★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.61

明けましておめでとうございます。
本年も<Ryuの目・?>を宜しくお願いします。
東京は穏やかな天気のうちに新年を迎えました。
雑煮とおせちと酒に浸った日々も終わり、少しウエイトを気にしながらも新たな気持ちで仕事開始です。
今年はどんな一年になるのでしょうか…。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.61》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は 滝本加代 さんです。

医療崩壊の道へ進んでいますよ−

大阪の千里ニュータウンで耳鼻科の町医者をしています。古磯さんに一月の原稿依頼をされたのが、12月中旬。その時は世の中に怒っていたので、すぐに書けそうでした。ところがお正月っていうのは、人間をおだやかに平和な気分にさせてしまうものらしいですねえ。怒りより、すべてに感謝をして、やさしくにこやかに生きて行こうと、神社にお寺にお墓にお参りし祈りました。しかし、怒りと感謝。使いどころを間違わないようにしなくてはなりません。怒りも世の中の更正に大事なこと。感謝は心を穏やかにさせる妙薬ですがね。昨日1月4日に職員のご主人が亡くなられて、その住まいの団地での通夜の席で、その穏やかな、しかし極度に痩せられた死に顔に手を合わせながら、死に至るまでの話を聞いていたら、やっぱり怒らなくてはならないと思い直しました。
ご主人は、癌の末期でした。激痛に襲われ、その苦しみは大変厳しいものでしたが、麻酔医の開業医の在宅往診チームのおかげで家族に見守られながら亡くなられました。このように個別にはやりたい医療を目指して頑張っている医者もいます。頑張っている医者を倒れさしていいのでしょうか。

そうです。怒りは日本の医療行政です。患者さんに良き医療をしてあげたくても難しくなっているのです。この流れを加速させたのが小泉政権下「聖域なき構造改革」。医療の質を落とすことなく、総医療費抑制を求めてきたのです。高度医療を担う病院は、勤務医の過重労働を強いて、賃金はそのままに、定員も減らしてきました。かっては、認めてきた若い研修医のアルバイトも禁止。アルバイト禁止は、そのアルバイト先の病院の医者の診察がなくなり、当然、その病院の救急患者受け入れは出来なくなります。(若い研修医は、正式職員ほどの賃金はもらえない。アルバイトは大事な副収入であったのです。)また、質を落とさない医療とは、医療過誤をしない医療。時代の最先端をいく医療でしょうか。「いつでも、どこでも、だれでも」これとて、人員と設備がないと出来ない相談です。
なにより医者は医療過誤により、民事だけでなく、刑事で裁かれることが増えて、医療に消極的になりました。過誤をしないための、時間も設備も与えられないで、神様のように高度の医療と間違いのない診断と技術を求められても無理なのです。また、卒後研修医制度によって、若い医者の勤務先に偏倚が起こり、大学から派遣を受けていた中小病院の医者が引き上げられ、診察科が減少してきています。話題になっている小児科、産科、麻酔科だけではありません。
すべての科に及んでいます。では医者はどこに行ったのか。勤務医は自分のやりたい医療が出来ないことに見限りをつけて開業医に流れてきています。漂流してきています。勤務医には勤務医の誇りと充実感があり、町医者には町医者も役割があって、その向き不向きがあります。腕のある医者を、追い込むような形で開業医にしていいのでしょうか。

まず、この世界に誇る日本の医療(OECD加盟国30か国の医療費比較で22位)を崩壊させないためにして欲しいこと。医者を増やして欲しい。医療過誤を刑事で裁くことは止めて、医療裁判を独立させて、患者医者ともに早く救済すること。敵味方ではありません。病に立ち向かう同士のはずです。医療は福祉である。税金を躊躇せずに使ってください。

ここまで、60分で書きました。やっぱり怒っていたのでしょうねえ。最近、医者であり弁護士である方の講演がありました。「診たくない患者は、診ないでいいんですよ。」というお言葉です。えっ!そうなんですか。医者はすべての患者さんを断ってはいけないと教えられてきました。それが義務だと。そうなのか、断っても罪にならないのか。会場に大きな驚きがありました。この状況を放置していれば、ますます患者受け入れを断る病院が増えるでしょう。無理に受け入れて医療過誤をさせたということで罪人にはなりたくありませんから。「いつでも、どこでも、だれでも」夢となるでしょう。

  
・話題を提供して下さった滝本さんは耳鼻科のお医者さん。
 ホームページはこちら : http://www.geocities.jp/kayo_clinic/
 彼女の日記「ある日ある時」を是非ご覧下さい!


◆今月の隆眼−古磯隆生

−高い、高い−

1月8日の朝日新聞朝刊の東京欄に「建築物の絶対高さ制限」を渋谷区や目黒区が導入する旨の記事が載っていました。近年の高層建築物建設による紛争の絶えないことがきっかけとのこと。
建築物を建てるには建築基準法をクリアーしなければなりません。本来、この基準法の主旨は“守るべき最低ライン”を規定したはずでしたが、“基準法さえクリアーすれば…”が現実の姿かも知れません。日本に“人々が快適に暮らし、仕事するための環境”を作り出すべき都市計画の欠如が根底にあります。
ディベロッパーは高い土地を購入し、事業を成り立たせるために基準法の容積限度いっぱいに建築しようとします(設計者もそれに加担することになります…)。そのことは、そこに暮らしていた周辺の住居者から眺望、日照を奪い、新たに圧迫感を与えることにもなります。嘗てにくらべて、ディベロッパーの対応も変化し、周辺の理解を得る努力をするようになりました。が、それも採算が採れる範囲の内です。

三鷹市では工場の移転等による広い敷地の跡地利用として大型高層マンションの建設が進み、住民とのトラブルは絶えません。武蔵野市においても高等学校の移転に伴う跡地利用でやはり大型高層マンションの計画が進み、居住環境の劇的変化に不安を感じる住民との間で紛争が発生しました。周囲は低層の住宅が並ぶ地域です。住民は、自らの権利をも規制する地区計画を、90%を超える住民の賛同を得て作成提案しましたが行政は受けとめませんでした。
現在でも東京には、’こんなにマンションが必要なの?’と思えるほど、建設が進んでいます。その殆どは高層化されています。先日、50階以上ある超高層住宅(2棟で2800戸!)を見る機会がありました。確かに眺望は良いのですが、社会の音は一切入ってきません。そこは地上世界とは隔絶した別の世界でした。住居の高層化にわたしは疑問を感じます。
今、都市の環境は居住者に様々なストレスを与え続けています。高層化され、整備されてきれいになってきていますが、やはり地区によって高さを制限すべきでしょう。常に緊張を強いる環境からホット一息つける環境を作り出していかないと…人はパンクしてしまいます。
一方でライフスタイルを見直す時期にさしかかってきているのではないでしょうか。


◆今月の山中事情28−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

限界集落について−

新年明けましておめでとうございます。本年も私の拙文をお読み下さることを心苦しく思いながら、書かせていただきます。さて新年早々重苦しいテーマですが、以前から気に掛かって居りましたので、したためさせていただきます。

正月三日、私は那覇行きの機中に居た。眼下は文字通り「日本地図」が拡がっていた。“限界集落”:耳慣れない言葉だが、聞くに耐えない呼称だと私は感じている。65歳以下の人間は住んでいない集落を指す。つまり若い人や子供が全く暮らしていない所なのです。全国にそう呼ばれる地域が八千カ所以上もあると言う。と言うことは、それは村の自然消滅を意味する。
かってそこは人の営みがしっかりと根ざしていた。学校があり、子供の歓声が村里に響き渡っていた。動物が顔をのぞかせ、家畜がそこら中で草を食んでいる。清流には魚がいくらでも泳いでいる。田んぼも畑も豊饒の恵みを与えてくれていた。ずっと昔から人々のたゆまぬ努力のお陰で引き継がれてきたのだ。そこにはそんなユートピアがあった。そこで生まれ、そこで育ち、そこで死ぬ。そういう摂理があたり前のように永々と繰返して人々は生きていた。ところが“高度な成長”を標榜した時の政権以降、この国の方向性がおかしくなった。日本のいたる所に道路、トンネル、橋が造られ、国土がホッチキスの跡だらけのようになった。災害で削られた山は悲鳴をあげ、川は荒れ狂う。一方、道路の整備自体は住民の悲願でもあったことは事実と思う。おそらくそのことによって“恩恵”があると思ったからだ。だが、その陰で若者の人口流出が顕著になり、村を守る担い手は居なくなった。産業そのものが無きに等しい地域ゆえ若者ばかりではなく、大黒柱の壮老年者も都会に崩れ込んだ。そしてそこに残ったのが「限界集落」だ。
豊饒な農作物はもう作れず、荒れ地になった。むやみに植林した杉、桧のために川に水が流れず魚も住めない状態になった。鹿、猪、熊、猿などの山に棲む動物も、間伐が行われない林の中には餌がなく、山里の自給用のヤサイを横取りしている。人間がかって彼等を食糧にしていたことが逆さまになってしまった。

この二律背反した住民の要求を将来展望を含めて検討することが政治家や役人の真の仕事だったはずだ。いつしか学校から子供の声が消えた。全国いたる所に廃校が出現し、無惨な姿をさらけ出している。経済至上主義の原則から言えば当然の成り行きと論じる輩もいるかも知れないが、あまりに拙速に事が運ばれはしなかったかと、政治の無策を嘆かずにはいられない。そこに住んでる人は後顧の憂い無く暮らせるはずだった。しかしあらゆることが「外圧」のように席巻し、まさに「取り残された地域」が造られてしまった。私の住む所も早晩そうなる運命と思っている。
豊かさとは何か。物が溢れ、情報を瞬時に得ることが出来ることなのか。
かってこの国を支えた方々が「限界集落」という名の地域で、わずかな年金を頼りに暮らして行かねばならないのは、どう考えても不条理に思う。片方で国際貢献と呼んでおそろしい金額がばらまかれている。自国民の生活貢献を政策の柱に据えないのはいかがなものか。「限界集落」がこれ以上増えない保証はない。私達はただひたすらその現実を見ているだけなのだろうか?
機中の私は、眼下にそれと思しき「小さな集落」を凝視していた。正月を楽しむために旅に出たが、上空からこの日本の姿を目の当たりにしてしまい、心の中は穏やかではなかった。