★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.64

4月になtりました。始まりの季節です。
東京あたりの今年の桜はなかなかいい桜でした。花見を堪能しました。
プロ野球も始まりました。ドラゴンズファンとしては今年こそセリーグを制覇し、
日本一になって欲しいところです。
海の向こうでも日本人選手が頑張っています。
一方でYASUKUNI上映中止問題は気持ちを重くさせます。
井の頭公園の葉桜の写真を貼付しました。

では《 Ryu の 目・Ⅱ−no.64》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は先月に続いて野村好彦さんです。

−経蔵拝見−

ふとしたきっかけから、一昨年平成18年の11月から平成20年1月までの1年3ヶ月ほどの間に、三つの寺院で「経蔵」というものを観た。最初は京都の西本願寺飛雲閣の特別公開に併せて経蔵も同時に公開されて
いたものだったが、初めて目にした印象は、『なんと奇妙なものか』に尽きる。次はちょうどその1年後の平成19年11月9日。この公開は、『東京文化財ウィーク』 という東京都の企画事業の一環として行なわれたものだった。そして三度目は平成20年冬の京都の『非公開文化財特別公開』での知恩院の経蔵。さてこの経蔵の案内文を、知恩院増上寺のパンフレットから引用したい。

知恩院
 経蔵(重文)は元和7年(1621)の建立。内部の八角形の輪蔵に『宋版 大蔵(一切)経』約六千巻を納め、これを一回転させれば、全巻を読誦するのと同じ功徳を得られるという。天井には極彩色で描かれた飛天や鳳凰が絢爛華麗に舞う。
増上寺
 経蔵は慶長10年(1605)に創建され、天和元年(1681)12月に改造移築し、さらに享和2年(1802)6月現地に移しました。構造は土蔵造、白壁仕上げ、一重、屋根宝形瓦葺き、四方に銅版裳階(もこし)付き、建坪42.25坪(139.66?)、軒下高さ21尺(6.36m)。経蔵内部には、中央に軸を立て八面の経巻棚を設け、これに経巻を納め、自由に回転できる八角形の木造輪蔵を安置しています。これには徳川家康が寄進した宋版、元版、高麗版の大蔵経重要文化財)が格納されています(現在は別に保管 しています)

上の文章でいかなる構造のものかお分かりいただけるだろうか。高さ3mほどの正八角柱の木製書架。書架−本箱の横幅は約1.5m。その書架が胸の高さほどの回転台に乗っており、書架の上には1mほどの屋根が付いている。おそらく天井から床までは5m近くはあろう。西本願寺の経蔵の写真がHP上で紹介されているので、内部の様子を参考にされたい。
西本願寺経蔵) (http://www.hongwanji.or.jp/youkoso/kyozo/kyozo.htm#top)

増上寺のHPにも経蔵の写真はあるが、外見のみで内部が紹介されていないのは残念である。増上寺の経蔵だけが土蔵造りで、それゆえ増上寺ではこの経蔵だけが震災からも戦災もから逃れることが出来た。またそれゆえ、この経蔵の建物だけが西本願寺知恩院とは違って、重要文化財の指定を受けていない。都指定の有形文化財である。
増上寺ホームページ) http://www.zojoji.or.jp/index.html 

最初に西本願寺の経蔵を観たときには、まずその大きさに驚き、それが実際に回転すると聞いて驚いた。西本願寺では残念ながら手に触れて回転させることは出来なかったが、次の増上寺では実際の経蔵を動かすことが出来たときには、なかなか感無量だった。当然ながら最初は重くてずっしりとした手応えなのだが、いったんゆっくりと動き始めると全く抵抗なく回転する。ごろごろとした感触もなく、 よほど中心の軸部分の細工が良く出来ていると感じた。
それにしても、高さ5m近くの正八角柱の木製書架を回転させるという仕掛けにも、またそれによって経典を読誦したとみなすというアイデアにも、よくも考えついたものだと感心する。マニ車というものがチベットの仏教の習慣としてあるということを見聞きしたことはある。日本の国内でもどこかの寺院で小さい円柱を回転させさせた記憶がある。だが、かくも巨大な数トンはあろうかという木造書架が作られ、しかもそれが人力によってぐるぐると回転可能であるいう事実は驚きという以外に言葉がない。いったい、何のためにこのようなものが作られたのだろうかと思いながら、知己のご住職に伺ったところ、『かなりあちらこちらで見かけますよ、ごく普通に』という答えに、再び驚いた。次いで、ネット上で検索すると、日本各地に多様な『経蔵』が紹介されている。見知らぬこと・思いもよらぬことは世の中にいっぱいある。



◆今月の隆眼−古磯隆生

−朝の散歩-

朝目覚めると、前日の天候とはうって変わって青空が顔を出していました。きっといい「水溜まり(大地の目覚め)」が出来ているに違いないと期待して井の頭公園に自転車を走らせました。夜来の風雨で公園の桜はすっかり散ってしまい、水面に咲いていた桜の花びらもこの風雨に押しやられていました。早いうちに行けば…期待とは裏腹に残念ながら水は殆ど引いてしまっていましたが、わずかに残った水溜まりにひたすら見入りました。葉桜や水面に残った桜にカメラを向けている人は数人いましたが、桜の方ではなく、ひたすら水溜まりばかりにカメラを向けてる姿に、行き交う人は“変な”おじさんだなーと思ったかも知れません。

“変な”と言えば、公園から程ない住宅街に漫画家の梅津かずお氏(まことちゃん作家)の家がほぼ完成していました。訴訟にまで発展した‘話題の家'です。ミーハー的気分も手伝って、見ておかなければ…。

赤と白の幅広のストライプ(本人のトレードマーク)がぐるり外壁を覆います。正面左角にはそのストライプを強調するかのようにグリーンに塗られた階段室と思しき筒状の形状がくっつけられいます。中央から右はメルヘンチックなデザインの真っ白のバルコニーが迫り出します。屋根には赤く塗られた筒状の塔屋がのぞき、そこに目鼻が描かれてまことちゃん?の顔に見立てられています。兎にも角にもすざましい外観でした。閑静な住宅街に突如出現した○○○○ホテルと言った風情です(偏見かなー?)。
自分の稼いだお金で建てているのだから他人様に文句言われる筋合いではない…と本人は思っているのでしょうか。しかし、昔から住んでる近所の人の「たまったもんではない」気持ちもわかります。もう少しちゃんとした設計家に相談して、それなりにデザインした住まいだと感心させるものであれば、それとして楽しめるところだったのでしょうが…残念!ジャジャーン。

何度も言うことですが、たとえ個人の家であってもひとたび建ち上がればそれは街並みを構成する一要素になるわけで、その時点で“社会性を纏う”ことになります。安定したその街並みに合わせることが必要なのか、単調気味な街並みにインパクトを与える新しい息吹を感じさせる必要があるのかは、その地域のコンテクスト(文脈)をどの様に解釈するかによりますが、それなりに“独善から一般性へ”の志向がベースに求められることですから、自分さえよければいいと言うわけにはいきません。
この国は元々「パブリック」に欠けていると昔から言われてきました。嘗ての景観は、意識するしないにかかわらず、一定の環境形成はされてきていました。



◆今月の山中事情31回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

長屋の花見

東京大学教養学部(通称駒場東大)。この学部が出来て今年で58年になるとか。私の手元に「駒場の五十年史」なるとてつもなく立派な書籍がある。七年前に出版された非売品の書籍です。教養学部の歴史の集大成であるが、大学の関係者以外はお持ちでないはずだ。訳があって当店の名が記されていることにより、頂戴したものだ。申し上げておく必要がある。私は当然のごとく東京大学にはエンもユカリも無いどころかオソレオオキトコロであるが故、近づける筈もなかった。しかし、生きて行く為の関わりは不思議なものである。まさか、私はその裏門近くに店を開き、そのエンが出来てしまった。およそ学問には絶対的に縁遠かった私が東京大学を語るのはまことにセンエツであり、イカンであり、それ以前にナンセンスなのでありますが、前述のようになったが為、この文章をしたためるハメになってしまいました。なにしろ天下の東京大学である。末はこの国のあらゆる分野に於いてその頭脳となる諸君が教育を受ける学部です。その学生と先生に当店は三十年余の永きにわたりお世話をいただいた。その数、延べ数万人にもなるだろうか。

人間は後悔する動物だ。もし私に全知全能が備わっていたら、このオソロシキばかりのシンクタンクの諸氏を上手に巻き込み、いろいろのネタを掴んでうまく金儲けできたのではなかったかと口惜しんでいる次第だ。第一、お金を頂戴しながら、尚かつ最先端の学問や情報を聞かせてもらう場など滅多にはない仕事だったからだ。それなのに「いつまでもくだらない話をしていないでそろそろ時間ですからお帰りください」は無かった。私は本当に馬鹿でした。この辺りの住人は「東大」を我がもの顔で利用しています。国有の土地ですので許されているのかは定かではありませんが、ランニングや犬の散歩、草木の採取や音楽の練習、はては越境しての園芸(?)までやっています。「東大」の学生ではない学生の通学、サラリーマンの通勤、主婦の買い物に「駒場東大前駅」までの構内を、朝夕まさに学生のごとく、教授のごとくご利用している。私もいつしか研究室の先生方の「ご用達」として構内を我がもの顔で歩いていたようだ。

店を閉じたその年の春から、毎年かってのお客様が集まり、ここ東大構内の野球場外野付近で「長屋の花見」をするようになった。閉店したその年は三回も開かれ、それから年一度となって今年は六回目の花見です。そこはゆったりした空間に楚々とした桜が咲き誇り、酔客などは皆無です(我々が一番駄目かも)。樹齢五十年以上の桜が風情を添えてくれます。時折、野球場とラグビー場から選手の歓声と若い肉体の躍動しているのが目に入るだけです。
三月三十日かくて「大学の盟主」のこの構内において、本年も「長屋の花見」が開かれました。東大の教授はもちろん、各界各層の老若男女が集合。ゴザの上に所狭しと並べられた飲食物。落語の世界とは雲泥の差である。一例を紹介しよう。キングオブスコッチ、オールドパー30年、ロイヤルサルート、ロイヤルハウスホールドなどのスコッチやウイスキー、ロマネコンテ、バローロ等のワインの類、久保田、〆張鶴雪中梅などの日本酒、森伊蔵や名前も覚えられないほどの焼酎。極めつけは移動式サーバーに生樽を装着した「生ビール」もある。食べ物はおせんにキャラメルをはじめ食べきれないほどのものが、全国津々浦々から運ばれてきたものばかり。沖縄民謡の名手が弾く三線の音色が流れる中、宴は盛り上がっていった。思えばここにお集まりのお歴々方それぞれには何のエンもユカリもなく、ただ私のお客様であっただけのことで、深いエンとユカリが出来てしまったのです。あいにく雨が少し早く落ちてきましたが、この春のひとときの宴に総勢七十名様が集まって下さいました。