★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.22

◆今月の風 : 話題の提供は 岩下幸功 さんです。

絵画がご趣味の岩下さんは自らの作品をひっさげて(添付されて)の話題提供です。新スタイル!ですね。お楽しみ下さい。

「1000枚のえ、1000句のうた、80年のいのち」         岩下 幸功

下手の横好きで絵を描いています。
油絵であったり、水彩であったりする訳ですが、最近は水彩画が多くなりました。ガッシュという不透明絵具がありまして、これですと油絵の如く重ね塗りが利きます。つまり水彩画の手軽さで油絵のような効果を出せることから重宝している次第です。
若い頃から絵は好きでしたが、本格的に描き始めたのは娘が桐朋学園に入学した9年前からです。娘の入学と同時に、私も桐朋絵画講座「チャーチル会」に入会したのが始まりでした。毎週土曜日は仲間の方々と色んなモチーフに挑戦し刺激し合いながら楽しんでいます。又、年に1〜2回は合展を開き、折々の作品を発表しています。昨日(9/25-26)は桐朋祭(文化祭)にて下記の作品(添付ファイル)を出品しました。

「絵には己が出る!」と言われますが、最近その意味するところが実感として迫ってくる気がします。描いては消し、消しては描き、と重ね塗りを繰り返していますと、いつの間にか描く対象と格闘するのではなく、描いている自分自身と格闘している自分という状態になります。そこでは時間の感覚も無く、周りの音も遮断され、一種無我の境地という集中状態に陥ります。私は本を読んでいる時は、周りの音が気になりますが、絵を描いているときはこれが全く気になりません。恐らく集中度の違いなのでしょう。
自分に忠実に描くという、すごく楽な方法のように思えるものが、その通りにできません。それは忠実たるべく対象の自分自身(アイデンティティ)が、未だ掴めていないからなのでしょう。絵を描くとは、自問自答しながら、自分にまとった虚飾を一枚一枚、玉葱の皮を剥くように、剥がしながら自分自身に至るプロセスのように思います。自分自身の持っている誤魔化しと対峙し、自己否定しながら、これを破壊することは苦痛を伴いますが、それを剥がして新たな自分を発見するところには別の恍惚感があります。これが絵に表れますから、一切の妥協を許さないエンドレスのプロセスになる訳です。
真の自分自身に触れたという確たる自信は未だありません。しかし一歩一歩その方向で近づいているという微かな手応えのようなものはあります。その意味で、折々の作品というのはこのプロセスに於ける道程標のような存在で、永遠に完成には至らないものだということになります。ある種の宗教的体験に近いのかも知れません。現在、上野の国立西洋美術館マティス展「Process/Variation」が開催されています。

マティスは「過程(Process)にある絵画」という言い方で、非常に制作プロセスに注目した画家です。そこでは「製作/受容のプロセスとは、意味生成のダイナミックな運動であると同時に、それに関わる主体の生成と崩壊の葛藤の場にほかならない」と看破してしています。私はこの言葉に大変驚くと同時に、大いなる共感と勇気を覚えました。
プロセスを主体に描くという意味では、幾分かはマティスに近づける可能性があるのではないか、と不遜な想いを抱きながらキャンバスに向かう次第です。

 
◆今月の隆眼−古磯隆生

『高桐院』

 10月の始め久し振りに京都・大徳寺の高桐院を訪れました。私はこの塔頭が好きで、直截的な造形とアプローチの絶妙さは何度見ても惹きつけて止まず、機会があれば訪れています。この時期に行くのは初めてかも知れません。
 表門を潜ると、まず目に飛び込んできたのは緑鮮やかに、ビロードを敷き詰めた様な一面の苔でした。多少紅葉が始まった頃かなと想像してましたので、青々としたこの緑一面の世界は新鮮な感動を与えてくれました。楓のほんの一部が僅かに黄ばみ始めてはいるものの葉は夏の青々とした気分を残しており、一面の苔と呼応して緑一色の世界を形成していたのです。樹木に覆われた一直線の参道はさながら癒しのトンネルの風情で、様々な緑が織りなすこの空間は気持ちを和ませるに十分な雰囲気を湛えています。あの秋の華麗な紅葉の世界を知っている私には、この青葉の清冽な空間が祝祭に向けた序曲にも似た緊張感を漂わせている様に思え、やがて華やかに、紅葉へと、ドラマティックに変わりゆく様を想像すると何とも言えない恍惚の気分にさせられました。
 唐門を過ぎて客殿に上がりました。庭と一体になった書院造りのこの建物も極めて簡素で好感が持てます。須弥壇に拝礼し、この客殿にある茶室に向かいました。ここの床柱はどっしりと落ち着いていていつも安心感を与えてくれます。楓の庭は少し様変わりしていました。老大木となった楓は朽ちて若木に変わりつつあります。大木で覆われていた庭は明るさを取り戻し、拡がりを感じさせてくれます。濡れ縁に腰をかけ森閑とした静寂に浸ることしばし。小鳥の囀り、笹の擦り合う風の
音、様々な緑々…交響し合っていました。

 「 一鳥啼山更幽 」 − 高桐院・剛山和尚
         一鳥啼いて山更に幽か(しずか)なり 


◆今月の味覚−榎本久(羽前亭主)

「煮魚のこと」

煮魚が上手に作れないと言う方が結構います。通常の手順で作っていると思いますが、ご家庭で煮魚を作るとなると先ず少量であることが決定的に上手に作れない原因です。ではそれを克服するにはどうすればよいかと申し上げれば、先ず、残った汁を絶対に捨てないと言うことです。多くの方はその日の「おかず」である煮魚の汁は捨てているようですが、せっかく旨味が浸み込んだその汁を捨てずに、冷めた汁はポリ袋に入れて冷凍して置きます。そして次の煮魚をする時に解凍してつぎ足すことによって旨味が増し、上手な煮魚料理を作ることになるのです。それを繰り返しやってみて下さい。あとは醤油、砂糖がそれぞれ足らなかったら足すだけでよいのです。