★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.34

◆今月の風 : 話題の提供は 村上逸郎 さんです。
 
 この夏チベット11日間の旅をされ、その感想を寄せていただきました。
ルートは中国成都→ラサ・コンガル空港→ツェタン→ラサ→ギャンツェ→シガツェ→ラサ→ラサ・コンガル空港→成都だそうです。
(なお、現在中国政府は外国人のチベット入国はツアー客以外原則許可しないとのこと。)ラサという町は標高3500m

その第一弾、写真付き!

−北京政府とチベット自治区のエライさん−

8月23日福岡空港から成都に入り、翌24日朝8時に成都からチベットのラサに中国国際航空で飛ぶ予定であったが、成都空港に着いた途端、出発の予定が遅れており見通しは立たないとのアナウンス。以後、何もアナウンスはなく、結局2時間余り待って飛ぶことになった。ガイドさんによれば多分チベットに行く政府のエライさんの何らかの都合によったのだろうとのこと。このほかにも、次に列記する影響を受けた。①ラサで宿泊予約していたホテルが出発前、出発当日と2にわたって、中国政府によって占有接収されることになり、その都度の代替変更を余儀なくされた。最終的に泊まったホテルはまだ開業間もない(というより開業準備中だったらしい)ホテルで、見た目はまあまあだがお湯は出ないトイレは流れないという水周り最悪のホテルとなった。②シガツェ・タルシンポ寺院を訪れたところ、現在政府エライさんが観光中であり、付近の道路を含め一切シャットアウトで再開時間は未定とのこと。結局、ガイドさんが警備中の公安警察と一生懸命折衝して、エライさん達は今晩の飛行機で北京に帰る予定なので2時間もすれば終わるはずということを聞き出し、われわれは結局1時間半小型バスの中で待機後の観光となった。ちなみに、政府一行通行のためシガツェからラサ空港に到る4時間余りの道路はすべて通行止めになるという。③ラサで昼食のレストランを予約していたところ、当日昼前になって支配人からその時間に政府のエライさんが近くに来ることになり付近は立ち入り禁止区域となりお迎えできないと連絡があり、これも急遽変更せざるを得なかった。中国政府によりこれら規制は一切の予告なしに行われる。まさに旅行社泣かせである。中国人ガイドが小声で中国で出世しようと思えば中国共産党に入らなければダメですと言うので、共産党に入るのは難しいのかと聞くと、難しいとも難しくないとも言えないが官僚社会なのでコネが要るとのこと。あなたも入りたいのかと聞くと、私は自由市民ですと胸を張った。中国都市部での中国共産党員は30%程度とのこと。


−高山病−

チベットは世界の屋根と呼ばれる。標高は今回訪れた町で言えばラサ3500m、シガツェ3900m、ギャンツェ3950m、ツェタン3700mくらいである。富士山の山頂かそれ以上に高い。町から町に陸路行く時越える峠は高いところでは5000mを越える。外から入るチベット旅行においては高山病が一番の基本的障害となる。今回は成都から空路ラサに入ったが、私もコンガル空港に降り立つとまず息苦しさを覚えた。深呼吸してもなかなか酸素が入ってこないのに気付く。ガイドさんから決して急がないよう、ゆるゆると動くよう重ねて注意が飛ぶ。結局11日間の行程中2/3以上の人が頭痛、胸痛、不眠、下痢、発熱、食欲不振等を訴え、3人が中国人医師の点滴治療を受けた。私も当初2〜3日間夜寝ると呼吸が苦しく不眠に悩まされたが、常用している高血圧薬のうちβブロッカーを服用中止すると治まった。下界とは薬物の効き方が違うらしい。しかし4〜5日目にはほとんどの人がとりあえずは適応できるようになった。ちなみにツアー中は禁酒、禁煙、禁入浴とされていたが、3日目から1〜2杯の限定付で美味しいラサビールが許可された。ただし、酔いは下界よりずっと早い。シャワーも3日目より徐々に解禁。


◆今月の隆眼−古磯隆生

−深海のうごめき−

Ryuの目・no.31で‘風を観る’話を書きましたが、今回は‘深海を観る’話を書きます。これもまたイマジネーションを働かせる世界です。前回、この夏山口県に行った話をしましたが、そのついでに山口県日本海側、仙崎というところにある青海島(おおみじま)という島に寄って来ました。この島には子供の頃家族で海水浴に出かけた思い出がありますが、何よりも私の脳に刻まれたのが真っ青に澄み切った海でした。すばらしい透明感です。この澄み切った青さが忘れられず、丁度いい機会だったので訪れた訳です。

人を離れ、一人この青く透明の海に囲まれているうちに私は無限に連続する深海へと想像が掻き立てられました。どういう訳かルネ・クレマンの映画‘海の牙’の深海にある潜水艦内の乗務員の‘うごめき’へとその思いは連鎖して行きました … 深海のうごめき。

この島では新たな出会いがありました。童謡詩人「金子みすず」です。恥ずかしながらこの詩人の名前は知ってはいましたが詩を読んだことはありませんでした。いわんやこの地、仙崎の生まれとは思いませんでした。帰りの列車の時間調整で「金子みすず記念館」を覗きましたが、そこで、若くして命を絶ったこの女性の“大漁”という詩に私はあの‘深海のうごめき’に似たものを感じました。大漁の祭りをしてる丘の人間達、一方、大量の仲間の弔いをしている海の魚達。彼女の‘見えてるものの背後にあるものをイメージする’想像力にシンクロナイズせずにはいられませんでした。

   大漁

   朝焼小焼だ
   大漁だ
   大羽鰮(いわし)の
   大漁だ。

   濱は祭りの
   やうだけど
   海のなかでは
   何萬の
   鰮のとむらひ
   するだろう。