★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.33

◆今月の風 : 話題の提供は 山瀬睦子 さんです。

−カウンセリングマインド−

出身大学の同窓会会誌にカウンセリングの勉強会のお知らせを見つけ、参加してから6年になる。深刻な悩みを抱えていたわけではなく、カウンセリングと言うものに興味を持ったと言うのが最初の動機だった。丁度子育てもひと段落した頃で、そろそろ何か資格を取れることもしてみたい時期でもあった。基礎講座を終了するまで月に一度の講義が24回、二年かかる。実にゆっくりとしたペースでカウンセリングを学びだした。自分はいつか資格が取れたらその資格を生かして、カウンセラーになって仕事をしている。そんなことを漠然と思い
描いていた。ところが、人を救うための技術としてカウンセリングを学ぶと思って張り切って臨んだもののカウンセリングを学ぶための第一歩は、まず自分を知ることだった。同じメンバーが月に一度顔を合わせ、その時、その場で感じたことを話す。後でそれはエンカウンターと言うグループカウンセリングだったと言うことを知った。そうした中で、相手が発した言葉に対して、自分の心の中がどう動いたか、何故自分はそう言う風に感じるのかと言うことを意識するようになった。すると、自分でも気がつかなかったさまざまな心の動きや、
自分の意外な一面が見えて来た。

自分と向き合った基礎講座が終わった後、研修コースに移ると今度は具体的にカウンセリングを学ぶための講義が始まった。ここで私は、カウンセリングに対する決定的な思い違いを知ることになった。カウンセリングを受けるということは、心の弱った人が、カウンセラーに頼って、助けてもらう、もしくは、カウンセラーというのは援助を必要としている人を助けるスーパーマンのような人というイメージだった。しかしこの考えはまったくの当て外れだった。あくまでもカウンセリングの主役はクライアント(カウンセリングを受けに来た人)であり、カウンセラーと言うのは、そのクライアントが自分で立ち直る手助けをするに過ぎないと言うことだった。人は誰も皆、自分で解決する術を持っている。しかし、カウンセリングに訪れる人は、一時的に混乱しそれを見失っているだけと言う視点だった。そこでカウンセラーに求められるのは、クライアントを受容し(その人がその人であるということを受け入れること)、共感し(クライアントの体験に気持ちを添わせること)カウンセラー自身は、揺らいでいないこと(一致)と言うことだ。そして、カウンセラーがそうした態度でクライアントに接している時、クライアントは自分の中の混乱を自分で整理し、答えを見出していく力を発揮していくことに気が付いた。

まだ私は勉強の途中でカウンセリングマインドをすこし学んだだけだ。専門職としてのカウンセラーになることは今は難しい時代になっているが、こうしたカウンセリングマインドを生かせる場は、日常の中に沢山ある。そうした場面で、人の役に立つことが出来たらと願ってこれからも勉強を続けていこうと思っている。

  
◆今月の隆眼−古磯隆生

−それぞれの夏…牛頭探し−

この夏、40年前に想いを馳せたささやかな集いを持ちました。集まった場所は私の出身地である山口県宇部市です。ことの始まりは高校2年生の終わりの春でした。私は美術部に所属しており、部の3年生を送り出す時期でした。卒業を前に3年生が記念になるものを残そうと思い立ったのが‘白骨化した牛頭のモチーフ’でした。当時、どこの美術教室にもこの白骨化した牛頭のモチーフが見受けられましたので流行だったのかも知れません。ですからそのモチーフ自体には特に違和感はありませんでしたが、何と、こともあろうに、3年生数名が直談判して‘生の牛頭’を屠殺場からもらい受けたのです。若さ故の無軌道さに乾杯!と言った直情的行動です。生の牛頭を白骨化させるのには地中に埋めておかなければなりませんが、直情的と表現しましたのは、白骨化させるのにどのくらいの年数を要し、誰がそれを掘り起こすのかと言った事柄がどうやら一切頭の中に無かったのではないかと推測されるからに他なりません。この‘事件’が40年後の集いに発展するとは…。段ボール箱に入れられたその血染めの物体はこの数名の先輩達によってとある場所に埋められました…この出来事はしかし数年の歳月を経てすべての関係者の頭から忘れ去られました。

5年ほど前、35年ぶりに当時の仲間が静かな瀬戸内に面する牛窓という村に集いました。この感激的な再会はわれわれに‘生の牛頭’事件を思い出させてくれたのです。話はすぐにまとまりました、5年後の還暦記念にあの‘頭’を発掘しようと。これが今回の集いの主旨でした。どんな白骨になったか、不安と期待のうちに埋めたと思しき場所に向かいました…が、誰一人場所が確定できません。無理のない話で、街は開発され当時とはすっかり様変わりしていたのです。結局、発掘どころか場所の確定もできずに40年の思いを残して‘無念の退散’をしました。
40年前の青春時代に残した想いに区切りをつけるべく集った訳ですが残念ながらその想いに区切りをつけることはかないませんでした。しかし、今考えるに、発見できなかったが故に、この“想い”は有限の時間から解き放たれ、永遠の時間を我々集った者達に与えたように感じています。それはこの仲間に無言のうちに共有された財産のように思えます。