★ Ryu の 目・?☆ no.23

◆今月の風 : 話題の提供は贄川加代子さんです。

コンパニオンソウルズ
2004年の春3月に我が家の10歳になるタオというオス猫が昇天しました。
これが、すごい昇天の仕方。
ピンピンコロリを私の仲の良いHMさんという英語の専門家が【Live well and die well.】と訳していましたがまさに【Live well and die well.】でしたねぇ。
昇天する1年3ヶ月前に鼻腔腺癌と宣告され「顔が崩れて食べ物も食べられなくなり、そうしたら1ヶ月くらいで死にます。」と言われました。
「鼻腔腺癌は完治することはありませんから。」と日本獣医畜産大学付属家畜病院のVET(獣医さん)は、ご親切につけ加えてくれました。
地上波の入らない山の中に引っ越したばかりの贄川家はBSデジタルの装置を買う予定でしたが、タオ君のMRI代金67000円で、デジタル放送設置は延期となりました。
まぁ2日くらいは、もう元氣に動くタオは見ることができないのかと泣いてくらしましたが、完治しないのなら死ぬまでそのまんまのタオとつき合おうという腹のくくりまで、そう時間はかかりませんでした。
私が東京で氣功を教えてもらっていた王隆謨という中国では癌治療の専門だった先生に電話をいれました。「どんな癌?」と訊かれ「鼻腔腺癌です。」と答えると
なんと「あっ、それ、すぐに治る癌ね。」と言うんです。その言葉が光りになりました。「治るのね。」ホリスティックな東洋医学では西洋医学とは違う答えをくれます。
私の仕事はヒプノシスといいます。日本では前世療法とか過去世回帰なんていう訳語しかないのですが、ヒプノシスは瞑想と同じでリラックスして自分の内なる声を聞く方法です。そんな仕事をしているので、人間は肉体だけの存在ではなく何度も生まれ変わっては魂を輝かせるために学んでいる存在なのだというスタンスで私自身も生きています。私たちは、神でも仏でも宇宙エネルギーでも言葉はなんでもいいんですが、とにかくなにやらとてつもなく素晴らしい存在で、生まれてくる前にすべての環境も、そこでの学びも自分自身で選んでいる・・・と思ってみようよという提案をクライアントにしています。
とすると、私の人生で起こっていることは、すべて私の魂が、私の学びのために選んでいるわけで、人間的にはうわぁ!と思うことでも魂は「そうそうこれこれ。全部うまくいっているわぁ!」と喜んでいる。どんなに嬉しいことも、どんなに辛い悲しいことも起こることはすべて私が輝くためにある・・・う〜〜そうは言ってもねぇ。でも有り難いことに、私は仕事柄、痛みを光りに変えた人たちにほんとうにたくさん出逢っています。そしてその輝きにいつも感動し驚いています。タオの病氣も、たまたま起こったことなんかじゃぁなくて私と夫に、なにかを学ばせるためのものだと思いました。
当時、私たちは山梨にハンドピーリングのログを買って引っ越したばかり。甲斐駒ヶ岳が目の前にあるなだらかに傾斜した山のなかのひらけた土地も太い丸太の家も、私たちが夢に描いていたものよりも遙かに素晴らしく「こんなに幸せでいいのかしら?」と不安になっていた時期でした。私たちは素晴らしいものを手にいれるためには、同じくらい大切なものをひきかえに失うんじゃぁないかと、知らないうちに思っていました。
でも、そりゃ違うな。私たちは素晴らしいものをそのまんま受けとっていいんだと思いが変わりました。毎日「私は神さまと取引はしません。素晴らしいものはすべて喜んで感謝とともにうけとります。」と唱え始めました。ちょっと怪しいか。そして1週間で、タオは元氣になりました。それまで続いていたひどい鼻血も止まり昇天するまで1回もでませんでした。涙目もすっかり治り、家の中を走り回ってなんと1キロちかくも太りました。
人間だったらもう一度MRIで完治を確認するんでしょうが、67000円をかけなくても、見ていれば癌が治ったことは明々白々でした。で、1年3ヶ月後の3月5日私がインターネットをやっていると雄叫びをあげながら私のそばで遊んでいたタオがパソコンの机から飛び降りて一回転して床に落ちました。見ると全身から力がぬけて、究極のリラックス状態。怪我もなく、血も流れず、おしっこやウンチも垂れ流さずほんとうに綺麗なまま、息絶えていました。その前日、お隣さんに誘われてめったに行かない図書館に行きました。借りる氣はなかったのですが、ふと見た本が面白そうだったので2冊借りてきました。1冊は【ペットたちは死後も生きている】ページを開いたら私の20年来の友人である翻訳家の山川亜希子さんが序文を書いていました。あまりのタイミングのよさに驚きますが魂がすべてを知っているとしたら、これも偶然ではなくちゃんと企まれていたことだと思います。もう1冊は河合隼雄さんの【ユング心理学と仏教】。仕事をキャンセルして家に戻ってきた夫も、落ち着かなくて近くに置いてあった河合隼雄さんの本を読むともなしに見ていました。その彼が「ねぇねぇこれを読んでごらん。」と私にその本を渡しました。そこには【1000の風】という詩が書いてありました。9.11の慰霊祭でも読まれたので知っている人も多いと思いますが、私たちはその時初めて目にしました。
 
  私の墓石の前にたって
  涙を流さないでください。
  私はそこにいません。 
  眠ってなんかいません。
  私は1000の風になって
  吹き抜けています。

で始まるその詩はタオからのメッセージだと思いました。
タオのメッセージは、それからもどんどん届くようになりました。
【ゆめのわ】というドリームサークルを私は持っているのですが3月8日には【タオからメッセージがくる。それは車の轍のようにはっきりとしている】という夢を見ました。その日、携帯電話のアドレスにヒプノシスのクライアントから次回の東京でのセッションの日にちの問い合わせのメールが入りました。彼女はタオの存在すら知らないのですが以下が彼女の3月8日の朝の夢です。
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夢といえば、月曜日の目覚め直前の夢にびっくりしました。
かつてよく行っていた、という設定のような食堂に久しぶりに立ち寄ったところそこで飼っていた猫が昨日死んだと言われ、見てやって、と奥に通される。内心「え〜〜猫の死体みるのぉ〜〜?」と不気味に思い、猫が入っていると思われる箱を開けると(透明なプラスティック箱)死んでるはずの黒猫がグルーミングをしている。
生きてますけど、、、というと店の人たちはびっくり!確かに夕べ死んで動かなかったのにぃ、と言われる。私もびっくりする、、
という夢でした。
黒猫が生き返る、、ってどういうことでしょうね。目覚めてからもとてもリアルに覚えていたので、不思議でした。
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タオはキジトラ。つまり黒い猫です。タオから「死んでいないよ」と言われたようです。
まだまだ数限りなくタオからのメッセージは続きます。
死というものは終わりではなくて、サナギから蝶になることであり自由になって光りのなかに戻ることであることは知っていても自分の大切にしている猫から、こんなふうにたくさんのサインをもらうなんて思ってもみませんでした。 
今、我が家には2匹のちび猫がいます。このチビたちもタオからのメッセージの通りに動いた結果、我が家に来ました。
勘違いじゃないの・・とか・・・全部、偶然でしょ・・とか
まぁ、いろいろな思いがあるでしょう。それはそれでいいんです。
でも魂はずっと生き続けいていて私と一緒に成長していると思うと、愛する人たちや愛する動物たちの移行を心から祝福できるように思います。
愛する人や動物が亡くなった寂しさや悲しさはたとえ魂が生き続けていることがわかったとしてもなくなるわけではありません。その痛みがやわらぐには時間が必要です。それでも【向こうに行った魂は大丈夫。私のそばで、肉体を持っていた時以上に幸せで健康で喜びに充ちて生きている】と思えたら・・・その痛みを乗り越えていけるように思います。
新潟でもインドネシアでも多くの命が、その勉強を終えて光りに戻りました。
光に戻った魂は、残されたものたちの痛みや悲しみを自分たちが少しでも癒せたらと、きっとたくさんのエネルギーを送ってくれていることでしょう。自分が今でもそばにいることを伝えたい・・・
怪我も痛みもなく大丈夫なんだということを伝えたい・・・ときっと思っているでしょう。
学びが終わって光りに戻る魂にとって、その死に方は自然死であろうと自殺や殺人による死であろうとまたは事故死であろうと、残していく私たちへの大いなる贈りものだと思います。残された我々は、亡くなったコンパニオンソウルズからの贈りものを目を背けずにきちんと受けとって、痛みを光りにしていくことが魂の約束なのだろうと思うわけです。そして彼らへの一番のお返しであろうと。
さぁてタオ君、私はちゃんと学んだんだろうか?私が学びを終えてあちらに行くときには、たくさんのワンとニャンと友人たちが迎えにきてくれる。それが今から楽しみです。

 

◆今月の隆眼−古磯隆生

『新しい美術空間』
 今回は新しい美術館をご紹介します。読者の中には既に行かれた方もいらっしゃるかも知れません。私は岡山県勝田郡奈義町にある奈義町現代美術館と愛媛県直島の地中美術館に行きました。この二つの美術館は基本的に同じコンセプトに立ってつくられています。
 これまでの美術館は様々な展示室が用意され、その壁なり床なりに美術品を展示し、それを眺めるというスタイルです。展示される美術品は季節なりその時の時代の嗜好によって企画され、従って取り替え可能です。美術品もその枠をはみ出してはいませんでした。今回紹介する美術館はこれまでの美術館とは本質的に異なるものです。まず、作品は取り替えが不可能です。展示室そのものが作品になってます。ですから建物の保存状態と運命共同体の関係にあるわけです。そして作品は眺めるものではなくその中に入って体感するものになっています。この二つの違いはこれまでの美術館の様相を一変させます。美術館の設計にあたっては、あらかじめ選出された数名の芸術家と建築家がその設計プロセスにおいてコラボレーションすることによっって成立つ仕組みになっています。まさに個性のぶつかり合いと協働によって創り出される交換不能な唯一の空間です。そのようなプロセスを経て創り出された空間(作品)は最早眺める対象ではなく、その中に入って、自らの五感をもって体感する非日常空間の体験になります。
 例えば、光そのものをアートとして提示する作品は眺めるのではなく光に包まれたスペースに入り込み存在の浮遊感を体験するようになっています。或いは、1/8だけ傾いた細長い円筒の筒の中にはいるとそこには竜安寺の石庭を模した壁面が左右、反転してしつらえてあり、不安定な床面に立って左右反転する造形に囲まれた空間を体験することにより人体の感覚を呼び覚ますことを狙っています。 現代芸術は人間の五感を最大限刺激し、慣れ親しんできた故に金縛り状況にあるものから解き放ち、生きる感性の蘇生を意図しています。このことは様々な世界で動き出している蘇生活動に通底します。


◆今月の味覚−榎本久(羽前亭主)

今月の榎本氏のレシピはイマジネーションです。

「飛魚の独り言」
 「なぜ僕の身体には羽根があるのだろう?」飛魚はつぶやいた。飛魚はそうつぶやきながらも、今日も、この羽根で空中を飛んでいる。でも「海」の中で暮らしている「魚」だ。ごはんも「海」の中で食べている。けれど僕みたいな「魚」は他にはいない。いろいろの「魚」と暮らしているけれど、僕のように「飛ぶ魚」など見たことがない。僕はいつもそのことで悩んでいる。なぜ僕だけが違う「魚」なんだろうと。もしかしたら僕は「魚」ではないのかと思ったりしていた。でも仲間が「人間」に捕まったとき、「人間」は「うまい魚だ」と行って僕の仲間を食べてしまった。そのときはっきり僕は「魚」だと知った。だから今も海の中で暮らしている。時々空中を飛んでいると「鳥」になってしまった気分になるけれど、飛び方が全然違うのですぐにそうではないと気付いた。空中を飛んでいると「人間」が作った「船」によく出会う。「船」の中の「人間」は僕を見つけて珍しがって大声で何か言っている。

僕は普通の暮らしをしているのに「人間」は僕を初めて見るのか大騒ぎしている。大きくて豪華な「船」の中で料理やお酒でおなかが一杯になった「人間」がデッキに出てきて僕を眺めている。「人間」達はやさしそうな目で見ているけれど、僕は本当は一番恐ろしい者であることを知っている。「イルカ」や「シャチ」も怖いけれど、仲間のことを一番食べる「人間」が怖くて怖くて仕方ない。僕たちは「人間」の為に役立つからと思われ「人間」に捕まってしまう。「人間」は自分たちだけの為に研究をし、「人間」の為になる「魚」を探している。だから僕達だけでなく他の「魚」の仲間もいっぱい捕まえて食べている。「イルカ」や「シャチ」はおなかが一杯になればそれ以上僕達を襲わないけれど、「人間」はそんなことは関係なくいろいろの道具を使って僕達を襲う。
「お父さん」「お母さん」に聞いたことがある。昔はもっとのんびりと「海」を飛んでいられたことや、仲間も今よりずっと沢山いたし、「海」ももっときれいだったと言っていた。僕も何度も人間に捕らえられそうになったが、今日まで無事に暮らしている。空中を飛ぶと目立つからもう飛ぶのを止めようと思う。だけどそうすると僕の羽根はこれからどうしよう。海の中ではあまりうまく使えないからけっこう邪魔になるなあ。又飛魚はつぶやいた。「なぜ僕の身体には羽根があるのだろう」と。