★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.76

4月になりました。新たな始まりの季節です。
学校や仕事場にフレッシュマンの輝いた目!!

私、5回花見をしました。今年の桜はどこも綺麗でした。
特に神代桜が印象に残り、今月の話題にしました。

では《Ryuの目・Ⅱ☆−no.76》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は 真宅寛子 さんです。

−デービッドのポケット−

デービッドに初めて会ったのは外国の小さな町だった。もうかれこれ12、3年前になる。彼は英語を教えていた。年齢もどこの国の人かもわからなかったけれど、いつも彼のポケットがパンパンにふくらんでいて、何が入っているのだろう?と興味を持った。英語のあき時間に食べる自分のためのものだと、思っていた。
ある日、食事を共にすることがあり、レストランへとむかった。その店への途中に小さな路地があり、そこには野良猫が何匹かねていた。これ以上やせることが出来ないほどやせていて、ミャーと鳴く元気さえなさそうだった。すると、デービッドはやおらポケットから魚のソーセージを出してその猫達に与えた。自分のためではなく、ポケットの中の食べ物は動物達にあげるものだった。
デービッドが動物を好きなことがわかって、wwFに所属して動物達の待遇の改善を求め、まだ、ひどい扱いだった、当地の動物園をたずねた。そのときもいつも、彼のポケットはふくらんでいた。ある動物園では象の足全てに重い鎖がつけられ、日を遮るものがなにもないコンクリートの上につながれた2頭がいた。事務所に抗議にいき、長い鎖1本にさせ自由に動くことが出来るようにして、彼がポケットから出したのは、なんとバナナだった。よその国のことにあれこれ抗議したにもかかわらず、その国の動物に携わるスタッフは怒りもせずに、受け入れてくれ、温厚な国民性に、今から思えば感謝するばかりだ。
それから、何年かたち、それぞれの母国に帰る日がきた。帰国して日々すごしていたある日のこと、そのデービッドから1まいの葉書がきた。それは日本の中国地方のある都市からだった。なんと彼は日本人の女性と結婚して、その町に住んでいた。何年か後、再会した。その町を案内してもらっていると、古いお城にでた。彼の周りに何匹もの猫が集まってきた。同じようにかれのポケットはふくらんでいて、あたりまえのように、また、魚のソーセージをだしてきた。全ての猫、11匹を捕獲して、手術して、キャットフードをあげているようだ。ソーセージはおやつだと笑っていた。彼の動物に対するやさしい精神を育んだ国、また今でも彼のポケットが膨らんでいるか確かめに彼の国を訪れたい。
動物も人と同じ地球の一員だと考え、あたりまえのように接するデービッドは今彼の国、イギリスに住んでいる。

  豊中動物愛護グループ   真宅寛子



◆今月の隆眼−古磯隆生

−再び、二千年という時間−

昨年5月のRyuの目(no.65)で発信しました「二千年という時間」で山梨県北杜市武川町の実相寺にある樹齢二千年と言われる神代桜をご紹介しました。昨年訪れた時は既に花もすっかり落ちて葉が覆っていましたが、二千年の時間を貫いてきたこの老巨木のガタイの異様な迫力にただただ圧倒されました。その時、花を咲かせた姿はどんなものだろう、一度観たいなと思っていました。以来気になっていたのですが、先日山梨に行った折、少し時間が出来たので実相寺に向かいました。事前情報を入れていなかったので少々不安でしたが、運が良かった!!満開の花をつけ、悠然と聳える風情のこの老巨木と再び対面するに至りました。添付した2枚の写真をじっくりご覧ください。気の遠くなる時間を自然の中で生き抜いてきた姿は、見慣れた桜の姿とは凡そかけ離れ、何か生命の精も棲んでいそうなこの老大木!見事な花を咲かせています。

因みに、神代桜は野生種のエドヒガンの古木で、この種は最も長寿な品種とされているそうです。エドヒガンの変種にシダレザクラ、観賞用にオオシマザクラエドヒガン系のコマツオトメの交配により生まれたのがソメイヨシノとのことです。ご参考までに。

勇気を与えてくれるこの一本の老大木の写真を再び皆様にお届けしたかった。



◆今月の山中事情43回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−天の災い(日記から)−

それは夢の中の出来ごとではなかった。外が異様に騒がしかったからだ。
それに促されるように目が覚めた。時計を見たら四時だった。
山が一勢に転げ落ちて襲って来たような、そんな不気味な音を感じたからだ。
裏山の稜線に、大きな木立が並んでいる。それが大風を受けて恐ろしい音をたてているのだ。風が吹く音で目が覚めることなど、これまでなかった。
この未明の風が、それほど大きな、気味の悪い音だったのか、はたまたこの土地に住みついたがゆえの、習い性のようなものがそうさせたのか、暗い山中で、唸りを上げているそれが気にかかり眠れなくなった。
そこいらの戸袋のすき間から、ヒュー、ヒューと鳴いている程度なら、恐れもしないが、縦横無尽に間断なくこの古ぼけた建物に吹き付けて来る大風に、あちこちのトタン板や、はめ板が剥げて飛んでしまうのではと心配だった。山峡の地形は、風がそこに一旦入ってしまうと、通り道のようになる。強い風は倍加するのであろうか。
少しも止まずに、夜が明けた。
台風と異なる、この時期の気象状況は、予報士も困惑気味だ。
それにしても、夜中の山中に、ゴォーと響く大風の音は慣れた者とは言え姿が見えぬがだけに、ある不安を与えるものである。
どんな天災も恐ろしいことだが、自然の営みが、もし感情の起伏のように行われるとしたら、願い下げた。
風はそよ風であって欲しいし、川はせせらぐ程度が好ましい。
商売用ののぼり旗が又倒れていた。今年三度目だ。
明日も又、天気の機嫌が悪いようだ。(三月二十三日・月)