★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.20

◆今月の風 : 話題の提供は 小田敦子 さんです。

 ギネスの終わりなき連鎖               

7月半ば、あるカップルの「おかげさま会 in THE SHAMROCK」と名付けられた結婚披露パーティが催されました。会場は吉祥寺にあるアイリッシュパブ、その名をシャムロックと言います。シャムロックとはアイルランドを象徴する植物で、平たく言うと三つ葉のクローバーです。
開会直後の乾杯こそシャンパンでしたが、その後の飲み物はギネス。黒ビールです。会場は老若男女さまざま。その中に数年前まだシャムロック(お店の名前もシャムロック)が新宿にあった頃、遺灰をタクラマカン砂漠またはアイルランド海にまいてほしいという私の願いをかなえたいと名乗り出た若者の姿もありました。
宴たけなわ、ギネス片手に浴衣掛けの新郎新婦が近づいてきました。聞けば二人の愛を育んだのはシャムロックでのデートであり、もう一つのカップルも同じような道をたどってすでにご夫婦であるとか。「シャムロックを紹介してくださったのは小田さん。つまり、本人は意識していなくても、キューピッドなんですよ。ほら、背中に羽が見えますよ。」二人の言葉に、思わず背中をまさぐってしまった私でした。シャムロックを会場に選んだわけもそこですっきりわかりました。
新郎の友達のギター弾き語りに続いて、新婦を含む私たちの出番がきました。出し物は新婦の希望で狂言小謡の「若松」。マイク無し、練習ゼロでの一発勝負です。集まった方々の呆気にとられたような表情が愉快でした。新婦と私とは狂言の稽古の姉妹弟子です。素人会の舞台で共演したこともあります。師匠は偉大なる野村万作師。先生の息子さんである野村萬斎師が襲名前の武司さんでいらした頃にお稽古をしていただいたこともありました。お二人とも新宿時代のシャムロックにお付き合いくださったこともあるのです。
気持ちよい会でした。笑顔一杯のうちに閉会。貸し切りのパブも本来の営業に戻りました。ギネスファンがきっと増えただろう、うれしいなと思いながら店を出ました。
実はその前夜、私はこの通信の家主である古磯さんご夫妻とギネスを味わっていました。古磯さんとのお付き合いが始まってまだ1年もたっていないのですが、共にギネスを飲むこと数回を重ねています。「ギネスはおいしい。特にシャムロックのギネスは最高。」これが共通の意見です。

ここまでお読みになって、「これはビールとパブの宣伝か?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。そうではありません。しかし、ギネスから出発するとうまい具合にお話したいことがつながってきそうなのです。興味を持ったことが思わぬ方向に飛んでいってつながっていく、まるでケルト装飾文様の組紐文様のように連鎖が続いていくように思われます。なにがどうつながっていくか、自分でも楽しみながら進めてまいることにいたしましょう。<解説一言・・・ケルト組紐文様は研究家の鶴岡真弓氏によれば、一筆書きで空間を埋め尽くし、増殖するように広がり深まっていく文様。機会があれば写真をお見せしたいもの。

さて、私とギネスとの出会いは14年前(1990年)の夏にアイルランドを一人で旅したときにさかのぼります。行く先々で“初めて会う日本人”“はるばる遠い国からやってきた人”である私が、ご馳走してもらったのがギネス。「体にいいのよ。」「ここまで来て、これを飲まなくては。」と言いながら勧められたことがついこの間のことのようです。
その年にアイルランドに出かけたきっかけは司馬遼太郎さんの「街道を行く・愛蘭土紀行」でした。前年のモンゴル旅行後に同じ「街道を行く」のモンゴル紀行を読み、続いて手にした「愛蘭土紀行」を読み進めながら、「ヨーロッパにおけるモンゴルはアイルランドに違いない。次の旅はここ。」と決めたことを思い出します。これが十数年後のカップル誕生につながるとは神ならぬ身は予想だにしていないことでした。目に見えない組み紐の模様がひゅうっと伸びた瞬間かもしれません。
当時、アイルランドを回るツアーはほとんど見当たらず、なんとかなるだろうと、期間3週間のイギリス往復の航空券だけを持って単身でかけました。リバプールあたりでたっぷり時間を過ごして「まだイギリスにいる。」と何度か書き、船で入国した司馬さんとは対照的に、私はすぐにアイルランドに飛行機で渡りました。
初日の宿はダブリンの空港の案内所紹介された市内のB&B。あまりにかわいらしすぎる部屋でしたので、翌日シャムロックマークのツーリストセンターへ。次に宿泊したのが市内からバスでしばらくかかる、クロンターフという古戦場で有名な(その頃は全く知りませんでいたけれど)町のB&Bでした。フランクとジーンというご夫妻が経営しているその宿が、私にとっては大当たり。朝食の時に各国からの旅行者と語り合ったり、フランクさんにその後の旅の相談に乗ってもらったり、小旅行の間に荷物を預かってもらったり、居心地の良さ最高の宿でした。アイルランド最後の夜にはジーンさんとヌレエフ出演(もっともお目当てのヌレエフは年齢のためか、ほとんど踊ることなくがっかりでしたが)のバレエ公演も見に行きました。
フランクさんの助言を生かして始まったアイルランドの旅はウェクスフォード・ウォーターフォード・キルケニー・ゴールウェイ・アラン島(イニシュモア・イニシア両島)・アキルヘッド・スライゴ・ドニゴールと10日間ほどになりました。随分前のことですが、それそれの土地の様子、出会った人々は今も鮮やかによみがえります。一人旅ならではの思い出の密度の濃さなのでしょう。ギネスの味に魅せられたのもこの旅。キルケニーのパブで地元の素人演奏家が一人また一人と増えていったスシューン(英語で言えばセッションのこと)で聴いたバウローン、フィドルコンサーティーナ、イーリアンパイプの音色に心を奪われたのもこのときです。アイルランド音楽が現地と日本で活躍する音楽家ご夫妻とのお付き合いにつながってきます。
アラン島に渡るフェリーで出会った英国ヨークシャーからのジムとメアリーご夫妻とは散歩と夕飯をご一緒しただけのお付き合いながら翌年には彼らの家を訪問、その後彼らが来日したときには能楽堂におつれしたり、信州への旅を計画してあげたり、我が家に泊まっていただいたりというご縁がつながりました。日本の文化に興味を持つジムさんに狂言の説明を必死にしたことが心に残ります。2001年にはヨークで再会。今もカードやメールのやりとりをしています。
こんな調子で一つ一つの出会いを書いていくとどのくらいの時間がかかるか知れません。ギネスから出発してアイルランドの思い出のほんの一部にお付き合いいただきましたが、最後は私がアイルランド贔屓になった決定的な出来事、とっておきのお話をいたしましょう。

お年寄りと子どもの姿が目立つ国、若者は米国、英国その他の国に出ていくことが多いと聞きました。朝の散歩をしていると白髪のご婦人が
“Lovely day. Isn’t it ?”
と話しかけてくれる国。夜のパブで子どもたちが走り回っている国、郵便ポストが緑色で、同じ緑色のバスの運転手さんが道筋の教会を通り過ぎるときに運転しながら十字を切る国、アイルランド。最果てという感じの島、アラン諸島最小の島イニシアは夏祭りでした。2泊して十分楽しんでさて帰りの船に乗ろうとしたら、往復切符の人が優先だから乗せられないと断られること数回。はじめのうちはそんなこともあるさと悠然と構えていた私でしたが、日が傾いてくるとさすがに不安になってきました。
すっかり顔馴染みになった島の人たちの中に、島のおじさんと訪ねてきていた少年がいました。「ぼく11歳、もうすぐ12になるんだ。」と言っていた男の子に「また船に乗せてもらえなかった。」と言ったとたん、彼はすっと近づいてきて私をぎゅっと抱きしめてくれたのです。はじめはびっくり、そして胸がきゅっと熱くなりました。その日知り合ったばかりの異国の女性が困った顔をしていたときにこんななぐさめ方をする子どもが育っている国、アイルランドが私の心に大きな場所を占めることになった理由をわかっていただけましたでしょうか。

前回の坪谷さんと同じで何でもいいから話題提供を、と呼びかけられて書き始めました。狂言のことがよかったかな、新疆ウィグル自治区の方がおもしろかったかもと反省。近頃、人と人、人とものをつなげていくことができることが生きている喜びの一つかもしれないなあとなんとなく感じています。RYUの眼通信でアイルランドとギネスへの思いをお伝えできて幸せです。組紐文様の新しい部分を書き加えたような気持ちです。お読みいただきありがとうございました。機会がありましたらまたお目にかかります。  
                                小田 敦子


◆今月の隆眼−古磯隆生

『変わらないこと』

先日、数十年ぶりに奈良・室生寺を訪ねてきました。平成10年の台風で五重塔の一部が破損したのをテレビニュースで見ていましたので、その後どうなったか気になっていましたが、平成12年に修復も終わり山間にある室生の里は嘗ての静寂を取り戻していました。
近鉄線・室生口大野駅に降り立ち、見渡す目前の風景の様変わりに時間の経過を感ぜずにはいられませんでしたが、室生寺までの道もあの頃とは違い、きれいに拡張・整備され趣もすっかり変わっていました。程なくバスを降り、川のせせらぎを耳にしながら、いささか緊張の面持ちで太鼓橋を渡り、女人高野室生寺へと歩を進めました。
山門をくぐり、土門拳の写真ですっかり有名になった石段越しの金堂を見やりながら、一段、一段上っていきました。金堂、講堂を経て五重塔を仰ぎ向かい合いました。そこには嘗て私の目に焼き付いた軽やかで、均整のとれた美しい五重塔が何事もなかったかのように存在していました。ベンガラの朱が未だ鮮やかさを保っていて、華やかな雰囲気さえ醸し出しています。間近に塔を見ながら脇を抜けて奥の院へ向かう途中、この五重塔の魅力を垣間見せる新たなアングルを発見をしました。数十年前のわたしには発見できなかったアングルしょう。
意を決して奥の院に向かいます。この急な石段は何段有るのでしょうか。息を切らせながらただただひたすら、頂上を見ずに、一段一段登っていきます。無心に!無心に!
しばらくして奥の院にたどり着きました。空が開け、視界が開け、川のせせらぎ、鳥のさえずりが耳に飛び込んできます。さわやかな空気が嗅覚を包み込み、風が疲れを癒してくれます。あの一時の無心の一歩一歩からどのくらいの時間の経過でしょうか、今や感覚全開です。この急な石段は“自問自答と無心”を余儀なくさせる宗教空間の「アプローチ」を形成していました。それは数十年前の経験と変わりません。 日々変化を宿命づけられたまち(都市)に住んでいますと変化は当たり前の日常になるわけですが、それ故のストレスが人には常にかかっています。この二つの空間を対比させるとき、人間の暮らす空間には“変わらないものがある”ということが大切な要素に思えます。これは人間にとっての人生という航路を生き抜くに必要なアンカー(錨)なのでしょう。



◆今月の味覚−榎本久(羽前亭主)

「鮎」

 鮎のおいしい季節です。川魚の“雄”とも言われていますが、天然物はなかなか手に入りません。和歌山、高知、徳島産の半天然物(養殖したものを自然の川の流れで育て上げる)を当店では使用しています。仕入れた後、すぐに背開きにして一尾づつ血合いやエラ等を取り除き、きれいに洗って干し上げます。その際塩水につけたりはしません。5,6時間扇風機で風を当てますときれいに仕上がります。お客様に提供するときは、その鮎を遠赤外線のコンロで炙ります。この時初めてうすい塩をふり、丁寧に炙ります。裏表を何度か返してじっくり炙り、水分がようやく抜けきった頃合いを見てレモンを添えてお出しします。召し上がり方は手でもって頭から「ガブリ」とやっていただきます。せんべいを召し上がるように。骨も程良い味を醸し出してくれます。九月の中頃までご用意しております、是非お試しを。一尾六百円です。あらゆるお酒にマッチします。