★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.9

◆今月の風 : 話題の提供は佐藤晃一さんです。
 
− 電気が使えないと − 

この夏、アメリカ合衆国サウスカロライナ州のクレムソン市を訪れる機会があった。この市には州立大学を中核に入念な配慮の基に造り上げられた閑静な趣きが漂い、いかにも「これぞ南部」といった懐の深い自然環境づくりに腐心した雰囲気が感じられる。訪問の目的は、その大学に設けられている夏期講習に私たちの学校の生徒が参加できるかどうかの調査と相談であった。その経過と結論はすべて割愛させていただき、小文では、他のことに触れたいと思う。
帰途、ニューオリーンズに立ち寄った。その理由の1つは、アメリカ・ジャズのメッカの空気に触れることであった。フレンチクォーターという一角があり、その中にバーボンストリートという通りがあって、その通りのあちこちで生粋のデキシーランド・ジャズや愁いに充ちたブルースを聞くことができると期待して行ったのだが、現実は必ずしもそのとおりではなかった。プリザベーション・ホールという、いつ崩壊しても不思議ではないといった廃屋同然の小屋があり、そこでは夜8時から深夜12時まで、それこそ伝統芸能伝承の殿堂だからこそ聴けるといったデキシーランド・ジャズを4時間たっぷり聴いてもわずか5ドルという安さである。このホールではマイクは一切使わない。すべてがなまの音でありなまの声である。なかには壮年の楽士もいるが、何といっても存在感があるのは70代から場合によっては80歳を超えるのではないかと思われる楽士たちで、彼らが半分眠っているような表情で死者を墓地まで送る行進の時に演奏する曲をやったりすると、それはもう、まさにジャズのメッカに来ているという至福のひととき実感せずにはいられない。
しかし、この界隈で至福のときを味わえるのはこのホールだけだった。あとは、同じデキシーでも、すべてアンプを使いマイクを通しての音楽であり歌だった。そして、多くの店ではデキシーランド・ジャズではなく、激しいリズムに乗ってひたすら踊り惚けるのに適した騒々しい音楽を鳴らす店ばかりが目立ち、実際そういう店が観光客の多くを集めて東の空が白けるまで賑わっていた。その意味では、バーボンストリートは、私の思い描いていたものとはかなり異なっていた。
話はまた変わるが、舞台は同じニューオリーンズだ。リバーフロント・ストリートカー(路面電車)のダウンリバー側の終点の近くに旧造幣局があり、今その建物は造幣やマルディ=グラ(ニューオリーンズ伝統のカーニバル)に関する歴史的な文物を展示する博物館になっており、同時にルイ・アームストロングが愛用したトランペットをはじめ歴代ジャズ奏者ゆかりの物を展示する博物館にもなっている。
私が訪れたその日(8月2日)、たまたまルイ・アームストロングの誕生日ででもあったのか、サッチモ・フェスタの最中で、博物館敷地内に設けられた3つの野外ステージでは大ベテランの楽団、子供の楽団、新進気鋭の楽団などが次々に舞台に登場してはお得意の演奏(この日ばかりはデキシーランド・ジャズのオンパレード)を披瀝していた。
と、突然の激しい夕立。あの舞台もこの舞台も演奏は中断され、芝生でビールなどを飲みながらジャズを楽しんでいた聴衆は我先に館内に避難して、すでに何度も見たジャズ・コーナーの展示物を見ることで夕立が通り過ぎるのを待っていた。
すると、思いがけないことに、屋外から演奏の音が聞こえて来る。雨が止んだかと玄関口に出向いてみると、そこには大ベテランの連中が雨中行進をやっている。この日、いくつの楽団が集まったかは知らないが、ステージを降りて雨の中の行進を決行できる楽団がいくつあったろうか。彼らはまるで「葬式に行進はつきもの。雨だからって中止する訳ないだろ!」「楽器が濡れる? いいじゃないの。使えば濡れもするし、凹みもするさ。楽器は俺たちそのものよ」とでも言っているようなはしゃぎっぷりであり、聴衆もその意気に感じたのか、演奏のリズムに乗って濡れた芝生のあちこちで踊り始めた。
この楽しい雰囲気の輪の中に多くの楽団は入れずにいた。なぜか。私が思うに、それは①アンプが使えない場での演奏に慣れていないから自信がない、②楽器が濡れるのを避けたい気持ちを払拭できない、この2点である。とくに、①は現代のジャズの脆弱さを如実に表しているように思えてならない。マイクを通した音(ボリュームのつまみを右に回しさえすればいくらでも大きくなる音)しか持ち合わせていない彼らから、この夕立は演奏の機会をいとも簡単に奪ってしまったのである。バーボンストリートの(プリザベーション・ホール以外の)多くの「音楽を聴かせ、踊らせる店」で演奏する楽団も、大概はこの手のものなのだろう。いわんやディスクジョッキーが仕切る店など、ニューオリーンズでは論外のはずなのだが、現実に賑わっているのはそんな店。だから結果として、私は2晩合計7時間以上もプリザベーション・ホールに通わなければならなかったのである。
帰国後2週間ほどして北米東部で大停電があり、ビジネスと観光双方の横綱ともいうべきニューヨークがその被害地の真っ只中に在った。近代文明・現代科学の時代、電気が消えると人々の暮らしがどうなるか、文明と科学の総本山のアメリカが(それもマンハッタンが)とっくりと見せてくれた。あまりにも想像どおりであり、あまりにも全生活が不便のどん底に陥ったのを目の当たりにしたためか、他山の石にしなければという思いよりも、対岸の火事を見ているような、そんな思いでテレビを見ていた。そして「電力」という細い糸のようなものに、自分の全生活が頼りなくぶらさがっているような幻想(現実)を持ったものである。今年の夏は涼しすぎてその心配はなさそうだが、その代わり、このところ頻発する地震の様相が私たちの暮らしにどう迫って来るかという心配がいよいよ現実味を増して来るような感じなのだが、これも何とか杞憂であってくれればと・・・・。           


                                         
◆今月の隆眼−古磯隆生

− まちの中の四季・その3…いびつになった欅 −

前回は桜の紅葉についてお話しましたが、今回は欅についての話です。
私が大学に入って建築の勉強を始めた頃、参考とすべき建築パースや外観図には必ずといっていいほど背景や前景に欅が挿入されていました。本州の西端(山口県)で高校までを過ごした私にはこの伸びやかで美しい枝振りの樹がとても印象的に感じられたのを覚えています。東京ではどこででも見られるほど生活空間に溶け込み親しまれている樹木です。
ところが近年からでしょうか、多分、欅の落葉をうとましく感じる人が増えてきたらしく、或いは電線に触れると言う理由からでしょう、街路樹の欅の枝を落とす光景が目につきます。それも私から見ますと尋常ではない枝の断ち切り方で、幹と太い枝を残すばかりでとてもとても欅の姿を留めているとはいえません。まちづくりは子供からと思っていても、これでは美しい欅の姿どころかいびつになった変形樹木の異様なオブジェのごとき姿を子供の目に刻むことになりそうです。
私は「まちの中の四季」を調査してる中で、四季を通した欅のすばらしさを感じました。春を予感させる赤み帯びた芽吹きに始まり、新緑のころの光に透かされた軽やかな葉の緑、濃い緑に覆われた木陰、たくみな着せ替えを想わせる紅葉そして落葉。雨に濡れれば目に鮮やかな紅の欅絨毯が現出します。何とも言えないカラフルな光景が冬を間近に控えて展開します。そして冬。すっかり葉を落とした木立の姿はとても稟とした響きを感じさせる光景に変わります。この樹は一年を通して私たちの目を潤してくれます。
皆さんお住まいの街の中の四季についてお便り下さい。