★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.71

冬の気配を感じる様になりました。
紅葉の時期到来です!どんな秋を楽しむことが出来るでしょうか?
筑紫哲也さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りしたいと思います。
プロ野球西武ライオンズが優勝しました。ライオンズファンの方おめでとうございます。

では《Ryu の 目・Ⅱ−no.71》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。アメリカ・クレムソンから一時帰国され、数ヶ月日本に
お一人で滞在されるそうで、そのご様子を提供下さいました。

−ひとりごと−
本当に一人になると、私はどうも仕事のことばかり考えているようです。新宿のウィークリー・マンションの一室での一人暮らしもすでに2週間。どうしたら仕事から解放されるのかな、と自問してみたら何と、私には音楽や、絵や、エッセイやランニングなど贅沢すぎるぐらいの趣味があったことに気がつきました。早速全部やることにしました。次の日は朝5時半に起きて15キロ走り、夕方仕事からの帰りに、伊勢丹で夕食を仕入れて、一人でCDを聞きながらバランスの取れたうまい食事をしました。買ってきたギターも一時間ぐらい弾いてみました。全てうまくいったのです。が、気がついてみると、ずーっと「仕事」のことを考えていました。

それで分かったのです。これは、眠れない夜に経験したのとよく似ている、と。抵抗しないのが一番です。よし、自然体でいこう。早朝のランニングには何の抵抗もありませんでした。午前9時からは一人しかいない早稲田のオフィスで、関係者にメールでプロポーザルを送り、新しい名刺を作りました。午後にはクレムソン大学への報告書を作成。帰りの地下鉄の中でも報告書のことを考えていました。ビタミンの補強に伊勢丹で買ってきた野菜のサラダを食べながら考えました。何を?仕事のことでした!よし、それほど望むならエッセイにしてしまうぞ。

不思議なことに、これを書き出しますと、心にゆとりができ、ユーモアも沸いてきました。独り言を活字にしてみると、さすがの「仕事」の君も落ち着きがなくなり、一人になりたそうにしていました。今日地下鉄で思わぬ経験をしました。若い人が立って席を譲ってくれたのです。つい先日、日本の若い人は席を譲らないと、不平をエッセイにしたばかりでした。少し後ろめたさを感じたのですが、それよりも本当のショックは、私がそのような年に見えた、という事実でした。これこそ「百聞は一見にしかず?」です。まいった!

そもそも3Cを考えないで仕事病を解決しようとしたのが間違えでした。自分相手のコラボレーションで三つめのC(Creativity)「創造性」はいうまでもなく、初めから「ひとりごと」という一番目のC,すなわちコモンセンスを使ったコミュニケーションをするべきだったのす。活字にしてしまえばすっきりしてしまうのです。覚えておきましょう。「百聞は一見にしかず」。そう、鏡で自分の顔を見ることから始めれば、席を譲られても驚くことはなかったのです。「うっはー」!
岸本雄二(深夜、新宿のマンションの一室で、仕事病と戦いつつ。)


◆今月の隆眼−古磯隆生

−背後−
外国であなたはどこの国の方ですか?と問われたら、「“日本人”です」と答えます。その時、日本国パスポートを持った自分、即ち、日本国籍の自分を答えるのでしょう。それはそれで構わないのですが、国籍を証明するモノをもたず、日本語がしゃべれるということが必ずしも日本人であることの証明にならなかったとしたら…はたして何をもって「“私は日本人”です」と言えるのでしょうか?自分の中に「私は“日本人”」と確認できるアイデンティティーを備えた自分を確信できるだろうか?…こんな素朴な疑問を感じています。
一大イベントだったオリンピックも終わりました。日本代表の選手達は日の丸を背負って参加しました。国民の側も日の丸を背負って観戦でした。その日の丸が無かったとしたら…。それでも日本人を…?

少し前になりますが、6月20日の朝日新聞朝刊の「聞く」の欄に免疫学者の多田富雄さんが「美しい日本 四つの特徴」について述べられていました。四つとは“「アニミズム」の文化”、“豊かな「象徴力」”、“「あわれ」という美学”、“それらを技術的に包み込む「匠の技」”です。それらは次のように説明されています。

アニミズム:自然崇拝、自然信仰…環境を守る日本のエコロジーの思想のルーツ
象徴力:俳句・和歌の表現、能・歌舞伎・茶道・華道の表現あわれ:もののあはれ、滅びゆくものへの共感、
死者の鎮魂、世の無常、弱者への慈悲…あわれなののへの思いが日本の美の大切な要素
匠の技:突き詰められた技の表現、培われた技術…日本の優れた工業技術のルーツ

建築の設計を生業とする私にとって、日本の古建築は限りなく貴重は研究対象です。数百年、或いは千年を越えて存在し続けるそれらを見て回り、その気の遠くなる悠久の時間を貫いてきたそれらの中に今なお、現代の自分に語りかけてくれる生き抜いた“理屈”が存在します。ノスタルジックに古いものを求めているのではありません。保守的な世界に身を置こうと考えているわけでもありません。

伝統的に形象化されてきた象徴的要素をそぎ落とした先に自分の中に残るものは?それが私の中の“日本人”を明らかにしてくれる背景ではないか…。古建築を見て回っていると様々な“理屈”に気づかされるわけですが、その背後に強靱な“しなやかな感性”を感じ取るようになりました。それは、先程のアニミズム、象徴力、あわれ、匠の技、の指摘の是非は別として、それらの背後にあるものではないか…強靱な“しなやかな感性”がそれらに通底する、或いは共通しているように思えます。

世界は国際化しました。グローバリゼーションは否応なく我々を飲み込んでいきます。“私は何者?”探しが求められる時代になりました。


◆今月の山中事情38回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−頑張る公務員さん−
世は官僚の理不尽な横行に手厳しいブーイングが喧しい。あの三宅久之氏も「国民の敵」と激怒している。保身のみに終始して、国家や国民を蔑ろにしている一部の不心得者に対してであり、多くの公務員をそれに当てはめて見るのは間違いである。
過日、県の職員の方が来店された。山の日没は早く、夜六時ともなれば辺りは真っ暗である。以前も来ていただいた女性の職員の方と初めての男性の職員の方だ。よもや、これから仕事と言う訳でもないだろうと声を掛けたら、食事が終わったら山に入り、「鹿」の棲息状況を調査しに出かけると言うではないか。
夜、山に入ることは実は大変危険だ。視野が狭まり、どこで何が起こるか解らない自然の中であるからだ。それもたった二人で行うことに私は合点がいかなかった。しかし、彼らは日常そういう仕事をしている方々なので夜でないと確認出来ない調査方法だと言うのだ。それは夜行性でない「鹿」は、一家が集まっていて調査がしやすいかららしい。車のヘッドライとをあちこちに照らすと「鹿」の目が光り、おおよその個体数を確認することが出来るのだそうだ。

世の中には本来不必要な人は居ないと教わった。それぞれが受け持つ仕事で社会が成り立つようになっている。この度のお二方の仕事も転職として危険を顧みず遂行している。住民である我々のあずかり知らぬところで夜を徹してこのような仕事が行われているのです。付和雷同的に「公務員は!」と私も言ってしまったが、このような方々が沢山いることをこの場を借りて知っていただけたら誠に気持ちのよいことであります。