★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.29

◆今月の風 : 話題の提供は手束一之さんです。

−石けんと地球環境について− 

 私は長崎の片田舎でシャボン玉石けん通販ショップを開業している。日本が広いと言っても、自ら進んで、若松市シャボン玉石けん(株)社長の、森田光徳氏に会いに行って、「特約店をさせて下さい」とお願いに行ったのは、私だけではないだろうか?私は11年ほど前に近所の床屋さんから、「頭皮が痛んでいるのは、合成シャンプーのせいですよ。シャボン玉石けんを使ってみたら」と勧められた。当時、私の頭皮には、無数の湿疹が出来ていた。「皮膚病なんて、皮膚科で薬をもらえばすぐに治るさ」と高をくくっていたが、11年たった今でも、まだ完治していない。あと少しというところでなかなか治らないのだ。
 当時、我が家では、殆ど全ての生活用品は花王あたりの合成洗剤を使っていた。シャンプーは「フケと痒みにメリット!」と言った、かの有名な宣伝のシャンプーだった。おまけにボディーソープが流行だしてからは、新しい物好きの私はすぐに買ってきて、ボディーソープ1本で頭以外の全身を洗っていた。ボディーソープを使い出して半年ほどして、耳鳴りがするのを感じ、生まれて初めての耳鼻科通いが始まった。治療はベッドに横になって、重病患者が酸素マスクをつけられる状態で、炭酸ガスを吸わされ、同時に注射を1本打つ治療方だった。ちょっと綺麗な看護婦さんが、傍らに正座してやさしく腕を掴んで、ゴムで縛ってくれて長さ20cmほどの注射針を、一気にさしてくれた。同時に、処方されたビタミン剤2種類、CとEを食後3回2週間ほど飲まされた。それから1月ほどして、顔に無数の湿疹が出来始めて、見るも無残な顔になっていった。元々人に自慢できる顔で無いので、それはひどい顔で、波多陽区とほぼ同レベルの顔になっていた。残念!松井秀樹のデビュー当時よりはるかにひどい状態であった。湿疹の原因は定かではないが多分薬の副作用であろうか。薬も化学物質のひとつである。

無知とは、本当に哀れなものだ。もっと早く知っていれば、子供たちにも私も無駄な病院代を払わなくて済んだであろうに、「後悔先に立たず」である。合成洗剤の有害性のことをである。それを知ったきっかけは森田光徳氏の『自然流石けん読本』を読んでからだ。その内容は一口で言えば『合成洗剤の有害性!』そのものだった。これを知らない人は、私の言う事を真実と思ってこれからの行動を考えてほしい。合成洗剤の原料は石油を生成して出来た、鉱物系の有機化合物である。その弊害をいくつか述べると皮膚から浸透して溶血作用による貧血、肝臓・腎臓障害、受胎率の低下、胎児障害性、催奇形性、発ガン性、植物成長障害、水生生物への有害性など。また、体内に侵入したこれらの化学物質同士が反応しての相乗作用による弊害などがさらに怖い弊害と言えるだろう。アレルギー体質は体内に侵入したこれらの化学物質が原因である。私が通販で販売しているシャボン玉石けんはどうだろうか。シャボン玉石けんは原料が 動植物の油脂で出来ていて、出来上がった成分は「脂肪酸カリウム」と「脂肪酸ナトリウム」である。どちらも、ケン化法という熟練者しか作れない製造法で、1個の石けんを作るのに1週間もかかる。もともと食べられるものを原料としているので、人と自然に優しい石けんである。当然のことだ。石けんは使われた後の排水は、一日で水と二酸化炭素に分解され、残った石けんカスは微生物の栄養源となる。よってシャボン玉石けんは自然界にリサイクルされるのである。

私の生まれた所は、長崎県対馬市。以前は上県郡下県郡に分かれていて、下県郡の厳原の生まれだ。当時の対馬は海が綺麗で、車もほとんど走っていなくて、道路も舗装されていない、のんびりとした漁村であった。昭和34年まで対馬で育ち、祖母に連れられて長崎に来た。家庭の事情である。私は頭が良くないが、対馬に住んでいた頃は6つであったがその当時のことは結構記憶にある。家の裏手に川が流れていて、祖母はそこで洗濯や茶碗洗いに米とぎをしていた。それに飲料水としても利用していた。それだけきれいな水であったのだ。その頃の遊びと言えば、セミ取りやトンボ取り、それに大きな木の下に落ちている実を拾って食べることだった。なぜかその実を食べたことが今でも忘れられない。
昭和35、6年を境に石けんがだんだん売れなくなり、多くの消費者が「便利なものが出来た!」と勘違いをし、こぞって合成洗剤を買い求め始めた。その頃からテレビが普及しだし、コマーシャルに載ってあたかも合成洗剤がすばらしい商品であるかのような宣伝が流れた。ちなみに花王の1989年の年間広告費は421億円であった。1日で1億1千500万円ほどの広告費を使っていたのである。今はさらに多額の広告費を使っているに違いない。間違いない!…これだけの広告費を使っていても、花王にとっては年商のたった8%程度にしかならないのだ。殆どの消費者は「国が合成洗剤の製造を認めているので大丈夫だ〜」とか「大手メーカーが製造しているので安心だ」と思っているかもしれないが、果たしてそうであろうか?私の子供の頃は川でめだかを取ったり泳いだりして遊んだ。そんな自然の中で遊ぶことが普通だった。今、川で遊ぶ子がいるであろうか。川も海も化学物質で汚染され、逆に健康を損なうことになるかもしれない。その原因は何であろうか。家庭雑排水や工業排水である。かつて水俣病と言う病気が多くの人々を苦しめた事件もあった。私の好きだった民主党菅直人氏は、以前、合成洗剤追放の運動をされていた。そのことが菅氏を好きになった理由であるが、厚生労働大臣になった頃から、その動きが無くなった。何処からか圧力でもかかったのであろうか?国会の赤いじゅうたんの上を歩くと人は変わるのであろうか?国会議員になってみないと分からないことであろうけれども、何故かそんなうわさが巷では定説と化している。

「かつて(宇宙飛行士の)ガガーリンが見た青い星の惑星は、今危機を迎えている」とは『自然流石けん読本』の冒頭の文章であるが、確かに地球環境はかなり危機的な状態になりつつある。地球環境問題はたくさんある。二酸化炭素増加による温暖化問題、オゾン層破壊問題、核廃棄物処理問題やゴミ処理問題、未だになくならない戦争や、無差別テロなど。自然を保つにはほど遠いのが現実みたいだ。かの有名なマイクロソフト社のビルゲイツの資産は世界49カ国のGDP(国内総生産)の合計額より多いそうだ。現代のIT社会によるグローバリゼーションは一握りの富裕層と大勢の貧富層を生んでいる。ちょっと難しい言葉を使ってみた。グローバリゼーションとは、世界的規模に広げること。企業経営で世界各地に複数の本社をおくことなどをいう。世界中では毎日、何百人もの子供が飢えや病気で死んでいる。ビルゲイツが自分の生活できるだけのお金を残して世界中の貧しい人々に分け与えたら、どんなにいいことだろう。不可能な話ではあるが……。

取り留めの無い話をしたが、要するに私は、シャボン玉石けんを知ってから、地球環境問題に目覚めたのである。それは私自身の使命感と言ったらいいであろうか。そんな格好のいいものではないが、確かに今、地球環境に優しいことをしている。通勤は自転車か徒歩。割り箸を使わない。ゴミを分別する。タバコを吸わない。ゴミの投げ捨てをしない。などなど、みんなが地球人として自覚すれば出来ることばかりだ。それをこのメルマガを読んでいる人々にも実行してもらいたいと思っている。
アメリカやソ連、それに日本も宇宙開発に力を入れている。しかし私は何故、多額の費用をかけてまで宇宙開発が必要か疑問に思っている。地球はひとつしかないのにそれを使い捨てにしようとしているのであろうか。地球が使えなくなったら宇宙に住めばいいと考えているのか。でも仮に宇宙に住めることが実現してもそれは、一握りの富裕層だけであろう。かけがえの無い地球を絶対に使い捨てにしてはいけない。46億年続いている地球の歴史で人類の500万年の歴史を私たち世代で終わらせてはいけないと思う。未来の子供たちにガガーリンガ見た美しい地球を残さなくてはならない。それは今ここに生きる全ての人々の義務ではないであろうか。私にはシャボン玉石けんを全国の石けん愛用者にお届けすることしか出来ないが、この仕事は一生の仕事と思っている。出来るだけ長生きし、一人でも多くの人に石けんの良さを広めたい。それが切なる私の願いである。これからもそれはずっと続くであろう。

最後に、このメルマガの原稿を掲載していただいた古磯様に感謝いたしますとともに、シャボン玉石けんをご愛用いただいている奥様にも感謝申し上げたい。

シャボン玉石けん通販ショップ店主 手束 一之



◆今月の隆眼−古磯隆生

−曲がりくねった道−

3月に何十年振りかで斑鳩の里を散策した時の話です。法隆寺中宮寺法輪寺法起寺の順で春の斑鳩を歩いてみました。以前いつ来たのか記憶がはっきりしませんし、当時と比べてどの様に変わっていったのかも定かではありませんが、言えることは私の歩いたところはあまり開発による被害が見られないということでした。従ってまち並も比較的安定し落ち着いていましたが、今回は開発がテーマではありません。印象的だった狭く、曲がりくねった道がテーマです。
何事につけ見通しが利かないと言うことは人にある種の不安とわずかな期待感をもたせま。曲がりくねった道も例外ではありません。散策の場合はむしろより期待感が膨らんでいくのかも知れません。そんな道中、法輪寺に向かう道でとても気持ちの良い経験をしました。地図を持ち合わせていなかったので山勘で歩いたのですが、くねくね曲がった道をまだかまだかと若干の不安を覚えながらも歩いていました。と、大きな曲がりを過ぎた時に遠くに法輪寺三重の塔が忽然と姿を現しました。この風景が実に安定感があり、水平に伸びやかな山々を背にほど良い高さの垂直三重の塔が、まわりの拡がりとバランスよく配されています。いかにも昔懐かしい風景です。直線で構成された道路と記号に支配された都市に慣れている人間にとってはこのうねりがとても新鮮に感じられ、身体感覚を大いに刺激してくれたのは言うまでもありません。
古い道は地形に沿って造られているものですが、そのことは移動に際してその地域の地形が了解されやすいことを意味しており、《今、自分の居る場所》の認知がし易い構造を成立させています。都市の抽象空間に浮遊する不安な都会人にとってはとても心落ち着く環境です。一方でうねった道空間は視界や視線の変化をもたらし、平坦で直線の道がパースペクティヴな見通しを与えるのとは違った緊張感と楽しみを提供してくれる、そんな面白さを再認識した散策でした。



◆今月の味覚−榎本久(羽前亭主)

次なる「羽前」の展開も見通しがついたようで、目下、準備に忙しい日々を送られてる様です。今度は飯能(埼玉県)で活動開始予定とのこと。

「桜のこと」…つづき

 用を終え、夕刻の赤坂の「街」を地下鉄の駅を目指して歩いた。ネオンが入って、一段と「街」になっている。くどいけれど、本当に私の知っている赤坂はもうそこにはなかった。
現在のこの「街」の姿は、どうすればお客様が一人でも多く来ていただけるかその一点で、あらゆるディスプレイ、奇抜なキャッチフレーズ、イルミネーションの洪水となってそれを物語っていた。そこに桜が活けてあった。和食屋のウィンドウの大きな壺に。人と車が頻繁に行き交う夕刻、桜はきれいに咲き誇っている。しかし誰も立ち止まって桜を愛でてる人は居ない。急ぎ足で帰る人、男女の連れはそれどころではないのか互いの顔を見て話している。反対のお店のウィンドウにも桜が活けられていた。食べ物屋ではなかった。特別の商品を売っている店なので敢えてその店のことは書かないが、そこの桜はすでに見る影もなく、朽ち果て、憐れな姿をさらしていた。私はそのまま飾っている店側の姿勢が見え、淋しかった。その桜に当たっているスポットライトがやけに明るく思えたのは何故だろう。
又、地下鉄に乗り新宿駅で降りた。先程来た道を逆にたどった。公園まで来たら、数グループの夜桜を楽しむ人達がいた。金髪や腰からずらしてGパンをはいているヤンキーな若者達のグループ。会社の課の人達だろうか、課長さんらしき人が陣頭指揮よろしくその場を仕切って大声をあげている。課員とおぼしき面々はまだ会社にいるがごとく静かだ。まだお酒が廻っていない時刻なのか。公園の電灯の下には町会のような雰囲気のおじさん、おばさんのグループが陽気な声をあげている。その廻りを子供達が数人はしゃいでいた。この人達のことを、横切りながら数分間のうちに勝手にそう感じ取ったのだが、金髪のお兄ちゃん達も、サラリーマンのアフターファイブの人達も、町会の人達も、もし畏敬の念をもって桜の下で酒盛りをしているのであれば、また平和や幸福を感じ取ってやってくれているのであれば身なりや風貌はどうでも良いことだと思った。そして無事楽しく終わってくれるならば、桜が一番喜ぶのではと思った。
わずかの道程で垣間見た桜に関することについてつくづく思うのは、桜とはあらゆる人々の心に根ざし、長い長い歳月を通してその風習を今日まで伝えさせているのだと言うことを知らされた。世にはあまた桜の名所がある。この季節は今桜をあらゆる手段にしてビジネスが行われている。恐らく遠い世の時もその心根は変わらなかったかも知れない。しかし、赤坂の華やかなウィンドウに飾られた桜と公園の夜桜、もしあなたが桜の木であったらどちらになりたいですか。

「誰となく起きな起きなと花の朝」 江戸期川柳