意味でシンプルな社会秩序や価値感はシンプルな居住空間の構造を要請し、そのシンプルさ故の力強さを感じさせる…そんな思いをしました。



◆今月の山中事情46回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−落語会−

かねてからどうしてもやってみたいとことの一つに落語会があった。
中学生の頃でした。学校で造ったコウセキ(鉱石)ラジオ。テレビなど無い時代のことゆえ、そのラジオが唯一の楽しみの道具でした。時間が持て余すほどあった少年時代のその頃、理科の先生は実に偉い方だと思う。メカニックオンチの私でさえそのラジオが作れたと言うこと、そしてその結果、放送が聴き取れる代物に出来上がったことが、私は驚きであった。先生の指導がいかに適切であったことを物語っている。
その「神器」で私は、落語を聴いた。噺家が誰であったかは、今となっては思い出せないが、ノイズ共々ゲラゲラ笑っていた。

さてその落語会でありますが、六月二十一日(日)午後二時より当代一の人気落語家「古今亭菊之丞師匠」をお招きいたし、独宴会がとり行われました(師匠とは言え私の息子と同い歳)。まだ木の香の残るギャラリーに約四〇名のお客様をスシゼメにして座っていただき。そぼふる雨も趣向となって、二題の落語で、おおいに笑っていただいた。笑いは健康の源よろしく、師匠もずい分熱弁を奮って下さった。
この会を取り行う為には都合三年半の準備が必要だった。市内の落語会に通い、会の運営方法を教えて貰う。当然数人の噺家さんとお近づきをいただき、お願いする方を決める。ちらし、切符、のぼり旗の制作などを用意し、お客様という最大の大事を得ねばならない。会場に高座をしつらえ、紫の大きな座ぶとんを載せると、それらしき雰囲気になった。
第一回開催までのこの一連の作業を、無我夢中で終え、いざその日を迎えると、果たして、あれでよかったのかと心にとどこる様々なものがあった。皆様にお弁当を用意し、師匠を駅にお迎えし、その段取りをしていただく。第一回独演会は「あっ」という間に終わった。「おはやし」や、「録音」は無茶苦茶だった。
菊之丞師匠の値打ちはその後のお食事の時間にも発揮された。お客様一人ひとりと、歓談されているのだ。この気づかい仲々出来るものではありません。やはり私の目に叶った落語家でした。都会の楽しみを山の中で実現出来ました。第二回は十月四日(日)です。