★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.12

◆今月の風 : 話題の提供は 寺岡勝彦 さんです。

−風呂の話−

風呂が余り好きでなかった私は古磯氏と10年ほど前に出会ってから風呂に関心を持つように成りました。始まりは、「海の見える風呂の家」を設計してもらってからの事です。
風呂は、仕事からあるいは外から帰って体を洗ったり、暖まったりする場ですけれども“省エネ”と言ってはできるだけ入らずに居りました。特に冬の着替えの寒さは、何とも嫌いでした。海の見える家が、新築住宅としてできあがると、気分が良くなったせいか、寒ければ脱衣室に電気ストーブを持ち込んだり、蜜柑湯や薬湯の数々を揃えて楽しむ事ができるように成りました。以来「湯」に目覚め、若い女性がなぜ温泉や薬湯が好きか、猿も入る温泉はいつ頃からか…関心が大いに沸いてきました。

住んで居ります岡山県は西の横綱と言われるほどの、温泉のいいところ。湯原、湯郷、奥津温泉の三大温泉が今もどんどん湧いております。温泉巡りも始めました…それも無料の露天風呂から。無料露天ですからどこからでも見られてますが,そんなことは何のその。出張途中でも常に下着とタオルは持ってますし、風呂、温泉の看板を見るとまずよって行きます。本場の露天風呂で無料の所はまず本物の湯を流しっぱなし。入ってみるとすべすべ感がわかります。しかもこの三大温泉、同じ岡山県北に有りながら少しずつ<固さ>が違います。たまに千円奮発して高級旅館の風呂に入りますと、しかもワンカッップ片手の露天風呂は秋ならば紅葉風呂、冬ならば雪の降る日が最高です。岡山県内で風呂を楽しむとするとポカポカ温泉の手ぶらセット580円から始まって、銭湯、健康ランド、あるいは、何々温泉と百軒は充分有ります。インターネットで(風呂)を検索しても、風呂機器メーカーの宣伝から始まってうぐいすの湯、湯の森、岩風呂、石風呂、等々、登録サイト986件。なんと日本人の風呂好きには驚くばかりです。
これらの風呂、温泉をどこまで探索できるかこれからの楽しみの一つです。そして又、大きな関心が浴場、風呂、温泉場の施設としてのハード面の善し悪しに有ることがわっかって来ました。古磯氏と何回か一緒に入って、浴場の建物や庭、景色の事を聞かされたせいでしょうか。

古い古い旅館の岩風呂は、女将さん一人で切り盛りしているせいか、昔々殿様が入る頃からか,大きな岩のぬるぬる感と、亡霊の出そうな天井。反対に最近の湯井だけで一億円の第三セクター製大浴場。木造り、石造り、コンクリート造りと、だれが設計するのか新しい大きな浴場はもう一度行きたい気になりません。特に悲しかったのは、岡山県中部の木造り温泉。町営3セクの運営ですが、「三年で天井が落ちて修理した」というのは実話。それも、そのはず。天井、壁のあちこちが黒くなってるだけでは有りません。腐食してます。外から見ると入り口の天井部分外壁に後付けとはっきり分かる大きな圧力扇が四つほど。露天風呂に入ると、ボイラー音がゴウゴウと聞こえます。風情も、リラックスも有りません。
湯を楽しむうちに体と心の休まる温泉は意外に少ないのではないでしょうか。湯を楽しませ、リラックスさせ、しかもユニバーサルなデザインを考えてくれる人やオーナーがやがて、出てきてくれるか、日本中廻ったら巡り会えるでしょうか。そこで、設備屋の私も最近解体工事で拾って来た鋳物製五右衛門風呂(本物)を使って、森の中の露天風呂を計画しました。湯冷め防止の熱燗置き場と薪ストーブを今、思案中です。そのほか自宅に海の見える露天風呂もできるよう、貯金中。わが家の設計者はポリシーの無さを嘆くかも…。寺岡



◆今月の隆眼−古磯隆生

−浴する−

先日、山梨県の温泉場を3軒ほど訪ねてきました。奥深い山中の紅葉は時期的にピークは過ぎていたとは言え、錦織を思わせる色とりどりの紅葉に浴することができ、しばし絶句…でした。紅葉浴は勿論のこと、密かな私の狙いは心底安らぐ温泉施設との出会いにあったのですが…残念ながら果たせませんでした。《今月の風》の寺岡さんの話にもありますように大型施設が増えはするものの、なかなかしっくりくる施設に出会えないのは設計同業者とは言え寂しい限りです、
以前、むくり(起り)のついた敷き瓦の浴室に少し触れたことがありますが、これは私にとってのとても貴重な素材との出会いでした。かれこれ30年以上も前のことでしたからすでにこの建物は残っていませんが、大分県湯布院の亀の湯別荘での出会いでした。桁行き5,6間、梁間2間半ほどの細長い、片流れ屋根の素朴な古い木造の浴室に2間半四方の脱衣室(古い蔵の改造か?)がついた建築的には何の変哲もないものでしたが、今だに、“足裏の記憶”としてそのときの感激が私には甦ってきます。
「周囲を壁で閉じられた着替え室から浴室に入ると、入り口から洗い場に至るまでに、数段の石段か橋を渡ったように思いますが、ちょっとした気分の切り替えができるようにしつらえてある。そこを通って洗い場に踏み入れたところ、足裏に感じる濡れた敷き瓦の感触は何とも言えない安らぎと落ち着きを覚えさせてくれました。体を洗って湯船に入り、中で足を伸ばすと丁度ころ合いの良さそうなところに木の丸太が渡してあり、そこに頭をもたせかけられるようになっている。頭をもたせかけると、前方は木のガラス戸で、天井は頭の方からガラス戸の方に向かって上る勾配天井になっていて、外に拡がるような感じ。ガラス戸は上の方だけが透明ガラスです。丁度寝転がった形で空が眺められるよぷな仕掛けだったと思います。」
これは20年程前に書いた感想ですが、この浴する空間が私の浴室を考えるときの原点になっています。



◆様々情報

 “欅”に関するお便りをいただきました。二つご紹介します。

★「先月の、ケヤキについては、皆同じような経験があるのではないかとおもいます。マンションの敷地内というのではありませんが、国分寺市の道路の並木に植えたケヤキが大きくなって、やはり道路沿いの住民から苦情がでています。市では、毎年予算を取って剪定していますが、所詮公共のスペースがな小さいのに先のことを想定せずに大きくなる木を植えるから問題がおこるのです。もっとも街路樹にケヤキを選んだのもそのあたりの住民だったそうなのですが。歩道のスペース自体が小さな道路なのですから最初から小ぶりの植木にしておけばいいのです。これを切り倒すとなると、今や市の財産に登録されているとかで結構面倒な手続きになるのだそうです。五日市街道のように昔からあるケヤキ並木ですと、後から来た住民は文句のつけようもありません。本来街路樹も無剪定で十分なくらいのスペースを取るのが一番いいと思うのですが、、、。」

★「わたしも千里にきて欅の四季おりおりの美しさ、裸木の姿の良さに魅かれて、自宅の庭の真ん中に欅を一本植えたのです。ところが、隣近所、我が家の母からブーイング。やはり大きくなると落葉が、多く庭木にはなりませんね。とうとう、切り倒しました。そして、街路樹でも、落葉対策や大きくなるのを防ぐためか、尋常でない切り方を確かにしています。すると、新しい枝は、団子状態になって、伸びやかな美しさはなくなります。美しいことには、なにかしらの窮屈さもあることを理解したいですね。は?女性もですよ♪」


《Ryuの目》の読者よりいただいた、最近の我が国の‘イラク復興’への対応に関する意見をご紹介します。

「明治までの日本人は喧嘩の仕方を知っていました。だから己を知り敵を知りを実践し、いつ喧嘩を止めるかどのように有利に止めるか、仲裁の出番はいつ頃か迄計算して事に当ったように思います。ノコノコ出番の無い喧嘩に割り込み、足元を見透かされてタカラレ舐められ、はて又、俺さえ儲かればそれで良しと、国益まで平気で外国へ売り込む企業家など、・・・平和教育とは喧嘩の仕方も教えない事にでしょうか?」