★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.48

◆今月の風 : 話題の提供は菅井研治さんです。

−最近のクルマ考−

この秋に発売されたフルモデルチェンジのカローラを見て驚いた。セダンでは全てのグレードにリアビューカメラがついて運転席の液晶モニターでバック時の死角を概ね確認できるという。技術的には驚くことではないが全車標準装備というところが、あっと言わせるところだ。メーカー、開発サイドとしては、コスト、商品性、ユーザーターゲット、いろいろな角度で度重なる検討の末の選択だったと思う。ある意味、このカローラは同クラスのクルマの競争から一歩リードしたと少し大げさだが言っていいのかもしれない。

20年ほど前だったか、一部の高級車に高額なオプションとしてエアバッグが装着されてそして現在軽自動車を含むほぼすべてのクルマにエアバッグそしてABSもが標準装備されている。こういった安全装置が”標準装備”になることで、何か新しい時代を感じてしまうのは私だけではないのではないか。(ABS:スリップを最小限に抑え安全確実に停止する為のブレーキシステム
のこと)

新しいクルマの安全技術はどこまで進化していくのだろう。
・事故など衝突がさけられないとき、事前にシートベルトのたるみを取ったり、制動力を増すなど衝突の被害をより少なくしようとするプリクラッシュセーフティーシステム。
・さらには衝突をも回避する為の、コンピューターとレーダー、センサーなどの技術が高度に融合した衝突しない車。
・位置情報中心から積極安全利用へと進化していくカーナビゲーション。0ETCをはじめ瞬時に大量の情報を車車間、路車間でやり取りが出来る通信情報技術。
・高度なシミュレーションや、精度の高い実験による新しい強度に対する考え方を具現化している、新理論の安全ボディ。

ドライバーのヒューマンエラーや、知覚能力の低下を補うシステムが搭載されたり悪天候や夜間の運転を支援するなどの先進の安全技術が織り込まれた新型車がたくさん登場していく昨今なぜだかそんなクルマの進歩に反比例しているかのように悲しい自動車事故などが増えているような気がしてならない。
・何気ないよそ見が原因の事故
・飲酒、酒酔い運転が引き起こす事故
・カーナビ、携帯電話の不適切な使用での事故
・優しさ、思いやりの欠けた運転による事故

クルマの安全性能は果てしなく向上していくように見える。だが運転する私たち”ヒトの性能”が最近衰えているのではと心配でしかたがない。

私も、夜間運転用のメガネを作りに行かなくては・・・・。
                               
  
・話題を提供して下さった菅井研治さんには以前も話題を提供していただきました。再登場です。
菅井さんのホームページ:
  INTERCITY OF JAPAN  http://www.intercity-jp.com/


◆今月の隆眼−古磯隆生

−痕跡−

最近、新しく出来たマンションを見る機会があり、そのとき何か落ち着かない違和感(緊張感)を感じました。何だろうかなーとしばらく眺めていましたら、内装がとても綺麗に仕上がっていることに気付きました。すべて工場製品で、精度良く出来ています。色調や柄は何の乱れもなく統一され、人の手を感じさせません。
現在の日本の住まいの多くはマンションメーカー或いは住宅メーカーによるものでしょう。近年の技術は、それらの住宅を構成する部品・部材をことごとく工場生産可能にしました。木目調の部材は本物の木と見間違えるほどですし、精度の高い出来映えです。殆どがそのような工場生産品でかたちづくられています。

嘗て、住まいはある理屈にしたがって作られてきました。その理屈は木の組み方であったり、雨水の防ぎ方であったり、陽の除け方であったりしました。それは出来上がった後も目でその仕組みを確認することが可能でした。木材とて全く同じものはありません。木目の違いもあれば色の違いも自然でした。しかし、最近の住まいには隅から隅まで工場生産の精度の高い何々調の部材が狂い無く居住空間を覆っています。その結果、住まいの中から‘手作りの痕跡'が見出しにくくなりました。
都市或いは都会というブラックボックスがわれわれを呑み込み、自己の存在を確認する作業を棚上げしたまま人は無制限に生活の便利さを求め、経済合理性を求めました。そしてわれわれの周りから‘手作りの痕跡'を遠ざけてしまいました。
勿論、建築費のコスト高、建築材料資源の枯渇等様々な問題が背景にはあります。
しかし、工場生産品主体に切り替えたからと言って建築費がそれほど安くなってるかというと疑問です。その分は宣伝費や利益に回っているでしょう。つまり、居住者に還元されていない。

本来、最も個をいたわり、活性化させるはずの居住空間作りに、「手を掛けない工夫」を考えるよりも、身の回りの成り立っている仕組みを理解する程度には「手を掛ける工夫」を考えるべきのように思います。手作りの家具、手作りのタペストリー、等々も大切な要素です。
居住空間の‘手作りの痕跡'の消失は現代人の喪失感に通底しているように思えてなりません。


◆今月の味覚−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−山中事情15「一酸化炭素中毒」−

二度目の冬を迎えた。いつの間にやらストーブを焚いている。田舎暮らしにも多少慣れてきたような態でいる。ストーブの「オキ」を手あぶり用の火鉢に移し、寝床を暖めることを思いついた。ところが「オキ」はすぐに燃え尽きてしまい、火持ちがすこぶる悪い。次の日今度は「炭」を入れることにした。5,6袋買い込んでいたので使わない手はない。ストーブに投げ入れ、赤くパチパチと燃えた「炭」を火鉢に移し替えた。案の定「炭」の方が火力が強く、部屋の暖かさが違った。こういう生活がスローライフなのだと自画自賛していた。

一日を終え寝る段になった。ベッドに入ってしばらくしたら、妙に頭痛がしてきた。風邪をひいている訳でもないし、起きあがってみてもふらつくこともない。又ベッドに入り横になるとズキン、ズキンとくる。これはおかしいと思って火鉢を見た。ひょっとすると「炭」のガスが充満しているのか?と直感し、部屋の窓を開け放った。真夜中の山の中の家で全部窓を開けている馬鹿がいた。結局一睡もすることなく二日酔い状態でその日は終わった。昔の人間のつもりでいたが、そのような生活の仕方を忘れていたのだ。「炭」のこと一つ処置出来ず何が田舎暮らしだと苦笑した。

それにしても密閉の部屋だったら恍惚の中を彷徨いながら、素晴らしい所に旅立っていたかも知れない。あばら屋が幸いして生きていられた。しかし諸兄よ笑うなかれ。現代人はほとんどこのような初歩的なことも生活の中に無くなり、それを体験出来ないでいる。明日は湯たんぽを買って来よう。ヨーロッパではずい分使われていると産経新聞11月27日の朝刊に記されている。

今峠の道を木枯らしが集塵車のように枯葉を集めて行きました。