★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.49

★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.49

新年を迎える心構えもできず、新年の気分のしないまま正月を迎えた気がします。
何はともあれ、まずは、明けましておめでとうございます。
本年もRyuの目を宜しくお願いします。
東京は穏やかな晴天に恵まれて新年を迎えました。

今年も皆さんからの様々な話題をお待ちしています。
既に提供して下さった方々も更なる話題提供をお待ちしています。
では《Ryuの目・Ⅱ−no.49》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は真宅寛子さんです。
          朝日新聞に投稿された3編いただきました。

−英語の思い出−(2006年10月4日の朝日新聞の声欄に掲載)

今でも「こんなことがわからんのか」と言う高校の英語の先生のことを夢にみることがある。英語の文法がいやで、英語が嫌いになった。しかしアメリカのポッツプスが好きだったので、短大は英文科を選んだ。勉強したかった英会話の授業はなくシエイクスピアとか英文学ばかりで英語を話せないまま卒業した。後年夫の東南アジア赴任に伴い海外で足掛け12年をすごした。公用語が英語だったのと、子供の幼稚園がイギリス系で英語しか話さないので、必要に迫られて日常の会話はなんとか話せるようになった。幼稚園から英語ずけの現地の子供達は、難なく話せる。回りも英語を話せる人が、多ぜいいる環境では、忘れることがない。
日本に帰って9年間忘れないように、ネイティブの先生に数人と英会話を勉強しているけれど、日本では日常で英語を話す機会はほとんどない。忘れがちになるのは否めない。せめてよく目にするテレビの洋画放送も字幕なら‘なま'の英語が耳にはいるのに、わざわざ、日本語に吹き替えられていてもったいない。どこでも身近に英語に接することが出来れば、日本人の英語アレルギーも軽減され外国の人と直接話して理解できる喜びがわかると思う。


−命−(朝日新聞に投稿されましたが掲載されなかったそうです)

2005年度に日本の家庭に飼われている犬、猫は2500万匹です。全国で引き取り捕獲された犬、猫は約35万匹です。このうちのほとんどが、保健所で、ぎゅうぎゅうに狭いコンテナに詰め込まれ、苦しい二酸化炭素ガスで殺処分されていることを知っていますか?予算が無いというのが理由です。今のペット市場の利益は、1兆2200億円にものぼっています。その陰でこのような悲惨なことが延々とつづけられています。
人は補助犬法を制定し、犬を利用しているのに、はぐれたり、捨てられたりした罪の無い犬猫を人間の勝手で、行政は引き取り、恐怖におとしいれてケージを移しては最後にガス室に送り込んでいます。
1999年に動管法が改正され「動物の愛護及び管理に関する法律」と改められ、「動物をみだりに殺し、傷つけ、苦しめることの無いようにするのみでなく人と動物の共生に配慮しつつその習性を考慮して適性にとりあつかうよにしなければならない。そのようなことをすれば、30万から100万円以下の罰則」としているのに全く反対のことが公然と行われているのです。
環境省はこの度10年以内に殺処分を半分にすることをうちだしましたが、事実を広く開示し、人も動物も同じ命あるものだから、大事にし、保健所を殺す所ではなく、アメリカやイギリスのようにシエルターにし、里親を探したり、そこで飼養し、子供達と触れ合わせることで、命の大切さをまなばせることも自分の命、他人の命の大切さを考えることの、きっかけにもなるのではと、信じています。


−円卓− ( 2007年1月8日の朝日新聞「ひととき」欄に掲載)

母の法事で帰郷した折、ふと古い円卓が目にとまった。部屋の片隅でほこりをかぶって、置きっぱなしになっていた。江戸時代の終わり頃のものだそうで、釘が一本も使われず、はめ込みで作られている。縁にはぐるっと竜が彫られていて、今ではこんな机を作る職人の方はもういないと聞いた。
ずい分昔のこと、この円卓があった実家のお茶の間は落ち着いたたたずまいで、母の社交場。母は、毎年お正月も終わった1月の末、母の姉妹達が挨拶がてら遊びに来るのをとても楽しみにしていて、前の日から床の間にお花を飾り、掛け軸を変え、お煎茶の道具一式を取り出して念入りに手入れをし、待ち遠しそうだった。その円卓の上にお茶やお菓子を置いて、母達は楽しそうにおしゃべりをしていた。そばで見ている子供の私も何だかうれしくて心が温かく、いつまでもずっとそのおしゃべりが続いていて欲しかった。その思い出深い円卓をもらって帰ることにした。
翌日我が家に届いた円卓を布で丁寧に磨いていると、子供の頃の事が次々に頭に浮かんできては消えていった。ぴかぴかになったテーブルを部屋に置くと、昔からそこにあったようになじんで落ち着いて、母がいるような気がした。
そっと「お帰りなさい」と言ってみた。」
  
・話題を提供して下さった真宅さんは動物の大好きな主婦、私の同級生です。


◆今月の隆眼−古磯隆生

−デザイン・ウイズ・ネーチャー( DESIGN with NATURE )−

これはこの正月休みに目を通そうと思って持ち帰ったある書物の題名です。1969年にアメリカで刊行された“デザインする”とはどういう事かを教えてくれる本です。著者はイアン・マクハーグ、都市計画家、ランドスケープアーキテクト、アメリカ人です。イラクに侵攻した同国人とは思えないところに位置しています(こういうところがアメリカの懐深さか)。
題名が示すとおり、この書は単なるデザインの本ではありません。人間と自然との関わりの中にデザインすることの意味の重要性を指摘しました。「人間の優位性」を前提に築き上げられてきた西欧の基準に対して疑問を投げかける…今でこそ違和感はありませんが、経済成長路線を突っ走る当時としては画期的なことで、今日においてさえも生き生きしています。

この書の中に「都市:その健康と病理」という章があり、身体的健康、精神的健康、社会的健康と都市の居住環境との相関関係を(多分、最初に)明らかにしました。このタイトルを見た時、私の生まれ故郷である山口県宇部市で環境汚染と闘った記録書「緑で公害から町がよみがえるまで − 宇部市緑化二十年の記録」(1971年発行、著者:上田芳江・山崎盛司共著)を即座に思い出しました。
この記録書の一節(繰り返しになりますが印象的でしたので)に「空気はタールの匂いがしみこんでいます。その空気を吸う市民の吐く息は石炭の臭いがするのです。体からは黒い汗がにじみ出ます。ワイシャツは黒い油で汚れます。そして、町には昼夜の区別なく灰(燃焼しきらない石炭の灰)が降り続けるのでした。」とあり、「人間形成の最後の仕上げをするものは環境であるというわかりきったことがらを、私たちは忘れがちだった…」と結ばれた言葉は深く刻み込まれました。そして宇部市は<緑と花と彫刻のまち>として、1997年。国連環境計画(UNEP)より〈グローバル500賞〉を受賞するまでに至りました。

ほぼ同じ頃、人間的な都市環境をつくるために生態学に目を向け、「生態学」と「都市計画」とを一体的にとらえるべきとのスタンスでの取り組みがあり、一方では、眼病と少年の非行に立ち向かうため緑化活動に専念した主婦の活動が身近にあった…新年を迎えるにあたってわれわれ環境にかかわる一人として身の締まる思いです。

注記
「緑で公害から町がよみがえるまで − 宇部市緑化二十年の記録」(1971年発行、著者:上田芳江・山崎盛司共著)…Ryuの目Ⅰ−no.2(Koiso Park-22001/11/10発信)で紹介(ブログ:vivantの日記 http://d.hatena.ne.jp/vivant/


◆今月の山中事情−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−花園を造る−

暦を持たない暮らしをしている人々がこの地球上にまだ暮らしている筈だ。西暦も元号も、もっと言うと文字も持たない人々に「謹賀新年」「ハッピーニューイヤー」は通じるだろうか(?)。
この頃私はどういう訳か「時間」のことを気にかけている。暦を持たない彼等は、昨日の続きが今日でありそして明日を迎える、この壮大な自然の営みの中でそれに従って生きている。日常とは何の変哲もなく過ぎて行くことだと思うのだが、誰かが「時間」を知り、その「時間」を区切ることを考えた。
「新年」もそのことであり、改めまして「謹んで新年のお慶びを申し上げます」。「今年」もこのツマラナイコラムをお読み続け下さいますよう宜しくお願い申し上げます。
北海道に転勤されたNHKのYディレクターより賀状をいただいた。富ヶ谷時代よくご来店いただいた方でした。久し振りにドキュメンタリー番組を作りましたので見て下さい、と書き添えてあった。北見という町で、後楽園球場何個分であったか忘れてしまいましたが、とにかく広大な野山を五十年かけて一人で花園を造り上げた高橋さんという方の番組でした。遊歩道を作り、ただひたすら一輪車のみで造園しているのです。春、夏、秋に咲く自然の花だけを植え、育てています。全国から沢山の見物の人々が来て、歓声が上がっていました。
感化されやすい私は早速ホームセンターに出向き、まず寒冷地に強い花の球根や苗を買い、陽の当たる土手にあちこち植えた。もうすぐ咲く福寿草との競演が楽しみです。夏、秋の花々も当然手当てするつもりです。
花園になりますので見に来て下さい。関越道「花園」インターからも来れます。」