★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.27

◆今月の風 : 話題の提供は 田邊むつみ さんです。

地球温暖化防止に屋上緑化もいいが、
  まずは家や街角の身近な緑や花々を増やそう
                …狭くてもいい方法あり−

「今が旬」の花はなにを思いますか?園芸店の店先は季節の早取りなのでチューリップ、スイセンムスカリ、マーガレット、アネモネとちょっと早め。桜の開花予報も出ましたね。音楽ならば、ケツメイシの『さくら』でしょうか。(すみません、ケツメイシのファンなので)一時期のガーデニングブームは沈静化しましたが、園芸ファンは沢山いらっしゃると思います。植物の効用は、癒し、活力、気をもらう、季節を感じるといったことが上げられます。現に私は園芸店を始めてから半端じゃない寒い店でも草花から『気』をもらい、一度も風邪を引きません。信じられないでしょけど本当です。今、老人ホーム、病院でいろいろな形の『植物療法』が検討、実施されています。リハビリや老人介護の施設の中に花壇を作り園芸作業を取り込んだりしていますが、よい効果があるとのことです。そして、地球温暖化防止の効果があります。

地球温暖化防止ということで、都市砂漠化が進む都会を中心として行政の推進で『屋上緑化』が広まろうとしています。
メリットは
①狭い都市部で土地の有効利用
②建物の断熱(残念ながら、実施建物での調査結果は思ったほどの断熱効果が出なかったようですが・・・)による省エネダブル効果。
デメリットは
①そのビルの利用者しか観賞できない
②建築工事費と植栽工事費が地上より大幅に掛かる
③条件が厳しいので日々の管理が大変。
屋上緑化は、長期維持管理が大変ですが、とてもいいことで是非拡がればいいと思います。

最近の建物は、駐車スペースを大きく造る為に、そして雑草防止のため、敷地の舗装化の比率が上がっています。そして、駐車スペースに入るために街路樹の撤去があります。そう、人間の都合でどんどん土の面積と植物が減っています。雨水の環境循環にしてもいいことではないですよね。まずは、地球温暖化防止に『街角緑化』を是非進めてください。
①最初は、自分の家を緑化。
狭いから出来ないとおっしゃる方は平面的に考えていませんか?ちょっと思考を変えて立体的に壁や塀も緑化。ハンギングや、つる性の植栽のように立体的に植栽すればいいのです。マンションのバルコニーも同様です。出来れば外に向けて植物が見えたらいいですね。階段式花壇もオススメです。イニシャルコストは掛かりますが、景色に変化がでますし、おしゃれな庭になります。植え方を工夫して遠近法(手前に大輪の花、後ろに小振りの花と普通の逆)植栽をすると視覚的に奥行が出ますよ。

②塀を作ろうとお考えの方は、コストが許せば生垣が最良ですが、フェンス式の塀をお勧めします。コンクリート式の塀は風通しも悪く、塀際の植物は育ちにくいです。又、目隠し
が防犯の上では逆効果です。部屋の目隠しが欲しい方は建物で防ぐ方法もありますよ。

③次は自宅周りの緑化です。
私が住んでいる川崎市宮前区は都市化が進み、土の面積が減ったころから街の緑化を推進しています。道から見えるようにきれいにしている個人庭に賞を設けています。長年、国道沿いのグリーンベルトにボランティアで植栽しているグループにも賞を送りました。ボランティアグループの申請に対し補助金も出すようにしました。私の通勤路ですし、犬の散歩コースでもあり楽しませてもらっています。時間的に忙しいので、今出来ることとして苗を少しですが提供しています。街路樹の足元も土ならば、植栽があるといいですよね。必ずしもお金をかけなくても、街角緑化(花?)友達を作って、苗や種を分けてもらったり、交換したりして楽しむ事だって出来ます。是非、街角緑化活動が広がって欲しいなと思っております。

最後にお願いなのですが、植栽があるところで平気で犬におしっこをさせている不届きな飼い主が結構います。おしっこが掛かるとその植物は茶色く枯れてしまいます。街角緑化の一環として、そのような飼い主を見かけたら植物が枯れる説明をしてください。園芸相談もわかる範囲でしか出来ませんが、メールでお答えしたいと思います。

  
◆今月の隆眼−古磯隆生

『阿修羅−その展示を問う』

 久し振りに奈良・興福寺を訪れました。目的は<阿修羅>を見るためです。学生時代に見て以来のことですが私の脳裏に深く刻み込まれた仏像の一つです。久々の対面でしたが、以前にまして私に訴えかけてくるものを感じました。当時は二十の若者として向かい合いましたが四十年近い歳月を経ての対峙は初心を省みる機会を得たというだけでなく、現代の若者のもがき苦しむ姿が重ね合わされ、若者が未来を感じ取れない社会が阿修羅を通して透けて見えたからかも知れません。潤んだ目は憂いを含み、遠くを凝視し、眉間に緊張を漂わせた面持ちで、未知なる世界へ突き進もうとする意気込みを感じさせる若き阿修羅の姿はとても造像とは思えない生々しさで迫ってきます。像高150センチ程の小柄な像ですが、時間を貫いて訴えかけてくるその迫力に、その社会とこの作者がいのちをかけて制作した緊張感を感じ取らずにはおれませんでした。
 そんな思いのひとときを過ごした訳ですが、只、展示空間のあり方としては再考すべきことを多々感じました。歴史的仏像の展示は安全確保を目的のガラスケースに入れてただ網羅的に並べればいいというものではないはずで、見る人が仏像と向かい合い、様々な思いを巡らせる、或いは親しみを感じる…それによって己を省みたり、他者を思いやったりするわけですから、その展示のあり方はその様な対話にふさわしい空間でなければならないはずなのです。あまりにも嘗ての役所的な上意下達式の陳列展示で、人が像と向かい合う空間のあり方として照明を含め工夫の足りなさを痛感しましたが、監視人がやたら目につき、落ち着きがないのもこの国宝館の展示姿勢を反映しているからでしょう。最近の新しい美術館を多少なりとも参考にして欲しいものです。残念!


◆今月の味覚−榎本久(羽前)

このコーナーを担当してくださっている榎本さんが30年続けた富ヶ谷の店「羽前」を閉じられました。私と同年代で、客として友人として30年近くお付き合いさせてもらいましたが、先月末、その味を惜しむ沢山の人に囲まれて賑やかな雰囲気の内に閉じました。
贔屓としましてはいずれまたあの味との出会いを…ということで、今後またどこかでの再開を期待したいものです。と言うわけでこのコーナーも一休みです。今回は昨年6月に書かれたものを掲載させてもらいました。


「三十年目のお客」

私は小さな料理店を営んでいる。かれこれ三十年が過ぎた。「この近くに住んでいる」とその二人連れの一方のお客様は言った。三十三年前からだそうだ。そういえば昨日もそんなお客様が、以前からおなじみだったお客様とご一緒だった。ご両人とも三十年が経って当店にお出で頂いたのだが、何故そんなに時間を要したのだろうと伺ってみたら大まかなことが解った。「要するに入りずらい店だったから」とか「その筋の方しか入れないと思った」とか私としては返答のしようのない理由(わけ)であった。「外には何も書いていない」と言う理由もあったがそんなことは無く「めし・酒・肴」と大書きしてある。しかし、しかしながらそのご両人は三十年以上の時間を経て当店で目出度くお食事とお酒を召し上がって下さった。〈漬菜とちくわの煮浸し〉〈長芋の繊切り白出し雲丹のせ〉〈鮎ひらき一夜干しうす塩炙りレモンしぼり〉〈つぶ貝うす切り葱あえ〉〈冬瓜カニ身入り葛ひき〉〈豚ロースとパプリカと加茂茄子中華風いため〉の献立であった。「おいしかった」「旨かったよ」と仰って下さった。そして「何故もっと早く来なかったのかなー」とも仰って下さった。その様に言って下さったことが、本当に嬉しかった。
しかしすぐに私の脳裏をかすめたのは三十年前の若き私の営業姿勢であった。このご両人がもし三十年前にお出でいただいたら、私は昨日や一昨日のお客様からこんな言葉をいただいたかは不確かである。商売に対する無知と若気の至りの言動はきっと良い結果となっていなかったのではと今更ながら胸をなで下ろしている次第だ。
翻って不況であえぐ現在、商売は「親切」と「やさしさ」であることを痛切に感じている。三十年が過ぎてようやくにして商売の商売たることを知りました。三十年目のお客様はきっとそのことを知ってお目見えになったに違いないと思っている。