★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.37

◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

昨年来の構造設計偽装問題についてアメリカのクレムソン大学教授・岸本雄二さんが意見をお寄せ下さいました。

−ずばり、苦言提言−

「建築構造計算書偽装」は「起こるべくして起こった」事件として、私の目には映りました。バブル経済崩壊をきっかけに起きた一連の産業経済の事件と同質のものです。「和」を尊び、他人を思いやり、人間性を信頼し、芸術を高く評価する日本文化は、反面他人を傷つけるかも知れない真実を避けて通り、問題発生に際して責任のなすり合いをし、根本的問題解決のための指導力にかけ、口先だけの抜本的解決を合唱して一件落着、と言う悲惨なパターンです。各種銀行の破産、発注受注癒着の談合、大学教育の真の質の向上のための第三者による評価の欠如、などは今回の事件と同質ですし直接関係している問題です。一言で表現するなら、「二重三重の検査再検査の欠如」です。先ず人間には弱点があるので、そこを規則で規制して、その枠の中で始めて健全な競争原理で競い合えるのではないでしょうか。

先ず、建築士の資格とは、本来、「生命の安全」を確保するための責任の所在を示すものであり、それが故に国家が口出しをするのであって、建築の「芸術性」とは関係ありません。むしろ、国家は芸術性に口出しするべきではありません。音楽や絵画等芸術の分野には、当然のこと国家による資格はありません。建築設計によって決められる非常階段や、アスベストの使用などは建築家が直接決定する分野ですので、問題が起きれば建築士は当然責任を取らなければならない立場にいます。建築構造設計や建築設備設計は根本的には工学系の問題ですが、日本での建築工学は意匠の問題として扱っています。不可解なことに日本の制度には建築工学士の資格がありませんので、責任の所在があやふやです。故に、検査が難しいのです。「二重三重の検査再検査」が出来難いのです。「生命の安全」が確保し難くいと言う事です。事故が起きた際の保証や保険の問題もあやふやです。建物が倒れた時に保証できるような保険に入っていない建築士事務所が存在できる事自体が問題です。それでは建築家の質の確保と向上を、日本ではどのようにして行っているのでしょうか。これは、大学における先生方の実力の検査評価と同質の問題です。さらには、評価する立場の組織自身も検査評価されなければなりません。

カメラの放列の前で、皆で揃って頭を下げてみても何の解決にもなりません。それに偽善的な「抜本的解決」の大合唱はもう聞き飽きました。この際思い切って「生命の安全」と「二重三重の検査再検査」を徹底させるために、日本における大学での職業専門教育の内容から職業資格の質の向上にいたるまでの一環教育,言い換えれば、建築教育の第一歩から建築士を取得して尚且つ一生続く生涯専門教育を義務ずけたらよいと思います。ちなみにアメリカでは、そのようになっています。それには「生命の安全」に加えて「建築倫理」をその根底におかなければなりません。


◆今月の隆眼−古磯隆生

−四国・沖の島−

昨年11月、NHKテレビ・新日本紀行で四国西南端にある島、高知県・沖の島を取り上げていました。この島には35,6年前のとても忘れ難い思い出があります。その頃全国を席捲した大学紛争も終焉を迎え、虚脱感に包まれた雰囲気の中、建築を志す学生として「何か建築することの手掛かりを実感したい」との思いでこの漁村集落の調査(集落の形成、コミュニティーとお祭りの関係の調査)に参加しました。当時、批判の対象となったインターナショナルスタイルの近代建築がまだ展開される一方で、その地固有の(vernacular)建築を志向する活動も展開され、二極的傾向にありました。
沖の島の集落は、港を囲むすり鉢状の地形に沿って石段や石垣で段々状に形成されており、それらが生活の中にドラマチックな視界の変化をもたらします。それぞれの家々はベランダ状のタナと呼ばれる野菜や魚を干す棚を持っており、それらが年月を経てこれら石垣と美しい調和を醸しだし、独得の景観を創り出していました。
島には年寄りと子供達しか居ませんでした。働き手はみな大阪方面に出稼ぎに出ており、子供達も行く行くは島を離れることが半ば宿命づけられていました。私はこの調査に参加して数日目に、何か間違いをしているのではないだろうかと思うようになっていました。東京から頼まれもしないのに勝手にやってきて人々の生活を覗き込むこの調査は、自分達の「必要」ではあったとしても、この島の人々に何をもたらすのか…。
時を経て、テレビに映し出された光景は何か以前よりも活気が感じられました。家々は建て替えられてその姿は変わっていましたが、この集落を特徴づけていた石垣・タナの景観はそのまま残っていました。変わってゆけるものと変わらないものがそこには健在しています。そして何よりも、あの頃、次第に消滅してしまうのではないかとさえ思えた島の人々の生活がそこにはしっかり受け継がれていました。
心に疑問符を抱きながらも調査を終え、港から船で島を離れるとき、すり鉢状の家々のタナから島のおじいちゃん、おばあちゃん、子供達がタオル片手に一生懸命手を振って見送ってくれた感動的な当時の光景が鮮やかに蘇ってきました。と同時に、あの疑問符がまだ残ってることに気付きました…。



◆今月の味覚−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

昨年来、榎本氏より何回分かの山中通信をまとめていただいており、回を追ってご紹介と思っていたのですが、どうにも季節感がズレてしまいますので一挙に紹介いたします。

★山中通信2
秩父はやはり山深い。切り立つ崖。落ちる谷。山峡に懸かる橋も旅情を煽る。突如ダムの威容が目前に現れだして、それからが今、秋の盛りを見せている。又、街道筋が何とも言えぬ風情を感じさせるのは何故だろう。おそらく只そこに得も言われぬ日本のどこにでもあった「なつかしさ」の景観だと思う。並行してローカル線の鉄路が走り、駅舎がこれ又存在感を示してポツンと立っている。まるで「寅さん」が今にもそこから出てくるような佇まいである。鎮守の杜の祠のお寺の山門がそこいらに見かけられ、千社札がべたべた貼られている。信仰深き良民が迷ったとき、困ったときに願をかけたのか、はたまた、満願成就のお礼なのか、そこだけがやたらに賑やかに映る。ここに来て初めてシャクシ(杓子)菜なる菜を知った。野沢菜よりやわらかな感じで色も薄い。白い茎が大きくなると根元が杓子のように広がるからこの名がついたと思う。おそらく昔は保存食として大樽に山のように漬けたと思うが、この辺りの漬け物として珍重されているようだ。私も大束一把だけ漬けてみた。また、少し細目のものは木の子類と一緒におひたしにして柚子を忍ばせた。初めての秋冬を迎える。

★山中通信3
ここを契約した時、いきなりストーブを注文した。冬に備えて暖房を考えると薪ストーブがベストと考えたからだ。
春、夏をイソップ物語のキリギリスのごとく私は過ごしてしまい、秋を迎えて急に薪の準備を怠っていることに気付き慌てた。雪国育ちの私はそれを甘くみていたが、この頃は寒さが厳しくなってきた、やはり山間の地域である。木材はいろいろの方に話をしていたお陰で今は充分に間に合うようになった。何せここは木材の供給地である。ところが一日の始まりはその日使う薪割りからだ。田舎暮らしの象徴的作業を私はしている。ストーブに薪を入れ、火を放てば今度は煙が部屋に充満し燻されてしまう。昔日の田舎での暮らしをその煙によって蘇させられた。
猪鍋がこの辺りでは盛んらしい。本物は野趣が強すぎて敬遠されているようだ。当店では無菌豚の鍋料理を提供することにしている。

★山中通信4
初めての冬を迎えた。予想以上に厳しい寒さがそこいらに漂う。十二月の初旬には霜が降り、木々の葉も白い粉をふられたようになっている。中旬にはもう貯まり水は毎日氷が張る。早朝の買い出し時は車のフロントガラスは布で拭いてもすぐに又霜が着く始末。路面の凍結もあり、車の運転も気をつけないと危ない。山中生活の大変さをしみじみ味わっている。
目の前の山から出てきた丸々太った猿を何度か見かける。いよいよ山にも食べ物が無くなったからだろうと土地の人は言う。渋柿なのに隣の家の柿の木をめざして降りてきた猿達、渋柿と解らず手当たり次第かじっては捨て、かじっては捨て、しまいには全部そのようにして山に帰った。あとは地上に散乱したその柿を人間が掃除させられる、大変だ。大きな渋柿を60個ばかり貰った。暇をもてあましている私にとっては恰好の仕事となり、すぐ様柿の皮をむき、二個一組にしてヒモを結わき、棒に吊した。もう三週間になるが大きいのでなかなか乾かない。坪庭の軒下にある一列に吊された柿達のその姿をカウンター越しに見るとなかなか絵になっている。猿に取られないように、カラスに喰われないようにとそんな心配をしながら干し柿になるのを楽しみにしている。もし賞味したいと思うご仁が居られたらこの厳冬の秩父に来られたし。
寒くて薪割りが大変です。すぐ燃えてしまいます。春が待ち遠しい気持ち…もう今から。