★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.62

早、2月です。東京は昨日も雪でした。
前回の話題に、嬉しい、大切な、楽しい感想をいただきました。
「様々情報」でご紹介します。
このところ寒い日が続きますが、風邪を召さぬようご自愛下さい。

では《Ryu の 目・Ⅱ−no.62》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は 長峰 美夫 さんです。

ケニア昨今−
                                  
アフリカについて何か話題提供をとのことでしたので今日は私が2回駐在をしたケニアについて少し書かせていただきます。昨年末にケニアで実施された大統領選挙の後、その結果を巡っての問題から発生した騒動が日本のマスコミでもここのところ報道されており、皆さんの記憶にも新しいと思います。
ケニアの人口は約3,400万人であり、出身地によりキクユ、ルヒア、カレンジン、ルオー、マサイといった部族が40以上あります。このうち最大部族はキバキ大統領の出身のキクユであり約750万人の人口を有すると言われています。今回の「混乱」はこの部族間の根強い対立が選挙結果をきっかけに表面化したものであり、アナン前国連事務総長などによる仲介がなされていますが仲介による“平和的対話”で短期間に収拾するのは残念ながら難しそうです。

ところでケニアについては野生動物を見に現地に旅行で行ったり仕事で出張したりという経験があれば別ですが、意外と御存じない方が多いと思います。ケニアも国土は日本の1.5倍の広さがあり、地域によって土地や気候も随分違います。私が住んでいたナイロビは標高約1,700mの高地にあり、暑い時期でも気温は30度は越えず一方湿度は低くとても過ごし易い気候です。但し寒い時期(一番寒い時期は7〜8月です)には夜は10度以下になり暖炉や各種暖房のお世話になる場合も多いです。(日本から電気コタツを持って行っている日本人もたまにいるようです。)この時期は街中でも三つ揃いのスーツを着たケニア人も良く見かけますし、また一般の人たちもセーターを着るなどしています。朝晩は特に冷えるので日本の冬と変わらないほどにコートなどを着込んでいる人も多いです。治安上、アスカリと言われる門番を雇うことが外国人が住む住宅の場合は普通ですが彼らアスカリは24時間体制のため夜間はコートなど防寒着をかなり着込んで番をしています。

アスカリの話を出しましたが、残念ながら治安があまり良くないこともありケニア人であってもある程度以上の地位、所得のある人で一軒家に住んでいる人は自宅を高い塀で囲い南京錠をかけた門にはアスカリを置いています。(多くの場合は警備会社と契約をして24時間体制でパニックボタンと言われる警報連絡装置を備えて警備会社と連絡を取れる体制を取ります。)また外国人の住宅の多くがそうであるように我が家でも窓には鉄格子、1階には赤外線センサー、2階との間にまた南京錠付の鉄格子をしていました。これは1階に賊が入った場合でもそのまま1階のテレビ等を盗まれても2階の寝室にいる住人には危害が及ばないようにということで1階と2階を遮断しようというものです。この治安の悪さも一時は少し良くなったとの話もありましたが、その後は相変わらずあまり良くなってはいないようです。

このケニアも最近は富裕層の幅が広がってきたのか、大きなスーパーマーケットの入った立派なショッピングセンターも市内各所に増えてきており、週末には多くの家族連れなどで賑わっています。物価やレストランの料金も上がってきましたが、かつては外国人が多かったナイロビ市内中心部の高級レストランにも現地ケニア人の姿が非常に増えてきました。日本にも多くあるような軽食も取れるセルフサービスのコーヒーショップもナイロビ市内には何箇所もできました。その様な場所で昼食を取った場合の料金も東京の下町の定食屋さんでの料金と比べるとナイロビの方が高いくらいです。

ケニアの一人当たり年間所得は580ドル(2006年)(世銀)であり、私が2回目の駐在をしていた当時(1993年〜1997年)が260ドル〜330ドル程度だったことを考えるとほぼ倍増したことになります。実際には富裕層が増えた一方で貧困層も依然として多く、ナイロビでも広大なスラム地区が存在しています。またそのような中、エイズなどで親を失った子供達も多くいますが、そのような孤児の面倒を見るために孤児院を経営している日本人、スラムの人たちを支援している日本人、スラムの子供達向けに音楽教室を毎週開いている日本人など、陰でケニアの人たちを支えている日本人の方々がいて頭が下がります。

ケニアは伝統的な産物としてコーヒー、紅茶が欧米に輸出されてきていますが、最近は切花の輸出が急成長しています。日本にもかなりの量が輸入され始めています。またケニアは外貨獲得のかなりの部分を観光収入にも頼っています。各地の国立公園などの広大なサバンナで見るライオン、ゾウ、キリンなどの野生動物の様子はしばしば日本のテレビ番組でも紹介されていますが、現地に行って「人生観が変わった」という人も多いです。また野生動物を見ること以外ではインド洋に面した海岸地区は絶好の海洋リゾートでもあり、欧米からの「避寒地」としても人気があります。

しかし経済をさらに上向きに進めていく上での課題も多く、そのために日本の協力(国際協力機構(JICA)による協力)で産業振興マスタープランを策定することになりましたが、それが実は今まさに私が実施している仕事です。(私自身は長年日本政府関係機関であり政府開発援助のうち円借款を担当している海外経済協力基金(OECF)〜その後日本輸出入銀行と統合して国際協力銀行JBIC)〜に勤務し数年前に退職して現在は民間のコンサルタント会社に勤務しております。ケニアにはOECFの駐在員(1回目)、首席駐在員(2回目)として合計7年近く滞在しました。)産業、特に製造業については法制度やインフラ整備の問題があり、加えて上述のような治安問題もあることから外国からの投資がしにくい事情があります。しかしケニアはアフリカの玄関口として、また東アフリカのリーダーとしての期待もかかっています。今回の選挙後の混乱はそういう意味でも非常に残念なことです。混乱の収拾ができるだけ早く進み、ケニアの人たちが平穏な毎日を取り戻すことを祈りたいと思います。

(写真)1 ナイロビの街並み
(写真)2 ナイロビ国立公園のキリン
  
・話題を提供して下さった長峰さんは、文中にも自己紹介がありましたが、開発援助の世界で長年アフリカと関わってこられました。2006年からはケニアの産業振興マスタープラン策定に従事されてるそうです。個人ベースでは、庄野真代さんが代表のNPO「国境なき楽団」の楽器を送るプロジェクトの一環としてケニアの孤児院などに楽器を送るプロジェクトの実現に向け協力し準備をしてらっしゃるとのことです。


◆今月の隆眼−古磯隆生

−高い、高い・その2−

前回建物の高さ規制の話の中で50階の超高層マンションの話をしました。もう少し話したいなと思います。
都市が様々に人に負荷をかける環境にある中で、東京湾に近いこの建物は巨大です。二棟(各58階)で2800戸を超えます。つまり一棟で1400戸を超える巨大マンションです。このマンションは二棟とも“ロ”字型の平面パターンですから、各住戸の主な部屋は外周側に、共用の廊下は内側に“ロ”字に設けられ、外気に開放されていています。廊下側には上から光が差し込み、廊下側の部屋にも採光が確保出来るようにはなっていますが、中間階から下の方の階では朝でも夕方の雰囲気が漂っていました。(廊下にはいつも無機質な蛍光灯が点灯)。

“高層住居”のあり方については昔から様々に議論されてきましたし、いろんな試みもされてきました。確かに眺めは抜群によくはなるのですが、高齢者、幼児、こもりがちな主婦の居住環境としては問題点が指摘されてきました。今もこの問題が解決されたとは思えません。高層階の住居は社会の音(外部の音)が殆ど入ってきませんから地上界とは隔絶した別の世界になっています。最近では建物の耐震性にばかり目を奪われがちですが、居住性はとても大切な居住要因です。ディベロッパーの思惑と購入者の願望が“高層住宅のあり方”をも吹っ飛ばして自己運動的に展開され、“居住環境のあり方”を一方的に都市住民に押しつける形で無制御に都市が形成されていきます。限りない人間の欲望が形象化されたような巨大マンションを見るにつけ、これほどの巨大マンションがどうして必要なのかどうしても疑問に思えます。そして、建築の巨大化とともに個々の人々の表情、生活の表情が街並から感じ取れなくなって、“都市”というブラックホールに限りなく呑み込まれて行くようです。

先日、UAEのドバイでは超高層ビルの建設ラッシュが続いているととの報道がなされていましたが…どこの国も高い高いものが欲しいのでしょうか?




◆今月の山中事情29−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−神様について−

昨年あたりから、バチが当たるかも知れないと思いながらも年の始めの神事はやめた。山中に棲むということは日常が「神=自然」との対話をさせてもらっているとの理由からだ。毎日、神棚にお米と塩と水を供し、身の安全等を願うことで充分と思っている。ただ、地域のシキタリである例大祭や暮れから正月にかけての行事にはしかとお付き合いをしている。
東京に住んでいた頃は商売の「神様」や店の所在の氏子、住まいの所在の氏子として各神社に詣でていた。一日に二、三の神社を巡っていると、もう夕暮れになってしまい、何となく気ぜわしい正月を過ごしていたようだ。もっとも、そのようにしていることで毎年「神様」との一体感をもっていたのかも知れない。
我々の多くは「神」に対して内心はそれほど「確信的」に願い事を託してはいないはずだ。善男善女が年に何回か儀式的に神社に詣で、ただ心の安寧を求めに行く程度のことと思うのだがどうでしょうか。国によっては「神」はあらゆることに於いて絶対的な存在と思う国民がいる一方、我が国の「神」は日常に於いては疎遠な存在だ。普段の神社の佇まいは実に森閑として、飾り物も無ければ、参拝の人とて多くはない。それ故、「神」との対話が構築され、心が洗われる気持ちにつながっているのかも知れない。
正月は「神」に対して最大の敬意を払う日として日本中の神社に善男善女が詣でる。日常とは違う儀式がそこにある。個々人としては他の神事の儀式も行われるではあろうが、多くの場合、正月以外「神」との接点は希薄だ。このように我々の「神」は「妄信的」だったり「狂信的」に近づくのではなく、敢えて近づかず、静かに願いを申し出、叶えていただくそういう存在なのだと思う。しかし、古来より「苦しい時の神頼み」とも言われているので、実は「神」はいつも身近にあられ、私達はその都度、都合よく「神様」に願い事を託してしまっている。