★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.75

社会は徐々に冷え切ってきているように感じます。
一方季節は三寒四温というところでしょうか。
社会の三寒四温は?

では《Ryu の 目・Ⅱ☆ −no.75》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供はクレムソンの岸本雄二さんです。
        昨年、東京での三ヶ月滞在を終えられ、暮れにクレムソンに戻られました。
        東京滞在中にいただいた話題です。

−美矢ちゃん−

オギャー、アバジャバジャー、ママー、お腹すいたからおっぱいちょーだいよー!とは、まだ14ヶ月の我が孫娘「美矢ちゃん」にとって、少し期待のし過ぎか。
でもしばらく会わないと尾ひれがつくほどの成長ぶりで、今ではどんどん一人歩きをして自由意志の領域を広げている。さらなる驚きは我が娘のお母さんぶり。潜在的才能の開花か。こちらとしても「ジージー」ぶりの機会をもっと創りださねば、と反省しきり。
世の中は景気に翻弄され、日本もアメリカも経済中心の選挙情勢。景気が悪くなると、大学でも予算が大幅に切り詰められるが、不思議なことに大学院の学生が増える。景気の悪いときはよい経験のできる仕事も少ないので、時間とお金を将来に投資してもう一つ学位を獲得しておこうという考えか。しかし、だからこそ今、時流に左右されない教育と研究の徹底検証と発展のための磐石の基礎を築くときと考える。今の選挙制度は政治を人気取り商売にしている。
昨今、洞察力のある人が少なくなった。大概の人の目が濁っている。邪気の無い心でただ無心に見つめれば、自ずと見えてくるものも都市の塵に覆われた目では見えるものも見えなくなってしまう。

いまどきの若い女性の目の化粧は凄まじい。先ず、クレオパトラのように上下左右からアイシャドウやマスカラで塗りまくり、目玉の位置がはっきりとしなくなる。何処をみているのかよく分からない。ただ目が大きければよいというものではない。そういう度の過ぎた化粧をする女性の目は死んだように表情に乏しい。私は目の厚化粧よりも、輝きのある目が好きだ。輝きは個性と自信の表れであり洞察力もあるように思える。そもそも女性の「美」に関しては、いまの世の中、完全に西洋の「美」の基準に染まっていて、人種的にそのようにできていない日本人は大変はハンデイを背負って生まれてきている。しかし肌は東洋人の方がキメが細かく、また長寿でもあるので、ここで一つ、目の輝きでもってハンデイ を返上し、「美」の基準に変化をもたらしてもらいたい。

今の政治家には目が死んでいる人が多い。これを分析すれば、自分の仕事に自信を欠き、興味も薄く、だから相手党にケチをつけることしかしないで、自分の信念や人生観にもとずいた主義主張の議論ができずにいるわけである。洞察力に欠けているから将来が見えず、ただ解散か景気回復かと有権者の顔ばかり見ている。恥ずかしくも無く政治生命の保身を前面にだし、世間はこういっている、世の中の人はこれを望んでいる、とあたかも我々有権者の気持ちを代弁しているような方便を使って媚びた演説しきりである。全くありがた迷惑でだ。一人でもよいから、たとえ「嘘」でもよいから、自分の意見を前面にだして、それこそ世間に問うてもらいたい。そうすれば目にも「輝き」がでて「洞察力」も湧いてくるに違いない。

まだまだプリミテイ ブではあるが、孫娘「美矢ちゃん」の目には、輝きと、じっと見つめて突き通すような力がある。生きるために精一杯頑張っている純粋さの「眼力」だ。そして、当たり前だが「何の化粧もしていない」無垢の目だ。2008年11月2日、70歳の大台に乗る前に新宿にて。岸本雄二


◆今月の隆眼−古磯隆生

−伊根湾の舟屋郡−

前回、「にほんの里100選」に選ばれた京都・伊根町の「伊根湾の舟屋郡」を紹介しましたところ、同級生(高校)の中尾氏より氏が校閲した「船小屋−風土とかたち(INAX出版)」という本がプレゼントされました。日本海側にこんなに何カ所も「船小屋」が存在することをこの本で初めて知りましたが、それぞれの地域で船小屋の作り方も様々です。そこに、気候風土により生まれた建築形式、集住形式を眺めると、混沌とした気分に一風の清風を送り込まれた気分になりました。そこで、私が大学2年生の時に参加した伊根湾の舟屋郡の調査について思い出してみることにしました。
夏休みを利用して調査は伊根湾に面する亀山地区(17世紀頃成立)について行われました。ここは二、三十戸の集落で住宅・蔵・舟屋を含め測量対象建物数延100近くです。17人のメンバーが十日間をかけて一軒ずつ実測・調査をして行きます(添付図:彰国社・建築文化1969年6月号)。

丹後半島の東端に位置する伊根湾は三方を山に囲まれ、日本海ではめずらしい南に開ける入江です。その内海と外海の境あたりに小さな島(青島)があり防波堤の役目を果たしています。そのため、台風時には船の避難場所にもなってたようで、さざ波が立つ程度の波とのこと。加えて、日本海側は太平洋側に比べて潮の干満の差が少ないそうで、船用のガレージを造る条件に適していた。一方、雨や雪の多い裏日本の気候から漁師にとっての財産である船を守るためにもそれようの小屋が必要とされ、この舟屋形式が生まれたようです。
地形に沿って舟屋を海辺に並べ、細い道を挟んで対の屋の様に母屋があり、その背後の山との間に土蔵を設ける形で集落が形成されています。山―土蔵―母屋―道(庭・仕事場)―舟屋―海が基本的生活軸です。往時の集落間の交通は小舟で、この「道」は嘗ては母屋と舟屋を結ぶ庭・仕事場であったようで、後に道として整備された。海岸線に沿ってびっしりと並んだ舟屋郡は同時に海風に対する母屋の防風林の役割も果たしたと思われ、木造住宅(外壁:板・土塗壁)の保護にも役立っている。

調査はコミュニティーの要である「祭り」についても行われました。静かな入り江を舞台に繰り広げられるここの祭りは、湾を囲む5つの集落のそれぞれの氏神の祭りとも複合させたかたちで、8月の初めに行われます。
「宵の宮の陸の行列は、各集落がその裏山にまつる氏神から氏神へと、細くけわしい山道をたどり、大祭の海の行列は、湾内をあちこち漕ぎまわりながら、八坂神社(高梨地区)と青島の蛭子神社に上陸して舞や囃子を奉納する」…彰国社・建築文化1969年6月号
各集落から祭礼船が出され、海の行列ではそれぞれの船の受け持つ役割が定められている。自分の廻りしか見えない当時の私にとって、それはなかなか見応えのある光景でした。

田舎では過疎が進んでいると思われます。このような壮大な祭りはその後どの様に受け継がれて行ってるのでしょうか?にほんの里100選に選ばれたということは荒廃はしていないということなのでしょう。



◆今月の山中事情41回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−忽然と−

大切な 私のお客様が   
この世を去られた
ひとり 又、ひとり
風のように ろうそくの火のように  
命を消した。

これまで 数えきれない方と  
関わりを持たせていただいた。

その発端(きっかけ)が
何であったか 思い出せない方
明らかに あの場面のやりとりから  
ずっと関わらせて いただいている方。

人を永くやっていると 商売を永くやっていると
自ずとそれは増えてゆき 悲しみも又多くなる。

数十年前の方を 思いだしている。
全く音信は途絶えた たしか同じ位の年令だった
壮健に暮らしているだろうか
一回り上の方だったら 果たしてご健在か
と心配してしまう。

「風の便り」ということを 聞く
実はコンピューター以上のハイテクだ と思う
「虫の知らせ」もそうだ 「正夢」というのもある
「第六感」もだ
それが日常の中で作動して そんな知らせを受けている。

誰もが人との関わりで 生きている
残念なことだが その関わりが対等でない
こともある。

茶道の世界に 一期一会 のおしえがある
この言葉は 時として
人との関わりに 端的に使用される
ところがそれを 「これっきり」と解釈すると
あまりに儚く寂しい。

しかし此処では ありうることなのだ
それゆえ そうならないようにと
祈っている
だが 次ぎに忽然と消えるのは
私かも知れない