★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.74

ついこの前まで、新年会だ何だと騒いでいたのに、早、2月になりました。
光陰矢の如し…を実感する日々であります。
暖冬でしょうか、春の気配さえ感じる日も。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.74》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は麻生京子さんです。
先月号で私もハンマースホイ展の事を書きましたが、同じ展覧会をまた別の角度から観た感想をいただきました。

−ウィルヘルム・ハンマースホイ/美術館・美術教育−

昨年12月、気になっていたフェルメール展を観に上野・東京都美術館へと急ぎました。国立西洋美術館を右にチラッとみると、見たことのない画家の名前がありましたが取り敢えず都美術館に行ってその行列(寒空の下1時間半待)に驚き、フェルメールはとりやめました。西洋美術館に行きウィルヘルム・ハンマースホイというデンマークの画家の絵を観ました。心に深く残る作品が数多くありましたがどの作品にも通奏低音のように在る雰囲気は唯”静謐”という言葉そのものでした。「チェロ奏者」何を奏でているのか・・シベリウスグリーグか・・とにかく北欧の作曲家の静かな曲が集中力をもって演奏されているのが聴こえてくるよう。

「イーダ・ハンマースホイの肖像」彼女はピアノを弾くらしく私の目はイーダの指に釘付けになりました。それは決して家事に荒れたものではなく、メカニックに恵まれたもので彼女の演奏はきっと素朴で線の太い豊かな響きを持っていたと日本人なら誰でも感じる羨ましさを思いました。でもこの絵ではイーダは静かにスプーンでコーヒーをかきまぜているだけ。

「室内、ストランゲーゼ30番地」この同じタイトルで数点描かれていますがどれも彼にとって余計なものは排除され静かに静かにこの部屋は存在しています。いつかこの地を訪れてみたいものだと思っています。

こんなにゆっくりとした時間を美術館で過ごせるのは日本では稀なことです。職員たちも他の美術館員と違いこちらの鑑賞を妨げないように気をつかっているのを感じました。元西洋美術館館長で全てに渉って指導・演出された高階秀爾先生に感謝!尊敬!です。
海外で美術館を訪れるとまず見張りの人がいません。いるなーと思っていると見張りではなく作品についての説明を乞われるのを待ち構えている学芸員だったり、時には館長だったりしてこちらが一度見た絵の所に戻ったりすると近寄って来て、この構図は・・とか、この色にあたっている光の意味は・・もう少し遠くから観ると・・とか説明を始めます。美術館そのものも奇をてらったものでなく、またルートもとてもシンプルで鑑賞しやすく考えられています。まず鑑賞者ありき・・で「立ち止まらないで・・・」とか「もとに戻らないで・・」など聞いたことがありません。展示室の中央にベンチが置いてあり座ったまま作品をじっと観ているのは至福の時です。
ただ、鑑賞者のマナーもいいです。例えばフランスではルーブル美術館でも小学生から高校生まで無料ですが「クラス・ルーブル」のように学校でしっかり予習させてクラス担任と美術の先生が引率、皆 床に腰をおろして小声での先生の説明を静かに聞く、という教育を受けているせいでしょうか、説明が終わって各グループに分かれての生徒どうしの会話もささやくようです。彼らの展示品への尊敬の気持ちすら感じとれます。そしてその上に「この彫刻、好きじゃない!」とかいう意思表示さえその理由をはっきり説明しているのはたいしたものだと思います。先生も決してその意見を否定せず「ああそう!あなたはそう感じたのね!」と認めていました。東洋美術を集めたギメ美術館では中学生達が日本の仏像などを興味津々にいろいろな角度から見ていてそのポーズを真面目に真似たりしている光景は微笑ましい場面でしたが(照らし合わせている予習のプリントが欲しかった!)こういう教育こそ日本でもすべきでは!!!の感を強くしました。


◆今月の隆眼−古磯隆生

−里−

1月6日の朝日新聞朝刊に「にほんの里100選」が出ていました。4,474件の応募があり、その中から「景観」「生物多様性」「人の営み」を基準に100箇所が選ばれたそうです。紙面には100枚の写真が紹介されていましたが、そのワンカット写真だけではどんな処かを想像するのは難しいことですが、テレビでの放映が予定されてるそうで待たれます。その中に二カ所だけ私が訪れたことのある「里」を見つけました。ひとつは京都・伊根町の「伊根湾の舟屋郡」で、もう一つは大分県・日田市の「皿山」です。共に二十歳台に訪れたところで、とても印象に残っています。その後は訪れていませんので、あの頃の風景は今どのようになっているのかわかりませんが、人々が「にほんの里」として挙げているということはその魅力が未だ生き続けているということでしょうか。

日田の皿山は小鹿田(おんた)焼の窯元集落で、福岡県の小石原焼という窯元集落調査の折に立ち寄りました。300年の歴史を持つ山間にあるこの集落には英国の作陶家バーナード・リーチも滞在して作陶していたところで、谷川の水を利用して唐臼に陶土をつくこの集落の独特の景観(添付写真)はとても新鮮に映りました。
丹後半島にある伊根には漁村集落の調査で滞在しました。山が迫る海岸線に沿って道がうねって走りますが、その道を挟んで山側に母屋があり、海側に舟屋があります。母屋と舟屋がワンセットで一軒を構成する、これが基本パターンです。舟屋はいわば船のガレージです。山―母屋―道―舟屋―海が生活軸で、それが地形に添って連なっていき、集落を形成しています。我々が滞在した頃はこの舟屋も改造され、二階に座敷が設けられそこに寝泊まりしました。この舟屋と舟屋の隙間もまた楽しく、曲がりくねった道を歩くとこの隙間から垣間見える海がとても心地よく、道空間の視覚的変化がとても刺激的で印象に残りました。滞在中にお祭りもあり、地元の人々と一緒に「船屋台」を組んだのが思い出されます。

2つの集落は、私が建築の世界に歩み出すにあたって、設計することの“リアリティー”…つまり、私の設計行為が人とどの様に繋がり、その人達がどの様な意味を持ちうることになるのか…が全く掴めず、もがき苦しんでいる頃で、“リアリティー”を求めて参加した調査でした。その頃の思いは歳月を経て今なお私の中で連綿として意識されてるものです。
この「にほんの里100選」の企画はどんなことを語りかけてくれるでしょうか。環境問題が喧しくなってきた今日、“持続可能”がキーワードとなって生活スタイルの見直しが求められてきた今日。コンピューターによる世界席巻により自己の寄って立っている環境・空間・生活との応答が本人とはかけ離れた所で様々に決定されていく宿命を背負った我々現代人にとって、広い意味での『喪失した我々の原風景』を探り出す手立てになるのでしょうか。「里」では時間がゆっくり経過していることは確かなようです。
この「にほんの里100選」からこんな思いをいたしました。


◆今月の山中事情41回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−交友−

このコラムは私の知り得ないところで、たくさんの方にお読み頂いてるらしい。しかし、それは古磯氏に因るところが大であることは言うまでもない。私はパソコンを持ち合わせていない。世の中の多数の方々が、機能的で良いとなってそれを駆使しているわけだが、依然として私は手で書き、手で作ることを手段としている。
それを操ることによって損か得かを論ぜば、損をしているかも知れない。それによって仕事の多募を論ぜば少ないより多い方がいいが、コントロール出来なくなることもあり、どうすれば良いか今だ判断出来ずに居る。とは言っても、そのお陰で広く、多くの方にこのコラムをお読みいただいていると云うことは肝に命じてる。いずれそのうちパソコンを持つ積もりです。

二月一日すこぶる天候の良い日、古磯氏の同級生である、見目麗しい九名のご婦人方が当店にお出でいただき、私のつたない料理で昼食会を開いていただいた。この「山中事情」をお読みいただき、天然記念物的私の暮らしを、調査・検証する為のご一団であった。寒中にあって、我が家に咲く福寿草にも負けず劣らずの楚々とした中にも華やかな皆様が、初春の香りを置いて行って下さいました。伺えば、わざわざ山口県からこんな辺鄙なところにお越し下さり、頭が下がりました。ご用のおもむきは同級会ではあった様でしたが、その後、私の暮らし振りを心の奥底ではどうご判断されたかは確かめようもありませんが、世の中にはこのような選択をする者も居るのだとは、一同感じているものと推察いたしております。

一定の年齢(皆様も還暦を迎えておられます)を生き永らえると、右往左往するわけには参りません。どなたとて柔か頭ではなくなって居ります。嫌が応でも、考え方は固定してしまいます。それで良いのではと私は思います。多くの方と私が違うのは、世に毒づいたり、自分勝手に生きられる環境をたまたま手にしただけで、高邁な思想の裏打ちがあって、ここに在るのではありません。今後とて、どんな生きざまになるのかは解りようもない中で、生涯の仕事を毎日続けて行くしかないのであります。
しかし、その生涯の仕事もさることながら、アートの世界を造ってしまい(ギャラリー)今年は、そのことで全く異次元の方々と出会うのではないかと日々ウキウキして居ります。この山中から世界のアーチストが躍り出る可能性だってあるかも知れないからです。
すでに、写真・陶芸・服飾・洋画の方々にご来店いただき、尽きぬ話をされました。文化を模索していたら「交遊」が生まれました。どうぞこの山中で「私のアート」を展覧される勇気のある方がいらっしゃいましたら当店にお申し込み下さい。