★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.67

早い梅雨入りは、早い梅雨明けをもたらすようです。
また猛暑の始まりでしょうか?
洞爺湖サミットで連日地球環境の話題がでていますが、サミット終了と共に
地球環境問題から意識が薄れるのが心配です。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.67》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供はクレムソン大の岸本雄二 さんです。
          前々回の「民主主義の次は」の続編です。

「コラボレイション」と民主主義

同じようなことのできる人たちが集まって協力することを英語ではコーぺレイションと言い、異なる才能を集めて協力しあうことをコラボレイションと言います。コーぺレイションでは、皆が同じことをする無駄を省いて効率をよくするために、交通整理をしてそれぞれの持分を決め、重複を避けなければなりません。コラボレイションでは、異なる才能を持ち寄ってことにあたるため、チームのメンバー全員が必要とされ、一人では出来ない成果が期待されます。算数を使って説明すると、コ―ぺレイションでは1+1=Max.2ですが、コラボレイションでは1+1=Min.2で、普通にしても3以上になる可能性を常に秘めています。

組織の中で仕事をする場合に、同才能集団を指揮する指揮官と、異才能集団を司る長とでは、そのリーダーシプの方法が異なりリーダーには違った才能が要求されます。同才能集団の指導は、日本的文化の中でより効果が上がり、異才能集団の効率は個人の才能の差異を認める文化圏、例えばアメリカのような場所でよりいっそうの成果が期待されます。

当然、同才能集団では仕事上の責任は集団で取る傾向にあり、異才能集団では、個人的責任に帰することが多くなります。同才能集団での個人各人の才能は実は決して同じではありませんが、同じ才能を持つと言う理由で集まったので、原則として全員が同じである、と思いたがります。これは同じ才能発揮の競争になりますが、それは原則的に誰でも出来るということで、才能を発揮する機会は指導者の裁量で均等に分け与えられるようになります。失敗をしても直ぐに他のメンバーが取って代わるので余り目立ちません。責任問題も起こりにくい仕組みになっています。一方、異才能集団の才能発揮の機会も均等に与えることを原則にしていますが、それぞれの異なる才能は組織内では余り比べることが出来ず、むしろ違う才能間の連携プレイに重きが置かれます。この例として野球やサッカーを見れば一目瞭然です。一人がエラーをすると直ぐさま全員に影響します。責任の所在も明らかです。ヒーローも生まれやすく、脱落者も出てきます。

個の確立と機会均等、それに責任の所在の明確化が民主主義の大前提であり趣旨ともいえます。当然のことながら民主主義は異才能集団に適しており、同才能集団には、他の主義を考えたほうがよさそうです。日本では、民主主義が根づくための文化的環境が余りないのに、戦後64年を過ぎてもまだそれに気がつかずにいるため、時間や資金を相当に無駄にしてきました。早急に日本に合う主義主張を考え出して、それを適応するためにこそ時間や資金を使うべきです。これは広い意味の教育と政治の問題で、文部科学省が全力で取り組むべき課題です。


◆今月の隆眼−古磯隆生

−宝厳院の庭−

今回は、京都嵯峨にある天竜塔頭寺院の一つである宝厳院の庭をご紹介します。この寺院を訪れるのは初めてです。以前、夢窓国師夢窓疎石)の庭を見ようと天竜寺を訪れましたが、その当時この宝厳院は全く意識の中にありませんでした(当時は公開されてなかったようです)。
さてこの宝厳院の庭:「獅子吼(ししく…仏が説法するの意)の庭」は、案内によれば室町時代の禅僧策彦周良禅師の作庭とか。起伏はあまり無いのですがなかなか趣向に富んでいる回遊式庭園です。円通寺庭園、高桐院のアプローチ等に見られる直線的要素は一切排除した、巨岩と垣による構成が特徴です。

通常いわれる回遊式庭園は、池を設け、その周りを巡るパターンが多く、どちらかといえば起伏に富んでいます。そこには、起伏による視界の変化、足裏に感じる変化を通して人の感覚を呼び起こす“仕掛け”が仕組まれています。宝厳院の庭は水の張られた池ではなく枯山水の「苦海」が配されており、この“起伏”の手を使わずして人の感覚を呼び起こす仕掛けの妙に新鮮味を感じました。その妙とは、握り拳の倍以上はある黒玉石を使った「苦海」と三つの巨岩と四つの垣のレイアウトにあると感じました。

茅葺き屋根の簡素な門を抜けるとそこには円弧状の蓑垣と穂垣で囲いこまれた空間が用意されています。ここでは庭への視界は遮られており、気分の切り替え、気持の準備をする空間として設えてある様に思えます。その“場”を発つとすぐに枯山水が目を惹きつけました。大きな黒い玉石を敷き詰めて海に見立てた「苦海」は思いの外迫力があり、その想像力はこの庭の趣向の妙を予感させるのに十分です。そしてこの園内での唯一の緩やかな起伏の辺りに配置された響岩、碧岩、獅子岩と名付けられた三つの巨岩がこの庭園空間に最大の見せ場を提供します。視界の先に立ちはだかる三つの巨岩は行く手を遮るように配置されており、その仕掛けは回遊する者に緊張感を覚えさせます。その巨岩の間を潜るように抜けると視界は様々に広がり、趣向に富んだ光景(滝、水路、刈込み)が展開されていきます。その趣向にアクセントを与えているのが四つの垣の一つである「豊丸垣」と呼ばれる造形性豊かな垣です。
鳥の囀り、水路のせせらぎを耳に楽しみながら風を聴くこの一時の浮遊。回遊も三分の二を過ぎた辺りに四つ目の垣が園の中央辺りに、園に背を向けるように設けられています。垣は半円弧の幾何学的な形で自然に対峙しており、はっと我に返るがごとき意識の再生がなされるようです。
なかなか巧みな、すばらしい庭園でした。秋の紅葉の時期はまた一段と期待されます。
「山水ニハ得失ナシ、得失ハ人ノ心ニアリ」 夢窓国師


◆今月の山中事情34回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−歯ぎしり−

政治家の本文は法律を作ることにあるらしい。すべて政治のせいとは言わないが、平成になってから二十年、特にこの世がいかんともし難く、おかしな、生き苦しい、変な毎日が続いているように思える。いろいろあり過ぎて列挙するのも嫌になる。だが、政治というのは不思議なもので、そういった諸々を悪い方へ悪い方へ持っていくのだからタチが悪い。少なくともこの二十年予、国家の決めたことで国民が挙って喜んだことがあっただろうか。今国民の最たる関心事は原油価格の高騰による諸物価の値上がりだ。すべての業種に打撃を与え、死活問題、倒産、廃業の危機に瀕している。

解りやすい話を聞いた。大型トラックの運転手の話だ。600リットルの軽油が入るという。現在価格145円/1リットルで計算すると87,000円+消費税となる。これに高速道路代を足すと、運ぶ荷物の代金にもならないとのことだ。重い荷物を運ぶと1Km/リットルしか走らない時もあると言う。この手の話は日本中にあると推察するするが、こんな事がこれからも続けば日本経済そのものが危うくなる(事実なっている)。それが冒頭の政治家の話になる。
暢気な彼らは全体の危機を知っていながら、暫定税率を復活させた。道路特別財源が単年度五兆九千億円が欲しいが為だ。しかし事態は深刻の度を深めている。魚を獲りに行きたくとも漁場に出られない漁業関係者。それを運びたくとも運べない運送業者。農業もしかり。すべて仕事として成り立たないところまできた。政治は弾力的にそこを見なければならない。もし暫定税率が(ガソリンに限れば53.8円/リットル)をはずせばとりあえず世の中は動く筈だ。私は不思議でたまらないのは衆参に千人近くの議員がいるにもかかわらず、この大問題を素知らぬ顔を決め込んでいるのが気に入らない。従順な我が国民は彼らに「衆愚」と思われてずっと今日まできた。知らぬ顔をしていればそのうち嵐が過ぎ去るだろうと思っている筈だ。しかしコトここに至れば、民間が手を出せる問題ではない。
「選良」である彼ら以外出来ない仕組みになっている以上、知恵を出して解決をして貰わなければならない。何の手も打たず、尚、税金を上げることばかりに窮々とし、法律の内容も理解せず、法成立のために起立や挙手をするだけなら即刻バッチをはずして欲しい。「陣笠議員」と揶揄されない為にもすべての議員は肝に銘じてこの国難を解決して貰わなければならない。