★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.47

◆今月の風 : 話題の提供は服部光子さんです。

私の敬愛する精神分析家・木田恵子先生のお話をさせていただきます。

木田先生(86歳)は、故・古澤平作氏(フロイトの弟子)の愛弟子です。ですから 「 フロイトの孫弟子 」 ということですよね。2年前まで、横浜で月に一度お勉強会を開いてくださっていたのですが、おみ足を悪くされて今はご自宅(東京・中野 ) でカウンセリングや勉強会をしておられます。私は4年間勉強会に参加させていただき、先生のお人柄に触れさせていただく得がたい体験をしております。今回、先生のことをご紹介させていただく理由のひとつは、木田先生のもとで「 心の病 」を持つ多くの人々が回復されていかれたことを見たり、聞いたりしたからです。 

先生は常々、「 希望 」とか「 意欲 」とか「 理想 」なんて持たねばならないことはないと言う意味合いのことをおっしゃっていました。また「努力」とか「幸せ」と言う言葉もお好きではないようにお見受けしました。初めの頃、団塊の世代の私はショックに近いものを感じました。だって私たちは競争社会の中で、「頑張れ!」「努力しなさい」「いい子でね」…etc.たくさん刷り込まれて育ってきたんですもの。

以下、先生語録をご紹介いたします。

「自分はもともと意欲のない人間で、本当は橋の下でうずくまっていたい。だからホームレスの人はそれがわかるらしく、道を歩いているとよく声を掛けられる。」

「理想像にあてはめようとして子育てをした親御さんの子どもが、心を病んで私のところへやってきます。 理想はまずいですよ。」

「人間はそんなに上等な生き物ではないです。」…ある日、「人のことを悪く言ってはいけません。」と子供にしつけをしているお母さんへ「そのセリフは上等過ぎます。」とピシャリ! そんなこともありました。

「人間は生きてりゃあいいんですよ。」

などなど…このくらいのセリフをおっしゃる方は、どこにでも居られるかも知れない。又、これが人生の答えだと言い切れるものでもない。 しかし、木田先生のお口から語られると何とも言えない温かいものが心に染み込んで来て、楽な気持ちになって行くのが不思議です。

あと感心させられてしまうことは、決してご自分が学ばれて来られた事以上のことはおっしゃらないことです。例えば、「ゲーム脳」「D.V.」「人間関係」「不登校」「引きこもり」…etc.の問題となると木田先生の時代とはまた違ったカウンセリングの考えが今の時代にはあります。しかし、そういった問題に
対しては、敢えて「今の時代」に添わせようとはなさいません。あくまでも恩師・古澤平作氏の教えを守って対応しておられます。その姿には尊敬の念さえ抱いてしまいます。と同時に非常な「新鮮さ」、「新しさ」を感じてしまう…これもまた不思議です。

まだまだ沢山あるのですが、この辺で木田恵子先生のご紹介を終わります。  

[木田恵子先生と語る]を見つけましたのでご紹介します。
http://www.cyber.gr.jp/hidamari/ms_kida.html

・話題を提供して下さった服部光子さんは主婦です。10年前からライフワークとしてカウンセリングを学び始められたそうで、地域等での活動に活用されて。
 「いちばん難しいのが身内であると思い知らされている」とのお話しでした。

 

◆今月の隆眼−古磯隆生

−甦る−

今回、武蔵野市の美術展に出品しました絵「大地の目覚め(雨上がり)」についての話を少しします。
この雨上がりの水溜まりに対するイメージはおよそ50年程前の小学4、5年生の頃に遡ります。当時私は山口県宇部市にいましたが、港や工場地帯の風景が好きで、よく一人でスケッチに出かけていました。港に行った時の事ですが、付近に石炭が積まれていた一角があり、その辺りは一面にその粉が散って何となくどす黒い地面をしていました。そこにとても美しい水溜まりを見つけました。どす黒い地を背景に、雨上がりの午後の眩しい黄色い陽を受けた水溜まりが何ともきれいに浮かんでいました。いつも水彩絵の具を持ち歩いていましたのですぐさまそれをスケッチブックに描いたのを覚えています。このコントラストの強烈な光景はしっかりと私の中に焼き付けられていました。
時を経て、私の中にずーっと眠っていたそれは、先日の「私の夏休み」=Ryuの目・9月発信号=で、井の頭公園の雨上がりの水溜まりを見た途端に呼び起こされ、「関東ローム層の黒っぽい土に浮かび、濃い緑を湛えたこの水溜まりは、あたかも黒い大地が忽然と瞼を明け、緑色の目で人間世界を覗いているようなシュールな光景」として甦りました。これはとても刺激的な事件でした。これが今回この絵を描こうとした動機です。大地が目を覚ました時、まず目に入ったものが緑豊かな光景だった … そんなイメージは若き頃の‘事件'への憧憬と同時にいま己の周囲を含め進行している環境問題に緑の蘇生の願いをシンクロナイズさせる想いがありました。
‘見えてるものの向こうに在るもの’を遠視する、そんなことを喚起させる心象風景画が出来ればと思っています。



◆今月の味覚−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−山中事情14「クモの巣−2」−

始終見かけてはいるがその蜘蛛の名は知らない。頭から胴体までは凡そ二センチ位だった。湿っぽい縁の下の辺りに巣を張り獲物を求めていたようだ。何気なくその巣が細かく揺れているので目を転じると毛虫が巣に引っかかって動いてい。
蜘蛛の五、六倍はあろうか。体重に至っては十倍以上はあるだろう。しかし、巣に引っかかったまま、その体重をもってしても逃げ切れないでいる。あの網は相当に丈夫で粘膜もあるのだろう。巣の主は、その毛虫をしっかり掴まえて毛虫のどこかを吸っているような、食べているような感じだ。もがく毛虫は最後の力を振りしぼっているが、羽交い締めされていて逃げられない。翌朝そこを覗いたら案の定「毛」だけが残り身は吸い尽くされていた。憐れな姿であった。
ふと人間社会をも覗いたようでもあった。