★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.16

◆今月の風 : 話題の提供は寺岡ヤス子さんです。

−第3の人生−

 昭和20年終戦の年に生まれ、団塊の世代の趨りの世代。親の世代を見送り、子供世代にバトンを譲り世代交代の真只中、人生一区切りの節目の時である60歳を目前にした今。ここで一旦仕切直しをして、残りの人生をどのように描くのか?立ち止まって考えるべき年齢を迎えていると感じています。仕事の関係で何度か訪れたデンマークでは、人生を3つのステージに分けるようです。

第1ステージ
 生まれて親のもとで教育を受け、18歳になると親から離れて独立し、
大学・専門学校入学や就職をし自立する迄。
第2ステージ
結婚・子育て、仕事、社会的責任も重く、しかし人生の内で最も充実
する時。
第3ステージ
 子供の独立、仕事のリタイア、自分の為に時間を使い楽しむ時。デン
マークでは平均寿命が日本ほど高くなくて、65歳ー70歳位を設定
して第3の人生を有意義に過ごしたいと計画する様です。

日本では、「死」に対して縁起が悪いとかで見ないふり(直視しない)ことが多かったのですが、高齢化が社会問題となり、色々な情報が提供され始め、自分の残りの人生設計を考える人が多くなってきたようです。「よく死ぬことはよく生きること」(千葉敦子)であるならばよく生きるための準備や実行にどう取り組むのかが課題となります。先の戦争までの「人生50年」から、世界一の長寿国、世界でも類を見ない急速な高齢化カーブで「人生80年」時代の到来、2025年には4人に1人が65歳以上の高齢社会(超高齢社会)の到来が見込まれていて、今まで経験したことの無い時代に突入しようとしています。

そんな時代を生きる私にとっての第3ステージの設計図は、まだまだ模索中ですが、住まい方は生きることの基本になるだろうと、7年前「終の住処」としての家を造りました。設計はVIVANT・RYUの目主宰、古磯氏にお願いして、住み心地の良い私達のポリシーを生かした、シンプルで友人達の集まりやすい家が出来ました。親子や夫婦といった家族のつながりだけでなく、気の合った友人や支え合いの出来る仲間達とのネットワークを求めて、友人夫婦と隣り合って住むことにしました。これもデンマークのグループリビングやグループハウジングからヒントを得た住まい方です。ここ2−3年の間に、日本のあちらこちらに公的な集合住宅や、或いは自分たちでグループリビングを始める人達も増えているようです。アメリカでは巨大な高齢者シティの建設も盛んな様で、日本のような2世帯同居の少ない国では、国や企業の取り組みも視点が違うようです。とは言え、今や日本でも核家族が増え、高齢者夫婦・単身者世帯はますます増えると予測されています。

岡山市では、都心部の空洞化や高齢化をにらんで、繁華街やメインストリートに面した1等地ー銀行や企業の撤退跡地ーにマンション建設が流行りです。都心から20キロー30キロ離れた山裾のベットタウンに住む人達の高齢化で、建物の老朽化と歩くのが不自由になってきた高齢者が、便利な社会資源の活用を求めて移り住む、或いは働く女性の子育ての利便性などが狙いのようです。これからも生き方の方向性に従って、色々な住まい方が考えられ推進されそうな気がしています。

仕事の面でも、今話題の年金がだんだん頼りなくなって、自衛をするために企業の取り組みも様々ですが、身近な銀行も55歳定年の後、給料を半分にされて嘱託で残り、65歳まで年齢に合った仕事をしていく方針が出されたと聞きました。夫と私は小さな会社を経営していますが、50歳以上の高齢者用の鉄工所を造ると夫が張り切っています。大企業に勤めていたOBが何人か、週3日ずつアルバイトに来ていて、年金を貰いながら半分働いて、後は畑や趣味や遊びを上手に組んだ生活をしているのが羨ましくて、自分もそのような仕事にシフトしたいと思っているようです。

日本人は、働くことからなかなか自由になれないようですが、生活の為生き甲斐の為、それも選択の一つかもしれません。「よく生きるために」自分の時間をどのように使うか・・これは一人一人違って当たり前ですが、やはり行き当たりばったりではなく、準備や心積もりは必要だと、仕事で多くの高齢の方々に関わって思うことです。先日も新聞のコラムで、「見逃せぬ30分の1」という題で、残り人生を30年として桜の花を見られるのは後30回。今年が30分の1だと思うと無理をしても見にいこうと思う。また今度と思わず仕事や用事を放棄して、先延ばしせず無理をしてでも足を運ぼうと思うと書いてありました。ちなみに40歳の百瀬いずみさんの文章でしたが、私は彼女より20歳も年上なのです。日曜日、早速花見に行きました。(RYUの目の原稿をさぼって)桜はまだ3分咲きですが、花が散るまで何度か足を運んでみようと思います。チャンスを逃さず、自分のしたいこと見たいことを、体が動く内に、楽しくチャレンジしてみようと改めて思っています。そして、その事が自分を喜ばせるだけでなく、僅かであっても何らかの社会貢献が出来るなら、生き甲斐や充実感ももっと増すだろうと思うのです。

「死」の前に来る「病い」や「老い」への対策、自分らしい死・葬儀と後始末の付け方をどのように準備出来るのか、これから仲間達と一緒に学んでいこうと計画しています。もう逃げられないな・・・「よく生きるために、よく死ぬために」
                   寺岡ヤス子
 

◆今月の隆眼−古磯隆生

−火−

先月、東大寺二月堂の「お松明(たいまつ)」を見てきました。これは「お水取り」で知られる修二会(しゅにえ)の法要の中で行われるものだそうですが、そのダイナミックな松明の扱いに初めての私はひたすら見入ってしまいました。松明を欄干に運び、火の粉を振りまき走る豪壮な行事ですが、1250年程前に深夜の「お水取り」の道明かりとして灯されたのが始まりだそうです。参集した沢山の人々の前で繰り広げられるこの「行」の見方を換えれば、松明を使った<火>の様々な様態のパフォーマンスと言えます。<圧倒的に、大きく燃え上がる火>、<足早に移動する火の塊>、<回転し、まき散らされる火の粉>、これらを組み合わせた<火>のパフォーマンスが繰り広げられわけですが、もうひとつのポイントはその合間の「静寂」です。静止した時空の中で揺れる炎はより「静」を意識させることになります。「動」から「静」、「静」から「動」と繰り返される激しい動きと様々な火の様態との組み合わせが人々を次第に惹き込み夢中にさせます。多くの人が息を凝らしてじっと「火」に見入る時空の共有は、人が「火」に抱く憧憬の念が生命の根元のところに通底する何かがあることを感じさせます。暖炉の火もまたわれわれの生活の中でこのような時空を提供してくれる装置のひとつです。
<用>としての「火」とは別に、生命の根元に共鳴するものとしての「火」もまた生活のリズムの中で必要な要素のように思えます。


◆今月の味覚−榎本久(羽前亭主)

−蕗(ふき)−

蕗が出廻っています。この時季はハウス物と自然の物が流通し始めます。「アクが強く、薄皮をむいたりして調理が面倒」と若い奥さんはあまり買わない野菜のようです。しかし、たまに買物袋に他の野菜と共に蕗が入っている人に出会うと何となく勝手に嬉しくなってします私です。要するに<カットヤサイ>ではなく大根でも人参でも葱(ねぎ)でもその姿が一目瞭然な野菜が、夕餉(ゆうげ)の食卓に並ぶことがうれしいのであります。

さて蕗のことでありますが、皆様はその<葉>の部分は如何していらっしゃるようでしょうか。多分、99.9%の方が捨てていると思いますが、ではこの<葉>を利用した保存のきく方法を書いて置きます。まず、葉を洗い、熱湯で充分茹でます。そしてアクを適当に晒(さら)して下さい。ここでいう「適当」とは、すっかりアクを抜いてしまいますと蕗の独得の香りや苦味を失ってしまいますので「抜きすぎない適当さ」を言います。それを終えましたら小口に細からず太からずの巾で切ります。鍋に切った蕗を入れ、その量にかぶる位の水を張り<めんつゆ>とか<つゆの素>などご家庭で使用のつゆを足します。このとき味は多少薄めにして下さい。煮つめて参りますので充分に味がつきます。中火でどんどん煮上げて下さい。蕗の葉はごわごわして固いのでどんどん煮て大丈夫です。煮汁が‘ひたひた’と音を出しましたら少し火を弱め、どんどん煮ます。この段階ではまだコゲませんので安心です。つゆ気がそろそろ無くなりだしたら細火にして煎るようにしゃもじか箸で万べんなく終始かきまぜます。しばらくしますと干した<ひじき>の感じになります(少ししめっぽい)。水分をなるべく取る為にもう少し煎って下さい。この位になりますといい香りがします(調理中もですが)。ころ合いを計って火を止めます。

蕗の葉の佃煮とか辛煮とか申します。お茶漬けに、酒のあてにとても良い一品です。保存もききます。多少時間がかかりますが一度トライしてみて下さい。



◆様々情報

前回の空閑さんの「絶滅製品たち」に、様々な反応がありましたので一部をご紹介します。

・「…ところでこのタイガー計算機の基本原理をかんがえだしたのは有名なフランスの哲学者パスカル であることをご存知でした?「人間は、、、考える葦である」の一言で有名なパスカルです。しかもパスカルが19歳のときに計算機を作り上げ実物は保存されているそうです。ただ、その 製作には当時は(1642年)精密機械の製造技術(特に歯車)が未熟のため、約2年間悪戦苦闘したらしい。そしてこの発明は当時の社会にとって大センセーションであったらしい。勉強のしすぎでこのころからパスカルは体を病んでいます。不景気だと「パンセ」が売れるそうです。それにフランス本国以外でもっとも「パンセ」が読まれている国は日本だそうです」

・「練炭 最後に使ったのは15年くらい前。友達が山梨の農家の廃屋を別荘代わりに借りており、僕たちがそこを借りて中国語の合宿をやったときに、駅の近くの氷や兼炭屋で燃料として買いましたね。
蚊帳 小学校6年、万年池でキャンプをしたとき、蚊帳を張って上にビニールの風呂敷を何枚も 置いてテント代わりにしたなあ。
湯たんぽ これだよ。最後に使ったのは23歳のころ。1969年の暮れから春にかけて、小菅刑務所と府中刑務所で。あのころはデモでパクられる者が多く、池袋の巣鴨拘置所(今のサンシャインシティ)は満杯で、小菅、中野(昔、埴谷雄高などが入っていた豊多摩監獄。今は公園)、府中の刑務所を拘置所代わりに使っていて、冬場は湯たんぽを使わせた。「湯たんぽ券」が5円で、これと交換に薬缶から熱湯を入れてくれるんだが、午後3時ごろに入れられた湯は、さあ眠ようかという9時ごろにはぬるま湯になり、明け方には凍っていることもしばしば。寒かったねー。その後、中野刑務所にも入り、三島由紀夫が死んだ翌日、黒塗りの新聞を見たあと、雪のちらつく狭い金網のスペースを一人走りながら妙にふるえたなー。幸い、僕は都内3カ所の刑務所(といっても拘置区)を体験できましたが、3畳間の独房は僕にとってマンションの一室で、パンの焼き方(小菅がいちばんうまい)から3度の献立、寝具、床屋、風呂、歯医者、看守や雑役囚の態度……三者三様で忘れがたいですね。」


前々回の「利島」の感想をいただきましたのでご紹介します。

『趣ぶかい言霊(ことば)で綴られた文章を読んでいると、いつの間にか私の中にゆったりとした、そしてどこかなつかしさを感じさせる利島の情景がすっと広がっていくような感覚に陥ります。“眠っている体の感覚の呼び覚まし”・・・興味を引かれることばですね。私は出身が大分県臼杵ですが、思わずこどものころを思い出しました。“土”を踏み、“大地”を足の裏を通じてまっすぐ全身で感じるというあの感覚は、都市で生活をしているといつの間にか忘れてしまいます。今の時期だと大分には霜が降っていて、もったいないという気もしながらも、やはりあのなんともいえない音と足裏の感覚が楽しくてついついシャッキシャッキと“霜柱”を踏み壊して遊んだ季節です。つかの間ですが、なつかしい感覚を楽しませていただきました。』