★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.58

あんなに暑かったのに…一転(一変)秋です。
「一体どうなってんの?」と誰しも首を傾げるこの頃です。
今年はいささか暑気払いが不足気味でしたが…いい季節になりました!!

では《Ryuの目・Ⅱ−no.58》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は前回に続いて戸倉信枝さんの「 壮麗なるロシア美と至宝めぐり8日間(6/21〜28)」の旅」の3回目です。

−6月26日−ウラジミール(モスクワの北東168km)へ−
12世紀半ばに造られた城門が、メインストリートにあった。黄金の門。現在、上部は展示室になっているという。世界遺産のウスベンスキー大聖堂はゆるやかな緑の丘に聳えていた。5つの黄金のヘルメット屋根に真っ白な石灰岩の壁。緑に映えていた。他にドミトリエフスキー聖堂。

スーズダリ(ウラジミールから北に35km)へ。
バスが到着するやいなや現地の4人の女性たちの歌声で迎えられた。希望してロシア民謡「カチューシャ」を歌って貰い、私たちも大きな声で一緒に歌った。遊びでは日本の通りゃんせのような、歌が終わった時に捕まった人がどんどん鬼になり殖えていくという遊びを、この大人たちが捕まるまいと本気で手を繋いでぐるぐる走り回った!また鬼(参加者のF氏)が目隠しをして棒を持って鉄鉢を探すゲームも楽しんだ。

ここは田舎町で、このホテルは病院の跡地に昨年建られたというログハウスだ。人物が写っているのでお見せ出来ないのがとても残念だが、ホテルプシュカルスカヤロボダというそれはそれは、ゆったりとしたログハウスだった。今まで20階という高層ホテルに宿泊していた私たちはこれに大喜びをした。その上8名が同時に宿泊出来る一番大きなログハウスをあてがわれ、各ツイン室の中央部分には大きなサロンが付いていたので、ここで「ロシア最後の懇親会をしよう」と話はすぐに決まった。4名はノンアルコール組、2名はお付き合い程度。残る2名も御酒を愛でてほんの嗜む程度!

夕食前にスーズダリの中央広場まで歩いて10分程の露店(国営)に買い物に行ったが、懇親会のための飲食用の買物は、もう少し足を伸ばしてその近くのスーパーマーケットに行ったが、これが安かった。ナナカマドジュース?ウオッカ?・ビール・おつまみ・鰊の酢漬を買って220ルーブル(1100円)。今までレストランでビールやワイン1杯を100〜160ルーブル(500〜800円)で飲んでいたのだから全く驚きであった。(ロシアは勿論チップなし)。この旅行では、食事の度に350〜500mlのペットボトルの水がついていたので、特別に水を買うことの心配は少なかった。夕食後の2次会の懇親会は、勿論やった。関東組の4名は11時まで話し込んだ。
ロシアの食べ物としては、サラダはどれも美味しかったし、ボルシチも良かった。ピロシキは、カラリと固く揚げてありさすがに美味しいが、ボリュームもたっぷり。ペリメニ(水餃子)は固いし塩からかった。その他、キエフカツレツ・つぼ焼き・ビーフストロガノフは今ひとつピンと来なかった。ロシアンティーを期待していたのだが、それはどこにも無かったし、ガイドさんの話では、紅茶を飲みながらジャムを舐めるのが本来だと云う。

おみやげになるものを探したが無くって、最後はやはりチョコレートになってしまった。そういえば、本物のキャビアも全然見かけなかった。幸なのか不幸なのかは分らないが。予想していたより気温が高いために、着る洋服の持ち合わせが無くて困った。半袖の上に長袖をはおる程度で良かったのだが、その半袖が2枚しか無くって残念だった。
ルパーシカ(夏用の刺繍長袖ブラウス)をフォークダンス練習用に1着買いたかったのだが、それもほとんだ見かけなかったし、あってもきっと高価だろう。トイレの個数は、全般的にどこに行っても少ない。国内線空港ビルでさえ2個だけという有様で、団体客が入るようなレストランでもたった1つっきりというのがあった。そのうえ有料のところも多くて10ルーブル(50円)。


−27日−スーズダリ観光へ−
16世紀のスパソ・エフフィミエフ修道院の10時10分の時を告げる鐘が、鐘楼で人の手で鳴らされているのが見えていて、その音色の響きが心に沁みた。教会では、ロシア正教の聖歌を5人の男性修道生が聞かせてくれたが、教会で聞く聖歌には安らぎがあった。スパソ・エフフィミエフ修道院とカーメンカ川の向かい側にあるポクロフスキー女子修道院は、川底下の地下道で繋がっていると云う。修道女には子持ちの人もいるという。この近くには修道院や教会や木造の民家なども残っている。ここは、ゆっくり歩きたい田舎町だった。

−帰国に際して−
まず1番に旅行トランクの重量制限が心配だった。ガイドさんの話では、1kgにつき1万円を支払った人がいると云う。トランクの軽そうな友達とセットで一緒に2つの荷物を預けようと考えたりしたが、20kg制限のところ20.5kgでパスした。実際には24kgを越していなければ、特別に問題は無かったのかも。ロシア旅行をする時にはまずビザ取得が必要だが、それは全面的に日本の旅行社にお願いした。ロシアビザ取得には、旅行の全行程の宿泊を含め交通も予約済みであるという現地旅行社発行の書類が必要だったからであった。(南米ペルービザは自分で申請取得した)。帰国に際しても同様に、ロシアで宿泊したホテルの証明書をパスポートと共に大事に提出したので無事に出国できた。

出来上がったロシア旅行の写真を見て、還暦ごっこはもう難しいかな?とも思ったが、2年後もまた「還暦クラス会旅行」をする!!
  

◆今月の隆眼−古磯隆生

−晩夏の高桐院−

九月も終わりに近い時期、大徳寺高桐院に行きました。このところ1年に一度はこの高桐院を訪れていますが、いつ行っても飽きることのないお気に入りの塔頭です。初秋を感じさせるはずのこの時期、今年はむしろ晩夏の趣で、紅葉どころか、青々とした空間が迎えてくれました。
表門から唐門に至るここの直截なアプローチを直線的な青竹の柵が一段と際立たせます。森閑としたこの空間にはオゾンたっぷりといった感じで、時間を忘れさせてくれます。写真を貼付しますので味わってください。何度もこの欄で書きましたが、“これぞアプローチ”。街の喧噪に浸ったこの身を一歩潜らせるとそこには稟とした空間が待ち受け、一瞬にして我が気分を変えてしまい、静寂に導きます。
この青々とした空間も紅葉の時期は一変し、華麗な豊饒の紅に満ちた空間に包まれるのですから…。
もう一つ私が気に入っているのは客殿にある書院茶室の床柱です。太さが通常の倍はあろうかと思われるこの杉シボリの床柱は直径が一尺はあるでしょうか、あの直截なアプローチに呼応しているようでもあります。“デン”として動じない姿がとてもいい。更に床の掛け軸も呼応します。
“一鳥啼山更幽”(一鳥啼いて山更にしずかなり)−高桐院・剛山和尚
いつか雪の高桐院を訪れてみたい。



◆今月の山中事情25−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

恐らく多くの方は「ねずみ」や「蛇」は苦手だと思う。私も当然のごとくそうなのであるが、なのにその両者がより出没するこんな山中に来てしまった。で、出来る限り彼等にはお会いしない方が良いと願って暮らしている。それでも古民家の天井裏では「ねずき君」が運動会をしていたり、そこら辺をかじっている。静かな日が続いているとすれば「蛇君」に食べられているのかも知れない。

山中はこんなことは日常茶飯事と心得なければならない。通称「山ねずみ」と言われる「ねずみ」がここいらには住んでいる。茶色の毛で「すずめ」位の小さな「ねずみ」だ。尾は細長く、体長以上ある。実は私はその尾が「ねずみ」という動物に対して一番嫌悪している。それさえなかったら「リス」のように可愛いと思うのだが、尾が長いばかりに「ねずみ」が好きになれないでいる。

その「山ねずみ」がどういう訳か、外に置いてあった傘立てに(陶器製の長いもの。あいにく雨水が貯まっていた)落ちたようで、中でパチャパチャ音を立てている。何気なくのぞいたら溺れかけていた。見るのも嫌いだったがそのままにしていたら死骸を片付けなければならないので、傘立てを棒で倒した。文字通り「濡れねずみ」になって出て来た。今までだったら「ねずみ」を捕まえたら必ず殺戮していたが、何故か逃がしてやった。命を助けてやったのです。山に住む者同士の連帯感がまさか成立してしまったのであろうか?

草ぼうぼうに放ったらかしていた裏の庭を、涼しくなったので完全武装をして草刈りを挙行。普段は用もない所なので様々なものも片付けていない。草は遠慮もなく、どんな所にも生えていた。背丈ほどになった草々を鎌で片っぱしから刈り取った。その時白い帯状のビニール片のようなものが草の中に横たわっていた。一瞬にして「蛇のぬけ殻だ!」と解った。かなり太くて長い。こんな所で脱皮するのかと思いつつ、そうか、開店前日に姿を見せてくれたあの「青大将さん」のものかもと勝手に想像した。翌日、今度は坪庭にも少し短めの「ぬけ殻」が一本脱がれていた。「ねずみ君」を助け、「蛇のぬけ殻」を二日続けて見つけ、これは吉祥の前触れかもと密かに期待を持った。が、何日経ってもそれらしいことは起こらなかった。愚かな欲を持ったことに気づき、何も起こらなかったことが吉祥だと知った私はあらためて己を戒めた。
めでたし、めでたし。